黒鴉の花嫁 ―京都弁極道に愛され過ぎて夜しか眠れない!!―
1.始まりは常に騒がしいものである
ジリリリ、ジリリリリリッ────。
表示された数字が点滅し、けたたましい機械音が響き渡る。時間は六時半を示す。
閉められたカーテンが隙間風でゆらゆらと揺れ、陽射しが顔を照らしていく。
しかし、重い瞼はピクリとも動いてはくれなかった。むにゃむにゃと口先から盛れるのは定型文である。
「あと、五分……五分だけぇ……」
そう言って掛け布団に潜り込み、浅くなった眠りから再び深い深い眠りへと落ちていこうとしていた所。
電子音よりもけたたましい音が部屋中に響き渡った。部屋のドアを開けたのはボブヘアの少女である。
可愛らしいピンクのインナーカラーの髪がさらりと風に舞う。
既にセーラー服に身を包み、しかめっ面の少女はすぅ、と息を吸うと勢い良く怒号を部屋中に響くように吐き出す。
「おねえええええっ!! 朝ああああああっ!! 起きて!! 目覚まし!! うるさあああああい!!」
「ふぁい……?」
少女の怒号とは真逆に、何とも間抜けな声が盛りあがった布団から盛れた。それと同時にだらんとベッドから零れるように手が垂れ下がる。
ベッドの主は起きる気配はないようだ。
はぁ、と怒りを込めた溜息と共に少女はドスドスと足音を立てながらベッドに近づいて行く。
そして未だに鳴り響く目覚まし時計を勢い良く止めると容赦なく掛け布団を引き剥がした。
ふわふわとした掛け布団は無惨に床に投げ捨てられてしまう。
ベッドの上にはみのむしのように身体を丸める女性が一人。ミディアムヘアはボサボサでパジャマでは無く、黒のジャージで寝ている姿に少女は再び深くため息を吐いた。
「おっねっえぇぇっ!! いい加減起きないと、仕事遅刻するよ!! 何回繰り返せば気が済むの!?」
「あと五分………」
「ふっざけんな!! 起きろ!!」
口では怒りを滲ませているが、少女の手つきは優しい。女性の身体を起こすと、ふんっと鼻を鳴らす。
「ほら、起きて! 朝ご飯もうできてるよ! 着替えて!」
そう言って少女はクローゼットを開く。中は綺麗に整理整頓されていた。少女は慣れた手つきでハンガーにかけてあるオフィスカジュアルな上着とズボンを手にする。
それをベッドの上に置く。これが彼女の習慣である。
「柚ぅ………っ、あと五分だけぇ……っ」
「仕事遅刻するって言ってんじゃん! なんでおねえはいつもいつもギリギリなの!?」
「うぇーん、柚が怒るぅ……」
「高校生の妹にいつまでも起こしてもらうって、おねえ情けなくないの?」
「柚はいい子だなぁ~」
「プライド低っ!!」
柚と呼ばれた少女は呆れたようにベッドの縁に座る。ほら、早く着替えて、と急かされる女性は口をむぅと尖らせながらもジャージの上をのそのそと脱いでいく。
女性の名は 白瀬 楓花 今年で23歳。
とある製薬会社の事務に務める、ちゃんとした社会人である。
彼女の朝はしっかり者の妹、白瀬 柚希(愛称は柚)・高校1年生に起こされてから始まるのだ。
楓花が着替えている間、柚希はカーテンを開き、換気のために窓を開けた。外からは心地の良い空気が流れ込んでくる。
寝ぼけ眼でオフィスカジュアルの服に袖を通した楓花に柚希は近くにあった椅子を叩く。
手には髪を梳かすブラシが握られている。
「ほら、こっち来て。おねえ、せっかく綺麗な髪してるんだから、ちゃんとお手入れしなよねー」
「ありがとー……でもまだ眠いぃ……」
「また夜更かし? 程々にしなってあれだけ言ってるじゃん」
「そうなんだけど、ドラマの続きが気になってさぁ」
「ほんっと、おねえはそういうの好きだね」
たわいのない話をしながら柚希は楓花の髪を綺麗に整えていく。そしてブラシを机に置き、「ほら、完成!」と、楓花の肩に手をポンと叩いて再び眠りの沼に引きずり込まれそうになっている姉を現実へと引き戻した。
「いつもありがとうね、柚」
