部長と私の秘め事
「今、その丸木さんって社食にいる?」
声を潜めて恵に尋ねると、彼女は周囲を見回す。
「んー……、……いないね。……っていうか、多分副社長は会食やら何やらしてるから、同行してるんじゃない?」
「あ、そっか」
納得した時、テーブルの下で恵がトンと足をつついてきた。
「朱里がこういう話に興味を持つのって、珍しくない?」
そう言われ、私は動揺する。
確かに私は今まで、社内ゴシップにまったく興味を示さなかった。
昭人と恵がいればいいというスタンスで生きていたので、基本的に会社の人に関心がなかったのだ。
「うーん……。……雲上人の恋愛事情ってどうなのかな? って気になって」
「恋愛事情」と聞いた恵は、私が昭人にフラれた事を思いだして苦笑いする。
「まだ田村を引きずってるのは分かるけど、傷が癒えたら次の人を探しなよ。傷付くのは恐いだろうけど、そろそろ婚活に本腰入れないとならない年齢だし、三十路なんてあっという間だよ」
「そうだね」
私は苦笑いして頷く。
今は尊さんと付き合うと決めたけれど、直前までは本当にどん底で、次の人を探す気力もなかった。
自分を恋愛体質とは思わないけれど、尊さんと出会って色んな事がパッと変わったように思えて、つくづく相性のいい恋人の有無は大きいなと感じた。
「そうだ、副社長のお母さんってどんな人か知ってる?」
「えー? やけに副社長に食いつくね。マジで狙ってるの?」
「そうじゃない。ロイヤルファミリーに興味があるだけ。いい物食べてそうだなって」
ギクッとした私は、とっさに変な言い訳をして誤魔化した。
恵はとくに深く詮索せず、知っている事を教えてくれる。
「社長夫人は経理部長だよ。数字に強いみたいで、仕事に関しては鬼厳しいとか。その分、社長からは絶対の信頼があるみたい。……まあ、なんでも経費で落とそうとする人からは、鬼ババ扱いだけど」
恵は小さい声で言って、クイッと顎をしゃくって窓際の席を示した。
「あの窓側の席、暗黙の了解で、経理部長と取り巻きの専用席になってる」
私は横向きに座り、スマホを弄るふりをして窓側をチラ見した。
「マダムたちが座ってるでしょ?」
「あぁ……、あの人たち……」
視線の先には、周囲と明らかに違う雰囲気のマダムがいた。
怜香さんとおぼしき女性は、パーマの掛かったボブヘアで、白シャツにジャケット、紺色のテーパードパンツを穿いている。
五十五歳らしいけど、まだ四十代半ばぐらいに見える。
近くに座っている三人は怜香さんに憧れているのか、似たような雰囲気だ。
「経理部の若い子はやりづらいみたいだよ。気に入られたら万々歳だけど、そうじゃないとキツいって」
恵はヒソヒソと言い、パスタの続きに取りかかる。
(あの人が尊さんに、速水の姓を名乗らせて……)
不自然に見つめてしまいそうなので、私はスマホをテーブルに置いてまた食事の続きに取りかかった。
「綺麗な奥様だけど、恐いんだね」
「まーね。金持ちの奥様なんてみんな綺麗で恐いでしょ。知らんけど」
恵と話ながら、私は自分に問いかける。
(……私は彼のために、何ができるんだろう)
私は心の中で呟いたあと、小さく溜め息をついた。
**
あれこれしている間に、あっという間に十二月の中旬になりかける。
尊さんは食事会になる前、ブランド物のワンピースやコート、靴一式を買ってくれた。
ブランド物と言ってもコテコテした物じゃなく、シンプルで上品な印象の物だ。
そして十二月三週目の週末、私は怜香さんと会う事になった。
(きんっっっっっちょうする!!)
