あなたの声は推しの声
「握手会に並ばれる方は、こちらへどうぞ!」
ライブ終えたSEVALIVEは、お客さんと握手を交わしている。マネージャーの私は列の最後尾に立ってお客さんを案内していた。
ここは都会から離れた郊外のショッピングモールの一角。この前のライブよりも、確実にお客さんの数が増えている。いつかは彼らもドームライブをする日が来るはずだ。
「ありがとうございます。また来てくださいね。」
爽やかで明るい声が聞こえてきて、ステージに顔を向けると、赤い衣装を纏った晃樹くんが笑顔を振りまいていた。
彼は私にとって特別な存在。なぜなら、彼の声はSORAくんにそっくりだから。
SORAくんは私が熱心なリスナーだったVtuber。水色の髪に愛嬌のあるくりっとした瞳でいつも笑顔。苦しい時も楽しい時もそばにいて、私の心を癒し、支えてくれた。
だけど、SORAくんは突然消えた。
最後に見た配信では、いつものように「次の配信をお楽しみに」と言っていた。それなのに、待てど暮らせど新しい動画が配信されない。SNSも毎日何度もチェックしたけれど、更新は無かった。
活動休止の報告も引退の報告もない。SORAくんがいなくなり、私は何をしてもやる気が出ず、ため息ばかりついていた。仕事中も上の空で、鬱屈とした日々を過ごしていたある日、私はSORAくんの声を聞いた。
それが晃樹くんの声だった。
♢♢♢
「あずまりちゃん。これ、みんなの部屋に届けてくれる?」
思い出に浸っていると、衣装も作れる万能美女牧田さんに声をかけられた。
「わかりました。行ってきます!」
事務所の上は、SEVALIVEのメンバーが住む居住フロアになっている。ダンボールを抱えたままインターホンを押すと、ちょっとだけ髪の乱れた晃樹くんが顔を出した。
「あずまり!これ次の衣装?」
「はい!保管をお願いします!」
衣装の入った段ボールを晃樹くんに押し付ける。うちの事務所は狭いから、衣装の一部を個人で管理してもらっている。よろしくと背を向けると晃樹くんに引き留められた。
「あずまり……あとで部屋に来てくれない?」
「わかりました。牧田さんの手伝いが終わったら来ますね。」
晃樹くんが私を部屋に呼ぶのはいつものこと。だけどちゃんと自分を律していないと飲み込まれてしまうかもしれない。晃樹くんの声はSORAくんの声なのだから。
「牧田さん、他に何かありますか?」
一通り仕事を終えて声をかけると、牧田さんはガサゴソと袋を漁って赤色のリボンを取り出した。
「ごめん。さっき入れ忘れちゃった。晃樹に渡しておいて。それが終わったら今日はおしまい。」
「わかりました。お疲れ様でした。」
私は牧田さんから赤いリボンを受け取ってカバンにしまうと、その足で晃樹くんの部屋に向かった。
インターホンを押すと、満面の笑みの晃樹くんが現れた。今度はちゃんと髪が整っている。
「お疲れ様。入って。」
いつものようにベッドの前にある小さな丸いテーブルにつくと、晃樹くんは私の向かいに正座した。これもいつもの流れだ。
「この前のライブ……のこと、なんだけど。」
「わかりました。いきます。」
私はコホンと咳払いをして──
「この前のライブ、すっごくカッコよかったよ!歌は前よりずっと良くなってたし、ボイトレ増やして低音のレッスンしてもらった成果が出てたと思う!ダンスの見せ場はアドリブがいい感じだったし、メンバーの驚いた顔がすっごく面白かった!常連さんも満足していたし、新規のファンも増えてきてるよね。この調子で頑張って、晃樹くん!」
言い終えた瞬間に晃樹くんは両手で顔を覆って俯く。晃樹くんが私を部屋に呼ぶ理由はこれ。ライブが終わった後、私は必ず晃樹くんを褒めている。
「ありがとう……やっぱりあずまりの言葉は効くよな……」
私が晃樹くんを励ますようになったきっかけは、SEVALIVEの初ライブでのこと——
「気にするな、晃樹!」
「そうだよ。これも経験のうちだ。」
肩を落として項垂れる晃樹くんの周りで、メンバーが代わる代わる慰めの声をかけている。初めてのライブで、晃樹くんはとんでもなく緊張したらしい。歌詞を飛ばし、何度も振り付けを間違えた。
今と違って見ているお客さんなんてほとんどいなかったから、気にする必要はないけれど、晃樹くんはこれでもかというほど落ち込んだ。その結果、喋らなくなってしまったのだ。
