ただの孤児ですが何故か敵国の王太子殿下から寵愛を受けています
一話
 ロゼはハーネッツ大国の国王の前で拘束された状態で跪く。正確に言うと膝を地につけるよう強制されている状態だ。
ボロボロの布のように薄く汚い衣服、ぼさぼさの髪、どうみてもロゼは国王の前に立つことすら許されない存在であることは明白なのに、彼女は今、“ある役割”のために王城にいるのだ。

「離して!エマはどこにいるの」

目隠しをされているロゼはまだ自分が国王の前に連れてこられていることを知らない。

「黙れと言っているだろう!次に口を開けばその命ないと思え」

 甲冑姿の体の大きな男は国王側近の近衛騎士の一人だ。
男がロゼの首元に剣の切っ先を突き立てる。
ざわつく周囲、自分に向けられたものが指先一つでも動かせば死が待っていることはロゼでもわかることだった。
国王が咳払いをした。

「いい、その少女を殺してしまってはせっかく苦労して“見つけた”のにどうするのだ。もう来月になるのだぞ」

近衛騎士である男は国王の言葉に剣をしまう。

「それではそのオッドアイを見せてみよ」

 国王の声に従うように、ロゼの両隣にいる騎士の一人が彼女の目隠しを取る。
ロゼは突然飛び込む光に一瞬たじろぐ。
しかしすぐに真っ直ぐに目を開け、国王を見つめた。

「な、に…ここは、」
「なんと美しいオッドアイだ。なるほど、これならば何の問題もないだろう。さて、お前の名はロゼ、といったな」
「…誰?もしかして王さま?」

 ロゼの無礼な発言に再度近衛騎士が剣を向けようとするが、国王が片手を挙げそれを制する。
ハーネッツ王国の紋章が添えられた王冠を被っている年配の男を見てロゼは直ぐに王だと理解した。
自分が殺されるかもしれない、ということはわかっている。それでも、元々の性格か彼女は物怖じしない。
周囲をぐるっと見渡すと、睨むように国王を見据えた。ひりつくような空気感の中、細すぎる足で立ち上がった。

「そうだ。ロゼだ」
「ははは、名も一緒とは…。顔は似ていないが、目はしっかりとオッドアイだ。話は早い。ロゼ、お前は今日からハーネッツ王国の第三王女、ロゼ・ヒューロックだ」
「…何言ってるの。どういう意味?」
「お前に与えられた選択は二択。第三王女のロゼとして隣国の王太子に嫁ぐか、それとも…今ここで殺されるか」
「……」

 ロゼは元々の地頭の良さもあり、すぐに理解してみせた。
昨夜、その日暮らしをしていたロゼと妹のエマは突然家に押し入ってきた男たちに拘束された。ロゼの目を確認するや否や、すぐに薬で眠らされ、そのまま王城へ連れられたのだ。
ロゼの記憶の中では、紋章が刻まれた甲冑を纏った男たちが自分たちを連れ去るのが最後だった。
どうして親のいないロゼたちが連れ去られたのか、その答えはこの目にあったのだ。
ロゼは左目がルビー色であるのに対し、右目がエメラルドグリーンという希少な瞳をしていた。からかわれるのが嫌で幼少期より右目を隠すように前髪を伸ばしていたのだが、第三王女であるロゼも同様に左右で瞳の色が違う不思議な瞳を持っていた。

