貴方と奏でる夜想曲 貴女に奏でる小夜曲
本日のコンサートは、あくまで入院されてる患者さんと、そのご家族に向けたもの。
通常、日曜の面会時間は14,時半からなのに、コンサートの開始が14時なのには理由があった。
「今日だけは面会時間がちょこっと増量サービスになるように、わざとそう設定しているんだよ」
白衣こそ着ていなくても、ニコニコ笑うクロカワの横顔は、やっぱり優しいお医者様で、私は尊敬の眼差しを向けた。
開始時間まであとわずか。
不思議とあまり緊張はしていない。
(やっぱりお守りのおかげ?)
コンサートといっても、ステージもない限られた空間で行われるため、お客様との距離が近い。
当然ながら舞台袖もなく、私は壁際に身を寄せつつ会場を見渡した。
ありがたいことに、席はどんどん前から埋まっている。
後方を見遣ると“記録係”の腕章をつけた瑠璃さんが、さっそくカメラを構えていた。
(真秀のために、あとで瑠璃さんに動画を共有してもらおう。あ、でも、松尾夫が手配済みかも?)
真秀はすごく来たがっていたのだけど、どうしても仕事があって。
皆さんに撮影等をお控えいただいている手前、私もスマホを出すのは難しいので、ほんとに瑠璃さんには感謝感謝。
さらに遠くへ視線をやれば、最近“(仮)”が取れたばかりの保阪妻が、ひっそりと旦那様を見守っているじゃあないの。
昼休憩でお話しさせていただいてから、保阪夫妻はすっかり私の箱推しで。
私はもう、仲良し夫婦の動向に興味津々。
二人ともお互いの視線に気づいて、微笑みあったりして、本当に仲睦まじいこと。
(なんか、やっぱり羨ましいな)
クロカワはどこかと思えば、もういい時間だというのに、進行役の先生とお話ししていて忙しそう。
「白石さん。どう? いい塩梅に緊張してる?」
私が不安そうに見えたのか、或いは淋しそうに見えたのか、西岡先生が声をかけてくださった。
「先生は、かなり余裕な感じですね」
先生とは通し練習のときに、けっこうお話しする機会があつて、気づけばこうして打ち解けていた。
今日のピアノでは、先生が私の譜めくりを、私が先生の譜めくりをすることになっている。
「俺がうっかり遅れても、白石さんは暗譜完璧なんで気楽だわ」
「それはこちらの台詞ですよ」
実際、私も西岡先生も暗譜は完璧なのだけど。
それでも楽譜を置いておくのは、それこそお守りがわりというやつで。
「二人とも何の話をしているの?」
ようやく解放されたクロカワが合流する。
「教えねえよー」
「西岡先生、意地悪したらクロカワが可哀想じゃないですか」
「ったく、仕方のない奴だな」
「ちょっと、可哀想な人認定とか仕方のない奴認定とかやめてよ……」
「それよかさ、圭介がおまえになんか頼みあるみたいだぜ」
「頼み?」
すると、濱島先生が何やら特殊なアイテムを持って早足でやって来た。
手に持っているのは――。
(野獣の角つきカチューシャ!?)
「何なのこれ?」
「野獣の角?」
「それっぽいよね」
「瑠璃から預かってきた」
「強引に持たされて来た、でしょ? 無理やりでも角つけてこいってさ」
「すまん……」
皆で瑠璃さんを見遣ると、案の定しっかりこちらにカメラを向けて、親指で「行け!」のサインを出している。
「僕がこいつをつけて弾けばいいわけ?」
「ものわかりがよくて助かるよ……」
かくして――。
「クロカワは野獣カチューシャを“装備”した!」
「黒川の“野獣味”が“0.4”あがった」
「クロカワの“可愛さ”が“100”あがった!」
「西岡もシライシも、楽しそうで何よりだね」
恨めしそうにしつつ笑うクロカワに、キャッキャ盛り上がる西岡先生と私。
ほっと胸をなでおろす濱島先生に、保阪先生と松尾夫は苦笑い。
「さて、そろそろ時間だな」
西岡先生の声がスイッチになり、メンバー全員にほどよい緊張が共有される。
進行役の先生の始まりのトークに、会場の空気も一気に変わった。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
楽器を持ったクロカワに並んで、気持ち呼吸を整える。
立ち位置へ向かう彼の背中を見送りつつ、私も後に続いてピアノの前に落ち着いた。
すぐ傍らには西岡先生がいてくださって、出番待ちの先生方が、少しだけ離れた位置から私たちを見守っている。
そして――音楽の時間が、静かに始まる。
クロカワの美しい音色を、西岡先生の素晴らしい編曲を、私たちの音楽を届けたい。
今日この日のために、こつこつ積み上げてきた技術と、重ねてきた想い。
すべてを余すことなく出し切って“終わり”たい。
でも――。
(この時間が、この愛おしい音楽の時間が、ずっとずっと続けばいいのに……)
本当は、終わりたくたい、終わってほしくない。
それでも、そんな淋しささえも力にして、精一杯に音を奏でる。
(私、音楽ではちゃんと、クロカワのパートナーになれていたかな……?)
