危険すぎる恋に、落ちてしまいました。1【完結】

7.白百合学園の王

椿に手を繋がれたまま、道場を出たときから――
 美羽の心臓は、ずっと落ち着いてくれなかった。

 廊下を歩くたびに、繋いだ手がほんの少し揺れる。
 そのたびに、胸の奥がきゅっと鳴る。

(なにこれ……。
 さっきまで、碧くんに押し倒されてパニックだったはずなのに……
 全部上書きされてるん気がするんですけど……)

 校門の前にたどり着いたところで、
 椿はふっと立ち止まり、ゆっくりと手を離した。

 指先が離れていく瞬間、
 そこに残ったぬくもりだけが、妙にくっきりと残る。

 少しだけ、沈黙。

 風が、二人の間を通り抜けていった。

「……足は、大丈夫か?」

 不意に投げられた言葉に、美羽はびくっと肩を揺らした。

「え、あっ……う、うん! 快調だよ! 全然ヘーキ!!」

 しどろもどろ。声が裏返る。

(落ち着け私!! なにテンパってんの!?)

 椿はじっとこちらを見つめ、
 それから「そうか」と小さく息を吐いて歩き出した。

 二人で並んで歩くのは、これが初めてだった。

 夕焼けに染まる通学路。
 アスファルトに伸びる影が、少しずつ長く、細くなっていく。

(……なんだか、現実味がないなぁ)

 隣には、黒薔薇の王で、生徒会長で、
 顔面国宝の北条椿。

 けど、今はただ、
 少し早足で歩く、同じ一年の男の子。

 そんなふうに見えてしまう自分が、
 ちょっとだけ不思議だった。

 沈黙を破ったのは、やっぱり椿の方だった。

「……碧と勝負してたんじゃなかったのか?」

 その一言に、美羽は全身をビクッと震わせる。

「い、いや、最初はそうだったんだけどね!?
 ちゃんと勝負してて! それで、たまたま私が勝っちゃって!
 そしたらなんか碧くんが急におかしくなっちゃって……?
 私にもよくわかんなくて……? てかなんでああなったのか、私が聞きたいよ!? おかしいよね! あははは!」

 笑いながら、自分でも苦しい言い訳だと思った。

(うわぁぁ、我ながら説明が下手すぎる……!)

 椿は、そんな美羽を見ながら、ふうっと深くため息をついた。

「あのな。お前は“狙われてる”んだぞ?
 碧は後で注意するとしてだ、もう少し危機感を持て。」

「えぇっ!? 椿くんは、私が悪いって言いたいの!?
 ひどくない!?」

「そうは言ってねぇ。
 じゃなくてだな、危機感の話を――」

 さらに説明しようとした椿の言葉を、美羽は思わず遮っていた。

「てか、別に私、碧くんのことなんとも思ってないし!?
 なんか流れで押し倒されて、ちょっとびっくりしたけど、ちゃんと断ってたんだけど!
 むしろ私は……!」

 口が、勝手に動いた。

 “むしろ”の先にある言葉が、喉の奥までせり上がってきて――
 そこで、ぴたりと動かなくなる。

「……っ」

 自分で自分の言葉に、ブレーキをかけた。

(やだ、私……。
 今、何言おうとしたの……?
 “むしろ私は、椿くんが”って……!?)

 顔が一気に熱くなる。

 言いかけた言葉に、自分で驚いて、怖くなった。

 椿が横目でこちらを見る。

「むしろ、なんだよ?」

「い、いや、その……私は……椿くんが……ええと……」

 うまく言えない。

 夕焼けが、椿の横顔を染めていた。
 黒髪に金色のラインが差し込んで、
 睫毛の影が頬に落ちる。

(……綺麗だな)

 思った瞬間、息が止まりそうになった。

(もし、私がここで“好き”って言ったら――
 椿くん、困る、よね?)

 きっと、冷静に、
「そういうのは迷惑だ」とか
「なんの冗談だ」とか言われてしまうかもしれない。

(バカだな、私。
 何を言おうとしてたの。
 こんな私を、椿くんが“そういう意味で”相手にするわけないのに……)

