前世で死に別れた忍者に、現代で溺愛婚を申し込まれました
 車がすっと静かに止まった。来たことはないが、覚えのある土地だった。

(東京から出ていない……帰れる距離だ……)

 駅まで逃げれば、交番まで行けば帰れるだろう。叔母ひとりなら、わたしでも振り切れる。

(隙を狙って……)

 震えそうになる体を叱咤しながら、状況を見ていると運転手の男が降りて助手席のドアを開いた。叔母が先に出て、わたしにナイフを向ける。

「は、はやくっ」

 かすれ声で言われ、叔母は、誰かに言われてやっているのだろうと思った。叔父なのか。それを推察している時間はもったいない。急いで逃げないと。
 
 運転手の男と叔母と一緒に、細い路地を入っていく。
 繁華街で飲み屋が多く、店は閉まっていて人けはなかった。
 雑居ビルの前に立つ人影を見た瞬間、はらわたが煮えくり返った。

(叔父さん!)

 叔父はわたしの姿を見ると、転がるようにこちらに向かう。

「おまえっ」
「あ、あなたっ……つ、連れてきたわよっ。わ、私たちこれでっ」
 
 興奮まじりで叔母が言う中、運転手の男が飄々と言う。

「仕事はしたぜ。しつこいのがいたが、気づいたらいなくなってた。報酬は」

 叔父は懐から封筒を取り出すと、運転手の男に押し付けた。それを男はにやりと笑って受け取り、そのままふたりを置いて歩き出してしまう。

「初音、くるんだっ!」

 叔父に腕を掴まれ、わたしは思いっきり腕を引っ張った。

「離して!」
「こいつっ!」
「う、動かないで‼」

 叔母が狂気じみてナイフを振り回す。叔父にあたりそうになり、叔父が「やめんかっ」と慌てて言う。叔母は震えながら、わたしにナイフを向けた。

「は、はやくっ、はやくっ」

 その異常さに体が強張り、叔父に乱暴に引っ張られた。
 
 雑居ビルの三階に引っ張られていく。途中で物騒な顔の男たちがいて、叔父はその人たちにぺこぺこ頭を下げていた。

「こっちだ! 早く入れ!」

 叔父が一室のドアを開き、投げるようにわたしを中に入れた。
 その拍子に転がるように倒れ、すぐに体を持ち上げて見えた人にぞっとした。背筋が凍り、息が詰まる。

「久しぶりやのお、初音」

 湿っぽい声でわたしの名前を呼んだのは、黒川だった。
 青葉の家でされた数々が蘇り、全身が震えだす。恐怖で目を見張っていると、黒川はわたしの前で股を開いてしゃがみこんだ。

「ずいぶんといい女になったやんか。日向の若造に可愛がってもらったんか?」

 太い指がわたしの顎をしゃくりあげ、無理やり上を向かせられる。

(嫌っ……!)

 拒否が目に宿り、黒川を睨む。黒川は愉快そうに目を細めた。

「ほお……そないな目、儂にすんか。ずいぶんと強気になったもんやなあ」

 にやりと口の端を吊り上げて言われ、わたしの顎を乱暴に振り払った。その拍子に、床に手がつく。

「た、黒川様! 初音は連れてきました! 私たちを海外に逃がしてくれるんですよね⁉」

 叔父が半狂乱で叫び、どこまでも身勝手さに腹が立った。

「叔父さん、叔母さん……わたしを売ったの……?」

 振り返りながらふたりに言うと、叔父は猛然と言った。

「おまえが、おまえが悪いんじゃないか! おまえが情報を漏らすからっ!」
「だからといってこれは誘拐よ!」

 悔しかった。腹立たしかった。自分の身内が、こんなにも醜いことが悲しかった。泣きそうになるのを堪えて叔父を睨みつけると、叔父がわたしに向かって手を振り上げた。

「今まで育ててもらった恩も忘れよって!」
「あなたに育ててもらった覚えはないわ!」
「こいつっ!」

 その手がわたしの頬に向かおうとした、その時。

「なんや、青葉。儂のもんに手を出すんか」

 地を這うような低い声が聞こえ、叔父が止まった。空気が凍りついたのを感じて、おそるおそる振り返ると、黒川がつかつかと歩み寄りその大きな手を握って、叔父の顔面を殴りつけた。
 その凶悪さに、「ひぃっ」と叔母は声をあげ、壁際に寄る。叔父はだらだらと鼻血を出しながら、痛みにのたうち回っていた。

「むしけらは黙っておきな。なあ、初音?」

 ロックオンされた。
 次は――わたしだ。
 
「初音。おまえ、儂の何かを盗みだしたやろ? 日向の若造が儂に抵抗してきたんや。儂なあ、奪うのは好きでも、奪われるのは好かんのや」

 黒川がゆっくりとわたしの元に来る。

「せやから、おまえを奪おうと思ったんや」

 その宣告に、頭が真っ白になった。

「ここにはベッドもあるしのお。ふたりで楽しめるで」

 吊り上がった口の端を見て、これから起こることに戦慄した。

(……助けて、忍さん……)

 リン、とネックレスの鈴が鳴った。

 ――初音。

 鈴の音にまじって、彼の声が聞こえるような気がした。

(帰らなきゃ……彼のところに帰らなきゃっ)

 そう思った瞬間、無我夢中だった。入ってきたドアをこじ開け、転がるように廊下に出る。階段を降りようとしたのに、そこは先ほどの男たちがいる。しかたなく上の階段へ向かう。

「なんやー! かくれんぼかあ! ええでえ。ゆっくり楽しませたってやあ」

 わたしを追いかけてくるように廊下に響いた声に、涙がこみ上げた。
 
 今まで、わたしは恵まれていたんだ。
 忍さんがセキュリティを万全にしてくれて、何もかも彼が助けてくれて。
 わたしはただ、ぬくぬくと優しさに甘えているだけでよかった。
 それがどんなに幸せだったことか。

(帰りたい……忍さんっ)

 声から逃げて、屋上に出た。四階建てのビルでもう逃げ場がない。それでも小屋みたいな場所が見え、その中に立てこもる。

(ドアをふさぐものっ)

 ここが突破されないように、わたしは床に倒れていた椅子をドアの前に置く。机も引っ張って、ドアの前に置く。

「わたしがここにいるって、しらせないとっ」

 スマートフォンを探す。だけど、持っていたはずの鞄がどこにもなかった。
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