鏡の中の偽証者
「そんなに警戒しなくてもいいんですよ」
「……はい」
そう言われても。
その言葉を聞いた瞬間、余計に警戒してしまった。
黒田先生は、そんな僕の様子を見て小さく笑った。
「相変わらずですね、ヒロさんは」
「……相変わらず?」
「いえ。何でもありません」
そう言うと、先生は僕の手から部室の鍵を受け取った。
「これ、返しておきますね」
「あ……ありがとうございます」
「どういたしまして」
鍵を受け取る。
それだけの短いやり取りなのに、僕の肩には妙な力が入っていた。
「それでは、気をつけて帰ってください」
「はい。失礼します」
踵を返す。
早くここから離れたい。
そんな気持ちが、自然と足を速めさせていた。
職員室を出て、廊下をしばらく歩いたところで――
「……ふぅ」
ようやく息を吐いた。
別に、何かされたわけじゃない。
それなのに、黒田先生と話した後はいつもこうなる。
(やっぱり、苦手だな……)
窓の外を見る。
夕暮れに染まった校庭には、まだ何人かの生徒が残っていた。
その中に、見覚えのある白い髪があった。
「……?」
目を凝らす。
校門へ向かう生徒たちの中で、ひときわ目立つ。
鏡夜ユキ。
転校してきたばかりの少女だった。
彼女は一人で歩いている。
その後ろ姿を見ていると、ふと朝の出来事を思い出した。
――よろしくお願いします。ヒロ……十七夜月ヒロさん。
「……」
名前を呼ばれただけ。
それだけなのに、どうしてこんなにも印象に残っているのだろう。
僕は自分でも不思議に思いながら、校門へ向かう彼女を目で追った。
すると――
ユキが突然、立ち止まった。
「……?」
こちらを振り返る。
まさか、気づかれた?
慌てて身を引こうとした、その瞬間。
ユキの視線が、僕ではなく校舎の奥へ向けられた。
そして。
ほんの一瞬だけ。
彼女の表情から笑顔が消えた。
「……?」
何を見ているんだろう。
僕もその方向へ視線を向ける。
そこには、先ほどまで僕がいた職員室がある。
「……黒田先生?」
思わず呟いた。
その瞬間だった。
ユキが再び僕を見る。
今度は、明らかに僕を見ていた。
「……!」
目が合う。
けれど朝とは違う。
その瞳には、驚きとも不安ともつかない色が浮かんでいた。
ユキは何かを言おうとした。
しかし――
「……」
結局、何も言わない。
そのまま踵を返し、校門の向こうへ消えていった。
「……なんだったんだ?」
僕は一人、廊下に取り残された。
翌朝。
「ヒロ、おはよー!」
「……おはよう、リツ君」
「なんだよ、その顔。寝不足?」
「ちょっと考え事してただけ」
「ふーん?」
リツは不思議そうに僕の顔を覗き込む。
「そういやさ、昨日の転校生」
「ユキさん?」
「そうそう。めちゃくちゃ話題になってるぞ」
「……そうなんだ」
「男子なんか、昨日の放課後ずっと騒いでたからな」
「……」
僕は隣の席を見る。
まだ誰もいない。
「でもさ」
リツが声を落とした。
「ちょっと変な噂もあるらしいぞ」
「変な噂?」
「ああ」
彼は周囲を確認してから、僕の耳元へ顔を寄せた。
「鏡夜って名字……聞いたことない?」
「……ないけど」
「俺も昨日初めて知ったんだけどさ」
リツはそこで言葉を止めた。
「転校してきた理由、誰も知らないらしい」
「……え?」
「担任も詳しく話してないんだって」
「でも、転校って普通そんなもんじゃない?」
「まぁな」
リツは肩をすくめる。
「ただ、一つだけ妙な話がある」
「何?」
「昨日、ユキが校門で黒田先生と話してたって」
「……」
胸の奥がざわついた。
昨日の光景が蘇る。
夕暮れの校舎。
黒田先生。
そして、何かを恐れるようなユキの表情。
「……偶然じゃないのかな」
そう言った僕の声は、自分でも分かるほど弱かった。
「かもな」
リツは興味を失ったように、自分の席へ戻っていく。
けれど僕は、しばらく動けなかった。
そのとき。
教室の扉が開いた。
「おはようございます」
聞き覚えのある声。
振り返る。
白い髪が、朝の光の中で淡く輝いていた。
「……鏡夜さん」
「おはようございます、ヒロさん」
彼女は微笑んだ。
昨日と同じ、優しい笑顔。
だけど。
その瞳が僕の隣にある席へ向いた瞬間――
ほんの少しだけ、揺れた。
「……?」
僕が不思議に思っていると、彼女は何事もなかったように席へ腰を下ろした。
そして、机の中へ手を入れる。
その瞬間。
「……っ」
小さな声が漏れた。
「鏡夜さん?」
彼女は慌てて手を引っ込める。
「大丈夫です」
「でも……」
「本当に、大丈夫ですから」
そう言って笑う。
けれど、その笑顔は昨日より少しだけ硬かった。
僕は何も言えなかった。
ただ、彼女の指に巻かれた新しい絆創膏を見つめていた。
昨日のものより、一つ増えている。
「……」
どうしてだろう。
僕はその絆創膏から目を離せなかった。
そして、このとき初めて思った。
――この転校生は、何かを隠している。
それはきっと。
僕の知らない、この学校のどこかに繋がっている。
