"推したい"婚約者
1章「アンジュ・ブルナーとアルフレート・ランゲ」_2話
遠い存在となったアルフレードとの関係が続いたきっかけは、ブルナー家当主でもある、アンジュの長兄であった。
湖も凍るほど寒さが厳しくなった冬のある日のこと。
中央で開催された代表会議に出席した長兄が、アルフレードを連れて屋敷に戻ったのだ。
兄を出迎えに玄関に出たアンジュは、まさかの人物登場に驚きで言葉を失った。
「暇そうだったから誘っちゃった。しばらく泊まるから時間があったら相手してあげて」
(暇なわけない!)
広報の役目も担っている班に所属している彼は、配属後多忙を極めていると耳に挟んでいる。
慌ててアルフレードに確認すれば、彼は2週間西地方総本部で仕事があると言う。向かう途中で長兄に声をかけられ、そのままブルナー家にやってきたと説明された。
アンジュは兄を睨み付ける。
「忙しいんだから予定を狂わせないであげて」
何が目的でアルフレードを連れてきたかわからないが、時に無理に行動を移す癖がある兄。
アンジュは苦言を入れたが彼は一切気に留めず、他の兄妹きょうだいと絡み、アルフレードを困らせてばかりいた。アンジュの兄たちはアンジュをことさら可愛がり、大抵のわがままや主張は受け入れる彼らにしては意外な行動であった。
その中にはブルナー家と契約している精霊、ポエテランジュや子どもたちもいた。慈愛深い彼女たちが、アルフレードをなんとも言えない表情で見定める様に覗き込んでいる。覗き込むだけ。何もしない。その異様な光景を表現する言葉を知らない。
どんな時も冷静に対応しているアルフレードが、終始何かと戦うように接しているのだから相当なことだ。
母親に助けを求めるも時々諌めてくれる程度で、子ども同士の喧嘩をながめるように微笑むばかり。今度はアンジュが家族の態度についてアルフレードに謝罪した。
「いや、楽しいよ。俺の兄たちとは全くタイプが違うから新鮮で。…なかなかやりがいがある。大丈夫。頑張る。いや、超えてみせる」
(「頑張る」なんて言わせたぞ。それに超えるとは一体…?)
アンジュは申し訳なさに身を縮こまらせた。家族に密やかに召集をかけ客人に絡むのをやめるように訴えた。アンジュの願いは大抵聞き入れる彼らにしては珍しく、その反応は頑なであった。
「アンジュ。どんな生き物も、大切な場面では耐えないといけないものさ」
「何言ってるの。訳わかんないよ」
結局彼らの対応は変わらなかった。
家族とアルフレード、仕事と私生活。多方面でとにかく気を使った2週間が過ぎ、アルフレードは無事中央に帰っていった。
ほっと一息ついたアンジュの元に、アルフレードから手紙が届いた。花や動物の可愛らしい絵が施された手紙には、泊めてくれた礼と彼の近況や身近に起こったことが綴られており『ぜひまた遊びに行きたい』と締めくくられていた。
書かれた通り、アルフレードはブルナー領へよく遊びに来た。1人だけの時もあれば、彼の家族や友人も連れて。
(よほど好きになったんだなぁ)
忙しい中わざわざ遊びに訪れるのだ。会話の節々でもブルナー領を好きだと感じられた。自慢の地元を愛するものが増え、アンジュはとても嬉しかった。彼女は上質でおしゃれなレターセットを買っては返事を送り、遊びに来れば一緒に出かけた。
彼と過ごす時間の分、アンジュのアルフレード情報は厚みを増していき、推し活動も捗っていく。
(もしかしたらアルフレードの結婚式に呼ばれるまでの関係になるかも)
アンジュはニマニマと顔を緩ませた。推しの重要イベントへの参加できる未来に想像を膨らませる。交流の中で、アルフレードにも恋愛や結婚には興味があると知ったからだ。それも想いを寄せる人と結ばれたい希望がある。てっきり独身を貫き通すかと思っていた彼の意外な願望。これはファンとして全力で応戦しなければいけない。
『応援するよ!』