食事会が開かれるのは、有楽町にある日本料理店だ。
尊さんと東京駅で待ち合わせした私は、クリスマスムード一色で浮かれた街を、ガチガチに緊張しながら歩いた。
「右手と右足が一緒に出てる奴、初めて見たな」
尊さんが私を見てボソッと呟くので、ハッとして立ち止まる。
「……なってました?」
緊張していたとはいえ、普通に歩けていたはずだ。
東京のど真ん中で変な歩き方をしていたなら、あまりにも恥ずかしすぎる。
「いや、嘘」
「はーい、針千本飲んでくださーい」
私はジト目になり、尊さんを肘で小突く。
「ホントやめてください。怒りますよ?」
「悪かったって」
彼氏になったからには、躾が大事だ。
「そう緊張するなよ。上辺だけの付き合いで済むなら、ニコニコしてればあっさり終わると思うけど」
「でも、結婚するんでしょう?」
「勿論」
「じゃあ……」
「キレるだろうな」
サラリと言われ、私はガックリ項垂れた。
「そうビビるなよ。結婚するって決めたから、一緒に立ち向かうよ」
「……商品開発部部長VS経理部部長ですか?」
「すげーな、ゴジラVSモスラみてーだ」
「ふざけてないで」
私はハーッと溜め息をつく。
「二人とも立場が悪くなりませんか? 社長夫人がお怒りになったら、言いなりになった社長から何か処分とか……」
「それはどうかな。俺もとっておきの切り札を用意してるし」
またこの男は、煙に巻くような事を言う……。
「……その〝切り札〟って大丈夫ですか?」
「かなり強力だよ。自信がある」
「……ならいいんですが……」
とはいえ、社長夫人をコテンパンに叩きのめし、強引に結婚したい訳じゃない。
確かに尊さんに旧姓を名乗らせ、部長職に留めているのは陰湿で腹が立つ。
でも将来は義母になる人だし、やっつけるんじゃなくて、可能ならヌルッとかわしてうまくやれたらいいんだけど。
そんな事を考えながら、私たちは予約している日本料理店へ向かった。
**
声を潜めて恵に尋ねると、彼女は周囲を見回す。
「んー……、……いないね。……っていうか、多分副社長は会食やら何やらしてるから、同行してるんじゃない?」
「あ、そっか」
納得した時、テーブルの下で恵がトンと足をつついてきた。
「朱里がこういう話に興味を持つのって、珍しくない?」
そう言われ、私は動揺する。
確かに私は今まで、社内ゴシップにまったく興味を示さなかった。
昭人と恵がいればいいというスタンスで生きていたので、基本的に会社の人に関心がなかったのだ。
「うーん……。……雲上人の恋愛事情ってどうなのかな? って気になって」
「恋愛事情」と聞いた恵は、私が昭人にフラれた事を思いだして苦笑いする。
「まだ田村を引きずってるのは分かるけど、傷が癒えたら次の人を探しなよ。傷付くのは恐いだろうけど、そろそろ婚活に本腰入れないとならない年齢だし、三十路なんてあっという間だよ」
「そうだね」
私は苦笑いして頷く。
今は尊さんと付き合うと決めたけれど、直前までは本当にどん底で、次の人を探す気力もなかった。
自分を恋愛体質とは思わないけれど、尊さんと出会って色んな事がパッと変わったように思えて、つくづく相性のいい恋人の有無は大きいなと感じた。
「そうだ、副社長のお母さんってどんな人か知ってる?」
「えー? やけに副社長に食いつくね。マジで狙ってるの?」
「そうじゃない。ロイヤルファミリーに興味があるだけ。いい物食べてそうだなって」
ギクッとした私は、とっさに変な言い訳をして誤魔化した。
恵はとくに深く詮索せず、知っている事を教えてくれる。
「社長夫人は経理部長だよ。数字に強いみたいで、仕事に関しては鬼厳しいとか。その分、社長からは絶対の信頼があるみたい。……まあ、なんでも経費で落とそうとする人からは、鬼ババ扱いだけど」