彼と私、ビオラとピアノが織りなす、小さな恋の物語。
思い切り歌い上げたあとに訪れる温かな静寂。
そうして、音で紡いだ物語は静かに最後のページを閉じた。
(……終わっちゃった)
会場いっぱいに広がる温かな拍手。
ビオラ奏者がいち早くお辞儀をして、さらに皆さんに、ピアノ奏者への拍手を促す仕草をする。
(ご挨拶、きちんとしないと)
そうして、ピアノ奏者がビオラ奏者の隣に並んで、あらためて、ふたりで感謝のお辞儀をした。
クロカワはとてもとてもカッコいいのに、野獣カチューシャの存在感が凄すぎて。
感動と淋しさと、可笑しさと恋しさと、私はいろんな気持ちで泣き笑いしそうになるのを必死で堪えた。
すかさず進行のトークが入って、語りの間に次の曲の準備をする段取り、なのだけど――。
(クロカワ???)
向かい合うかっこうで私を見下ろしたかと思えば、彼は角つきカチューシャを徐に外して――。
(ええっ、ちょっ……クロカワ!)
あろうことか、私の頭に“装備”した。
進行役の先生は、お客様のほうを向いていて、背後の様子にきづかない。
トーク内容とは無関係に起こる、お客様のくすくす笑い。
そして、進行役の先生が状況を理解して、ひとこと。
「ハイ、野獣は無事に王子様に戻れたようですね」
会場がどっと沸き、クロカワはにっこり笑うと、しれっと持ち場で準備を始めた。
(もう、こんなの反則だよ……)
すごすごとピアノへ戻ると、すっかり準備を整えた西岡先生がくつくつと笑っていた。
「ウケる……」
(小声でも私には十分聞こえていますけど?)
それでも聞こえないふりをして、私は譜めくり係の仕事に集中しようとした。
行きがかり上、頭に角を生やしながら……。
(もう、野獣にされたヒロインは、いったいどうすればいいわけ?)
終わったら、ご褒美の催促と一緒に問いつめてやるんだから。
通常、日曜の面会時間は14,時半からなのに、コンサートの開始が14時なのには理由があった。
「今日だけは面会時間がちょこっと増量サービスになるように、わざとそう設定しているんだよ」
白衣こそ着ていなくても、ニコニコ笑うクロカワの横顔は、やっぱり優しいお医者様で、私は尊敬の眼差しを向けた。
開始時間まであとわずか。
不思議とあまり緊張はしていない。
(やっぱりお守りのおかげ?)
コンサートといっても、ステージもない限られた空間で行われるため、お客様との距離が近い。
当然ながら舞台袖もなく、私は壁際に身を寄せつつ会場を見渡した。
ありがたいことに、席はどんどん前から埋まっている。
後方を見遣ると“記録係”の腕章をつけた瑠璃さんが、さっそくカメラを構えていた。
(真秀のために、あとで瑠璃さんに動画を共有してもらおう。あ、でも、松尾夫が手配済みかも?)
真秀はすごく来たがっていたのだけど、どうしても仕事があって。
皆さんに撮影等をお控えいただいている手前、私もスマホを出すのは難しいので、ほんとに瑠璃さんには感謝感謝。
さらに遠くへ視線をやれば、最近“(仮)”が取れたばかりの保阪妻が、ひっそりと旦那様を見守っているじゃあないの。
昼休憩でお話しさせていただいてから、保阪夫妻はすっかり私の箱推しで。
私はもう、仲良し夫婦の動向に興味津々。
二人ともお互いの視線に気づいて、微笑みあったりして、本当に仲睦まじいこと。
(なんか、やっぱり羨ましいな)
クロカワはどこかと思えば、もういい時間だというのに、進行役の先生とお話ししていて忙しそう。
「白石さん。どう? いい塩梅に緊張してる?」
私が不安そうに見えたのか、或いは淋しそうに見えたのか、西岡先生が声をかけてくださった。
「先生は、かなり余裕な感じですね」
先生とは通し練習のときに、けっこうお話しする機会があつて、気づけばこうして打ち解けていた。
今日のピアノでは、先生が私の譜めくりを、私が先生の譜めくりをすることになっている。
「俺がうっかり遅れても、白石さんは暗譜完璧なんで気楽だわ」
「それはこちらの台詞ですよ」
実際、私も西岡先生も暗譜は完璧なのだけど。
それでも楽譜を置いておくのは、それこそお守りがわりというやつで。
「二人とも何の話をしているの?」
ようやく解放されたクロカワが合流する。
「教えねえよー」
「西岡先生、意地悪したらクロカワが可哀想じゃないですか」
「ったく、仕方のない奴だな」
「ちょっと、可哀想な人認定とか仕方のない奴認定とかやめてよ……」
「それよかさ、圭介がおまえになんか頼みあるみたいだぜ」
「頼み?」
すると、濱島先生が何やら特殊なアイテムを持って早足でやって来た。
手に持っているのは――。
(野獣の角つきカチューシャ!?)