キラキラと目を輝かせたアンジュの言葉に、アルフレードはぎこちなく笑っていた。
アンジュの期待通り、2人の関係はたまに話をする知り合いから友人へ親密度が上がった。
そして、新緑が輝く季節には婚約者へと一気に駆け上がった。生命進化も驚きのスピードである。
「どういうこと?!」
「アルフレードと婚約が決まった」と母親から伝えられた夜。アンジュは嬉しさよりも困惑が優った。あらゆる妄想を繰り広げたが、1度も考えていなかった路線である。
叫んだ娘の疑問には答えず、顔合わせの日程を組むために次の休みを教えて欲しいと言う。すでに婚約を結ぶ前提で話が進んでいた。どうしても納得がいかないアンジュは、しつこく詳細を求めた。すると、婚約の打診はなんとアルフレードからであり”彼と親しい女性がアンジュだから”だと、耳を疑う説明がされた。
「そんなことは絶対に、ない!」
アルフレードがいかにモテたか、アンジュは力説した。後にも先にも、力拳を握りしめながら家族へアルフレードを語り聞かせたのはこの時間だけである。
「けど誰とも付き合わなかったんだろう?」
「向こうから、是非にって言われているのよ」
家族は荒ぶるアンジュを冷静に諭した。
納得のいかない彼女は説得ー家族に論じても意味はないがーを繰り返したが、みるみる勢いが削がれていく。だって相手はアルフレードだ。家の格式はともかく、アルフレードの”素晴らしさ”を誰よりも知るアンジュは、自分が彼に釣り合う人間だと到底思えなかった。
「私じゃ彼の相手は務まらないよ」
どんな時も気丈に振る舞う末妹が、泣きそうな顔で弱音を呟く。長兄は優しく言葉をかけた。
「何を言っているんだ。アンジュは誰にも負けない魅力がある。だからアルフレードは婚約を結びたいと言ったんだよ」
残念なことに、日頃からアンジュへの愛を表現する彼らの言葉は心から彼女を励ますには至らなかった。
「とにかく会おう。疑問は本人に聞くのが1番だ」
話は締め括られ、家族会議は終了した。
しぶしぶ部屋に戻るアンジュを、次兄は静かに見つめていた。彼だけは話の間、顔を顰めたまま一言も話さずににいたのだが、気が動転していたアンジュは気づかなかった。
ランゲ家と顔合わせはブルナー家屋敷で行われることになった。
当日、アンジュは慣れない化粧や新調したドレスで自分を着飾り、アルフレードたちの来訪を待った。煌びやかな装いに反し、表情は浮かない。
ランゲ家を乗せた馬車が到着した報せを受けたアンジュは、手を固く握り締めながら玄関ホールに赴いた。
両親と屋敷にやってきたアルフレードは礼装に身を包んでいた。軍服や私服姿は今まで何度も見てきたが、ブラックスーツを身に纏っている姿は初めてだ。緊張しているのか普段よりも硬い表情だったが、出迎えたアンジュにはいつもと変わらない優しい笑顔を向けた。
アンジュは思わず頬を染める。
(カッコヨスギデスネ)
緊張を通り過ぎて冷静になったアンジュは、家族を交えた談話の時間は問題なく過ごせた。
この調子なら意外と乗り切れる、勝利を掴む気持ちでいたアンジュであったが「それじゃあ後は若い者たちで…」と家族が席を立ってしまい、アルフレードと2人っきりになる。この時改めて今日の目的を思い出したアンジュは、緊張がたちまちぶり返してしまった。
(いや幾つだよアンジュ・ブルナー!もう子供じゃないだろう)
だがアルフレードを前に緊張は増すばかり。黙り込むわけにもいかず、かといって落ち込むこともできず、無理矢理でも話を続けるために奮闘した。
アンジュが振る話に返答していたアルフレードだったが、ふと会話が途切れた。
(まずい)
焦ったアンジュだったが、アルフレードは胸ポケットから万年筆とメモ帳を取り出すと、何か書き始めた。
・俺の家族がアンジュと仲良くなりたいと話していた。←教えてくれたこと、話しても良いかな?
・さっき話に出ていた、新しい店はどんな店?
・最近のポエテランジュたちの様子は?
