前世で死に別れた忍者に、現代で溺愛婚を申し込まれました

新しい家でみかんを食べる日

『景虎、見て。みかんを貰ったの。ひとつ、あげるわ』
『ありがとうございます』
『一緒に食べましょう』
『姫様、剥き方が猿みたいですね』
『わ、笑わないで!』
『くっ、失礼しました』

 雅姫と景虎が出てくる夢を見て、ぱちりと目を覚ました。
 今日見た夢もまた、幼いころのものだった。

(微笑ましい夢だったな……)

 ふふっと笑いながら手を伸ばすと、肌触りの柔らかいシーツを感じた。驚いて思わず体を起こす。

「え……ここは?」
 
 目に入ったのは、陽光を浴びた日本庭園だった。
 
 苔が瑞々しく地面を覆い、白樺(しらかば)の葉がひらりと落ちている。石灯籠(いしどうろう)や敷石が整然と配置され、まるで高級旅館の庭のようだった。
 部屋を見渡すと、和風モダンの広々とした空間で、寝ていたベッドはキングサイズ。非日常の光景に、呆然と見入ってしまう。

(あれ……わたし、昨日の夜……どうしたっけ?)

 確か日向様の車の中で寝てしまって、起こされて飛行機に乗った記憶はある。空港に降り立って、日向様の車に乗って。そこから記憶が途切れている。

(ここは……旅館?)
 
 辺りを見渡していると、廊下から丸くて平たい黒い物体が入ってきた。

(え?)

 ベッドから身を乗り出し、それを観察した。
 誰に指示されるでもなく、床拭き掃除をして隅々まできれいにしていく。お掃除ロボットだろうか。ロボットは掃除を終えると、そっと部屋を出て行った。

「どこへ行くのかしら……?」
 
 わたしはベッドから出てロボットの後を追った。
 
 次は廊下の掃除をしているらしい。
 よく働くと感心して見入っていると、違う部屋に入っていた。
 
 そこはリビングダイニングだった。
 掘りごたつ風のテーブルがあり、奥には銀色に輝く広々したキッチンと大きな冷蔵庫がある。
 お掃除ロボットは部屋の一角に吸い込まれるように入り、停止した。
 好奇心で近づくと、奥の扉が開き、日向様が現れた。
 後ろに整えられていた髪は下ろされ、昨日より穏やかな雰囲気だ。何よりも藍色の着物姿で現れたから、一瞬、景虎かと思いドキリとした。

「掃除ロボットに興味があるのか?」
 
 問いかけられはっと我に返り、慌てて姿勢を正す。

「はい……初めて見たので、なんだろうと思いました。とても丁寧に掃除していて、魔法のようでした」
「魔法はいいな。俺は魔法使いか」
 
 彼はくすくすと楽しそうに笑った。

「昨日はよく眠れたか?」
「はい……おかげさまで……」
「それは良かった」
 
 わたしは緊張して小声で尋ねた。

「あの……ここは旅館ですか?」
「いや、俺の家だ」
「ご、ご自宅……」
「とはいえ、普段は寝に帰るだけだけどな。今日から自由に使ってくれ」
 
 突然の申し出に驚きつつも、彼の目の優しさに素直に頷いた。
 
「ありがとう存じます」
「遠慮はいらないからな。ここならセキュリティも万全だ。風呂に入るか?」
「えっ……」
「さっぱりした方が疲れも取れるだろう?」
 
 彼の言葉に頷くと、壁のボタンを操作し、わたしに言う。

「十分待っていてくれ」
 
 その意味は、十分後に分かった。
 
 彼に案内され、日本庭園を望む廊下を歩く。

(どの部屋からも日本庭園が見える造りなんだ……)
 
 大きな窓ガラスは曇りひとつなく、冬でも廊下は暖かい。脱衣所には、女性用の浴衣が整然と用意されていた。
 
(し、下着まである……)
 
