陰キャで漫画家夢見るワタシが不思議な女の子に告白されて、超ユニーク癒しのアニマル系女子寮に招待されちゃった!?
第一話 カピバラ眺める女の子の似顔絵描いたら超ユニークな管理人さんのいる女子寮にご招待!?
「あの、桜子ちゃん。好きです! 私、あなたに一目惚れしちゃったの。真面目そうで誠実そうで賢そうで心優しそうで、イラストもお上手なところに、すごく好感が持てたの。あのっ、これからいっしょに暮らして下さいっ!」
「えっ!?」
五月下旬のある日の夕方、阪神間とある文教地区に佇む、名門公立進学校に通う押部桜子は動物園のカピバラの柵の前で同い年くらいに見える女の子から、突然そんなことを告白された。
どうしてそんなことになってしまったのか、話はしばらく前まで遡る。
※
漫画家、ラノベ作家、声優、イラストレーター、アニメーター、ゲームクリエイター、プロゲーマー、ユーチューバー、Vチューバー……etc.将来はこういった職業に就いてエンタメ業界で活躍したいっ!
↓
そうだ、夢が叶えられる! プロになれる技術を学べる学校に進学しよう!
こんな風に志した中高生の多くにとって、それを実現させるうえでの最難関は親への説得である。家庭環境によっては東大合格よりも遥かに難しいことかもしれない。
「あかんに決まっとるやろっ! アホかあんたはっ! そんな変なとこはお金持ちの道楽やっ! だいたいあんたマンガなんか描いたことないやろ」
「だから描けるようになれるように描き方を学びに行くんだって!」
「そんな甘い心構えの子ぉが漫画家なんかになれるわけないやろっ! 漫画家なれる子ぉはそんなんわざわざ他人から教わらんでも独学でやるんよ。小学生の時から」
「………………」
ってな感じで阪神間とある文教地区に住む押部桜子(おしべ さくらこ)も母に私立高校芸術科マンガ・アニメコースへの進学を猛反対され、中学の頃仕方なく勉学に励んでやって、東大・京大・医学部合格者を毎年多数輩出する県立伝統進学校普通科に不本意入学してあげたわけだ。
※
将来に向けて、高校生のうちから手に職をつけようと地道に技能を磨くことは、立派な行為だろうけど時と場合によっては感心されないのは当然である。
五月下旬のある日、桜子は改めてそのことを痛感させられた。
「押部さん、今授業中だから、お絵描きはやめましょうね」
二時限目古文の授業中、教科を受け持つ三十代後半の女性教師にやんわり注意されたのだ。かわいい動物や女の子達の自作イラストがたくさん描かれた。
他にも授業に関係ないことしてる子何人かいたのに、なんでワタシだけ? 後ろの方だし窓際だし、教卓からは見えにくいはずなのになぁ。っていうかなんで真ん中の列の前の方でマンガ読んでた子がバレてないんよ?
心の中で理不尽さを嘆いた桜子はお昼休みには、
「……うちの高校から、この大学へ進む子はここ数年一人も出てないよ。押部さんは成績良い方なんだから勿体ないよ。一年生の今のうちから継続して勉強頑張れば、神大や阪大にも行けると思うよ。京大にだって手が届くかもしれないよ」
面談で進路希望調査について、クラス担任で地歴・公民科の鯛先生(二十九歳、♀)からやんわりと苦言を呈され、しょんぼり気分に。
難関国公立大の進学指導に力入れてるだけあって、やっぱあまりいい顔されなかったかぁー。鯛先生自身も神大出てるもんね。
桜子は第一志望から第三志望まで私立大の芸術系学部にしていたのだ。
いつもより良くないこと続きだった桜子は放課後、夕方四時頃。桜子は不愉快な気分で独りで自宅への帰り道を歩き進んでいくのだった。
そんな桜子は、背丈は一五〇センチくらい。丸っこいお顔、くりくりした目、ほんのり栗色なおかっぱ頭をいつもメロンなどのチャーム付きダブルリボンで飾り、小学生に間違えられても、いやむしろ女子高生に見られる方がもっと不思議なくらいあどけない風貌だ。
……甲ノ夢高の芸術科入れてたら、ワタシと同じ趣味の子達がいっぱいいて、もっときらきらした楽しい高校生活送れてたはずだよね。校則も緩いみたいだし。あの時ママにもっと強く反発してたら良かったよ。
俯き加減でこんな不平不満を心の中で呟く。
学校のつまらない課題に追われずに、もっと絵を描く時間がいっぱい取りたいよ。久し振りに、動物さんのお絵描きしに行こうっと。
ふとそう思い立ち、学校から徒歩十五分くらいの所にある動物園へ。
幼い頃から数え切れないほど訪れているお気に入りの場所で、高校入学してからも既に数回は訪れているのだ。
閉園時刻の午後五時が迫る中、フラミンゴやゾウなんかのイラストをスケッチブックに描いたりして過ごしていく。
あっ、あの子、すっごくかわいい! 眺めてるだけで癒されるぅ♪ どう〇つの森とか好きそう。お友達になりたいな。
桜子は、ふれあい広場で中腰でカピバラをうっとり眺めていたその子を見かけるや、スケッチブックを取り出し、似顔絵を描写し始める。
丸顔ぱっちり垂れ目、細長八の字眉、ほんのり茶色な髪をパンダ柄のシュシュで二つ結びに束ね、肩にかかるくらいまで下ろしていたのが特徴的だった。少し痩せ型で、服装は胸ポケットの付いた白地長袖ワイシャツに、えんじ色チェック柄スカート。移行期間中の制服姿と思われる。
上手く描けてるかな?