見せられたメモには簡単な質問が書かれていた。質問の間には、書き込めるスペースがある。万年筆を渡されたアンジュは、空白に質問に対する気持ちや答えを書き、おずおずと彼に見せた。するとアルフレードが話しを掘り下げ、広げていく。新しい話をする場合は、また改めて紙に書き合う。書いては話す、書いて、話す。動作を繰り返していくうちにアンジュは落ち着きを取り戻し、いつも通りの受け答えができるようになった。
(あぁ、やはりアルフレードはすごいな)
メモから顔を上げたアンジュは、水色の瞳と視線が絡んだ。
彼女は意を決して、アルフレードに疑問をぶつけた。「なぜ私に婚約話を?」と。
「それは、君だから。俺にとって初めてなんだ。こんなに…親しくて、信頼できる女性は」
(信頼、か)
アンジュはチクリと胸を痛めた。
複雑な心情が顔に出たのか、アルフレードは慌てて言葉を続ける。
「もちろん、アンジュが良ければだ。君の気持ちを1番に考えてほしい」
アルフレードは婚約についてアンジュが悩んでいると受け取ったようだ。アンジュは顔をゆるゆると横に振った。
「嬉しいよ。信頼してくれているなんて。…けど、君が思うほど。その、綺麗な人間じゃないし。それに君は良いの?結婚は想い合う人とが良いって言っていたじゃない」
卒業後、アルフレードと交流が続いてもアンジュは自分の好意を表そうとしなかった。秘めて生きると決めたからだ。だがこの秘密を知らない彼と結ばれるのがいいことなのか分からなかった。アルフレードが言う"信頼できる女性"の一面は、アンジュが意図的に隠すほんの本心の側面でしかない。彼が患う熱烈にアピールする人たちと自分は何ら変わらない。隠し事ない心身ともに美しい人こそ、アルフレードの求める人物像何ではないか。
アルフレードを直視できず、手元に目線を落とす。
すると、大きな手がアンジュの手に触れた。重なった手から、じんわりと熱が伝わってくる。
「完璧完全な人なんていない。それに誰にだって秘めておきたいことはある。俺にも、もちろん。けど、その中に大切にしているのがあるんだ。曝け出すのも違う」
手に力がこもる。顔を上げると、アルフレードは真剣な眼差しでアンジュを見つめていた。
「そういった部分を尊重しながら、大切な所や時間も共有していきたい。叶うなら、その相手は君がいい」
ドクン、と大きく心臓が跳ねる。アルフレードはしっかり考えて、婚約を打診してくれたのだ。アンジュのために言葉を選びながら話すアルフレードの気遣いに、アンジュは泣きそうであった。
アンジュは意思を固める。
重なったアルフレード手を握り、ありがとうと笑顔で返す。
アルフレードは顔を赤くすると、照れくさそうに頬を掻いた。
顔合わせは無事に終え、2人は婚約を結んだ。
残るは、入籍と挙式だ。
すぐに式を挙げたいと訴えたアルフレードだったが、多忙極める彼の状況では準備すら難しかった。無理をして身体を壊して欲しくないアンジュは渋った。
入籍だけなら至極簡単である。結婚誓約書に記載し、しかるべき場所に提出すれば晴れて夫婦になる。しかし入籍しても2人はしばらく別居しなければならない問題があった。配属されたばかりで転属願いが受理される可能性が低かったのだ。それにはアルフレードの次兄が難色を示した。別居では周囲に「裏がある結婚だ」と疑いを持たれると思ったからだ。
「なら、結婚式と入籍をすぐに執り行うべきだろう?」
「式の準備は思っている以上に時間がかかるよ?疲れるし…無理してほしくないよ」
数年前に結婚した姉が、当時仕事と準備に忙しそうにしていたのをアンジュはよく覚えていた。結婚式や衣装、招待状、披露宴など準備は多い。アルフレードの忙しさに拍車がかかるだけとアンジュはアルフレードを説得する。
「大丈夫だ。慣れてきた。それに人生で最も大切な事を仕事を理由に遅らせたくない」
アルフレードはなかなか折れなかった。彼がなぜ急ぐのかは分からなかったが、力強く説得するため絆されつつあったアンジュ。しかし最終決定日、アルフレードが体調を崩したことにより、彼女の式の延期は強固なものになり、入籍と挙式どちらも見合わせることになった。
「…せめて他の恋人たちのように過ごさないか?」
入籍と挙式、自分で延期の原因を作ったアルフレードはひどく落ち込んでいた。いずれはどちらも叶えるのだから気にしないようアンジュが励ましていると、先程の提案をされたのだ。
(せめて?せめてって?そもそも信頼からの婚約だし、わざわざ恋人のように過ごす時間は必要ない気もするけど…仲は良いに限る、ということだよね?)