「さぁ、どうする」
ニヤリ、いやらしく口角を上げた国王にロゼはすうっと息を吸ってから答えた。

「そっちの返答次第だ。妹のエマはどこにいる」
「妹?あぁ、一緒にいるのね。どこにいるの?」

国王の隣に立っている側近であろうか、三十代ほどの彫の深い顔をした男が耳打ちした。

「地下にとらえてあります。もしも、彼女が抵抗するのであれば一緒にいた少女を殺すと脅せばいいと思いまして」
「なるほど」
髭を撫で、数回頷く国王はロゼに言った。

「大丈夫だ、この城の中にいる。しかし、お前の答え次第だとは言っておこう」
ロゼはふっと嘲笑する。
国王の顔色が変わった。

「勘違いしないで。私に指示する立場ではない」
「なんだ、この娘っ…」

 周囲からロゼに対する怒号が飛び交う。国王もさすがに微笑を浮かべてはいられない。
眉間に深く皺を刻む。

「どういうことだ。お前は今、とらえられている立場ということをまさかわからないわけではあるまい」
「わかってる。でも私たちは毎日毎日その日暮らし。だから死ぬことは怖くない。ただし、私はエマのことは一番大切にしている。エマの身の安全を保障してくれるのなら…その王女様になって隣国へ嫁いでやってもいい」
「……」
「もしもエマを殺したり、酷い扱をしたら…そうね、隣国の嫁ぎ先に本当のことを言ってあげる」

 国王が苦虫を嚙み潰したような表情を見せる。
そう、この段階では既にロゼは隣国へ嫁ぐことを承知していた。
ロゼはわかっていた。自分のような汚らしい少女を国王の前に連れてくるなど一大事だ。
どういう理由で第三王女が隣国へ嫁ぐことが出来なくなったのか詳細は知らない。
しかし、この瞳が希少であるがゆえに、ロゼのような孤児をわざわざ連れてきたのだろうと推測した。
ロゼは胸元に手を当て、今度は語り掛けるように続けた。

「エマは最近体調がよくないの。もしかすると病気になっているかもしれない。詳しい事情は知らないけど、私は国王が命じた第三王女様になりきり、隣国へ嫁ぎます。その代わり、エマをどうにかしてほしい。ちゃんと治療をしてくれるのならば、何も文句はない」
「…分かった。それでいいだろう。これを知る者は限られたものたちだけ。決して口外せぬように」
結果として、国王たちが望んだとおりにロゼは隣国へ嫁ぐことが決まった。
しかし、彼女の物怖じせぬその態度や、すぐに状況を理解する適応力、そして何より頭の回転の速さに周囲は驚きを隠せずにいた。
「あ、そうだ!エマと文通はさせてくれる?それで無事を知らせてほしいの。エマの字はちゃんと知ってるから“なりすまし”はダメよ」
ロゼはそう言って笑った。

 第三王女であるロゼは幼少期より体が弱く、人前に出ることはほぼなかった。
ロゼが成り済ますことは容易だった。
とはいえ、残り一か月弱で第三王女としての立ち居振る舞いを習得しなければならない。
ナイフとフォークすら使用したことのない礼儀一つ知らない少女はさっそく翌日から言葉使いから教えられることになる。
王宮から少し離れた離宮にて、ロゼはほぼ休む間もなく使用人たちが何から何まで教えていた。
驚いたのは、その容姿だった。
 第三王女はほぼ表舞台に立つことはなかったが、非常に秀麗であったことは囁かれていた。
しかし、ロゼも同様に美しかった。
まず昨夜、ロゼは丸裸にされ使用人たちに全身を洗われ、それから見たこともないシルク生地のドレスを着せられ、化粧を施された。
使用人たちもボロ雑巾のような風貌の少女がここまで変わるものかと吃驚した。
ロゼは昼食を取りながら使用人に疑問をぶつけた。

「ねぇ、ところで、王女様はどこにいるの?」
「…それは、お答えは出来ません」

 使用人たちは揃ってそう言った。
「それよりも、スープはこちらを使用して口に運んでください」
「…分かった」
使用人から指示され、スプーンを使ってスープを飲んだ。

一週間もすれば、少しは慣れてきたようだった。
エマとはほぼ毎日離宮で会うことが出来ていた。
エマもまともな衣服を身に着けており、医者に診てもらい薬を服用したからなのか、肌艶が良くなっている。
元気そうになる“妹”を見てロゼはほっと胸を撫でおろす。
エマは血の繋がった妹ではない。たまたま捨て子として幼少期より一緒に過ごしてきただけの他人だ。しかし、エマはロゼを姉のように慕い、ロゼも妹として接してきた。
離れの二人っきりの部屋の中で、長椅子に腰かけ俯き気味に口を開くエマに寄りそうようにロゼも隣に腰かけた。