「あくびしながらお礼言わない」
ふぁ~っと大きな欠伸をしながら楓花は椅子から立ち上がって近くに置いてある全身鏡で身なりを確かめる。
柚希は大きなため息を零しながらも横目で楓花を見つめて困った顔をしつつ、口元は緩んでいた。
「そろそろ朝ごはん食べないと遅刻するよ」
「ふぁーい」
「シャキッとする、シャキッと!」
「はーい」
柚希にぴしゃりとお叱りを受けながらも楓花はテーブルに置いてある丸い飾りが付いているヘアゴムを腕に付ける。それは子供が付けるようなヘアゴムで大人である楓花には不釣り合いだ。
それを見て柚希は呆れたように楓花に言う。
「おねえ、もういい加減それ捨ててよ」
「やーだよ。これは柚希が誕生日にくれたものだもんー」
「小さい頃でしょ!! もういい大人なんだし、 使うの止めてよ! 新しいの買ってあげるから!!」
顔を真っ赤にして柚希が抗議するが楓花はニィッといたずらっ子のように笑みを見せた。
「絶対にやーだ。だってこれは柚希がお手伝いして、一生懸命選んでくれた、私の宝物だもん」
「うぐぐ………もう、おねえったら……」
嬉しそうに笑う姉に柚希はいつも何も言えなくなってしまう。
姉である楓花は柚希がプレゼントしたヘアゴムをいたく気に入っていて気合いを入れる時や休みの日に、前髪が邪魔だからと言って、伸びた髪を1つ結びするのではなく、頭頂部の髪だけをひと束に結んだ独特のヘアスタイルをするのだ。
本人曰くこれが一番のお気に入りらしい。我が姉ながら変わってると思う。しかし、何を言っても楓花は自分の意見は曲げやしないので柚希はいつも意味のない抗議だけで終わってしまうのだ。
そんな柚希の不満などそっちのけで楓花はうーん、と背伸びをしてまた笑う。
「じゃ、朝ごはん食べに行こっか」
「……おねえのせいで冷めてたら怒るからね」
「その時は一緒に冷めたご飯食べようー」
そんなマイペースな返事が返ってくる。けれど柚希はそんな姉である楓花が結局大好きなのである。
服にも無頓着でおしゃれにも興味のない楓花といつかお揃い姉妹コーデするのだとおしゃれ好きな柚希は誓うのであった。
(………おねえって恋人とかできるのかな、こんなんで。いや、おねえは元はいいけど!! 最高に可愛いけど!! ろくな男におねえはやらないんだから!!)
そんな妹の不安を他所に楓花はまた大きな欠伸をするのだった。
※※※※
「白瀬さーん、お昼行っていいよー」
「はーい!」
妹のお陰で今日も無事に出社出来た楓花は午前中は書類の整理をこなしていた。慣れている作業だったので淡々と進めていたら、先輩から声がかかる。
気づけばお昼休憩の時間のようだ。楓花の勤める部署は事務員や営業の人間が入り交じる少し大きめの場所である。それぞれ、休憩時間も違うし、まだまだ新人の部類である楓花にお昼休憩の決定権はない。
内心、やったー!お昼だー! とウッキウキで楓花は書類とパソコンをそっちのけで引き出しに入れてあった小さなミントグリーンの財布を取り出す。
「外行ってきまーす!」
「行ってらっしゃい、気をつけてね」
「はーい!」
自分よりも十も違う歳上の先輩が優しく声をかけてくれ、楓花もそれに返す。部署を出て、偶然にもエレベーターは止まっていて楓花は1階へのボタンを押して開かれたドアの中に駆け込んだ。エレベーターの中は楓花だけであった。
いつもならお昼休憩の時間はごった返しているのだが、今日は忙しいのか、人が少ない。
ついてるな~と楓花はふんふふーんと鼻歌混じりの声を漏らす。チン、と到着の音が鳴った。ゆっくりと開かれたエレベーターを出て会社の出入口から外へと出ていく。
今日は雲1つない青空だ。日差しも暖かく過ごしやすい。楓花は行き交う人々の合間をぬって目的地へと向かう。
それは最近ハマっているカフェが併設されているパン屋である。そこの珈琲と明太子フランスパンが特にお気に入りでここ毎日昼休憩になると入り浸っていた。