 胸の奥が、きゅっと痛んだ。

 答えが出せずに黙り込む美羽を、
 椿はじっと見つめている。

「……美羽?」

 その時だった。

「きゃあああああっ!!」

 近くで、悲鳴が上がった。

「っ!!」

「っ!?」

 ほぼ同時に、二人とも音のした方へ振り向いていた。

「ちっ、公園の方だな。」

 椿が低く言う。
 もう迷いなく走り出していた。

「ま、待って――!」

 美羽もすぐに後を追う。

 風を切る音と、心臓の音が重なっていく。
 夕焼けに染まる街の色が、どんどん赤く濃くなっていくように見えた。





 公園に着いた瞬間――息を呑んだ。

 砂場の前。遊具のそば。
 黒薔薇学園の制服を着た男子生徒が三人、
 地面に倒れ込んでいた。

 その周りを取り囲むように立っているのは、
 白い制服に百合と銀の竜の刺繍をあしらった不良たち。

 白い布地に、背中を覆う銀の登り竜の刺繍。
 どこか宗教画みたいな派手さと、不穏さを漂わせている。

 そして、その奥――

「莉子!?」

 ブランコの支柱に押さえつけられるようにして、
 莉子が不良たちに腕を掴まれていた。

 顔面蒼白で、それでもこっちを見つけて叫ぶ。

「椿くん!? 美羽!? 助けてぇっ!!」

「っ……!」

 美羽の足が凍りつく。

 椿はちらりと美羽を見て、状況を確認するように一言。

「あれは……お前のダチか」

「うん……! どうして莉子が……!!」

 絶望と焦りで、喉がひきつる。

 白い制服の男が、口の端を歪めて近づいてきた。

「おぉ? これはこれは、黒薔薇の“王”じゃねぇか。
 こんなところでお目にかかれるとはなぁ?」

 嘲るような声。

 椿の眉間の皺が、さらに深くなる。

 そして、美羽の前に一歩出て、押し戻すように後ろへ隠した。

「下がってろ、美羽。」

 その背中は大きくて、
 夕陽に照らされて黒いシルエットになっていた。

 椿は白い制服の不良を冷たく睨みつける。

「久しぶりだな、“白百合”。
 まだこんなくだらねぇことしてんのか?」

「白百合――?」

 美羽は聞き慣れない名前に、思わず呟いた。

 不良たちは、にやりと笑った。

「俺らは“白百合の王"の命令に従ってるだけだ。
 悪く思うなよ?」

 「白百合」という単語のあと。
 別の名前が、続いた。

「秋人さんの、な?」

 その名を聞いた瞬間、
 椿の瞳が大きく見開かれた。

「……秋人、だと?」

 握りしめた拳が震える。
 歯を食いしばる音が、僅かに聞こえた。

「何を言ってやがる。あいつは――」

「はははっ! なんも知らねぇんだなぁ? 黒薔薇はお気楽なもんだ!!」
 不良の一人が、わざとらしく肩をすくめてみせる。
「大層に女まで連れて歩いてよぉ。
 秋人さんは一年前に“復活”したぜ? ぴんぴんしてらぁ!」

「っ……」

 椿の肩がぴくりと揺れた。

 怒りなのか、驚きなのか、
 美羽にはわからない。

 ただ、その横顔から、
 今まで見たことのないほどの緊張が伝わってきた。

(秋人……? 白百合……なんの話?)

 名前だけが頭の中をぐるぐる回る。

 美羽は知らなかった。
 椿と“高城秋人”という男の過去も、
 黒薔薇と白百合が中学時代からやり合っていたことも。

 ただ、今、目の前にあるのは――
 倒れている黒薔薇学園の生徒三人と、
 泣きそうな顔でこっちを見ている親友ひとり。

「つ、椿くん……」

 弱々しく名前を呼ぶと、
 椿はほんの一瞬だけ、美羽に視線を向けた。

 それは、“大丈夫だ”と告げるような目。そして――
 “絶対に近づくな”と警告する目だった。

 白い制服の不良たちは、楽しげに笑う。

「まぁ、ここで会ったのも何かの縁だ。
 楽しくやり合おうやぁ!」

 ひとりが、勢いよく椿に殴りかかってきた。

 椿は一歩だけ体をずらし、その拳をかわす。
 相手の腕を掴み、体重を乗せて投げ飛ばす。

 ドスッ。

 地面に叩きつけられ、不良が呻き声をあげた。

「ぐっ……!」

 そのわずかな隙を狙って、別の不良が動いた。

「お嬢さんは眠っといてもらおうかぁ!」

 莉子を押さえつけていた男が、鳩尾に思い切り拳を打ち込む。

「うっ……!」

 莉子の身体が小さく跳ね、そのまま崩れ落ちた。

「莉子!!」

 美羽の叫びが、夕暮れの公園に響く。

 椿は舌打ちした。

「クソが……!」

 そして、鋭い声で美羽を制した。

「美羽! お前は手を出すな!!」

「で、でも!!」

 頭より先に、身体が前に出そうになる。

 しかし椿の声は、それ以上に強く、美羽を絡め取った。

「こいつらは全員、“過激武闘派”で有名な暴走族だ。
 少しでも気を抜いたら殺られる。
 お前は絶対に手を出すな!!」

 いつもより低く、鋭い声。

 その声に含まれた焦りと苛立ちが、
 逆にこの場の危険さをはっきりと示していた。

 白百合の一人が、ニヤリと笑って美羽の方を見た。

「そうだぜぇ、お嬢ちゃん。
 俺たちをナメちゃ困るよなぁ?
 黒薔薇のお高くとまってる奴らとは、喧嘩の“王道”が違うんだよ。」

 その目は、獲物を値踏みする獣の目だった。

 背筋に、ゾクリと冷たいものが走る。

(――怖い)

 心のどこかで、素直にそう思った。

 でも――

(早く……早く、莉子を助けないと……!!)

 恐怖と、焦りと、
 自分の中に眠る“もうひとつの顔”が、
 胸の奥で混ざり合っていく。

 握りしめた拳に、じわりと汗が滲んだ。

 椿の背中の向こうで、
 白い刺繍が、夕暮れに不気味な影を落としていた。
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