引きこもり魔公爵は、召喚おひとり娘を手放せない!

5 話が見えない!

「……私に指を差し向けるとは、どう言う女だ。無礼者」
 シルヴァーフォレスト公爵は、突き出した美玲の指をさらりと払い退けた。
 声は冷たいが、態度は乱暴ではない。一応紳士なのだろう。
 しかし、紳士かどうかは今、美玲にとって大きな問題ではなかった。
「うるさいですわよ! つまり私は、あなたの妙な宣言のおかげで、無理くりこんなところに召喚されたってことですね! 十分怒る資格あると思いますけど!?」

 呼ばれて転生? 転移か? どっちにしても絵に描いたような、ラノベのテンプレ展開じゃないか!
 しかも正直私、テンプレあんまり好きじゃないのに!

 美玲は、本も漫画も映画も好きだが、どちらかというとジャンルに縛られない個性的な作品が好きだ。
 しかし、有名な作品はいくつか読んでいるので、まさしく今、自分が鉄板テンプレート的展開に陥っていることだけは理解できた。
 ──したくはなかったが。
「召喚……とは、高尚な言語を使うな。さすがは勤労少女だ」
「大きなお世話でありやがりますよ! いいから今すぐ元の世界に戻してください! このままじゃ職を失います。困るんです! 呼び出したんなら、戻すこともできるはずですよね! さぁ! 今すぐ! さぁさぁ!」
「……う」
「ちょっと……なんでそこで黙るんです!?」

 微妙な顔で視線を逸らした公爵に、美玲は思わず(すが)りついた。
「あなた、この世界の能力者なんですよね! 多分! いや絶対そういう設定でしょ!?」

 ああ、もうこれはラノベのテンプレチートというやつでは? ほら、乙女ゲームの世界に転生したとかなんとか。

「能力者かどうかは知らんが、我が血脈の男子は、時折妙な力を持つ人物が現れる」
「妙な力、ですか?」
「ああ。大体は取るに足らない力で、濁った水を浄化するとか、弱った生き物に精気を与えるとか、だ」
「いやいやいや! それってかなり有用な力じゃないですか!? めちゃくちゃ世の中の役に立ちますやん!」
「だが、記録によると、その力はかなり限定的で、いつ発動するかもわからないから、世に大きな影響を与えるほどではなかったらしい」
「つまり、海水を真水に変えるとか、瀕死の人間をぴんしゃんさせることは不可能だったと」
「そうだ。そして時が過ぎ、そのような力を持つ者も、あまり出現しなくなったはずなのだが……」
「なのに、なぜかあなたに出現しちゃったと!」
 美玲は叫んだ。これが叫ばずにいられようか。
「大声を出すでない。まぁ、そんな訳で、私は四代ぶりに出た力の保持者だ。約百年ぶりらしい」
 公爵は秀麗な額を傾けながら言った。
「……はぁ。で、今までにも、私以外の誰かを呼び出したりしたんですか?」
「ない」
 そこはなぜかキッパリ目の発言である。
「ないんですか」
「ああ。そもそも、異界があることすら初めて知った。今まで私の力は限定的な転移、つまりこの世界の何かを、この世界のどこか違う場所へ移動させるしか……」
 そこで公爵は再び口を閉ざしてしまった。
 長いまつ毛が閉ざされ、銀の髪が帷のように垂れ下がる。

 ああ、そうか。

 美玲はなぜか理解した。

 この人、過去に何かしでかしてしまったんだな。
 自分ではどうしようもない力で、不本意な結果を招いてしまったのかも。
 ──で、結局。

「つまり、私が戻れる方法もわからないと」
 公爵は俯いたまま首肯した。なんだか、銀色の蓑虫みたいだと美玲は思った。
「……発動がいつくるのか、私にもわからない。そもそも発動したのも八年振りだし……今まで移動させたものを戻せた試しもない」
「ぎゃー! またしてもテンプレ展開! 召喚されたら戻れないキタ——!」
「てんぷれ? それはなんだ?」
「こっちの言葉です。それにどうでもいいですから! でも私、本当に困るんです。それもすごく! なんとかなりませんか?」
「……努力はしよう。してみよう」
 涙目で訴える美玲に、さすがに感じる物があったのか、公爵は美しいまつ毛を伏せた。
「努力……ですか」

 ああ、私はこのまま、職を失ってしまうのかもしれない。
 せっかく資格試験に合格して、自分を養う力を得たのに!
 そりゃあ、お金持ちのおばさんにねちねち嫌味を言われたり、男尊女卑おじじ様に物凄い見下し発言されたりとか、色々理不尽なことはあるよ。
 でも安定した収入と、親にも誰にも邪魔されない、自分だけの居場所を持つことができたのに!
 異世界転生は、アニメとテンプレ小説だけで十分だっての!

