リシェル・ベッカーが消えた日〜破滅と後悔はすぐそこに〜
 婚約破棄を伝えて三日後、まさか隣国をまたぐ馬車事故に遭うとは、誰も想像していなかった。リシェルの伯父であるフランクと隣国まで行き、彼女の遺体が入った棺を連れて戻った労力は、正直な話、時間と金の無駄でしかなかった。
 しかし困ったことに、リシェルは国の発展に貢献したことだけでなく、屋敷や職場といった、周囲の人々から認知され、とても信頼されていた。

 何より、リシェルとの婚約破棄をしたことはつい最近のことで、未だ公になっていないのだ。貴族である以上、余計な探りは入れられて悪い噂が流れて、両家の不利益になることはできる限り避けたい。
 誰かに知られる前になんとかしなければと考えていた矢先、事故を知った王家から、リシェルの葬儀を礼拝堂で行うよう告げられたのだった。なぜ王家が関わってくるのかはこの際、考えるのを放棄した。

(ベッカー伯爵にすべて任せてしまったけど、別に問題はないだろう。こんなことで両家の株が下がることはないし)

 小さくほくそ笑んでいると、参列していた一人の老人がベンジャミンに問う。

「お願いです。リシェル様の最期のお顔を見せていただいてもよろしいでしょうか」

 話を聞くと、彼女が勤めていた王立図書館で何かと世話になっていたらしい。年齢的にも孫のような存在だったとのことで、最後に一目見たいのだという。
 ベンジャミンは躊躇った。遺体を確認した際、彼女の身体は見るには耐えられないほど痛々しい傷を負っていた。せめて周囲の人々には、美しい彼女の記憶のままでいさせてあげたい、そんな思いで棺を閉めたままにしていたのだ。

(しかし……いや。最後だし、良いか)

 老人の要望を呑んで、ベンジャミンは使用人らに棺の蓋を開けるように言う。

「……こ、これは一体どういうことですか!?」

 蓋を持ち上げた一人が叫ぶ。ベンジャミンが駆け寄ると、棺の中を見て青ざめた。
 中は空っぽだった。痛ましい傷を負った彼女はどこにもいない。

「リシェル嬢が、消えた……?」
「そんな、ご遺体は一体どこに!?」

(どういうことだ? 隣国では確かに居たはずなのに!)

 会場内がざわつく中、棺に残されていたカードを拾い上げる。普通のカードだったが、書かれてきた文字を見て、ベンジャミンは目を見開いた。
 そしてすぐ近くで、いなくなった彼女の声が聞こえた気がして、周囲を見渡した。

 私はすべてを知っている――リシェルが彼らに向けた、最後の言葉が。
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