旦那様、そろそろ離縁のご準備を〜契約結婚三年目、満了日を目前にして旦那様の様子がどこか変です〜

彼女は私の最愛だ


 父、ハリントン伯爵の一喝が響いた瞬間、サロンの時間は(いびつ)に静止した。
 ヴィクトリアの振り上げた扇が、屈辱に震えながらゆっくりと下ろされる。彼女は信じられないものを見る目で、夫――この家の主を振り返った。

「……あなた。今、わたくしを止めましたの?」

 ヴィクトリアの声は震えていた。だが、それは夫への畏怖ではない。自分の「正域」を侵されたことへの、烈火のごとき怒りだ。

「やめなさい、ヴィクトリア。オスカーからすべて聞いた。……お前が今日まで、裏で何をしてきたか。フェリクスをどう扱ってきたか。……そして今、ソフィアに何をしようとしたか」
「オスカー……!」

 その言葉に、ヴィクトリアの毒に満ちた視線が、夫の背後に立つ次男、オスカーを射抜く。
 オスカーは、吐き捨てるように叫んだ。

「ああ、そうだよ! 俺が父さんを連れてきたんだ! 母さんを止めるためにな!」
「――ッ、黙りなさい、この落第息子が!」

 ヴィクトリアの絶叫が、オスカーの言葉を掻き消す。

「オスカー……貴方は昔からそうだったわ。わたくしを目の敵にして、何一つ聞き入れようとしなかった。挙句の果てに、家名を背負う重圧からたった一人逃げ出した裏切り者。今さら貴方に口を出されるいわれはないわ。 貴方が捨てたこの家を、フェリクスと共に守ってきたのは、このわたくしよ!」
「守った!? 壊したんだろうが! 兄さんも、ソフィアも、全部母さんが……!」
「壊したですって? いいえ、磨き上げたのよ! 子爵家から嫁いだ私が、どれほど嘲笑われ、爪を立ててこの席を守ってきたか……貴方に社交界の何がわかるの!」

 ヴィクトリアの怨念が、サロンの空気を黒く塗り潰していく。
 その罵り合いの中心で、長兄フェリクスが、「ハッ」と乾いた笑いを漏らした。

「……オスカー、もういい。やめろ」
「!? 兄さん、けど――!」
「いいんだ。この女に何を言っても無駄だ」
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