そんな気がした。
「……はい」
そう言われても。
その言葉を聞いた瞬間、余計に警戒してしまった。
黒田先生は、そんな僕の様子を見て小さく笑った。
「相変わらずですね、ヒロさんは」
「……相変わらず?」
「いえ。何でもありません」
そう言うと、先生は僕の手から部室の鍵を受け取った。
「これ、返しておきますね」
「あ……ありがとうございます」
「どういたしまして」
鍵を受け取る。
それだけの短いやり取りなのに、僕の肩には妙な力が入っていた。
「それでは、気をつけて帰ってください」
「はい。失礼します」
踵を返す。
早くここから離れたい。
そんな気持ちが、自然と足を速めさせていた。
職員室を出て、廊下をしばらく歩いたところで――
「……ふぅ」
ようやく息を吐いた。
別に、何かされたわけじゃない。
それなのに、黒田先生と話した後はいつもこうなる。
(やっぱり、苦手だな……)
窓の外を見る。
夕暮れに染まった校庭には、まだ何人かの生徒が残っていた。
その中に、見覚えのある白い髪があった。
「……?」
目を凝らす。
校門へ向かう生徒たちの中で、ひときわ目立つ。
鏡夜ユキ。
転校してきたばかりの少女だった。
彼女は一人で歩いている。
その後ろ姿を見ていると、ふと朝の出来事を思い出した。
――よろしくお願いします。ヒロ……十七夜月ヒロさん。
「……」
名前を呼ばれただけ。
それだけなのに、どうしてこんなにも印象に残っているのだろう。
僕は自分でも不思議に思いながら、校門へ向かう彼女を目で追った。
すると――
ユキが突然、立ち止まった。
「……?」
こちらを振り返る。
まさか、気づかれた?
慌てて身を引こうとした、その瞬間。
ユキの視線が、僕ではなく校舎の奥へ向けられた。
そして。
ほんの一瞬だけ。
彼女の表情から笑顔が消えた。
「……?」
何を見ているんだろう。
僕もその方向へ視線を向ける。
そこには、先ほどまで僕がいた職員室がある。
「……黒田先生?」
思わず呟いた。
その瞬間だった。
ユキが再び僕を見る。
今度は、明らかに僕を見ていた。
「……!」
目が合う。
けれど朝とは違う。
その瞳には、驚きとも不安ともつかない色が浮かんでいた。
ユキは何かを言おうとした。
しかし――
「……」
結局、何も言わない。
そのまま踵を返し、校門の向こうへ消えていった。
「……なんだったんだ?」
僕は一人、廊下に取り残された。
翌朝。
「ヒロ、おはよー!」
「……おはよう、リツ君」
「なんだよ、その顔。寝不足?」
「ちょっと考え事してただけ」
「ふーん?」
リツは不思議そうに僕の顔を覗き込む。
「そういやさ、昨日の転校生」
「ユキさん?」
「そうそう。めちゃくちゃ話題になってるぞ」
「……そうなんだ」
「男子なんか、昨日の放課後ずっと騒いでたからな」
「……」
僕は隣の席を見る。
まだ誰もいない。
「でもさ」
リツが声を落とした。
「ちょっと変な噂もあるらしいぞ」
「変な噂?」
「ああ」
彼は周囲を確認してから、僕の耳元へ顔を寄せた。
「鏡夜って名字……聞いたことない?」
「……ないけど」
「俺も昨日初めて知ったんだけどさ」
リツはそこで言葉を止めた。
「転校してきた理由、誰も知らないらしい」
「……え?」
「担任も詳しく話してないんだって」
「でも、転校って普通そんなもんじゃない?」
「まぁな」
リツは肩をすくめる。
「ただ、一つだけ妙な話がある」
「何?」
「昨日、ユキが校門で黒田先生と話してたって」
「……」
胸の奥がざわついた。
昨日の光景が蘇る。
夕暮れの校舎。
黒田先生。
そして、何かを恐れるようなユキの表情。
「……偶然じゃないのかな」
そう言った僕の声は、自分でも分かるほど弱かった。
「かもな」
リツは興味を失ったように、自分の席へ戻っていく。
けれど僕は、しばらく動けなかった。
そのとき。
教室の扉が開いた。
「おはようございます」
聞き覚えのある声。
振り返る。
白い髪が、朝の光の中で淡く輝いていた。
「……鏡夜さん」
「おはようございます、ヒロさん」
彼女は微笑んだ。
昨日と同じ、優しい笑顔。
だけど。
その瞳が僕の隣にある席へ向いた瞬間――
ほんの少しだけ、揺れた。
「……?」
僕が不思議に思っていると、彼女は何事もなかったように席へ腰を下ろした。
そして、机の中へ手を入れる。
その瞬間。
「……っ」
小さな声が漏れた。
「鏡夜さん?」
彼女は慌てて手を引っ込める。
「大丈夫です」
「でも……」
「本当に、大丈夫ですから」
そう言って笑う。
けれど、その笑顔は昨日より少しだけ硬かった。
僕は何も言えなかった。
ただ、彼女の指に巻かれた新しい絆創膏を見つめていた。
昨日のものより、一つ増えている。
「……」
どうしてだろう。
僕はその絆創膏から目を離せなかった。
そして、このとき初めて思った。
――この転校生は、何かを隠している。
それはきっと。
僕の知らない、この学校のどこかに繋がっている。
そんな気がした。
