推しが壁から出てきたので共に暮らします~最後の夏、最高の君と秘密の同居〜

さよならの満月

満月を、こんなに恨んだことはあっただろうか。

高瀬くんとの最後の一ヶ月は、驚くほどあっという間に過ぎていった。
明日には月が完全に丸くなる、そんな夜更け。
私たちは、リビングのソファに並んで腰掛けていた。

「本当に、最後だね」
「ああ、そうだな」

もう一つの発動条件――『私が仕事で落ち込むか、ひどく疲れる』。
明日、それが上手くいくかは分からないけれど、とにかくがむしゃらに業務をこなせば疲れはするはずだ。
向こうの世界では、もう別の地域で地方大会が始まっている。
絶対に、失敗は許されない。

私が不安で身を固くしていると、高瀬くんが立ち上がり、一人でベッドに腰掛けた。
そして、自分の隣のスペースをぽん、と優しく叩く。

「夢乃、来て」
「……うん」

一緒に眠るのは、これで二度目。
そして、これが最後。

ベッドに横たわると、高瀬くんが私の髪の毛にそっと指を通した。
その優しい感触が心地よくて、私はゆっくりと目を瞑る。

初めて一緒に寝た夜とは、違っていた。
高瀬くんが、まっすぐ私の方を向いている。
その気配に気づいてそっと目を開けると、薄暗い部屋の中で、高瀬くんが私をじっと見つめていた。

「夢乃」

寝る前の、少し掠れた低い声。
常夜灯に照らされた彼の顔は、今までに見たことがないくらい、緊張に満ちていた。

(最後になって、初めて知る顔があるなんて……)
たまらなく切なくて、胸がキリキリと痛む。

差し出された彼の手に向かい合わせるようにして、そっと指先を絡ませた。
下からきゅっと握り込むと、高瀬くんの手のひらにぐっと力がこもる。

「夢乃、ありがとう。俺、絶対優勝するから」
「うん。……ずっと、見てるね」
「その頃には、違うやつにハマってましたとか、絶対やめろよ?」
「ないよ。……だって、私の神様だもん」

布団の中で、二人はくすくすと静かに笑い合う。
こんな何気ないやり取りすら、もうすぐできなくなってしまう。

高瀬くんの声が好き。
男の子らしい少し低い声も、野球の話をするときの真剣な声も、全部。
(ああ……カラオケ、一緒に行ってみたかったな。キャラクターソングの『空』、生で聴いてみたかった……)

高瀬くんの笑顔が好き。
綺麗な切れ長の目を、惜しみなくくしゃっと細める、元気いっぱいの笑顔。
(ああ……もっと、たくさん写真を撮っておけばよかったな)

高瀬くんの料理が好き。
彼が作る半熟卵のオムレツが特に美味しくて、毎日おねだりしちゃったっけ。
(明日からは、私、何を食べて生きていけばいいんだろう……)

やり残したことがないようにって、この一ヶ月を大切に過ごしてきたはずなのに。
いざ最後の夜を迎えると、止めどなく後悔ばかりが押し寄せてくる。

だけど。
数え切れないほどある「好き」の中で、私が一番強く思うのは。

高瀬くんの、夢が好き。

いつだってまっすぐ前だけを向いて、夢を追いかけるその姿勢が、たまらなく愛おしい。
時に不安に駆られて、挫けそうになっても、絶対に諦めないところが大好き。

(高瀬くんが、好き――)

その瞬間、高瀬くんが布団の中で私の肩をそっと引き寄せた。
子犬一匹分が入るくらいに空けられた、切ない隙間。
私はねだるように、彼のワイシャツの裾をぎゅっと掴んだ。
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