結婚後は2人で暮らすのだ。今のうちに生活習慣や価値観のすり合わせをしておくのは確かに得策だ。彼の意図を探り、アンジュは納得…しかねて天を仰ぐ。今だにアルフレードが隣にいるだけで胸が高鳴ってしまい落ち着かない。必死に隠しているが"恋人のような時間"にアンジュは耐えられる自信が、ない。
(けど…他ならぬアルフレードの頼み。叶えてあげたい)
アンジュは腹を決めた。
尊死でいつ棺に入っても良いよう準備を整え、アンジュはアルフレードとの”恋人時間”に挑んだ。
婚約後の恋人時間。配属が違うため、2人の交流は引き続き手紙や贈り物のやり取りが主であった。予定が合えばできるだけ会い、デートで手を繋いだり身体を寄せ合ったりすることはあっても、それ以上は発展しない。彼は少しも強気に迫ることはなかった。
現実と想像は違った。あっけないほどに。それでもアンジュにとって、アルフレードが大切に接してくれているのがわかり、とてもとても嬉しかった。ますますアルフレードを好きになっていく。
(やっぱり…私には勿体無いぐらい素敵で、かっこよくて、尊敬できる人)
アルフレードが大切にしてくれるように、アンジュも彼を大切に、いやそれ以上に幸福を与えられる存在になりたい。想いを募らせた彼女は誓いを立てることにした。屋敷の中庭にそびえる、ブルナー家初代当主がポエテランジュとの信頼の証に植えた樹に膝をつく。
大精霊そして、それ以上の上位存在への宣誓である。
「己の生涯をかけてアルフレード・ランゲを幸せにするとここに誓う」
アンジュは気かがりであった。アルフレードが婚約者にアンジュを選んだ、その理由。
『信頼し、親しい女性がアンジュだから』
アンジュは思う。一生を共に過ごす伴侶を選ぶ理由としていかがなものか。いや、信頼から結ばれる結婚も良い。
限定的な理由ではなく、彼には、心の底から好きな人と結ばれて欲しいと。
家族や親友以外で、だれよりも幸せになってほしい存在だからこそ。
「だけどもし彼に本当に好きな人ができたなら、この身を潔く引こう」
「それまでどうか、彼との縁が続きますように」
アンジュは新たな決意と覚悟を胸に抱き、今日も下手くそながらに彼と仲を深める努力に徹するのであった。
湖も凍るほど寒さが厳しくなった冬のある日のこと。
中央で開催された代表会議に出席した長兄が、アルフレードを連れて屋敷に戻ったのだ。
兄を出迎えに玄関に出たアンジュは、まさかの人物登場に驚きで言葉を失った。
「暇そうだったから誘っちゃった。しばらく泊まるから時間があったら相手してあげて」
(暇なわけない!)
広報の役目も担っている班に所属している彼は、配属後多忙を極めていると耳に挟んでいる。
慌ててアルフレードに確認すれば、彼は2週間西地方総本部で仕事があると言う。向かう途中で長兄に声をかけられ、そのままブルナー家にやってきたと説明された。
アンジュは兄を睨み付ける。
「忙しいんだから予定を狂わせないであげて」
何が目的でアルフレードを連れてきたかわからないが、時に無理に行動を移す癖がある兄。
アンジュは苦言を入れたが彼は一切気に留めず、他の兄妹きょうだいと絡み、アルフレードを困らせてばかりいた。アンジュの兄たちはアンジュをことさら可愛がり、大抵のわがままや主張は受け入れる彼らにしては意外な行動であった。
その中にはブルナー家と契約している精霊、ポエテランジュや子どもたちもいた。慈愛深い彼女たちが、アルフレードをなんとも言えない表情で見定める様に覗き込んでいる。覗き込むだけ。何もしない。その異様な光景を表現する言葉を知らない。
どんな時も冷静に対応しているアルフレードが、終始何かと戦うように接しているのだから相当なことだ。
母親に助けを求めるも時々諌めてくれる程度で、子ども同士の喧嘩をながめるように微笑むばかり。今度はアンジュが家族の態度についてアルフレードに謝罪した。
「いや、楽しいよ。俺の兄たちとは全くタイプが違うから新鮮で。…なかなかやりがいがある。大丈夫。頑張る。いや、超えてみせる」
(「頑張る」なんて言わせたぞ。それに超えるとは一体…?)