桜子は思わずふふふっと微笑んでしまう。
そんな時、
「私の似顔絵、とってもお上手ですね」
背後から声をかけられ、
「あわわわあっ。ごっ、ごめんなさい。勝手に似顔絵描いてしまって」
「いえいえ。私そっくりでとっても嬉しいです♪」
「あっ、どっ、どういたしまして」
「私、摂蔭(せついん)女子高等学校一年の幸岡千景(こうおか ちかげ)って言います。あのっ、藪から棒ですが、もしよろしければ、あなたのお名前聞かせてくれませんか?」
その千景と名乗った子は桜子に顔を近づけ、にこやかな表情で問いかけてくる。桜子は緊張からか額から冷や汗がつーっと流れ出た。ドクドクドクドク心拍数も急上昇する。
「ワッ、ワタシの、名前は、押部桜子、ですけど……」
桜子は言葉を詰まらせながら思わずフルネームで答えてしまった。
「桜子ちゃんっていうんですね。桜餅みたいでとってもかわいらしいお名前ですね」
千景は不○家のペ○ちゃん人形のように舌をぺろりと出した。
「そっ、そうでしょうか?」
桜子はただただ呆然と立ち尽くす。
「桜子ちゃんって、コアラみたいでかわいい♪」
「そっ、そうかな?」
「その制服、神六丘(しんろくおか)高校、神高(しんこう)のですよね?」
「うっ、うん。そうだよ」
「やっぱり♪ ますます気に入っちゃいました。何年生ですか?」
「いっ、一年生です」
「私と同学年ですね。あのっ、桜子ちゃん。私から、ちょっとお願いしたいことがあるの」
千景は急に真剣な眼差しになり、昭和っぽいセーラー服姿の桜子の目をじっと見つめてくる。
「なっ、何かな?」
桜子の心拍数はますます高まった。
千景はちょっぴり俯き頬をほんのり赤らめて、すぅと息を大きく吸い込んだ。
こんなやり取りがあり、あんな状況になったのだ。
「えっ!? いっ、いっしょに、暮らしてって……」
桜子は当然のごとく動揺の色を隠せなかった。
「今から桜子ちゃんを、私のおウチへご案内しまーすっ!」
「うわっ!」
そんなことはお構いなしに、千景は右手をぎゅっと握り締めてくる。マシュマロのようにふわふわ柔らかい感触が、桜子の手のひらにじかに伝わって来た。
「こっちです、こっちです」
「わっ、わわわわわ、ちょっ、ちょっと」
桜子は千景にグイグイ引っ張られていく。
千景の背丈は一五〇センチ台後半くらい。今年四月の身体測定時で一五〇.一センチだった桜子よりも大柄なこともあって、完全に力負けしてしまっていた。
「あっ、あの、手を、離して欲しいな」
「嫌です。せっかく出会えたのに。絶対離しませんっ!」
千景は桜子の方を振り返りながらそう告げて、桜子の手をさらに強く握り締めた。
「そっ、そんな……」
桜子は千景にされるがままにされるしかなかった。
ここは神戸市内とある文教地区の一角。
あれよ、あれよという間にマルーンカラーの車体でお馴染みの阪急電鉄の踏切を通り抜け、さらに北の方角へ。急な坂道を駆け上がりつつ閑静な住宅街を走り抜け、青々とした木々に囲まれた五十段ほどの緩やかな石段を駆け登らされ、ついには山がすぐ背後に迫った所まで連れて行かれた。
「ここでーす。私のおウチ♪」
千景はようやく手を離してくれる。
「……イッ、イルカ!?」
桜子はゼェゼェ息を切らしながら、すぐ目の前に聳える建物を見上げて驚く。
窓ガラスは所々に見受けられるものの、イルカそっくりな形をしていたのだ。
「アニマルなデザインでとってもかわいい建物でしょ? 三階建てで中はごく普通だよ。さあ、桜子ちゃん。どうぞこちらへ」
「わわわ」
桜子は再び千景に右手を握り締められ、ズズズッと引っ張られていく。
「ただいまーっ!」
千景は胸ビレを模した形と色の横開き玄関扉をガラガラッと引くと、元気よく帰宅後の挨拶をした。
「おかえり、千景ちゃん」
数秒待つと、奥から、
なんと、
一匹の狸が現れた。全長六〇センチくらいで、二本足で立ってぴょこぴょこ歩き近づいてくる。
「狸が、しゃべった! ま〇きち、つ〇きちみたい」
当然のように驚く桜子。
「驚いたでしょ? 私も最初出会った時、どう〇つの森の世界に来たのかなって思ったよ。この子はロボットだよ。たぬゑって言うの。お婆ちゃん狸だからお婆ちゃんって呼んでるよ。お婆ちゃん、この神高の子を、新しい管理人さんにしよう!」
千景は桜子の右手を握り締めたまま、元気な声で伝える。
「へっ、へっ!?」
桜子は目を大きく見開いた。
「千景ちゃん、そちらのお嬢さん、かなり動揺してるよ。事情はちゃんと説明してあげたのかい?」
たぬゑさんはにこにこしながら二人のいる方へ歩み寄ってくる。
「あっ、いっけなーい私ったら。ごめんね桜子ちゃん」
千景はてへっと笑う。
「あっ、あの、ですね……」
桜子は棒立ちのまま、口をパクパクさせていた。
「お嬢さん、桜子ちゃんって名前なのかい。汗ようけかいとるね。きつい坂上って来て疲れたろう? ちょっと休憩していきな」
たぬゑさんに手招かれる。
「いっ、いえ。その、ワタシは……」
桜子は慌て気味に断ろうとしたものの、
「桜子ちゃん、上がって、上がってーっ!」
「わわわわわ」
千景にまたも右手をぐいっと強く引っ張られ、無理やり上がらされてしまった。
桜子と千景は玄関先で靴を脱ぎ、ネコさん型スリッパに履き替える。
目の前はロビーとなっていた。
外観とは対照的に、特に奇抜さは感じられなかった。
なんか、旅館っぽいな。
桜子はそんな第一印象を抱く。
「桜子ちゃん、千景ちゃん。ここへお座り」
たぬゑさんに案内されたのは玄関入って左側に見える、高級そうな桐座卓をコの字型に囲むように、シマウマの縞柄ソファーが並べられてある場所。座卓のすぐ横には四六V型液晶テレビも置かれていた。右側には食事スペースなのか、わりと大きめの漆塗りダイニングテーブルと、それを囲むように木製椅子が六つ並べられてあった。
ソファーに桜子と向かい合うようにたぬゑさん、桜子のお隣に千景が座る。
「ロボットだけど、人の言葉をしゃべれる高性能たぬきなの」
千景は自慢げに紹介した。
「はじめまして、桜子ちゃん」
たぬゑさんは桜子に優しく微笑みかける。
「はっ、はじめ、まして」
桜子はおどおどしながらも、ぺこりと頭を下げた。
「お客様ですかー?」
奥からもう一人、中学生くらいのヨーロッパ系外国人だろう女の子が現れた。三人のいる方へ歩み寄ってくる。
「そうだよ、桜子ちゃんっていうの。私と同い年の子なんだ」
千景は嬉しそうに伝えた。
この女の子の背丈は一五〇センチ台前半くらい。卵顔でおでこが広く、ブルーの瞳に縁無しのまん丸な眼鏡をかけていた。髪はクリーム色。和風な桜の花のチャーム付きりぼんで三つ編み一つ結びにしていて、見た目から優等生っぽさが感じられた。
「いらっしゃいませ、桜子お姉さん」
「あっ、どうも」
爽やかな笑顔&流暢な日本語で挨拶され、桜子は頭を少し下げて会釈した。
「桜子ちゃん、礼儀正しいねえ」
たぬゑさんは感心する。
「いえいえ。ワタシ、それほどでは……」
桜子はすぐに謙遜した。
「桜子ちゃん、セーラー服は暑かろう? 脱いでリラックスしな」
たぬゑさんは笑顔で勧めてくる。
「いっ、いえ。ワタシ、これでちょうどくらいですから」
本当は暑いけど、いざという時に逃げにくくなるからなぁ。
桜子は警戒して、身に着けていた制服の冬用セーラー服を外そうとはしなかった。学校指定の通学鞄も左手に持ったままだった。
「どうぞ」
女の子が丹波の黒豆茶と炭酸せんべいを座卓に運んで来てくれた。桜子の目の前にコトンと置く。
「あっ、ありがとう」
あとで法外な高額請求されたりしないよね?