 下着を前に固まっていると、日向様が飄々と言った。
 
「ああ、用意したのは俺じゃない。エステに行ったときに、スタッフに予備を渡されていたんだ」
「そうだったのですね……ありがとう存じます」
 
 頭を下げると、日向様は微笑みながら「ごゆっくり」と言って去っていった。

(浴室から日本庭園が見える……旅館みたい)
 
 檜の浴槽にはたっぷりとお湯が張られていた。ガラス越しに日本庭園が見え、葉の揺れる音まで聞こえてきそうだ。
 湯船に手を入れるとちょうどいい温度だった。

(入ったら、気持ちよさそう。使わせてもらおう)

 恐縮しながら服を脱ぎ、浴槽に浸かると、暖かさが体を包んだ。

(家なのに、露天湯船に浸っているみたい……気持ちいい)

 じんわりと温かさが体にしみて、とろんと瞼が落ちた。

(……すごい贅沢)

 お湯船を満喫した後は、浴衣に袖を通し、しずしずと居間に戻った。
 
「お風呂をありがとう存じます」
 
 日向様は目をぱちぱちさせて、座布団から立ち上がりわたしに近づく。まだ少し濡れた髪や、しっとりした肌を見て、日向様は笑んだ。
 
「湯上りは艶っぽいな」
 
 視線の熱さにうつむきながら、どうしても気になることを尋ねた。

「あの、お風呂掃除は……」
「ん?」
「檜でしたし……すぐ掃除をした方がいいのかご相談を。掃除道具はどこにありますか?」
 
 日向様は少し面白くなさそうに目を据わらせた。

「まあ……すぐ掃除したほうがいいが」
「やっぱり、よく乾燥させた方がいいんですか?」
 
 両手を叩いて無邪気に言うと、彼はため息をこぼした。

「……距離を詰めるのは、なしか」
「日向様?」
「なんでもない。道具は脱衣所にある」

 脱衣所に戻り、掃除の仕方を教えてもらった。ぬめりを落とし、よく乾燥させれば充分とのこと。

(よし、綺麗になったわ)

 顔を上げると、窓越しに青空が広がる。雲一つない快晴だった。

 ダイニングに戻ると、日向様がキッチンに立っていた。
 土鍋を木べらでかきまぜている。日向様が火を止め、わたしに向かって言う。

「初音、小腹が空かないか? もう昼だ」
 
(そういえば、何も食べないで寝ちゃったわ……)

 おなかをさする。きゅるっと情けない音がして、慌てて両手でおなかを抑えた。

「おじやを作った。一緒に食おう」
「はい。あ、お手伝いします」
 
 土鍋がテーブルに置かれる。彼が手ぬぐいで取っ手を押さえ、蓋を開けると湯気がほこほこと立った。

「わあ……」
 
 優しい色をした卵おじやだった。椀に掬い入れてくれて、目の前に置かれる。

「これぐらいなら食べられそうか」
「はい」
「葱は好みでな」
「ありがとう存じます」
 
 小鉢を手渡され、ぱらぱらと落として椀に緑を添える。とっても美味しそう。

「いただきます」
 
 両手を合わせて、スプーンですくい口に運ぶ。

「んんんっ」
 
 滋味が口いっぱいに広がった。

「美味しいです」
「それはよかった」
 
 お米の甘みをふんわりと卵が包み込み体に染み渡っていく。胃を優しくマッサージされているみたいで、ふにゃんと笑ってしまう。
 
「くくくっ。初音は美味しそうに食うな」
「お、美味しいですから」
 
(ちょっと浮かれすぎたかしら……?)

「初音は笑っている方が、ずっといいな」
 
 そう穏やかに言われ、ストレートな物言いに照れくさくなった。いくら保護されている立場とはいえ、過保護すぎではないだろうか。
 彼からそっと目をそらし、おじやに集中する。

(やっぱり、弱った胃にも優しい)

 まるで彼自身のようだ、と感じた。
 
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