アンジュは申し訳なさに身を縮こまらせた。家族に密やかに召集をかけ客人に絡むのをやめるように訴えた。アンジュの願いは大抵聞き入れる彼らにしては珍しく、その反応は頑なであった。
「アンジュ。どんな生き物も、大切な場面では耐えないといけないものさ」
「何言ってるの。訳わかんないよ」
結局彼らの対応は変わらなかった。
家族とアルフレード、仕事と私生活。多方面でとにかく気を使った2週間が過ぎ、アルフレードは無事中央に帰っていった。
ほっと一息ついたアンジュの元に、アルフレードから手紙が届いた。花や動物の可愛らしい絵が施された手紙には、泊めてくれた礼と彼の近況や身近に起こったことが綴られており『ぜひまた遊びに行きたい』と締めくくられていた。
書かれた通り、アルフレードはブルナー領へよく遊びに来た。1人だけの時もあれば、彼の家族や友人も連れて。
(よほど好きになったんだなぁ)
忙しい中わざわざ遊びに訪れるのだ。会話の節々でもブルナー領を好きだと感じられた。自慢の地元を愛するものが増え、アンジュはとても嬉しかった。彼女は上質でおしゃれなレターセットを買っては返事を送り、遊びに来れば一緒に出かけた。
彼と過ごす時間の分、アンジュのアルフレード情報は厚みを増していき、推し活動も捗っていく。
(もしかしたらアルフレードの結婚式に呼ばれるまでの関係になるかも)
アンジュはニマニマと顔を緩ませた。推しの重要イベントへの参加できる未来に想像を膨らませる。交流の中で、アルフレードにも恋愛や結婚には興味があると知ったからだ。それも想いを寄せる人と結ばれたい希望がある。てっきり独身を貫き通すかと思っていた彼の意外な願望。これはファンとして全力で応戦しなければいけない。
『応援するよ!』
キラキラと目を輝かせたアンジュの言葉に、アルフレードはぎこちなく笑っていた。
アンジュの期待通り、2人の関係はたまに話をする知り合いから友人へ親密度が上がった。
そして、新緑が輝く季節には婚約者へと一気に駆け上がった。生命進化も驚きのスピードである。
「どういうこと?!」
「アルフレードと婚約が決まった」と母親から伝えられた夜。アンジュは嬉しさよりも困惑が優った。あらゆる妄想を繰り広げたが、1度も考えていなかった路線である。
叫んだ娘の疑問には答えず、顔合わせの日程を組むために次の休みを教えて欲しいと言う。すでに婚約を結ぶ前提で話が進んでいた。どうしても納得がいかないアンジュは、しつこく詳細を求めた。すると、婚約の打診はなんとアルフレードからであり”彼と親しい女性がアンジュだから”だと、耳を疑う説明がされた。
「そんなことは絶対に、ない!」
アルフレードがいかにモテたか、アンジュは力説した。後にも先にも、力拳を握りしめながら家族へアルフレードを語り聞かせたのはこの時間だけである。
「けど誰とも付き合わなかったんだろう?」
「向こうから、是非にって言われているのよ」
家族は荒ぶるアンジュを冷静に諭した。
納得のいかない彼女は説得ー家族に論じても意味はないがーを繰り返したが、みるみる勢いが削がれていく。だって相手はアルフレードだ。家の格式はともかく、アルフレードの”素晴らしさ”を誰よりも知るアンジュは、自分が彼に釣り合う人間だと到底思えなかった。
「私じゃ彼の相手は務まらないよ」
どんな時も気丈に振る舞う末妹が、泣きそうな顔で弱音を呟く。長兄は優しく言葉をかけた。
「何を言っているんだ。アンジュは誰にも負けない魅力がある。だからアルフレードは婚約を結びたいと言ったんだよ」
残念なことに、日頃からアンジュへの愛を表現する彼らの言葉は心から彼女を励ますには至らなかった。
「とにかく会おう。疑問は本人に聞くのが1番だ」
話は締め括られ、家族会議は終了した。
しぶしぶ部屋に戻るアンジュを、次兄は静かに見つめていた。彼だけは話の間、顔を顰めたまま一言も話さずににいたのだが、気が動転していたアンジュは気づかなかった。
ランゲ家と顔合わせはブルナー家屋敷で行われることになった。
当日、アンジュは慣れない化粧や新調したドレスで自分を着飾り、アルフレードたちの来訪を待った。煌びやかな装いに反し、表情は浮かない。