桜子は礼を言うもそんな不安がよぎり、手をつけようとはしなかった。
「わたし、ヤスミン・クースタスと申します。オーストリア出身です。私立摂蔭女子中学の三年生で、理科部とかるた部と茶道部に所属しています。日本語は三歳の頃から習っていまして、漢検準一級と日本語能力検定N1持ってます。わたしの日本語能力は一般的な日本人中学生よりも高い自信がありますよ」
この女の子はヤスミンというらしい。ちょっぴり照れくさそうに自己紹介したあと、たぬゑさんのお隣に腰掛けた。
「あなたも、この旅館っぽい所に住んでるの?」
桜子は恐る恐る質問してみた。
「はい。わたしと家族は五年前の三月に故郷から京都に移住し、わたしは中学に入学した時から家族と離れてここに住むようになりました。ここは、今は旅館ではなく摂蔭女子中学校・高等学校の生徒寮として利用されてるの。全校生徒一四〇〇名くらいいるうち二割程度が寮に入ってますよ。ただ、みんな同じ寮というわけではなく、いくつかの提携寮に分散させているんです。ここ鶫風(つぐみかぜ)寮のようにこぢんまりとした寮から、百名以上収容出来る大きな寮までいろいろありますよ」
「そっ、そうなんだ」
ヤスミンの説明で、桜子は腑に落ちたようだ。
「そんで、おらがこの鶫風寮の現管理人なのさ」
「前の管理さんもお婆ちゃんで、八千代さんって言って、去年一〇一歳で亡くなった後、ロボット狸のたぬゑお婆ちゃんが跡継ぎで管理人さんを務めてるの。前のお婆ちゃんが持ってた記憶のデータがいっぱい詰まってるんだ」
千景は加えて説明する。
「ロボットが寮の管理人さんなんて、凄く珍しいね」
桜子は驚き顔で呟く。
「桜子ちゃん、おら、いつ故障するか分かんねえから、管理人の後継者となる人間の若い子を探してたのさ。まあ、おらもまだまだ引退しないけど」
たぬゑさんはにこにこ笑いながらおっしゃる。
「お婆ちゃんは十五歳以上から七〇歳くらいまでの人を募集してたんだよ」
千景は説明を加えた。
「学校のホームページに、求人広告を出そうかと思ってたとこなのさ」
たぬゑさんはさらにこう伝えた。
「そうなん、ですか」
桜子はぽかんとなる。
その直後、
ミャーォ。
奥からネコの鳴き声も聞こえて来た。
ほどなく四人の前に姿を現す。
白、黒、茶、三色の毛並み。
三毛猫だった。
千景の方へとことこ駆け寄ってくる。
「この子は鶫風寮のペットでマスコット的な存在の、梅乃っていうの。私は梅ちゃんって呼んでるよ。メスで今四歳だよ」
千景は嬉しそうに紹介する。
その梅乃と名付けられた三毛猫は、千景のお膝の上にちょこんと乗っかった。千景は頭を優しくなでてあげる。
「三毛猫は、ほぼ百パーセント、メスだよね」
桜子は的確に突っ込んだ。
「オスの三毛猫なんて、おらも一度たりとも見たことねえな。ここは旅館として大正時代から長年経営してたんだけど、震災で一度全壊したんだ。建て直したさい元の姿を再現したんだけど、客足が震災以前に比べると大幅に減ってしまって経営が苦しくなってね。そんで、平成十年度からは摂女の提携寮として使うようになったのさ」
たぬゑさんはこの寮の沿革を簡潔に語る。
「震災って、阪神淡路大震災のことですね」
「あの日はたまたま休館日にしてて、宿泊客がいなかったのがまだ幸いだったよ。ところで桜子ちゃんは、あの伝統名門の神高生なんだってね」
「はい」
桜子は少し俯いて緊張気味に答える。
「おら、桜子ちゃんを喜んで採用するよ。まさに求めていた人材ぴったりだ」
たぬゑさんはにっこり笑いながらおっしゃった。
「えっ…………えええええええええええええええっ!!」
すると桜子は目を白黒させ驚愕の声を上げた。
「とりあえず、一ヶ月くらい試しに管理人体験をしてみないかい?」
たぬゑさんはとても嬉しそうに誘いかけ、桜子の肩をポンッと叩く。
「あの、それって、ワタシを、ここの旅館、ではなく寮の管理人として、雇うということ、なんです、よね?」
桜子は唇を震わせながら、言葉を詰まらせながら質問する。
「その通りさ。住み込みでね」
たぬゑさんはにこやかな表情で告げた。
「……ってことは、ワタシも、ここで、暮らすということなんですか?」
桜子はきょとんとなった。
「おう、その通りだよ」
たぬゑさんは笑いながら答える。
「桜子ちゃん、鶫風寮の新しい管理人さんになって、なってーっ」
「わたし、桜子お姉さんなら大歓迎ですよ。あの名門の神高生ですし、かなり真面目そうなお方ですし」
千景はもちろんのこと、ヤスミンもそれを強く望むような言葉をかけた。
「今日は木曜かいね。引越しの準備もあるだろうし、桜子ちゃん、ご両親の許可が取れたら、来週月曜から来てくれないかい?」
「えっ、あっ、はい」
桜子は思わず承諾の返事をしてしまう。
「やったぁ♪ 桜子ちゃん、寮生はもう一人いるよ。中学二年生の阪谷彩織(さかたに さおり)ちゃんっていう子、呼んでくるね」
千景はそう伝えると、ロビー隅にある昔ながらの箱階段を駆け上がり二階へ。
「彩織ちゃん、あの子が新しい管理人さんになってくれるよ。お顔見せてあげて」
「……」
千景がお部屋の出入口を引いてこう叫ぶと、彩織という子はお部屋から出て来て、階段の所からロビーに向けてぴょこっとお顔を出す。無言のままぺこりと頭を下げて、すぐにお部屋へ戻っていった。
あの子か……。
桜子はその子と一瞬だけ目が合った。一五〇センチに届かないだろう小柄さ、丸っこいお顔とくりくりしたつぶらな瞳。ほっそりした体つきで、ボサッとした墨色の髪を水色リボンでポニーテールに束ねていたことが確認出来た。
「彩織ちゃんは人見知りの激しい子なの」
ロビーへ戻って来た千景は手短に紹介する。
「あの、そんな繊細な子がいるのに、ワタシみたいな、今日初めてここを訪れた者が管理人をして、大丈夫なのでしょうか?」
桜子は不安げに問うた。
「大丈夫だよ、桜子ちゃん」
「彩織さんは、きっと桜子お姉さんのことを気に入ってくれると思いますよ」
千景とヤスミンは自信たっぷりに言う。
「桜子ちゃんなら、彩織ちゃんとも絶対上手くやっていけるさ」
たぬゑさんも同じく。
「そうで、しょうか? あっ、そういえばワタシの高校、アルバイト原則禁止なんですけど……」
桜子は不安そうな表情を浮かべた。
「今はそうなってるのかい。ほな、ボランティア活動としてやったみたらどうかね?」
たぬゑさんは優しく微笑みかけた。
「そう、ですね。ボランティア活動は推奨してるみたいなので、学校と両親から、許可が取れれば」
「桜子ちゃん、上手く説得してね♪ 健闘を祈るよ」
「うっ、うん」
千景にウィンク交じりでお願いされ、桜子はよく考えずに引き受けて良かったかなっと感じたようだ。
*
「こんな場所だったんですか。ワタシんちからは三キロくらいだな。では、失礼します」
桜子はあのあと、たぬゑさんから鶫風寮の見取図、アクセスマップ、仕事内容の説明などが記載された書類を受け取り、ここをあとにした。
まさか、こんなことになるなんて……人生何が起こるか分らないものだね。寮生も女子寮モノの漫画やアニメに高確率で出てくるワタシの苦手なビッチ系や酒豪で気の強い姉御肌の子がいなくて、ワタシ好みの垢抜けない純真無垢な感じの子ばかりだったし、管理人体験やってみたいなって感じたよ。外観もユニークで芸術的だし。こんなお誘いが来るなんて、ワタシ、神高入ってよかったかも。
桜子はこれまで十五年と半年ちょっとの人生の中で最高とも言える高揚感を味わいながら、徒歩で自宅へ帰って行く。
☆
「ただいま」
夕方六時半過ぎ、桜子は鶫風寮から四〇分ちょっとかけて自宅に帰り着くと、
「おかえり桜子、やけに遅かったけど、アニメのお店とかに寄り道してたんやろ?」
母にやや呆れられた。
「アニメのお店じゃないって。あの、ママ、パパ。ワタシ、女子生徒寮の管理人やらないかって誘われたんだけど……」
