【連載版】愛されない当て馬妻に転生したので、読者として推しの物語を堪能することにした。
 馬車に揺られながらステイシーはチラリのクラヴィルの表情を盗み見る。
 黙ったまま不機嫌そうに外を眺めるクラヴィルは、相変わらず彫刻のように美しく、そして彼の深い青色の瞳は氷のように冷たく冷酷な色をしていた。

『君を愛する事はない』

 その表情を見ていたら、何故だかそう言われた夜のことを思い出した。
 それは、小説のワンシーンのようで。あの時のステイシーにとってはただのファンサでしかなかったけれど。
 クラヴィルと言葉を交わし、彼を知り始めた今はその表情を見てもときめかず、ただ沈黙が重かった。
 どうしてこうなってしまったのだろう、とステイシーは昨夜の事を思い出す。

 それは夕食を終えた後のことだった。
 いつもなら早々に離れに引き上げるのだが、

「旦那さまのお力をお借りしたいのです」

 そう言ってステイシーはクラヴィルの執務室を訪ねた。

「実は、"賭け"の戦利品を巡り少々困ったことになっておりまして」

 お力添えを頂きたいのですと、そう告げたときのクラヴィルはいつもと変わりなかったように思う。

「わかった。とりあえず話を聞こう」

 応じたクラヴィルの前にステイシーは契約書とそれまでの経緯を示した報告書を広げる。
 それらに目を通したクラヴィルの感想は、

「……これはまた、随分とふっかけたな」

 だった。
 それは、ステイシーが公爵夫人として初めて出席した夜会でのこと。
 クラヴィルを待っている間に、彼の妻の座に収まったステイシーの事をよく思わない一派から喧嘩をふっかけられた。
 沈黙するステイシーのことをどう解釈したのかは分からないが、その侮辱はエスカレートしていき、クラヴィル(推し)にまで及んだため、耐えきれず返り討ちにしてしまったのだが。
 その時の賭けポーカーでの戦利品。それがステイシーの悩みの種となっていた。

「煽った自覚は有りますが、まさかこんなに大層なモノを賭けて来るとは思わなかったのです」

 ステイシーが賭けたのは"クラヴィル・ヘイリス公爵の妻の座"。
 そして賭けの席につく者にはそれと同等のものを賭けるようステイシーは求めた。
 公爵の妻の座なんて、値段をつけられるものではない。
 釣り合うかどうかなんて、各々がそれにどれだけの利用価値を見出したかという主観に委ねられる。つまり言い値だ。
 他の貴族(ギャラリー)がいたという状況もあって、生半可なものなど賭けられなかったのだろう。
 一番初めに掛金を乗せたのは、ラマナス男爵だった。
 彼が賭けたのは男爵家が保有する鉱山で見たかった新しい魔石。発見された魔石の利用価値は未知数だが、使い方によっては化けるかもしれない、と。

『あら、それは素敵。未知。心踊るロマンがありますねわね』

 魔石がただのクズ石として終わる可能性も勿論あったが、それも含め値段のつけられない夢物語は"公爵夫人の座"に相応しい。
 なんて、ステイシーがそう言って煽ったので。

「だんだん釣り上がっていって、収拾つかなくなっちゃいまして」

 新事業の権利譲渡、すでに収益の出ている金鉱などなど、彼らは次々と公爵夫人の座に見合うと思うものを並べ、最後にこの喧嘩の首謀者であるガーランド伯爵が掛け金を乗せた。
 彼が賭けたのは、ガーランド領で一番の稼ぎ頭である商会そのものだった。
 他国との貿易にとても強いこのヴァルメロ商会。会長はなかなかのやり手で、特に魔法石とそれに付随する分野には明るく、今ではこの国の半分以上のシェアを占めている。
 この国で商会を立ち上げ商売を行うには貴族の後ろ盾が必須で、その身分を保証する見返りに商会は後ろ盾になってくれた貴族に売上の数%を保証料として納める。
 ヴァルメロ商会は正に金の成る木。そんな商会を賭けたことで会場はどよめき、場は大いに盛り上がった。
 一応止めはした。
 が、会場の注目度に気分を良くしたガーランドのドヤ顔と『自信がないのかね?』という安い挑発が非常に癪だったので、つい本気を出してしまったのだった。

「元々お灸を据えてほとぼりが冷めたら、お返しするつもりだったのです」

 イカサマですし、とステイシーは肩をすくめ契約書を指し示す。

『但し、勝者側の当主が受け取りに異議を唱えた場合、譲渡について協議できるものとする』

 契約書にひっそりと入れられた一文。それは、この賭けの"終着点"にするための布石。
 この件についてはクラヴィルから好きにしていいと事前に了承を得ている。その了承を以て当主の意とし、ステイシーは彼らと交渉を行った。
 正式な謝罪を行うと共に今後ヘイリス公爵家に刃向かわず"いい子"にできるなら執行猶予付きで返還するというステイシーからの申し出にどこの家門も間髪入れずにうなずいた。
 主要な財源を持っていかれるのを良しとする領主はまずいないのでここまでステイシーの想定内。
 よしよし、順調! と思っていたところにコレに異議を唱えたのが、ヴァルメロ商会現会長ゼルドラス・ヴァルメロ本人だった。
 夜会での賭けポーカーの事をどこで聞きつけたのかは定かではないが、彼はガーランド伯爵家の庇護下に戻る事を良しとしなかった。