会社から徒歩5分と言う最高の立地である。少し長居しても走って2~3分で帰れるとこも気に入っている。
楓花は手にスマートフォンと財布を手に歩いていると横断歩道の信号に捕まってしまった。しかしここはすぐに信号は切り替わるので特に気にもせずに待つ。ザワザワと周りの雑音を聞きながら楓花は、ぼんやりと信号を見つめていた。その数秒後、信号は青に切り替わる。
一斉に周りの人々が歩き出す。それに数歩遅れて楓花が横断歩道を歩き出した。
向かい側からも大勢の人々がこちら側に歩いてくるのが見える。その中で歩きながらスマートフォンで通話をしている男性の姿が目に入った。
「ん、だからそうじゃないやろ。そこはもっときちんとせえや」
聞きなれない話し方が楓花の耳に入る。関西弁?だろうか?テレビでしか聞いた事無いな、なんて思ってその男性の横を通り過ぎようとした時だ。
ドンッ。
少し鈍い痛みとカランと何かが落ちる音が同時に響いた。楓花は一瞬、何が起きたか分からなかったが視線が下に向いた。地面に黒のスマートフォンが1つ転がっていた。ああ、ぶつかったんだなと楓花は漠然と思った。
反射的に拾い上げるとぶつかったであろう男に向き合う。
視線が男と合う。男の服装は黒のスーツにワインレッドのシャツと言う何だか普通のサラリーマンとは違ったものだ。
普通は白とかじゃないのか? まあ、今は多様性の時代だし、と楓花は思考を切り替えた。
男の黒髪が右目だけ前髪で隠されている。左目は青い瞳をしていた。それも眼鏡越しなので良くは見えないが。
「これ、落としましたよ」
楓花はぶつかったことには何も言わず、スマートフォンを男に差し出す。自分がぶつかったつもりはないので謝るつもりはない。歩きスマホしてるのが悪い。そんなスタンスだ。
そんな楓花に男は瞳を一瞬だけ見開いたが直ぐに、へらりと人の良い笑みを浮かべてスマートフォンを受け取った。よく見たら目鼻立ちが整っていて所謂男前というような顔立ちをしていた。
「すまんなぁ、お嬢ちゃん。ありがとう」
「別に良いですけど歩きながらスマホするの危ないですよ」
愛想の良い笑みを向けられても楓花は特に何も思わなかった。平然とその愛想の良い笑みに笑みも返さず、ただ淡々と受け流す。
頭の中は珈琲と明太子フランスパンの事しかないし、昼休みは限られているのだ。こんなことで時間を食う暇はない。
楓花の淡々とした態度に男は首を少し捻るような仕草をするが、スマートフォンも拾って手渡したのだからもう用はない。
「それじゃあ、これにこりたら歩きスマホ止めましょうねー」
「あ、ちょっ……」
男の声を無視して楓花はチカチカと信号が赤へ変わろうとする横断歩道を渡っていく。振り返りもせずにただ目的地のパン屋へ向かうのみである。
その後ろ姿を呆然と見送っていた男だが、まだスマートフォンの通話は終わっていなかったようでガヤガヤと音を奏でていた。直ぐに耳元にスマートフォンを当てると相手方の声が聞こえる。男は赤になった横断歩道をゆっくりと歩いていく。
「ああ、すまんすまん。ちぃっと人とぶつかってもうてな。大丈夫や、心配せんでええ」
車がプーッと威嚇するように音を鳴らす。男はチラリと車の方へ静かにそして冷たく視線を向けた。その冷えた視線に車の中にいた人間はクラクションを鳴らすのを止める。
しかし、これじゃ邪魔になると横断歩道を渡り終えて男は後ろを振り返る。その視線の先には楓花が居た。急いでるのか、歩いてたのが少し小走りになってるのを見て、男はフッと笑う。
「車はまだええ。ちっとばかり、寄り道するわ。また連絡するわ」
男は早々と電話の通話を切る。相手はまだ何か言っていたがどうでもいいとスマートフォンを胸ポケットにしまう。今渡り終えた横断歩道の信号が変わるのを待つ。
チラリと青い瞳に映るのは楓花のみだった。
ニヤッと男の口元があがった。