桜子は否定するや恐る恐る両親に報告する。
「えっ!? どういうことなの?」
「女子生徒寮の管理人?」
両親は目を丸くしたが当然の反応だろう。
「帰る途中に、ワタシと同じ学年の子にここに誘われて、それで……」
桜子はそう伝え、私立中高一貫校の物理教師である父に、たぬゑさんからいただいた書類を手渡した。
「本当に生徒寮の、管理人をするのか!?」
父はけっこう驚いていた。
「来週月曜からボランティアで一ヶ月ほどやってみないかって。この鶫風寮っていう寮、摂蔭女子中・高の提携寮の一つみたい」
桜子がそう伝えると、
「摂蔭!? そこってなかなかの名門校じゃないか。そこと提携してる生徒寮なのか。危ない所じゃないし、誘われたんならやってみたらどうだ」
父の表情に笑みが浮かんだ。
「生徒寮の管理人って、高校生でも出来るの!?」
「現管理人のたぬゑさんっていうお方が大丈夫だって言ってた」
「さくらこはそのボランティア、やってみたいの?」
「うん、まあ。評定も上がって大学受ける時、推薦で有利になりそうだし」
「さくらこにやる気があるんなら、ママは許すけど。でも寮の管理人さんって、生徒達の相談相手とかにもなってあげんといかんし、対人能力が相当いるやろ。人付き合い苦手なさくらこが出来るわけないと思うんやけど」
母はかなり心配になったようだ。
「まあママ、ここを見ると桜子にとって良い社会勉強になるかもしれないじゃないか」
父は柔和な笑顔で言う。仕事内容が説明されてある書類には求める人物像:品行方正、素直で正直者、誠実、地道な努力を怠らず真面目で心優しい人。と書かれてあった。
まさに桜子のことだ、父は感じたのだ。
私立摂蔭女子中学校・高等学校は、父が勤めている学校のライバル校らしい。入学難易度も同じくらいではあるが、父の勤めている学校はスポーツ万能な活発系、摂蔭の方には真面目で大人しい文化系の子が多く集まる傾向にあるという。
そう聞かされた桜子は、より期待感が高まった。自室に入るとさっそくスマホで鶫風寮の電話番号に連絡する。
『それはよかったよ。桜子ちゃんの学校にもおらの方から事情伝えておくから。じゃ、月曜日にね』
最初に出たたぬゑさんと、
『桜子さん、楽しみに待ってるからねーっ!』
続いて代わった千景も大喜びしてくれた。
桜子は電話を切ると、
女の子にこんなに嬉しがられたのは生まれて初めてだよ。
ちょっぴり感激しながらベッドに寝転がり、
けっこう広いんだな。
鶫風寮の見取り図を確認する。玄関があるのは南側。寮の一階、ロビーの奥には北に向かって廊下が伸びており、西側に台所と談話室、東側に共同トイレ、管理人室、書斎が南側から順に並んでいる。廊下をさらに奥へ進むと両側に中庭が見えて来て、そこを十五メートルほど突き進むと平屋建ての別館へ辿り着く。そこは大浴場となっていて、外観はパンダを模っているとのこと。
客室は本館二階と三階にある。各階四屋ずつの全八屋。どのお部屋も広さ十畳ほどの和室だ。寮生三人は二階の客室を利用しており、千景が201、ヤスミンが202、彩織が203号室。生徒寮といえば相部屋がイメージされるが、ここでは珍しく一人一部屋ずつ用意されていた。
鶫風寮の内装は大正五年の旅館創業当時からほとんど変わりないものの、建て直すさい建物の一部を旧来の木造から耐震性の強い鉄筋コンクリート造りに変えたらしい。
外観は二〇〇五年に白漆喰塗り杉板張り&抹茶色屋根瓦から、動物を模ったデザインに改装したそうだ。
☆
午後八時頃、鶫風寮。
「桜子ちゃん、早く来ないかなぁ。楽しみだなぁ」
「とっても誠実で心優しそうな人だったわね。わたしも一目で気に入っちゃった♪」
千景とヤスミン、そして彩織も、大浴場の湯船にゆったり足を伸ばしながらくつろいでいた。浴室には、一度に十数人は入れる大きな檜風呂が備え付けられてあるのだ。
「彩織ちゃん、新しい管理人さんになってくれる桜子ちゃん、すごく良さそうでしょ?」
「……分かんない」
千景の問いかけに、彩織は困惑顔でこう答えた。
※
「アイス、アイス♪ これからはアイスが美味しくなる季節だねえ」
千景は風呂から上がり脱衣場で体を拭くと、そのまま台所に駆け込み冷蔵庫の前へ。中から白くまのアイスキャンディーを取り出しロビーへ向かい、ソファーに座ると同時にパクッと齧りつく。
「千景ちゃん、桜子ちゃんが来てからそんな格好のままうろついたら、桜子ちゃんにはしたない子だって思われるかもしれないよ」
たぬゑさんはにこにこ微笑みながら、アイスを美味しそうに頬張る千景に優しく注意した。
「そうかなぁ?」
千景はてへりと笑う。うさぎさん柄のバスタオルを一枚、膝上から肩の辺りにかけて巻いただけの姿だった。
「わたしも気をつけなくては」
「あたしも気をつける」
同じような格好でロビーに現れたヤスミンと彩織は、ちょっぴり反省する。
三人とも脱衣場へ戻りパジャマを着込んだあと、またロビーへ。
その途中、千景はもう一度台所へ寄り、戸棚にあった鯖缶を持って来ていた。
「梅ちゃん、エサだよ。おいでーっ」
ミャァー♪
千景が鯖缶を開け床の上に置くと、梅乃が一目散に駆け寄ってくる。
梅乃は鯖が、ネコにはありがちだが一番の大好物なのだ。
「梅ちゃん、美味しい?」
千景がにこやかな表情で話しかけると、
ミャァーンと、梅乃はとても幸せそうな表情で返事をした。
「そうか、そうか。鯖好き梅ちゃんだねぇ」
千景は梅乃のふわふわした胴体を優しくなでてあげた。
「千景ちゃん、なかなかの逸材を見つけて来たね。いまどき滅多にいないよ、あそこまで純朴で人柄の良い子」
たぬゑさんは柔和な笑みを浮かべる。とても嬉しそうだった。
「私、一目見て不思議な魅力を感じたの。桜子ちゃんは普通の人とはオーラが違うなぁって」
千景はてへりと笑う。
☆
午後九時半頃。
「わたしのとこの寮、来週から新しい管理人さんが来るよ。たぬゑお婆さんも引き続き管理人は続けるけどね」
自分のお部屋へ戻ったヤスミンは、同じクラスの親友で自宅生の南中柚陽(みなみなか ゆずひ)という子にスマホで連絡した。
『本当!?』
その子がけっこう驚いていることが電話越しにでも分かった。
「もうどんなお方か拝見したんだけど、とても真面目そうで心優しそうな同じ年くらいの女の子だったよ。なんと神高の子なの」
ヤスミンは嬉しそうに伝える。
『そうなんや。それは楽しみやね。うちもその子に会ってみたいな』
柚陽という子も楽し気に呟く。
*
「ママ、来週からね、鶫風寮に押部桜子ちゃんっていう新しい管理人さんが来てくれることになったの♪」
『それはよかったね。千景とっても嬉しそうね。声が弾んでるわ』
「うん! とっても嬉しいよ。お婆ちゃんもヤスミンちゃんも梅ちゃんもすごく喜んでた。お婆ちゃんお墨付きのとってもいい人だから、彩織ちゃんもきっと喜んでくれるはずだよ」
千景は城崎にある実家にスマホで連絡。
*
《マリノ、あたしと千景お姉ちゃんとヤスミンお姉ちゃんの住んでる寮、なんか新しい管理人さんが来るみたいだよ。来週の月曜日から》
彩織も同じクラスのお友達、胸永茉莉乃にラインで知らせた。
《上垣先生、来週の月曜日から、鶫風寮に管理人さんがもう一人増えるみたいです》
そしてもう一人、クラス担任にも異なる文面で送信した。
翌日金曜日、桜子は学校からもボランティア活動の許可を得た。
「えっ!?」
五月下旬のある日の夕方、阪神間とある文教地区に佇む、名門公立進学校に通う押部桜子は動物園のカピバラの柵の前で同い年くらいに見える女の子から、突然そんなことを告白された。
どうしてそんなことになってしまったのか、話はしばらく前まで遡る。
※
漫画家、ラノベ作家、声優、イラストレーター、アニメーター、ゲームクリエイター、プロゲーマー、ユーチューバー、Vチューバー……etc.将来はこういった職業に就いてエンタメ業界で活躍したいっ!