ランゲ家を乗せた馬車が到着した報せを受けたアンジュは、手を固く握り締めながら玄関ホールに赴いた。
両親と屋敷にやってきたアルフレードは礼装に身を包んでいた。軍服や私服姿は今まで何度も見てきたが、ブラックスーツを身に纏っている姿は初めてだ。緊張しているのか普段よりも硬い表情だったが、出迎えたアンジュにはいつもと変わらない優しい笑顔を向けた。
アンジュは思わず頬を染める。
(カッコヨスギデスネ)
緊張を通り過ぎて冷静になったアンジュは、家族を交えた談話の時間は問題なく過ごせた。
この調子なら意外と乗り切れる、勝利を掴む気持ちでいたアンジュであったが「それじゃあ後は若い者たちで…」と家族が席を立ってしまい、アルフレードと2人っきりになる。この時改めて今日の目的を思い出したアンジュは、緊張がたちまちぶり返してしまった。
(いや幾つだよアンジュ・ブルナー!もう子供じゃないだろう)
だがアルフレードを前に緊張は増すばかり。黙り込むわけにもいかず、かといって落ち込むこともできず、無理矢理でも話を続けるために奮闘した。
アンジュが振る話に返答していたアルフレードだったが、ふと会話が途切れた。
(まずい)
焦ったアンジュだったが、アルフレードは胸ポケットから万年筆とメモ帳を取り出すと、何か書き始めた。
・俺の家族がアンジュと仲良くなりたいと話していた。←教えてくれたこと、話しても良いかな?
・さっき話に出ていた、新しい店はどんな店?
・最近のポエテランジュたちの様子は?
見せられたメモには簡単な質問が書かれていた。質問の間には、書き込めるスペースがある。万年筆を渡されたアンジュは、空白に質問に対する気持ちや答えを書き、おずおずと彼に見せた。するとアルフレードが話しを掘り下げ、広げていく。新しい話をする場合は、また改めて紙に書き合う。書いては話す、書いて、話す。動作を繰り返していくうちにアンジュは落ち着きを取り戻し、いつも通りの受け答えができるようになった。
(あぁ、やはりアルフレードはすごいな)
メモから顔を上げたアンジュは、水色の瞳と視線が絡んだ。
彼女は意を決して、アルフレードに疑問をぶつけた。「なぜ私に婚約話を?」と。
「それは、君だから。俺にとって初めてなんだ。こんなに…親しくて、信頼できる女性は」
(信頼、か)
アンジュはチクリと胸を痛めた。
複雑な心情が顔に出たのか、アルフレードは慌てて言葉を続ける。
「もちろん、アンジュが良ければだ。君の気持ちを1番に考えてほしい」
アルフレードは婚約についてアンジュが悩んでいると受け取ったようだ。アンジュは顔をゆるゆると横に振った。
「嬉しいよ。信頼してくれているなんて。…けど、君が思うほど。その、綺麗な人間じゃないし。それに君は良いの?結婚は想い合う人とが良いって言っていたじゃない」
卒業後、アルフレードと交流が続いてもアンジュは自分の好意を表そうとしなかった。秘めて生きると決めたからだ。だがこの秘密を知らない彼と結ばれるのがいいことなのか分からなかった。アルフレードが言う"信頼できる女性"の一面は、アンジュが意図的に隠すほんの本心の側面でしかない。彼が患う熱烈にアピールする人たちと自分は何ら変わらない。隠し事ない心身ともに美しい人こそ、アルフレードの求める人物像何ではないか。
アルフレードを直視できず、手元に目線を落とす。
すると、大きな手がアンジュの手に触れた。重なった手から、じんわりと熱が伝わってくる。
「完璧完全な人なんていない。それに誰にだって秘めておきたいことはある。俺にも、もちろん。けど、その中に大切にしているのがあるんだ。曝け出すのも違う」
手に力がこもる。顔を上げると、アルフレードは真剣な眼差しでアンジュを見つめていた。
「そういった部分を尊重しながら、大切な所や時間も共有していきたい。叶うなら、その相手は君がいい」
ドクン、と大きく心臓が跳ねる。アルフレードはしっかり考えて、婚約を打診してくれたのだ。アンジュのために言葉を選びながら話すアルフレードの気遣いに、アンジュは泣きそうであった。
アンジュは意思を固める。
重なったアルフレード手を握り、ありがとうと笑顔で返す。
