仮面のアイドルの正体は、記憶を失った少年だった 「記憶を失った少年が、“仮面のアイドル”として生きる運命とは――?」
Scene8 揺れる記憶
握手を交わした手がそっと離れた瞬間、控室の空気がわずかに変わった。
璃子はそのまま、目の前の男――蓮をまっすぐ見つめる。
「……でも、本当に“初めまして”なのかしら」
静かな声だったが、その奥に確信めいた熱が宿っていた。
蓮の指先が、ふっとこわばる。
「……どういう意味ですか?」
平静を装うように返した声は、わずかに揺れていた。
「目、そらした」
璃子は囁くように言い、ほんの少しだけ前に踏み出す。
「あなたの目……あの頃と同じよ。全部隠そうとしてるのに、目だけが嘘をつけてない」
「……俺は“宅麻大地”です」
蓮は視線を逸らさずそう返すが、その表情には微かな迷いが滲んでいた。
「黒瀬蓮……覚えてないの?」
その名前を聞いた瞬間、心臓がどくんと跳ねた。
(また……その名前……)
優香の口からも、確かに聞いた。
でも、それは“かつていたアイドルの名前”であって、自分のものじゃない。
そう、何度も言い聞かせてきた。
……けれど。
胸の奥が、静かにざわつく。
頭の奥底で、何かが揺れ始めていた。
「……知りません。その人のことは」
蓮が言い切った瞬間、璃子は笑った。
けれど、それは切なさを滲ませた――挑発に似た笑みだった。
「じゃあ、教えてあげる。あの頃のあなたが、どんなふうに泣いて、どんなふうに私にすがったか」
「……やめてください」
「忘れたなんて、言わせない。あなたは、私に誓ったの。“トップになってやる”って――あの夜、震える声で」
蓮の胸に、何かが衝突したような感覚が走った。
「誰にも言えないって泣いてたよね。“もう無理だ”って座り込んだ夜……」
「……やめろ……」
「私が、肩を抱いてこう言ったの。“泣きたいなら、泣いていい。私だけが知ってればいいから”――忘れた?」
その言葉が、胸の奥に突き刺さる。
――暗いレッスン室。
――声が出なくなって、膝を抱えて震えた夜。
女の声が、やさしく響いた。
肩に触れた温度と、指先の細かな震え。
遠ざかっていたはずの記憶が、胸に逆流する。
「……っ……やめろ……!」
思わず、蓮は額を押さえた。
足元がふらつき、鏡台に手をついて支える。
「大丈夫……?」
璃子の声が届くが、蓮は聞こえないふりをした。
息がうまく吸えない。喉が焼ける。
逃げなければ――この場から。
このままでは、何かが壊れてしまう。
「……失礼します」
蓮は顔を伏せたまま立ち上がり、ふらつく足でドアに向かった。
その背に向かって、璃子が一歩踏み出す。
「待って! あなた、私を……」
けれど、蓮は振り返らない。
控室のドアを開け、まるで何かから逃れるように廊下へと歩き出した。
残された璃子は、ひとり静かに立ち尽くす。
――さっきまでの微笑みが、音もなく溶けていた。
璃子はそのまま、目の前の男――蓮をまっすぐ見つめる。
「……でも、本当に“初めまして”なのかしら」
静かな声だったが、その奥に確信めいた熱が宿っていた。
蓮の指先が、ふっとこわばる。
「……どういう意味ですか?」
平静を装うように返した声は、わずかに揺れていた。
「目、そらした」
璃子は囁くように言い、ほんの少しだけ前に踏み出す。
「あなたの目……あの頃と同じよ。全部隠そうとしてるのに、目だけが嘘をつけてない」
「……俺は“宅麻大地”です」
蓮は視線を逸らさずそう返すが、その表情には微かな迷いが滲んでいた。
「黒瀬蓮……覚えてないの?」
その名前を聞いた瞬間、心臓がどくんと跳ねた。
(また……その名前……)
優香の口からも、確かに聞いた。
でも、それは“かつていたアイドルの名前”であって、自分のものじゃない。
そう、何度も言い聞かせてきた。
……けれど。
胸の奥が、静かにざわつく。
頭の奥底で、何かが揺れ始めていた。
「……知りません。その人のことは」
蓮が言い切った瞬間、璃子は笑った。
けれど、それは切なさを滲ませた――挑発に似た笑みだった。
「じゃあ、教えてあげる。あの頃のあなたが、どんなふうに泣いて、どんなふうに私にすがったか」
「……やめてください」
「忘れたなんて、言わせない。あなたは、私に誓ったの。“トップになってやる”って――あの夜、震える声で」
蓮の胸に、何かが衝突したような感覚が走った。
「誰にも言えないって泣いてたよね。“もう無理だ”って座り込んだ夜……」
「……やめろ……」
「私が、肩を抱いてこう言ったの。“泣きたいなら、泣いていい。私だけが知ってればいいから”――忘れた?」
その言葉が、胸の奥に突き刺さる。
――暗いレッスン室。
――声が出なくなって、膝を抱えて震えた夜。
女の声が、やさしく響いた。
肩に触れた温度と、指先の細かな震え。
遠ざかっていたはずの記憶が、胸に逆流する。
「……っ……やめろ……!」
思わず、蓮は額を押さえた。
足元がふらつき、鏡台に手をついて支える。
「大丈夫……?」
璃子の声が届くが、蓮は聞こえないふりをした。
息がうまく吸えない。喉が焼ける。
逃げなければ――この場から。
このままでは、何かが壊れてしまう。
「……失礼します」
蓮は顔を伏せたまま立ち上がり、ふらつく足でドアに向かった。
その背に向かって、璃子が一歩踏み出す。
「待って! あなた、私を……」
けれど、蓮は振り返らない。
控室のドアを開け、まるで何かから逃れるように廊下へと歩き出した。
残された璃子は、ひとり静かに立ち尽くす。
――さっきまでの微笑みが、音もなく溶けていた。