↓
そうだ、夢が叶えられる! プロになれる技術を学べる学校に進学しよう!
こんな風に志した中高生の多くにとって、それを実現させるうえでの最難関は親への説得である。家庭環境によっては東大合格よりも遥かに難しいことかもしれない。
「あかんに決まっとるやろっ! アホかあんたはっ! そんな変なとこはお金持ちの道楽やっ! だいたいあんたマンガなんか描いたことないやろ」
「だから描けるようになれるように描き方を学びに行くんだって!」
「そんな甘い心構えの子ぉが漫画家なんかになれるわけないやろっ! 漫画家なれる子ぉはそんなんわざわざ他人から教わらんでも独学でやるんよ。小学生の時から」
「………………」
ってな感じで阪神間とある文教地区に住む押部桜子(おしべ さくらこ)も母に私立高校芸術科マンガ・アニメコースへの進学を猛反対され、中学の頃仕方なく勉学に励んでやって、東大・京大・医学部合格者を毎年多数輩出する県立伝統進学校普通科に不本意入学してあげたわけだ。
※
将来に向けて、高校生のうちから手に職をつけようと地道に技能を磨くことは、立派な行為だろうけど時と場合によっては感心されないのは当然である。
五月下旬のある日、桜子は改めてそのことを痛感させられた。
「押部さん、今授業中だから、お絵描きはやめましょうね」
二時限目古文の授業中、教科を受け持つ三十代後半の女性教師にやんわり注意されたのだ。かわいい動物や女の子達の自作イラストがたくさん描かれた。
他にも授業に関係ないことしてる子何人かいたのに、なんでワタシだけ? 後ろの方だし窓際だし、教卓からは見えにくいはずなのになぁ。っていうかなんで真ん中の列の前の方でマンガ読んでた子がバレてないんよ?
心の中で理不尽さを嘆いた桜子はお昼休みには、
「……うちの高校から、この大学へ進む子はここ数年一人も出てないよ。押部さんは成績良い方なんだから勿体ないよ。一年生の今のうちから継続して勉強頑張れば、神大や阪大にも行けると思うよ。京大にだって手が届くかもしれないよ」
面談で進路希望調査について、クラス担任で地歴・公民科の鯛先生(二十九歳、♀)からやんわりと苦言を呈され、しょんぼり気分に。
難関国公立大の進学指導に力入れてるだけあって、やっぱあまりいい顔されなかったかぁー。鯛先生自身も神大出てるもんね。
桜子は第一志望から第三志望まで私立大の芸術系学部にしていたのだ。
いつもより良くないこと続きだった桜子は放課後、夕方四時頃。桜子は不愉快な気分で独りで自宅への帰り道を歩き進んでいくのだった。
そんな桜子は、背丈は一五〇センチくらい。丸っこいお顔、くりくりした目、ほんのり栗色なおかっぱ頭をいつもメロンなどのチャーム付きダブルリボンで飾り、小学生に間違えられても、いやむしろ女子高生に見られる方がもっと不思議なくらいあどけない風貌だ。
……甲ノ夢高の芸術科入れてたら、ワタシと同じ趣味の子達がいっぱいいて、もっときらきらした楽しい高校生活送れてたはずだよね。校則も緩いみたいだし。あの時ママにもっと強く反発してたら良かったよ。
俯き加減でこんな不平不満を心の中で呟く。
学校のつまらない課題に追われずに、もっと絵を描く時間がいっぱい取りたいよ。久し振りに、動物さんのお絵描きしに行こうっと。
ふとそう思い立ち、学校から徒歩十五分くらいの所にある動物園へ。
幼い頃から数え切れないほど訪れているお気に入りの場所で、高校入学してからも既に数回は訪れているのだ。
閉園時刻の午後五時が迫る中、フラミンゴやゾウなんかのイラストをスケッチブックに描いたりして過ごしていく。
あっ、あの子、すっごくかわいい! 眺めてるだけで癒されるぅ♪ どう〇つの森とか好きそう。お友達になりたいな。
桜子は、ふれあい広場で中腰でカピバラをうっとり眺めていたその子を見かけるや、スケッチブックを取り出し、似顔絵を描写し始める。
丸顔ぱっちり垂れ目、細長八の字眉、ほんのり茶色な髪をパンダ柄のシュシュで二つ結びに束ね、肩にかかるくらいまで下ろしていたのが特徴的だった。少し痩せ型で、服装は胸ポケットの付いた白地長袖ワイシャツに、えんじ色チェック柄スカート。移行期間中の制服姿と思われる。
上手く描けてるかな?
桜子は思わずふふふっと微笑んでしまう。
そんな時、
「私の似顔絵、とってもお上手ですね」
背後から声をかけられ、
「あわわわあっ。ごっ、ごめんなさい。勝手に似顔絵描いてしまって」
「いえいえ。私そっくりでとっても嬉しいです♪」
「あっ、どっ、どういたしまして」
「私、摂蔭(せついん)女子高等学校一年の幸岡千景(こうおか ちかげ)って言います。あのっ、藪から棒ですが、もしよろしければ、あなたのお名前聞かせてくれませんか?」
その千景と名乗った子は桜子に顔を近づけ、にこやかな表情で問いかけてくる。桜子は緊張からか額から冷や汗がつーっと流れ出た。ドクドクドクドク心拍数も急上昇する。
「ワッ、ワタシの、名前は、押部桜子、ですけど……」
桜子は言葉を詰まらせながら思わずフルネームで答えてしまった。
「桜子ちゃんっていうんですね。桜餅みたいでとってもかわいらしいお名前ですね」
千景は不○家のペ○ちゃん人形のように舌をぺろりと出した。
「そっ、そうでしょうか?」
桜子はただただ呆然と立ち尽くす。
「桜子ちゃんって、コアラみたいでかわいい♪」
「そっ、そうかな?」
「その制服、神六丘(しんろくおか)高校、神高(しんこう)のですよね?」
「うっ、うん。そうだよ」
「やっぱり♪ ますます気に入っちゃいました。何年生ですか?」
「いっ、一年生です」
「私と同学年ですね。あのっ、桜子ちゃん。私から、ちょっとお願いしたいことがあるの」
千景は急に真剣な眼差しになり、昭和っぽいセーラー服姿の桜子の目をじっと見つめてくる。
「なっ、何かな?」
桜子の心拍数はますます高まった。
