仮面のアイドルの正体は、記憶を失った少年だった 「記憶を失った少年が、“仮面のアイドル”として生きる運命とは――?」

第1章・Scene8 ファンの前の笑顔とその裏側

「宅麻くんー! こっち向いてー!」
「ありがとうっ、愛してるよー!」

歓声が飛び交う。
ライトに照らされたステージの上で、宅麻大地は完璧な笑顔を浮かべていた。

柔らかく整えられた明るいブラウンの髪が、照明を受けて艶やかに光る。
白いシャツの襟元は汗でわずかに濡れ、その上に羽織ったジャケットが光を反射して眩しい。

彼は右手を高くあげて手を振り、左手では「大地」とデコられたボードを拾い上げて見せる。
チェキ撮影では、自然な角度で身を傾け、肩を寄せ、“自分だけを見ているような笑み”を向けた。

その仕草に、ファンたちの頬がいっせいに赤く染まる。
そのすべてが――完璧だった。

言葉遣いも、表情も、距離の詰め方も。
アイドルとして研ぎ澄まされた“最上の振る舞い”。

ステージ袖からその様子を見守っていた優香は、ただ圧倒されていた。
けれど、同時に――なぜだか胸がざわついていた。

(すごい……でも、あの笑顔……)

どこか、冷たい。
美しくて、優しくて、ファンの心を掴むはずのそれが、なぜか“自分の中を通り抜けていく”ように感じた。

それは、演技のような、あるいは義務のような――そんな、表面だけの光。

ステージ中央の大地は、胸の奥で小さく呟いていた。

(……これが、俺のやるべきこと……?)
(拍手も笑顔も……全部、俺じゃない誰かに向けられてる気がするのに……)

イベントが終わる頃には、大地の顔に疲れの色はなかった。
けれど、楽屋へ戻るとき、彼は一言も発さず、笑顔のまま静かに歩いていた。

優香は先に控室のドアを開けた。
大地がその後ろから入ってきた瞬間、彼女の足が止まる。

彼は、まっすぐ鏡の前に立ち、無言のまま、じっと自分の姿を見つめていた。
数秒の沈黙の後――

彼の表情が、ふっと崩れた。

貼りついていた笑顔が溶けるように消え、目からは光が抜け落ちた。
まるで、魂だけが置き去りにされたような顔だった。

(……誰、これ……)

優香は息を呑み、動けなかった。
それは“宅麻大地”ではなかった。

けれど、それが“黒瀬蓮”だとも、まだ彼女は知らない。

ただ一つ、確かにわかったのは――
その笑顔の奥に、どうしようもない孤独があるということだった。

「……お疲れさまでした」
ようやくの思いで、優香が声をかける。

「すごく……素敵でした。全部」

彼は、少しだけ目を細めた。
けれど、そこには笑みはなかった。

「……ありがとう」

その言葉が、なぜか遠くに聞こえた。
優香の胸に、またあの痛みが灯る。

(この人は、どこに“自分”を置いてきたんだろう)

笑うたびに、少しずつ何かを削っているような気がした。
誰のために笑っているのか、どこまでが演技で、どこからが本音なのか――
そんなことも、本人さえ忘れてしまっているように見えた。

(……知りたい)

優しさでも、憐れみでもない。
その時、優香の胸に芽生えたのは、ただ静かな“衝動”だった。

(本当の“あなた”を、知りたい)

彼が笑っていないことに、気づいてしまったから。



 
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