アルフレードは顔を赤くすると、照れくさそうに頬を掻いた。
顔合わせは無事に終え、2人は婚約を結んだ。
残るは、入籍と挙式だ。
すぐに式を挙げたいと訴えたアルフレードだったが、多忙極める彼の状況では準備すら難しかった。無理をして身体を壊して欲しくないアンジュは渋った。
入籍だけなら至極簡単である。結婚誓約書に記載し、しかるべき場所に提出すれば晴れて夫婦になる。しかし入籍しても2人はしばらく別居しなければならない問題があった。配属されたばかりで転属願いが受理される可能性が低かったのだ。それにはアルフレードの次兄が難色を示した。別居では周囲に「裏がある結婚だ」と疑いを持たれると思ったからだ。
「なら、結婚式と入籍をすぐに執り行うべきだろう?」
「式の準備は思っている以上に時間がかかるよ?疲れるし…無理してほしくないよ」
数年前に結婚した姉が、当時仕事と準備に忙しそうにしていたのをアンジュはよく覚えていた。結婚式や衣装、招待状、披露宴など準備は多い。アルフレードの忙しさに拍車がかかるだけとアンジュはアルフレードを説得する。
「大丈夫だ。慣れてきた。それに人生で最も大切な事を仕事を理由に遅らせたくない」
アルフレードはなかなか折れなかった。彼がなぜ急ぐのかは分からなかったが、力強く説得するため絆されつつあったアンジュ。しかし最終決定日、アルフレードが体調を崩したことにより、彼女の式の延期は強固なものになり、入籍と挙式どちらも見合わせることになった。
「…せめて他の恋人たちのように過ごさないか?」
入籍と挙式、自分で延期の原因を作ったアルフレードはひどく落ち込んでいた。いずれはどちらも叶えるのだから気にしないようアンジュが励ましていると、先程の提案をされたのだ。
(せめて?せめてって?そもそも信頼からの婚約だし、わざわざ恋人のように過ごす時間は必要ない気もするけど…仲は良いに限る、ということだよね?)
結婚後は2人で暮らすのだ。今のうちに生活習慣や価値観のすり合わせをしておくのは確かに得策だ。彼の意図を探り、アンジュは納得…しかねて天を仰ぐ。今だにアルフレードが隣にいるだけで胸が高鳴ってしまい落ち着かない。必死に隠しているが"恋人のような時間"にアンジュは耐えられる自信が、ない。
(けど…他ならぬアルフレードの頼み。叶えてあげたい)
アンジュは腹を決めた。
尊死でいつ棺に入っても良いよう準備を整え、アンジュはアルフレードとの”恋人時間”に挑んだ。
婚約後の恋人時間。配属が違うため、2人の交流は引き続き手紙や贈り物のやり取りが主であった。予定が合えばできるだけ会い、デートで手を繋いだり身体を寄せ合ったりすることはあっても、それ以上は発展しない。彼は少しも強気に迫ることはなかった。
現実と想像は違った。あっけないほどに。それでもアンジュにとって、アルフレードが大切に接してくれているのがわかり、とてもとても嬉しかった。ますますアルフレードを好きになっていく。
(やっぱり…私には勿体無いぐらい素敵で、かっこよくて、尊敬できる人)
アルフレードが大切にしてくれるように、アンジュも彼を大切に、いやそれ以上に幸福を与えられる存在になりたい。想いを募らせた彼女は誓いを立てることにした。屋敷の中庭にそびえる、ブルナー家初代当主がポエテランジュとの信頼の証に植えた樹に膝をつく。
大精霊そして、それ以上の上位存在への宣誓である。
「己の生涯をかけてアルフレード・ランゲを幸せにするとここに誓う」
アンジュは気かがりであった。アルフレードが婚約者にアンジュを選んだ、その理由。
『信頼し、親しい女性がアンジュだから』
アンジュは思う。一生を共に過ごす伴侶を選ぶ理由としていかがなものか。いや、信頼から結ばれる結婚も良い。
限定的な理由ではなく、彼には、心の底から好きな人と結ばれて欲しいと。
家族や親友以外で、だれよりも幸せになってほしい存在だからこそ。
「だけどもし彼に本当に好きな人ができたなら、この身を潔く引こう」
「それまでどうか、彼との縁が続きますように」
アンジュは新たな決意と覚悟を胸に抱き、今日も下手くそながらに彼と仲を深める努力に徹するのであった。