千景はちょっぴり俯き頬をほんのり赤らめて、すぅと息を大きく吸い込んだ。
こんなやり取りがあり、あんな状況になったのだ。
「えっ!? いっ、いっしょに、暮らしてって……」
桜子は当然のごとく動揺の色を隠せなかった。
「今から桜子ちゃんを、私のおウチへご案内しまーすっ!」
「うわっ!」
そんなことはお構いなしに、千景は右手をぎゅっと握り締めてくる。マシュマロのようにふわふわ柔らかい感触が、桜子の手のひらにじかに伝わって来た。
「こっちです、こっちです」
「わっ、わわわわわ、ちょっ、ちょっと」
桜子は千景にグイグイ引っ張られていく。
千景の背丈は一五〇センチ台後半くらい。今年四月の身体測定時で一五〇.一センチだった桜子よりも大柄なこともあって、完全に力負けしてしまっていた。
「あっ、あの、手を、離して欲しいな」
「嫌です。せっかく出会えたのに。絶対離しませんっ!」
千景は桜子の方を振り返りながらそう告げて、桜子の手をさらに強く握り締めた。
「そっ、そんな……」
桜子は千景にされるがままにされるしかなかった。
ここは神戸市内とある文教地区の一角。
あれよ、あれよという間にマルーンカラーの車体でお馴染みの阪急電鉄の踏切を通り抜け、さらに北の方角へ。急な坂道を駆け上がりつつ閑静な住宅街を走り抜け、青々とした木々に囲まれた五十段ほどの緩やかな石段を駆け登らされ、ついには山がすぐ背後に迫った所まで連れて行かれた。
「ここでーす。私のおウチ♪」
千景はようやく手を離してくれる。
「……イッ、イルカ!?」
桜子はゼェゼェ息を切らしながら、すぐ目の前に聳える建物を見上げて驚く。
窓ガラスは所々に見受けられるものの、イルカそっくりな形をしていたのだ。
「アニマルなデザインでとってもかわいい建物でしょ? 三階建てで中はごく普通だよ。さあ、桜子ちゃん。どうぞこちらへ」
「わわわ」
桜子は再び千景に右手を握り締められ、ズズズッと引っ張られていく。
「ただいまーっ!」
千景は胸ビレを模した形と色の横開き玄関扉をガラガラッと引くと、元気よく帰宅後の挨拶をした。
「おかえり、千景ちゃん」
数秒待つと、奥から、
なんと、
一匹の狸が現れた。全長六〇センチくらいで、二本足で立ってぴょこぴょこ歩き近づいてくる。
「狸が、しゃべった! ま〇きち、つ〇きちみたい」
当然のように驚く桜子。
「驚いたでしょ? 私も最初出会った時、どう〇つの森の世界に来たのかなって思ったよ。この子はロボットだよ。たぬゑって言うの。お婆ちゃん狸だからお婆ちゃんって呼んでるよ。お婆ちゃん、この神高の子を、新しい管理人さんにしよう!」
千景は桜子の右手を握り締めたまま、元気な声で伝える。
「へっ、へっ!?」
桜子は目を大きく見開いた。
「千景ちゃん、そちらのお嬢さん、かなり動揺してるよ。事情はちゃんと説明してあげたのかい?」
たぬゑさんはにこにこしながら二人のいる方へ歩み寄ってくる。
「あっ、いっけなーい私ったら。ごめんね桜子ちゃん」
千景はてへっと笑う。
「あっ、あの、ですね……」
桜子は棒立ちのまま、口をパクパクさせていた。
「お嬢さん、桜子ちゃんって名前なのかい。汗ようけかいとるね。きつい坂上って来て疲れたろう? ちょっと休憩していきな」
たぬゑさんに手招かれる。
「いっ、いえ。その、ワタシは……」
桜子は慌て気味に断ろうとしたものの、
「桜子ちゃん、上がって、上がってーっ!」
「わわわわわ」
千景にまたも右手をぐいっと強く引っ張られ、無理やり上がらされてしまった。
桜子と千景は玄関先で靴を脱ぎ、ネコさん型スリッパに履き替える。
目の前はロビーとなっていた。
外観とは対照的に、特に奇抜さは感じられなかった。
なんか、旅館っぽいな。
桜子はそんな第一印象を抱く。
「桜子ちゃん、千景ちゃん。ここへお座り」
たぬゑさんに案内されたのは玄関入って左側に見える、高級そうな桐座卓をコの字型に囲むように、シマウマの縞柄ソファーが並べられてある場所。座卓のすぐ横には四六V型液晶テレビも置かれていた。右側には食事スペースなのか、わりと大きめの漆塗りダイニングテーブルと、それを囲むように木製椅子が六つ並べられてあった。
ソファーに桜子と向かい合うようにたぬゑさん、桜子のお隣に千景が座る。
「ロボットだけど、人の言葉をしゃべれる高性能たぬきなの」
千景は自慢げに紹介した。
「はじめまして、桜子ちゃん」
たぬゑさんは桜子に優しく微笑みかける。
「はっ、はじめ、まして」
桜子はおどおどしながらも、ぺこりと頭を下げた。
「お客様ですかー?」
奥からもう一人、中学生くらいのヨーロッパ系外国人だろう女の子が現れた。三人のいる方へ歩み寄ってくる。
「そうだよ、桜子ちゃんっていうの。私と同い年の子なんだ」
千景は嬉しそうに伝えた。
この女の子の背丈は一五〇センチ台前半くらい。卵顔でおでこが広く、ブルーの瞳に縁無しのまん丸な眼鏡をかけていた。髪はクリーム色。和風な桜の花のチャーム付きりぼんで三つ編み一つ結びにしていて、見た目から優等生っぽさが感じられた。
「いらっしゃいませ、桜子お姉さん」
「あっ、どうも」
爽やかな笑顔&流暢な日本語で挨拶され、桜子は頭を少し下げて会釈した。
「桜子ちゃん、礼儀正しいねえ」
たぬゑさんは感心する。
「いえいえ。ワタシ、それほどでは……」
桜子はすぐに謙遜した。
「桜子ちゃん、セーラー服は暑かろう? 脱いでリラックスしな」
たぬゑさんは笑顔で勧めてくる。
「いっ、いえ。ワタシ、これでちょうどくらいですから」
本当は暑いけど、いざという時に逃げにくくなるからなぁ。
桜子は警戒して、身に着けていた制服の冬用セーラー服を外そうとはしなかった。学校指定の通学鞄も左手に持ったままだった。
「どうぞ」
女の子が丹波の黒豆茶と炭酸せんべいを座卓に運んで来てくれた。桜子の目の前にコトンと置く。
「あっ、ありがとう」
あとで法外な高額請求されたりしないよね?
