この恋、史上最凶につき。

第二十九話 動く前夜



 夕暮れが完全に落ちきる前の時間。
 オレンジ色と群青が混ざり合った空の下、
 私と時雨くんは黒焔のアジトへ向かっていた。

「今日、少しだけ顔出す。
 ……雪菜も一緒に来い」

「うん。時雨くんが行くなら、私も行く」

 バイクを降りた時、
 時雨くんが一瞬だけ私の手を取る。

「……離れんなよ。
 中、ちょい騒がしいかもだから」

「大丈夫だよ」

 入口をくぐると、
 黒焔の仲間たちが既に集まっていた。

 オイルの匂い、バイクの金属音、
 騒がしい笑い声。

 でも——

「お、総長来たな!」

「雪菜ちゃんも一緒か」

 ざわつきながらも、
 みんな私を普通に受け入れてくれる。

 以前と違い、
 もう“紹介された外の子”じゃない。

 総長の隣にいるのが当然みたいに扱われる。
 その変化が不思議で、でも少し嬉しかった。

 そんな中——

「総長。狼牙……動きそうです」

 綾斗さんが低い声で言う。
 場の空気が一瞬、冷えた。

(狼牙……前に私を──)

 思わず肩が強ばる。
 その気配に、時雨くんの目が鋭く光った。

「……雪菜、ここ座れ」

 時雨くんは古いソファへ私を座らせ、
 自分はその横に立った。

 まるで守るみたいに。

「詳しく話せ」

 仲間の言葉を聞く時の時雨くんは、
 学校の時とは全然違う。

 冷静で、鋭くて、
 総長としての重さを背負っている。

(……いつもより“怖い”けど、でも安心する)

 時雨くんの声が低く響く。

「狼牙、前の喧嘩で黒焔に負けたの引きずってるっぽい。
 どうも、総長を狙ってくるって噂が」

「来るなら来ればいい。上等」

 時雨くんは即答した。

 その表情は笑っていないのに、
 自信だけが静かに滲んでいる。

 黒焔の仲間たちもその言葉に頷く。

 でも私は──
 胸の奥にうっすら不安が広がっていた。

(時雨くん……大丈夫かな)

 黙って彼を見つめていたら、
 ふいに横目でこちらを見る。

「雪菜」

「……なに?」

「心配してんの、分かってる」

 みんなの前だけど、
 彼は私にだけ聞こえるような声で言った。

「大丈夫だ。
 お前の前から消える気ねぇよ。
 消えられるかよ……こんな好きな奴置いて」

 小さく、でも深く刺さる言葉だった。

(……そんなこと言われたら、不安も全部溶けちゃうよ)

 胸が熱くなって手を伸ばしかけた瞬間——

 時雨くんが、その手をそっと掴んだ。

 指先を重ねるように。

 仲間には見えない角度で。

「……雪菜が見ててくれりゃ、それで十分」

「時雨くん……」

「雪菜は俺が守る。
 お前は……俺が命より優先する」

 その一言で、
 黒焔の空気がどれだけ荒れていても
 私の世界だけは落ち着きを取り戻した。
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