「ロゼが隣国へ行ってしまうなんて…私、どうしたらいいの。それに…私のせいなんでしょ?」
「そんなことないよ。私は自分の意思で隣国へ行くの!うまくやればここへも何度か帰って来られるみたいだし、その時にこっそりエマと会えるようにしてくれるって」
「…でも、…私、聞いちゃったの」
何を?と聞く前にエマは下唇を噛み、思い出したくはないようなことを無理に思い出すように辛そうに言葉を紡ぐ。
「王妃様とその使用人が会話しているのをたまたま聞いてしまって…。第三王女様?は側室?との子供だったらしいの。詳しいことはわからないけど、そういうこともあって隣国へ嫁ぐのは第三王女様になったみたいなの」
「隣国の嫁ぎ先がそんなに嫌なやつなのか?」
「うん…。嫁に来た人、ほとんど死んでるって」
「……へぇ」
「私たちの国がどういう立ち位置なのかいまいちわからない。でも隣の国とは長らく冷戦状態だったけど、友好関係を結ぶことになってそれで…」

 ロゼは言葉足らずなエマの話を直ぐに理解すると「ふぅん」とまるで他人事のように呟いた。
空をみあげるように上を向いて、鼻歌を歌いだすロゼにエマは「ロゼ?」と話しを聞いていたか確認したくなるのをぐっと抑え、そうだ、これがロゼだ…と思い出すのだった。

「殺されるかもしれないんだよ?!ねぇ、逃げようよ!一緒に逃げよう?」
その言葉にロゼは首をぶんぶんと横に振った。
「なーに言ってるの?大丈夫だよ、私は」
「どこにそんな自信があるの?」
「だって今までだって死にそうになるようなこと、たくさんあったでしょう?それでも何とかしてきた。これからも大丈夫!」

 拳を作り、それを胸に当てる。
エマははぁ、とみじかく息を吐くとこれまでのことを思い出し、今度は笑いが込み上げてきた。そうだ、ロゼはどこか普通ではないのだ。
どんなに苦しいことがあっても、どんなに苦しい境地に立たされても、彼女は自力で何とかしてきたのだ。その行動力には脱帽するものがある。
だからこそ、彼女が大丈夫といえば大丈夫なのだと、エマは思ってしまうのだ。

「で?第三王女様はどこ行ったの?」
「…それが…もう死んでしまったみたいなの。これも本当かどうかわからないけど…」
「死んだ?」
エマが言うには王妃と使用人との会話でそのような話があったというのだ。
「“もうあの子はこの世にいないから”って。病気かなって思ったんだけど、どうやら違うみたいで。事故死?だったのかな…でも、それならそうと、本当のことを隣国に伝えるべきじゃないかな」
「来月輿入れなのに突然無理になりました、なんて通用しないんじゃないのな?まぁ、他の王女様たちが結婚したくないといった可能性の方が高いけど。殺されるかもしれないんだからそりゃそうだよね。それで、代わりを見つけることにしたんだよ。あの様子じゃ、私も嫁ぎ先ですぐに死ぬと思われてそう」
「嫌よ、そんなの!絶対…」
「大丈夫だって。私は上手くやるよ。任せて!」
普段のように無邪気に笑って見せるロゼに気付けばエマも笑っていた。

……―


 それから数週間が経過した。
今日は輿入れの日だ。
今日まで使用人たちが教育係としてロゼに様々な教養を叩きこんだ。
それでも約一か月という短い期間ではさすがに粗はあるかと思われたが、皆の前にロゼ・ヒューロックとして現れると皆が息を呑むほどに美しい“王女”がそこにはいた。
薄いベールを被り、純白のドレス姿のロゼは見違えるほど艶やかになったピンクブラウンの髪を揺らして一礼した。
長くのばされた前髪はその特殊な瞳を強調するように目の上で切りそろえられていた。
長い睫毛が大きな瞳を囲い、その瞳が数回瞬きする。

「私、ロゼ・ヒューロックは大国ケリアの王太子の元へ嫁ぎます。隣国との友好関係の架け橋になることをここで誓います」

 ロゼのあまりの堂々とした佇まいに国王はごくりと唾を呑み込む。
事情を知らぬものたちは、偉容を誇る彼女に何故今まで表舞台に出てこなかったのだと思った。
ロゼは皆に見送られながら隣国ケリアへ向かった。