桜子は礼を言うもそんな不安がよぎり、手をつけようとはしなかった。
「わたし、ヤスミン・クースタスと申します。オーストリア出身です。私立摂蔭女子中学の三年生で、理科部とかるた部と茶道部に所属しています。日本語は三歳の頃から習っていまして、漢検準一級と日本語能力検定N1持ってます。わたしの日本語能力は一般的な日本人中学生よりも高い自信がありますよ」
この女の子はヤスミンというらしい。ちょっぴり照れくさそうに自己紹介したあと、たぬゑさんのお隣に腰掛けた。
「あなたも、この旅館っぽい所に住んでるの?」
桜子は恐る恐る質問してみた。
「はい。わたしと家族は五年前の三月に故郷から京都に移住し、わたしは中学に入学した時から家族と離れてここに住むようになりました。ここは、今は旅館ではなく摂蔭女子中学校・高等学校の生徒寮として利用されてるの。全校生徒一四〇〇名くらいいるうち二割程度が寮に入ってますよ。ただ、みんな同じ寮というわけではなく、いくつかの提携寮に分散させているんです。ここ鶫風(つぐみかぜ)寮のようにこぢんまりとした寮から、百名以上収容出来る大きな寮までいろいろありますよ」
「そっ、そうなんだ」
ヤスミンの説明で、桜子は腑に落ちたようだ。
「そんで、おらがこの鶫風寮の現管理人なのさ」
「前の管理さんもお婆ちゃんで、八千代さんって言って、去年一〇一歳で亡くなった後、ロボット狸のたぬゑお婆ちゃんが跡継ぎで管理人さんを務めてるの。前のお婆ちゃんが持ってた記憶のデータがいっぱい詰まってるんだ」
千景は加えて説明する。
「ロボットが寮の管理人さんなんて、凄く珍しいね」
桜子は驚き顔で呟く。
「桜子ちゃん、おら、いつ故障するか分かんねえから、管理人の後継者となる人間の若い子を探してたのさ。まあ、おらもまだまだ引退しないけど」
たぬゑさんはにこにこ笑いながらおっしゃる。
「お婆ちゃんは十五歳以上から七〇歳くらいまでの人を募集してたんだよ」
千景は説明を加えた。
「学校のホームページに、求人広告を出そうかと思ってたとこなのさ」
たぬゑさんはさらにこう伝えた。
「そうなん、ですか」
桜子はぽかんとなる。
その直後、
ミャーォ。
奥からネコの鳴き声も聞こえて来た。
ほどなく四人の前に姿を現す。
白、黒、茶、三色の毛並み。
三毛猫だった。
千景の方へとことこ駆け寄ってくる。
「この子は鶫風寮のペットでマスコット的な存在の、梅乃っていうの。私は梅ちゃんって呼んでるよ。メスで今四歳だよ」
千景は嬉しそうに紹介する。
その梅乃と名付けられた三毛猫は、千景のお膝の上にちょこんと乗っかった。千景は頭を優しくなでてあげる。
「三毛猫は、ほぼ百パーセント、メスだよね」
桜子は的確に突っ込んだ。
「オスの三毛猫なんて、おらも一度たりとも見たことねえな。ここは旅館として大正時代から長年経営してたんだけど、震災で一度全壊したんだ。建て直したさい元の姿を再現したんだけど、客足が震災以前に比べると大幅に減ってしまって経営が苦しくなってね。そんで、平成十年度からは摂女の提携寮として使うようになったのさ」
たぬゑさんはこの寮の沿革を簡潔に語る。
「震災って、阪神淡路大震災のことですね」
「あの日はたまたま休館日にしてて、宿泊客がいなかったのがまだ幸いだったよ。ところで桜子ちゃんは、あの伝統名門の神高生なんだってね」
「はい」
桜子は少し俯いて緊張気味に答える。
「おら、桜子ちゃんを喜んで採用するよ。まさに求めていた人材ぴったりだ」
たぬゑさんはにっこり笑いながらおっしゃった。
「えっ…………えええええええええええええええっ!!」
すると桜子は目を白黒させ驚愕の声を上げた。
「とりあえず、一ヶ月くらい試しに管理人体験をしてみないかい?」
たぬゑさんはとても嬉しそうに誘いかけ、桜子の肩をポンッと叩く。
「あの、それって、ワタシを、ここの旅館、ではなく寮の管理人として、雇うということ、なんです、よね?」
桜子は唇を震わせながら、言葉を詰まらせながら質問する。
「その通りさ。住み込みでね」
たぬゑさんはにこやかな表情で告げた。
「……ってことは、ワタシも、ここで、暮らすということなんですか?」
桜子はきょとんとなった。
「おう、その通りだよ」
たぬゑさんは笑いながら答える。
「桜子ちゃん、鶫風寮の新しい管理人さんになって、なってーっ」
「わたし、桜子お姉さんなら大歓迎ですよ。あの名門の神高生ですし、かなり真面目そうなお方ですし」
千景はもちろんのこと、ヤスミンもそれを強く望むような言葉をかけた。
「今日は木曜かいね。引越しの準備もあるだろうし、桜子ちゃん、ご両親の許可が取れたら、来週月曜から来てくれないかい?」
「えっ、あっ、はい」
桜子は思わず承諾の返事をしてしまう。
「やったぁ♪ 桜子ちゃん、寮生はもう一人いるよ。中学二年生の阪谷彩織(さかたに さおり)ちゃんっていう子、呼んでくるね」
千景はそう伝えると、ロビー隅にある昔ながらの箱階段を駆け上がり二階へ。
「彩織ちゃん、あの子が新しい管理人さんになってくれるよ。お顔見せてあげて」
「……」
千景がお部屋の出入口を引いてこう叫ぶと、彩織という子はお部屋から出て来て、階段の所からロビーに向けてぴょこっとお顔を出す。無言のままぺこりと頭を下げて、すぐにお部屋へ戻っていった。
あの子か……。
桜子はその子と一瞬だけ目が合った。一五〇センチに届かないだろう小柄さ、丸っこいお顔とくりくりしたつぶらな瞳。ほっそりした体つきで、ボサッとした墨色の髪を水色リボンでポニーテールに束ねていたことが確認出来た。
「彩織ちゃんは人見知りの激しい子なの」
ロビーへ戻って来た千景は手短に紹介する。
「あの、そんな繊細な子がいるのに、ワタシみたいな、今日初めてここを訪れた者が管理人をして、大丈夫なのでしょうか?」
桜子は不安げに問うた。
「大丈夫だよ、桜子ちゃん」
「彩織さんは、きっと桜子お姉さんのことを気に入ってくれると思いますよ」
千景とヤスミンは自信たっぷりに言う。
「桜子ちゃんなら、彩織ちゃんとも絶対上手くやっていけるさ」
たぬゑさんも同じく。
「そうで、しょうか? あっ、そういえばワタシの高校、アルバイト原則禁止なんですけど……」
桜子は不安そうな表情を浮かべた。
「今はそうなってるのかい。ほな、ボランティア活動としてやったみたらどうかね?」
たぬゑさんは優しく微笑みかけた。
「そう、ですね。ボランティア活動は推奨してるみたいなので、学校と両親から、許可が取れれば」
「桜子ちゃん、上手く説得してね♪ 健闘を祈るよ」
「うっ、うん」
千景にウィンク交じりでお願いされ、桜子はよく考えずに引き受けて良かったかなっと感じたようだ。
*
「こんな場所だったんですか。ワタシんちからは三キロくらいだな。では、失礼します」
桜子はあのあと、たぬゑさんから鶫風寮の見取図、アクセスマップ、仕事内容の説明などが記載された書類を受け取り、ここをあとにした。
まさか、こんなことになるなんて……人生何が起こるか分らないものだね。寮生も女子寮モノの漫画やアニメに高確率で出てくるワタシの苦手なビッチ系や酒豪で気の強い姉御肌の子がいなくて、ワタシ好みの垢抜けない純真無垢な感じの子ばかりだったし、管理人体験やってみたいなって感じたよ。外観もユニークで芸術的だし。こんなお誘いが来るなんて、ワタシ、神高入ってよかったかも。
桜子はこれまで十五年と半年ちょっとの人生の中で最高とも言える高揚感を味わいながら、徒歩で自宅へ帰って行く。
☆
「ただいま」
夕方六時半過ぎ、桜子は鶫風寮から四〇分ちょっとかけて自宅に帰り着くと、
「おかえり桜子、やけに遅かったけど、アニメのお店とかに寄り道してたんやろ?」