『勝手に商会を賭ける貴族は信頼に値しない』と。

 様々な魔道具に依存するこの国で、大手商会であるヴァルメロが機能しなくなれば国民が被る被害は火を見るより明らかだ。
 アルシェリーヌと事を収める約束をした手前早々に片付けてしまいたかったのだが、ガーランド伯爵に任せていてはどうにも纏まりそうにない。
 そんなわけでステイシーはこの件を片付けるべくクラヴィルに相談する事にしたのだった。

「ヴァルメロ会長は何と?」

「ヘイリス公爵家の傘下でなら今まで通り仕事をしてもいい、と」

 ヴァルメロ商会と直接話させてくれないガーランド伯爵に舌打ちしていたら、わざわざ向こうから手紙が届いた。別の商会の荷物に紛れさせる形で。

「公爵夫人(私)の手元まで無事手紙を届けられる人脈と手腕。ぜひお会いしてみたいですね」

 ふふふふふっと黒い笑みを浮かべて笑うステイシー。
 公爵家御用達の別の商会が手を貸すほどの人脈。彼ならばもしかしたら"ヒロイン"の現在の居場所も割り出せるのでは? なんて思っていたステイシーに、

「なら、もういっそのこと迷惑料として貰っておけばいいんじゃないか?」

 とクラヴィルは勧めてきた。

「そういうわけにはいきませんよ。私はいつかいなくなる当て馬妻ですから」

 そういうと、なぜかクラヴィルは驚いたように固まった。
 前世の記憶があるとか、ここは物語の世界だとか。そんな話を信じてもらえるとはステイシーだって思っていない。
 ただステイシーは知っているのだ。自分は公爵家を出ていく身だ、と。

「離婚後は社交界から距離を置く予定ではありますが、公爵家の権力を傘に余計な恨みを買いたくはないんですよねぇ。実家が力のない貧乏貴族なのは変わりないですし、父様も弟も人がいいからすぐ騙されちゃうし」

 原作の当て馬妻が特に揉めることなく公爵夫人の地位を手放したように、お金の問題さえなければステイシーにはクラヴィルに縋る理由がない。
 そして、それは離婚の際の莫大な慰謝料で解決する。まさに金の切れ目が縁の切れ目、という薄い薄い繋がり。
 で、あるはずなのだが。

「……実家に戻る気……なのか?」

 何故そんなに驚く、とステイシーは首を傾げる。

「旦那さまの恋物語を堪能したら、そうなりますね。だって、恋が成就した後は当て馬妻なんて不要でしょう?」

 二人の愛の巣に居座るほど野暮ではない。
 まぁ、メイドとして働きながら美麗公式カップルをにやにやしながら鑑賞したい! と思わなくはないが、普通に元妻が家にいたらヒロインだって嫌だろう。
 クラヴィルの伴侶になるヒロインに嫌われたくはない。読者的には幸せいっぱいの二人のその後を愛で倒したいのに。
 なんて、今後の予定は言えないので。

「旦那さまの恋物語の鑑賞が終わった後も、私の人生は続きますから」

 ステイシーは当たり前の事だけを口にする。
 自分は"物語の余白"を生きるのだ、と。

「そんなわけで、お手数をおかけしますが、一筆認めて頂けないでしょうか?」

 それを持ってヴァルメロに直接会いに行くことをクラヴィルに説明する。ヴァルメロは商人だ。公爵直筆の書状でも有れば、商会の利のために交渉のテーブルに座るだろう。

「申し訳ありません、旦那さま。お手を煩わせないという契約でしたのに」

 これ以上クラヴィルに負担を強いるつもりはない。
 ステイシーはいつもそうしてきたように、一人でガーランド伯爵邸に向かうつもりだった。

「って、聞いてますか? 旦那さま」

「俺も行く」

 難しい顔をしたまま黙りこくっていたクラヴィルが、突然そう宣言した。

「えっ?」

「書状より俺が出向く方が早い」

「そう、ですけど。旦那さまがいなくても、特に困りませんし」

 そう答えたら、クラヴィルは苦笑し、細められた濃紺の双眸は何故か傷ついたような悲しげな色をしていた。

「当主である俺が行くと言っている。それとも、何か不都合でもあるのか?」

 不機嫌を隠すことない声音。

「いえ、ただ煩わしいのはごめんだって」

 女に煩わされることのない平穏な毎日。それがクラヴィルの望む結婚生活だった。
 彼が出した金額はけして少なくない。だから金額に見合うだけのものを提供してきたつもりだったのに。
 これほどクラヴィルが不快感を表すなんて。
 一体、何を間違ったのだろう?

「なら、問題ないな」

 ステイシーが戸惑っている間に、クラヴィルが最終決定を下した。
 クラヴィルが行くと言う以上、ステイシーには止める理由はなく。二人でガーランド伯爵邸に出向くことになったのだった。
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