「…ロゼはどうせすぐに殺されるのだろう?」
「流石に直ぐには殺されることはないかと思いますが…しかし、何かあればこちらから“侵攻”の理由になります」

 国王と側近がロゼの華やかなオーラを纏った後姿を見ながら話す。
数人の花嫁候補が既に殺されている。
そのうち1人は他国の王族の血が入る貴族令嬢だった。
簡単に殺してしまうというその噂はハーネッツ王国以外にも伝わっていた。
しかし、ケリアの王太子は一人で簡単に他国を滅ぼしてしまう冷酷さと大胆さ、戦争に関してはセンスがずば抜けていた。
そんなケリアの王太子に嫁ぎたいというものはいなかった。
ケリアまでは一週間ほどで到着した。
ロゼの護衛についている使用人の一人マリイは事情を知りかつ世話係としてケリアへ同行した唯一のハーネッツ王国の人間だ。
マリイは口数の少ない真面目な使用人だが、ロゼはマリイが好きだった。
藍色の長い髪は常にまとめられており、アホ毛の一つも見当たらないその几帳面さ。仕事以外でほぼ口を開くことはない。周囲は近寄りがたい女と思っていたがロゼは違った。
私情を挟まず、仕事を全うするその姿勢が好きだった。

「わぁ、凄い。綺麗な花だね」
「それは国花ですよ。ゼラニウムです。覚えておいてください」

 馬車の中から見えたピンク色の花を見て思わずロゼが呟いていた。
それにすかさず答えたのはマリイだった。

「それよりも王宮に到着しましたら、今後の予定を私が聞いてきますのでロゼ様はそれを頭に叩き込んだうえで、“静かに”謁見の日をお待ちください。あくまでもあなたは歓迎された身ではございません」
「分かってる」

 ロゼは鼻歌を歌いながらまた窓の外に目をやった。
マリイがロゼに数日前に告げた内容を思い出していた。忘れてなどいない。

『いいですか。ロゼ様は決してケリアで歓迎されているわけではありません。表向きは友好関係を築くために王族の血が入った第三王女が嫁ぐというものですが、実際はそうではございません。実質、ケリアの方がハーネッツよりも現状力を持っています。勢いも国力も、です。ロゼ様は人質として嫁ぐも同義です』

(人質かぁ。でも何とかなるよね)

 呑気なところは昔からの性格だが、そもそもロゼは楽観的で常に明るい。
彼女の傍にいるとひだまりのように周囲も明るくなるのだ。
たとえ人質としてもしかすると殺されるかもしれない状況下に置かれたとしてもロゼはうまくやってやると心に誓っていた。
ケリアの王宮に到着するものの、迎えは数人の使用人たちだけだった。
馬車から降りるとロゼは言われた通りに慎ましくベールで表情を隠すようにして案内されるままに使用人たちについていく。
隣国から花嫁候補がやってきたというのに、歓迎ムードはゼロだった。
王太子の迎えすらないのだ。
しかし当の本人であるロゼに悲壮感はなかった。わざとなのか、ずっと端の西に位置する離れの部屋に案内される。その間、使用人たちが口を開くことはなかった。
ロボットのように無表情の彼女たちはロゼを気にする素振りも見せない。
マリイよりもずっと無愛想だなと思った。
使用人たちが足を止めた。

「本日よりこちらのお部屋をお使いくださいませ。御用がございましたら私たちをお呼びください」
「わかりました。ご案内、ありがとうございます」
ロゼは無機質な声に狼狽えることもなく、堂々と礼をした。
使用人たちが背を向けようとするところを呼び止めた。

「あの、」
「何でしょうか」

 振り返る使用人たちにロゼは言った。
「お名前を聞いてもよろしいでしょうか」
「…名前?」
黒い瞳をした使用人が表情を崩した。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして二人の使用人はお互い顔を見合わせた。