 がっくりと項垂れる美玲を見下ろし、シルヴァーフォレスト公爵、リュストレーもまた困惑していた。

 確かにこれはどうしたことだ?
 八年振りに能力が発動したと思えば、書き出し中の物語の登場人物によく似た女が出現した。
 この私が他人──しかも女と会話している。
 王家から落籍(らくせき)し、この屋敷でひっそり一生を過ごすつもりだったのに。

 じじじじじ

 燭台のロウソクの火が尽きる音がする。
 元々使いさしのものだったので、燃え尽きるのも早いのだ。
 部屋は再びゆっくり暗くなっていった。
「とりあえず、こちらの状況を説明してくださいませんか? 公爵様、ここはどんな国なんです?」
「申したように、ここは銀獅子国。青の大陸の北方にある国だ。さして大きくはないが、取り立てて貧しくもない。とりあえず今のところ平和な国である」
「はぁ。なんだかウチの国と似ていますね」
「もっとも私はここ数年、国の内外の様子はほぼ知らんが。この屋敷は、都からも馬車で一日の距離がある」
「道理で辺りが暗いと思った。公爵様って、都の豪華なお城に住んでるもんだと思ってました」
 貴族のお屋敷なんて物語以外では知らないが、美玲の好きな漫画やライトノベルでは夜会があったり、召使いが居並ぶ貴賓室があって、夜でも明るく飾られていたイメージが強かった。
 しかし、この部屋の雰囲気は格調は高そうだが、暗くて乱雑だ。
 何より人気がない。部屋はともかく、これだけ騒いでいるのに、召使いも入ってこない。

 いやこれは、私が日本のライトノベルしか知らないからだけども!

「私にも色々事情があってな。ここには誰も来ないし、この屋敷にも最低限の召使いしかいない」
 リュストレーは面白くもなさそうに天井を見上げる。
「私は人間が嫌いなのだ」
 唐突に彼は語り出した。
「社交界の人間が、特に女が嫌いだ。話すことも嫌で、ここにいる召使い達は、常に私の見えないところで仕事をしている」
「……えっとでも、さっきから私たち、めちゃくちゃ喋ってますけど」
「まぁ、それはそなたの出現の仕方がその……アレだったから、仕方がない。なにしろそなたは、私の作成していた小説の設定から突然現れたのだから」
「……それは嫌な現れ方ですね。すみません」
 美玲も驚いたが、リュストレーもさぞ驚いたことだろう。
「しかし、そなたとはなぜか気兼ねなく話せる。私が名づけたからかもしれない、ミレ」
「いや、名づけたのは親ですけど」
 ミレじゃなく、美玲だと訂正するのはもうやめた。
 外国人(?)には発音しにくい音があるのは知っている。それに、学生時代のあだ名はミーだった。別に違和感はない。
「ともかく。ミレ、お前はしばらくここにいるように」
「ここって、このお屋敷にですか?」
「そうだ。執事に言って部屋など準備させるがいい。部屋は私の隣がいいな」
「って! 会ったこともない執事さんに私が、言うんですか? それってすごい不審者じゃないですか! てか、いるんだ執事さん!」
「いる。私が直答を許す数少ない使用人だ。彼に私がそう言ったと言えば大丈夫だ。ミレには私の小説の手助けをしてもらう。そのうちに帰し方も見つかるかもしれない」
「……それって、公爵様だけが得をしていません?」
「リュストレー」
「は?」
「言ったろう? 覚えが悪い女だな。私の名はリュストレー・モリスだ。そなたには特別に名を呼ぶことを許す。そして、常に私の傍にいるがいい」
 そう言って公爵──リュストレーは、ぐいとその顔を美玲に近づけた。
 輝く銀髪に縁取られた壮絶な美貌。奥行きの深い同色の瞳。薄い唇。

 ああ、この人は──似ているのだわ。
 子どもの頃、私が毎晩思い描いて憧れた、夢の王子様に。
 クソ親父に殴られても、ダメ母がそれを見て見ぬ振りしても、長い金髪を翻して、泣いている私を迎えに来てくれる、優しくて素敵な王子様……。
「ミレ、返事は?」

 刹那の妄想に取り憑かれた美玲は、自分が頷いていることに気がついていなかった。

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