母にやや呆れられた。
「アニメのお店じゃないって。あの、ママ、パパ。ワタシ、女子生徒寮の管理人やらないかって誘われたんだけど……」
桜子は否定するや恐る恐る両親に報告する。
「えっ!? どういうことなの?」
「女子生徒寮の管理人?」
両親は目を丸くしたが当然の反応だろう。
「帰る途中に、ワタシと同じ学年の子にここに誘われて、それで……」
桜子はそう伝え、私立中高一貫校の物理教師である父に、たぬゑさんからいただいた書類を手渡した。
「本当に生徒寮の、管理人をするのか!?」
父はけっこう驚いていた。
「来週月曜からボランティアで一ヶ月ほどやってみないかって。この鶫風寮っていう寮、摂蔭女子中・高の提携寮の一つみたい」
桜子がそう伝えると、
「摂蔭!? そこってなかなかの名門校じゃないか。そこと提携してる生徒寮なのか。危ない所じゃないし、誘われたんならやってみたらどうだ」
父の表情に笑みが浮かんだ。
「生徒寮の管理人って、高校生でも出来るの!?」
「現管理人のたぬゑさんっていうお方が大丈夫だって言ってた」
「さくらこはそのボランティア、やってみたいの?」
「うん、まあ。評定も上がって大学受ける時、推薦で有利になりそうだし」
「さくらこにやる気があるんなら、ママは許すけど。でも寮の管理人さんって、生徒達の相談相手とかにもなってあげんといかんし、対人能力が相当いるやろ。人付き合い苦手なさくらこが出来るわけないと思うんやけど」
母はかなり心配になったようだ。
「まあママ、ここを見ると桜子にとって良い社会勉強になるかもしれないじゃないか」
父は柔和な笑顔で言う。仕事内容が説明されてある書類には求める人物像:品行方正、素直で正直者、誠実、地道な努力を怠らず真面目で心優しい人。と書かれてあった。
まさに桜子のことだ、父は感じたのだ。
私立摂蔭女子中学校・高等学校は、父が勤めている学校のライバル校らしい。入学難易度も同じくらいではあるが、父の勤めている学校はスポーツ万能な活発系、摂蔭の方には真面目で大人しい文化系の子が多く集まる傾向にあるという。
そう聞かされた桜子は、より期待感が高まった。自室に入るとさっそくスマホで鶫風寮の電話番号に連絡する。
『それはよかったよ。桜子ちゃんの学校にもおらの方から事情伝えておくから。じゃ、月曜日にね』
最初に出たたぬゑさんと、
『桜子さん、楽しみに待ってるからねーっ!』
続いて代わった千景も大喜びしてくれた。
桜子は電話を切ると、
女の子にこんなに嬉しがられたのは生まれて初めてだよ。
ちょっぴり感激しながらベッドに寝転がり、
けっこう広いんだな。
鶫風寮の見取り図を確認する。玄関があるのは南側。寮の一階、ロビーの奥には北に向かって廊下が伸びており、西側に台所と談話室、東側に共同トイレ、管理人室、書斎が南側から順に並んでいる。廊下をさらに奥へ進むと両側に中庭が見えて来て、そこを十五メートルほど突き進むと平屋建ての別館へ辿り着く。そこは大浴場となっていて、外観はパンダを模っているとのこと。
客室は本館二階と三階にある。各階四屋ずつの全八屋。どのお部屋も広さ十畳ほどの和室だ。寮生三人は二階の客室を利用しており、千景が201、ヤスミンが202、彩織が203号室。生徒寮といえば相部屋がイメージされるが、ここでは珍しく一人一部屋ずつ用意されていた。
鶫風寮の内装は大正五年の旅館創業当時からほとんど変わりないものの、建て直すさい建物の一部を旧来の木造から耐震性の強い鉄筋コンクリート造りに変えたらしい。
外観は二〇〇五年に白漆喰塗り杉板張り&抹茶色屋根瓦から、動物を模ったデザインに改装したそうだ。
☆
午後八時頃、鶫風寮。
「桜子ちゃん、早く来ないかなぁ。楽しみだなぁ」
「とっても誠実で心優しそうな人だったわね。わたしも一目で気に入っちゃった♪」
千景とヤスミン、そして彩織も、大浴場の湯船にゆったり足を伸ばしながらくつろいでいた。浴室には、一度に十数人は入れる大きな檜風呂が備え付けられてあるのだ。
「彩織ちゃん、新しい管理人さんになってくれる桜子ちゃん、すごく良さそうでしょ?」
「……分かんない」
千景の問いかけに、彩織は困惑顔でこう答えた。
※
「アイス、アイス♪ これからはアイスが美味しくなる季節だねえ」
千景は風呂から上がり脱衣場で体を拭くと、そのまま台所に駆け込み冷蔵庫の前へ。中から白くまのアイスキャンディーを取り出しロビーへ向かい、ソファーに座ると同時にパクッと齧りつく。
「千景ちゃん、桜子ちゃんが来てからそんな格好のままうろついたら、桜子ちゃんにはしたない子だって思われるかもしれないよ」
たぬゑさんはにこにこ微笑みながら、アイスを美味しそうに頬張る千景に優しく注意した。
「そうかなぁ?」
千景はてへりと笑う。うさぎさん柄のバスタオルを一枚、膝上から肩の辺りにかけて巻いただけの姿だった。
「わたしも気をつけなくては」
「あたしも気をつける」
同じような格好でロビーに現れたヤスミンと彩織は、ちょっぴり反省する。
三人とも脱衣場へ戻りパジャマを着込んだあと、またロビーへ。
その途中、千景はもう一度台所へ寄り、戸棚にあった鯖缶を持って来ていた。
「梅ちゃん、エサだよ。おいでーっ」
ミャァー♪
千景が鯖缶を開け床の上に置くと、梅乃が一目散に駆け寄ってくる。
梅乃は鯖が、ネコにはありがちだが一番の大好物なのだ。
「梅ちゃん、美味しい?」
千景がにこやかな表情で話しかけると、
ミャァーンと、梅乃はとても幸せそうな表情で返事をした。
「そうか、そうか。鯖好き梅ちゃんだねぇ」
千景は梅乃のふわふわした胴体を優しくなでてあげた。
「千景ちゃん、なかなかの逸材を見つけて来たね。いまどき滅多にいないよ、あそこまで純朴で人柄の良い子」
たぬゑさんは柔和な笑みを浮かべる。とても嬉しそうだった。
「私、一目見て不思議な魅力を感じたの。桜子ちゃんは普通の人とはオーラが違うなぁって」
千景はてへりと笑う。
☆
午後九時半頃。
「わたしのとこの寮、来週から新しい管理人さんが来るよ。たぬゑお婆さんも引き続き管理人は続けるけどね」
自分のお部屋へ戻ったヤスミンは、同じクラスの親友で自宅生の南中柚陽(みなみなか ゆずひ)という子にスマホで連絡した。
『本当!?』
その子がけっこう驚いていることが電話越しにでも分かった。
「もうどんなお方か拝見したんだけど、とても真面目そうで心優しそうな同じ年くらいの女の子だったよ。なんと神高の子なの」
ヤスミンは嬉しそうに伝える。
『そうなんや。それは楽しみやね。うちもその子に会ってみたいな』
柚陽という子も楽し気に呟く。
*
「ママ、来週からね、鶫風寮に押部桜子ちゃんっていう新しい管理人さんが来てくれることになったの♪」
『それはよかったね。千景とっても嬉しそうね。声が弾んでるわ』
「うん! とっても嬉しいよ。お婆ちゃんもヤスミンちゃんも梅ちゃんもすごく喜んでた。お婆ちゃんお墨付きのとってもいい人だから、彩織ちゃんもきっと喜んでくれるはずだよ」
千景は城崎にある実家にスマホで連絡。
*
《マリノ、あたしと千景お姉ちゃんとヤスミンお姉ちゃんの住んでる寮、なんか新しい管理人さんが来るみたいだよ。来週の月曜日から》
彩織も同じクラスのお友達、胸永茉莉乃にラインで知らせた。
《上垣先生、来週の月曜日から、鶫風寮に管理人さんがもう一人増えるみたいです》
そしてもう一人、クラス担任にも異なる文面で送信した。
翌日金曜日、桜子は学校からもボランティア活動の許可を得た。
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