「何故でしょうか」
「だって…これから関わっていくことになるのだから名前くらい知っておきたいでしょう?」
「……」
再度、使用人たちはお互いの顔を見つめ合い、
「私はリシュウです」
「私はルナと申します」
それぞれが名前を教えてくれた。
特に冷徹な印象を与えた使用人であるリシュウは去り際までロゼを見つめていた。
(何か変なことを聞いたかな…?)
二人の使用人がいなくなるとマリイが口を開いた。
「ロゼ様、あまり目立つようなことをなさらないようにしてくださいね」
「名前くらい聞いたっていいと思うけどな~」
呑気にそう言いながら歩きにくかったヒールの高い靴を脱ぎ捨てロゼにとっては広すぎる寝台へダイブした。
天蓋で覆われた寝台はどこか自分を閉じ込める小さな籠の中のように思えて今度は居心地が悪い感じがして上半身を起こした。
「では何かございましたら直ぐに呼んでください」
マリイは急にボーっと天井を見つめたまま動かないロゼを見て睡魔でも襲ってきたのだろうと思い部屋を出た。
「さぁて。一人も知り合いのいないここでどうやって過ごそうか」
ロゼでも多少の不安はあった。
殺されるかもしれないことだって年頭にはある。
それでも自分ならばなんとかできると思った。
その日は、長旅で疲れたのかロゼは夕食も取らずに眠ってしまった。
早くケリアの王太子に会わなくては、と思いながら…。

♢♢♢

「本日、隣国から第三王女であるロゼ様がケリアに入国しました。午後に王宮へ到着したようですので、西の離れに案内しております。お会いにならなくてよろしいのでしょうか」
側近であるカールは眼鏡越しに端正な顔立ちをした王太子であるシリスに問いかける。
執務室の窓際に置かれた長机の上で書類に目を通しながら、一瞬その手を止めたシリスはふっと含みのある笑みを漏らすと漆黒の前髪から覗くぞっとするほどに冷たい瞳をカールへ向ける。
「そうか。今日だったか」
「ええ、そうです。一応王太子妃になるお方です。それに珍しいオッドアイを持っております」
「そんなことはどうだっていい。まぁ俺に会いたい姫などこの世界にいるまい。すぐに帰らせてくれと泣きつくことだろう。それか…―」
シリスは何かを思い出すように一度言葉を止めた。
「俺に殺されるか、どちらかだ」
「……では、ハーネッツ王国の姫とは、」
「いい、俺からその場は用意しよう」

 忙しそうにそう言うとシリスはまた書類に目を通し始めた。
カールは「失礼します」と言い、執務室を出た。
カールはヴァンセ公爵家の長男としてシリスがまだ幼いころから王宮に勤めていた。
そのため、カールは知っている。
シリスが幼少期より他人には絶対に心を許さないことを…―。
シリスの産みの母親はシリスの幼いころに流行り病に倒れ、その後踊り子として王の寵愛を受けていた後妻との間に子が誕生した。
王妃はそれはそれはシリスに酷く当たったが、父親は庇うことはしなかった。
それでも、現状、王位継承権はシリスにある。
後妻との間には娘が二人産まれたがケリアでは女では王位を継ぐことが出来ないからだ。
しかし、納得のいかない王妃は今もずっとシリスを失脚させるべく動いている。
そういった背景があるからなのか、シリスが誰かに心を開いたことはない。
それを一番近くで見ていたカールは一枚の分厚い扉に背を預け、扉の向こうにいるシリスがいつか心から笑える相手が見つかれば…と思わずにはいられなかった。
シリスはいつも“一人”で戦っているのだ。


―翌日

 ロゼは早朝から王との謁見があった。
しかしそれは数分のことで、こんなにも呆気なく謁見が終わるとは思ってもいなかった。
使用人のマリイはもちろんロゼがケリアでは祝福されていない存在の為、形式上一応謁見の場が設けられただけであることを理解していた。
ただ、国王を含めた周囲の者たちは隣国から来たロゼがあまりにも堂々と、そして秀麗であったことから一度はその場をはっと驚かせていたことを本人は知らない。
その後も、王太子と会うこともなく、誰も離れにあるロゼの部屋を訪れることもなく、とにかく暇であったロゼは一人思案していた。
用意されたドレスはどれも高価なものであることはロゼでもわかる。
それ以外にも食事は豪華で、数週間前までその日暮らしだったとは思えないほど暮らしが一変している。

