八年越しの初恋、回収します。〜私のトリコになった部下に、八年前から溺愛されています〜



ほらまた、タイミングよく私が気持ちよくなる言葉をかけてくれた。

こんな私のことを、何も否定せず、すべて肯定してくれる。
だから私は、抵抗することなく心に隙間をあけてしまう。

冷たい空気を追い出すように、朝倉くんの温かな空気が私の中へゆっくりと満ちていく。

「私のこと……こんなに見てくれていたんだね」

ぽつりとこぼした声は、自分で思っていたよりも弱かった。

彼に特別な感情を持ってしまいそうだった。
でも、それはダメだと理性がすぐに止めに入る。

感情が乱れて、頬に熱い涙が落ちるのがわかった。
すっと人差し指で涙を掬う。

「泣けてきちゃった。今週は色々あり過ぎて、頭がぐちゃぐちゃだわ」

最近の私の涙腺は、休む暇もない。
もう泣きたくなんてないのに。

こんな私の横顔を、朝倉くんがじっと見つめている。
声をかけるわけでもなく、ただそこにいてくれる気配が伝わってきた。

だけど、私には何もできないし、何を言えばいいのかもわからない。

「瞳子さん、たまには思考停止してみませんか?」

「思考停止って?」

自分の鼻声が妙に虚しい。
彼がクスッと笑った。

「何も考えないで、素直な心の声だけを聞くんです」

私は何度か瞬きをする。

「素直な声……?」

「そうです。頭で考えずに、身体が欲する声を聞くんです」

朝倉くんが少しだけ身体を私に傾けた。

それでも、そこに下心など微塵も感じない。
ただ、私が疲れていることを理解して、休ませようとしてくれているように見えた。

考えても現実は変わらない。
なら、少し休んで英気を養おう。
朝倉くんがそう提案しているんだと思った。

清く正しく生きようと、私は頑張りすぎていた。
姉として、会社員として、誰かを支える側として。

たまには、自分の思うままに過ごしてみたい。
何も考えず、頭に浮かんだことをやってみよう。

カップに添えていた私の手に、朝倉くんの大きな手が重ねられた。

指先が触れた瞬間、ぬくもりがじんわりと伝わってくる。
それは、とても温かくて、ほっとする体温だった。

余計な思考を排除すると、心地いい情報だけが頭に届く。
思考を停止することは、精神的にも効果的なのだなと、どこか冷静な自分が納得していた。

(この温もり、好きだな)

私は自然と目を閉じた。
この温かさに包まれながら、ただ自分の中に湧いてくる欲に耳を傾ける。

(私がしたいこと──)

ゆっくりと瞼を開く。
ぱあっと世界が一気にひらけたような気がした。

「瞳子さんは、何がしたいですか?」

朝倉くんの優しい声は、聞いていて心地いい。
私は彼に振り向き、微笑んだ。

「あと一杯だけ飲みたい。そうしたら部屋に戻るわ」

私がふふっと力なく笑うと、朝倉くんも嬉しそうに笑みをこぼした。

「では、僕もそうします」

彼がオーナーを呼ぶ。
今度は、度数のリクエストをしなかった。

「では、こちらはいかがですか?」

オーナーが出してくれたのは、赤ワインを温めて作ったホットワインだった。
グラスから立ち上る湯気に、オレンジとシナモンの甘い香りが混じっている。
暖炉の明かりを受けた赤い液体が、グラスの中でゆらゆらと揺れていた。

「……綺麗」

思わず、声が漏れる。

「僕も、これ、好きです」

朝倉くんもグラスを持ち上げる。
一口含むと、ワインのほのかな渋みのあとに、オレンジの甘酸っぱさが広がった。
シナモンの香りが鼻に抜ける。
さっきの蜂蜜レモンとは違う、少し大人びた味わいだった。

二人の間に会話はなかった。
それなのに、不思議と気まずくない。
暖炉の薪が爆ぜる音だけが、静かなバーに響いていた。

私はもう一口、ホットワインを口に含む。
身体の奥が、ゆっくりと温まっていく。

「では、部屋に戻りましょうか」
「そうね」

帰りの廊下でも、私たちは付かず離れずの距離を保った。
思考停止しても、意識は失わないように調整していた。
酔っぱらって部下と寝たなんて最悪だもの。
だから私は、宣言どおり美味しいお酒を飲み終えたら、自分の足でしっかりと歩いて部屋まで帰ってきた。

すべての記憶は、しっかり残っている。

龍彦の浮気現場で鉢合わせした挙げ句に振られたこと。
自分の子供のように可愛がってきた弟が、自立しようとしていること。

今週は、いろいろなものが一気に私の手から離れていった。

そんな私を、朝倉くんはすべてにおいて嫌味なく、完璧にフォローしてくれた。


そして──目の前には、ダブルベッド。

私が朝倉くんとセックスするための環境が、整いすぎていたんだ。


部屋に戻ると、自然と私は朝倉くんの前に立っていた。
そして、じっと彼を見つめる。
彼も、もう私の欲求に気づいている。彼の呼吸が、少しだけ早くなっていたから。

「瞳子さん、意識はありますか?」
「うん。ちゃんとわかっているわ」

彼の顔が一気に引き締まった。
ゆっくりと私の腰に手を伸ばし、ぐっと引き寄せてくる。
弾力のある、しなやかな腕に抱きしめられた。

身体が密着すると、彼の体温が一気に伝わってくる。
お風呂上がりのシャボンの匂いと、男性特有の熱が混じった香り。
無性に涙が溢れそうになった。

「嬉しい……」

彼が絞り出すように声を出す。
背中が小さく震えているようにも感じた。
私はその広い背に、そっと腕を回す。

(逞しい……彼は男なんだ)

ずっと年下の部下として見ようとしていた。
自分とは違う世界にいる、才能のある男性だと思っていた。

甘えてみたかった。
でも、自分の置かれている立場ではできなかった。

それを、今晩だけは──彼の前だけは、解禁してみたかった。
すべて、彼の言葉のおかげだった。

彼が私の顔を両手で包み込む。
その目は、今まで見たことがないほど魅力的に潤んでいた。
『男』というより、欲しいものがようやく手に入った時の、純粋な青年の瞳に見えた。

彼の浅く速い吐息が、髪にかかる。
それだけで、私の身体が嬉しくなって、疼いた。

「喜ばせることができるかわからないけど、瞳子さんへの愛は誰にも負けない……いいですか?」

その声には、欲望だけではなく、今までずっと抑えていた想いが滲んでいた。

「……うん」

彼の唇と、そっと重なる。
柔らかくて、温かくて──。
きっと、ずっと欲しかったものだった。


思考停止してみて、自分の欲がわかった。

私は朝倉祐二が好きなのかもしれない。

今、私は彼とセックスがしたい。

明日のことは、明日また考えればいい──










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