恵は小さい声で言って、クイッと顎をしゃくって窓際の席を示した。
「あの窓側の席、暗黙の了解で、経理部長と取り巻きの専用席になってる」
私は横向きに座り、スマホを弄るふりをして窓側をチラ見した。
「マダムたちが座ってるでしょ?」
「あぁ……、あの人たち……」
視線の先には、周囲と明らかに違う雰囲気のマダムがいた。
怜香さんとおぼしき女性は、パーマの掛かったボブヘアで、白シャツにジャケット、紺色のテーパードパンツを穿いている。
五十五歳らしいけど、まだ四十代半ばぐらいに見える。
近くに座っている三人は怜香さんに憧れているのか、似たような雰囲気だ。
「経理部の若い子はやりづらいみたいだよ。気に入られたら万々歳だけど、そうじゃないとキツいって」
恵はヒソヒソと言い、パスタの続きに取りかかる。
(あの人が尊さんに、速水の姓を名乗らせて……)
不自然に見つめてしまいそうなので、私はスマホをテーブルに置いてまた食事の続きに取りかかった。
「綺麗な奥様だけど、恐いんだね」
「まーね。金持ちの奥様なんてみんな綺麗で恐いでしょ。知らんけど」
恵と話ながら、私は自分に問いかける。
(……私は彼のために、何ができるんだろう)
私は心の中で呟いたあと、小さく溜め息をついた。
**
あれこれしている間に、あっという間に十二月の中旬になりかける。
尊さんは食事会になる前、ブランド物のワンピースやコート、靴一式を買ってくれた。
ブランド物と言ってもコテコテした物じゃなく、シンプルで上品な印象の物だ。
そして十二月三週目の週末、私は怜香さんと会う事になった。
(きんっっっっっちょうする!!)
食事会が開かれるのは、有楽町にある日本料理店だ。
尊さんと東京駅で待ち合わせした私は、クリスマスムード一色で浮かれた街を、ガチガチに緊張しながら歩いた。
「右手と右足が一緒に出てる奴、初めて見たな」
尊さんが私を見てボソッと呟くので、ハッとして立ち止まる。
「……なってました?」
緊張していたとはいえ、普通に歩けていたはずだ。
東京のど真ん中で変な歩き方をしていたなら、あまりにも恥ずかしすぎる。
「いや、嘘」
「はーい、針千本飲んでくださーい」
私はジト目になり、尊さんを肘で小突く。
「ホントやめてください。怒りますよ?」
「悪かったって」
彼氏になったからには、躾が大事だ。
「そう緊張するなよ。上辺だけの付き合いで済むなら、ニコニコしてればあっさり終わると思うけど」
「でも、結婚するんでしょう?」
「勿論」
「じゃあ……」
「キレるだろうな」
サラリと言われ、私はガックリ項垂れた。
「そうビビるなよ。結婚するって決めたから、一緒に立ち向かうよ」
「……商品開発部部長VS経理部部長ですか?」
「すげーな、ゴジラVSモスラみてーだ」
「ふざけてないで」
私はハーッと溜め息をつく。
「二人とも立場が悪くなりませんか? 社長夫人がお怒りになったら、言いなりになった社長から何か処分とか……」
「それはどうかな。俺もとっておきの切り札を用意してるし」
またこの男は、煙に巻くような事を言う……。
「……その〝切り札〟って大丈夫ですか?」
「かなり強力だよ。自信がある」
「……ならいいんですが……」
とはいえ、社長夫人をコテンパンに叩きのめし、強引に結婚したい訳じゃない。
確かに尊さんに旧姓を名乗らせ、部長職に留めているのは陰湿で腹が立つ。
でも将来は義母になる人だし、やっつけるんじゃなくて、可能ならヌルッとかわしてうまくやれたらいいんだけど。
そんな事を考えながら、私たちは予約している日本料理店へ向かった。
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