「王太子妃ってすごいのね…はぁ、」

 ロゼは夕食後、真っ白な寝間着に着替えると、慣れない寝台に体を預けた。
寝ようにもなかなか寝付けないロゼは思いついた。

「そうだ、この時間って見張りはいないよね…」

 日中はマリイが使用人兼見張りとして常にロゼの傍にいる。
普通ロゼの立場ならば、勝手に出歩こうなどとは思わないものだが、ロゼは違った。退屈で仕方ないロゼは気分転換にこっそり部屋を抜け出すことにした。
そっと扉を開けて、誰もいないことを確認するとロゼはにっと口角を開けて飛び出した。
ひょいひょういとスキップしてくるぶしまであるネグリジェが邪魔に感じて途中からガバっとネグリジェをたくし上げる。
ロゼの細く白い肌が窓から入ってくる月夜に晒される。
ここ数週間でいい食事をとっているから以前ほどはふっくらしてきたが、それでもロゼの体は細い。
ふわりとしたネグリジェや、ドレスなどで全身を隠しているが、首や手首など見える部分は折れそうなほどに細い。
ロゼが普段から人の出入りの少ない庭に出た。
 真夜中のそこは当然人の気配はない。
ロゼは誰かに見つかれば困るから、今日はここで気分転換をすることにした。
風一つない、静まり返ったそこは昼間と違い夜中の方が雰囲気があった。
虫の音もせず、ロゼの呼吸音だけがした。

「うわぁ、綺麗」

 ロゼは庭の中心へ移動すると夜空を見上げた。
冴え冴えとした満月がちょうど真下に立っているロゼに光を与える。
月を見ながらそっと腰を下ろすと人の気配を感じた。
直ぐに立ち上がり、周囲を見渡した。
ロゼが声を発する前に背後から声がした。振り返ると同時に

「誰だ、」

 敵意の篭った声が突き刺さる。
二メートルほどの間隔をあけて立っている男を見てロゼは唾を呑み込む。
目の前に立っている男はもちろんみたことはないが、明らかに纏っている雰囲気が違った。
瞬時に思ったのは“棘がある”だった。
暗くて完全にその人物を見ることは出来ないが、今日は雲一つない夜空に浮かぶ月の光のお陰か容姿くらいはわかる。
ぞっとするほどに冷たい印象を与えるのに、思考が停止してしまいそうになるほど美しい容姿。大きく鋭いひとみに、高い鼻、長い手足、こんなに綺麗な人を男女問わず見たことがないと思った。
しかし、無意識に脳内に鳴り響く警報にロゼは一歩後ずさる。

「誰だと聞いている。答えぬのならばこの場で切り捨てる」
「私はただの使用人でございます。申し訳ございません。月を見るのが好きでここに来ました。他意はありません」

ロゼは自分の目を見られてはいけないと思い、伏し目がちにそう言った。
しかし、その男はずんずんとロゼに近づく。
「使用人―、か」
何かを試すような声が耳朶を打つ。

「今回が初めてか?」
「…はい、そうです」

この人物が誰なのかわからないが、使用人などではない。絶対に。
使用人を切り捨ててしまえるほどの権力のある人物だ。

「顔を上げろ」
目の前まで近づく声にロゼは短くなった前髪がもう少し長ければ、と後悔しながらひょいっと身を翻し、ふわりと舞った。
男と距離をとることに成功したロゼはにっと笑って言った。
「嫌です!私は泥棒でも何でもない。退屈だったから外の空気を吸いたかっただけ。じゃあさようなら」
それは一瞬のことで、男は呆気にとられていた。
月夜に照らされながら簡単に空を舞ってみせた少女は明らかに普通ではなかった。
「…使用人?そんなわけない」

 男は一人になったその場で立ち尽くし、あの少女が着ていたネグリジェを見て使用人ではないことを確信していた。
男は不敵にわらうとその場に座り込み、夜空に輝く星と月を見上げた。

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