「何なのこれ?」
「野獣の角?」
「それっぽいよね」
「瑠璃から預かってきた」
「強引に持たされて来た、でしょ? 無理やりでも角つけてこいってさ」
「すまん……」
皆で瑠璃さんを見遣ると、案の定しっかりこちらにカメラを向けて、親指で「行け!」のサインを出している。
「僕がこいつをつけて弾けばいいわけ?」
「ものわかりがよくて助かるよ……」
かくして――。
「クロカワは野獣カチューシャを“装備”した!」
「黒川の“野獣味”が“0.4”あがった」
「クロカワの“可愛さ”が“100”あがった!」
「西岡もシライシも、楽しそうで何よりだね」
恨めしそうにしつつ笑うクロカワに、キャッキャ盛り上がる西岡先生と私。
ほっと胸をなでおろす濱島先生に、保阪先生と松尾夫は苦笑い。
「さて、そろそろ時間だな」
西岡先生の声がスイッチになり、メンバー全員にほどよい緊張が共有される。
進行役の先生の始まりのトークに、会場の空気も一気に変わった。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
楽器を持ったクロカワに並んで、気持ち呼吸を整える。
立ち位置へ向かう彼の背中を見送りつつ、私も後に続いてピアノの前に落ち着いた。
すぐ傍らには西岡先生がいてくださって、出番待ちの先生方が、少しだけ離れた位置から私たちを見守っている。
そして――音楽の時間が、静かに始まる。
クロカワの美しい音色を、西岡先生の素晴らしい編曲を、私たちの音楽を届けたい。
今日この日のために、こつこつ積み上げてきた技術と、重ねてきた想い。
すべてを余すことなく出し切って“終わり”たい。
でも――。
(この時間が、この愛おしい音楽の時間が、ずっとずっと続けばいいのに……)
本当は、終わりたくたい、終わってほしくない。
それでも、そんな淋しささえも力にして、精一杯に音を奏でる。
(私、音楽ではちゃんと、クロカワのパートナーになれていたかな……?)
彼と私、ビオラとピアノが織りなす、小さな恋の物語。
思い切り歌い上げたあとに訪れる温かな静寂。
そうして、音で紡いだ物語は静かに最後のページを閉じた。
(……終わっちゃった)
会場いっぱいに広がる温かな拍手。
ビオラ奏者がいち早くお辞儀をして、さらに皆さんに、ピアノ奏者への拍手を促す仕草をする。
(ご挨拶、きちんとしないと)
そうして、ピアノ奏者がビオラ奏者の隣に並んで、あらためて、ふたりで感謝のお辞儀をした。
クロカワはとてもとてもカッコいいのに、野獣カチューシャの存在感が凄すぎて。
感動と淋しさと、可笑しさと恋しさと、私はいろんな気持ちで泣き笑いしそうになるのを必死で堪えた。
すかさず進行のトークが入って、語りの間に次の曲の準備をする段取り、なのだけど――。
(クロカワ???)
向かい合うかっこうで私を見下ろしたかと思えば、彼は角つきカチューシャを徐に外して――。
(ええっ、ちょっ……クロカワ!)
あろうことか、私の頭に“装備”した。
進行役の先生は、お客様のほうを向いていて、背後の様子にきづかない。
トーク内容とは無関係に起こる、お客様のくすくす笑い。
そして、進行役の先生が状況を理解して、ひとこと。
「ハイ、野獣は無事に王子様に戻れたようですね」
会場がどっと沸き、クロカワはにっこり笑うと、しれっと持ち場で準備を始めた。
(もう、こんなの反則だよ……)
すごすごとピアノへ戻ると、すっかり準備を整えた西岡先生がくつくつと笑っていた。
「ウケる……」
(小声でも私には十分聞こえていますけど?)
それでも聞こえないふりをして、私は譜めくり係の仕事に集中しようとした。
行きがかり上、頭に角を生やしながら……。
(もう、野獣にされたヒロインは、いったいどうすればいいわけ?)
終わったら、ご褒美の催促と一緒に問いつめてやるんだから。