アイドルをやる以上、ライブの緊張感には慣れてもらうしかない。放っておけば良いと牧田さんにも言われたけれど、私にとっては一大事だった。晃樹くんの声が聞けないということは、SORAくんの声が聞けなくなってしまうということだ。
せっかく見つけたSORAくんをまた失うなんて、あってはならない。私は無言を貫く地蔵のような晃樹くんに声をかけた。
「晃樹くん、今回のことはすごく良い経験になったと思いませんか?初めてのライブなんですから、失敗するのは仕方がありません。SEVALIVEはこれがスタートです。今回よりも次、次よりもその先に進んでいくんです。」
晃樹くんは表情を変えずに私の方を向いた。
「それに、晃樹くんが間違ったところをみんなでカバーしていて、すごく良いグループになったと思いました。晃樹くんも失敗を引きずらずにちゃんと挽回していましたよね!あんなファンサができるなんて知らなかった!あれはほんっとうに良かったよ!だってあの目線は反則だと思う!あんなことできるんだから晃樹くんは根っからのアイドルなんだよ!だから、こんなことで落ち込んでちゃダメ!できる、絶対できるから!」
また以前のように声を聞かせて欲しい。そう思って励まし始めたら、言葉が止まらなくなってしまった。
(なんかすごいこと言っちゃったな……)
普通でない熱量で話していたことに気づき、恥ずかしくなって視線を逸らすと、晃樹くんは勢いよく私の手を握りしめた。
「ありがとう、あずまり!あずまりの言葉を聞いたら、すっごく力が湧いてきた!」
『君のコメントを読んだら、すっごく力が湧いてきたよ!』ようやく聞けた晃樹くんの声は、いつかの配信で、私のコメントを読んでくれたSORAくんと同じだった。
「あずまり、これからも俺のこと褒めてくれない?あずまりに褒められればできる気がするから!」
「わかりました、任せてください!晃樹くんのために頑張ります!」
私は反射的にそう答えていた。それ以来、晃樹くんはライブが終わると褒めて欲しいと頼んでくるようになった。だけど、最近は少し思うところがある。
今の晃樹くんは失敗して落ち込むことはない。たとえ歌詞を忘れたり、振りを忘れたりしても、カバーする余裕がある。だからもう褒める必要なんてない。
「晃樹くん、もう終わりにしませんか?」
「なにを?」
「晃樹くんの部屋に来て褒めることです。もう晃樹くんは立派なアイドルですし、褒めなくてもちゃんとできています。それに落ち込むことはないですよね?」
「そんなことない。失敗したら自信が無くなるし凹む。あずまりが褒めてくれないと無理だよ。」
SORAくんに引き留められているみたいで、決意が揺らぎそうになる。マネージャーとしてメンバーを褒めることは仕事の一環ではある。だけど部屋に来てまですることではない。これから露出を増やしていこうとしているSEVALIVEの足枷になっては困る。
「ライブ終わりにみんなでやるのはどうですか?社長や牧田さん、みなさんからも褒めてもらえますよ?」
「俺はあずまりに褒められたい。俺にはあずまりが必要なんだ。」
高くもなく、低くもない、ちょうど良い音域の声が、私を包み込んでいく。晃樹くんの声は、心の支えにしていたSORAくんの声。SORAくんが私を求めてくれている。私はもう失いたくない。私のSORAくんを。SORAくんとの思い出が目の前を流れていく。
「私は晃樹くんの声が好きです……だから……」
いつまでも聴いていたい。SORAくんの声を。晃樹くんの声を守ることがSORAくんを守ること。そのためなら私は——
「まだ褒めてくれるんだ。ありがとっ。」
はっとして顔を上げると、晃樹くんは嬉しそうにニコニコと微笑んでいた。目の前にいるのは晃樹くんでSORAくんではない。途端に恥ずかしくなった。
「あ、えっと、すごくいい声だな〜っていつも思ってるんです。晃樹くんだったら、Vtuberとかやっても人気が出るんじゃないかな〜って……あは、あはは。」
何を言ってるのだろうか。言うつもりのなかった言葉が口をついて出てきて余計に慌ててしまう。ワタワタする私を見て、晃樹くんはいつもみたいに笑い飛ばしてくれるだろうと思った。だけど空気はどんどん重くなっていく。
「嫌いなんだよね、Vtuberって。」
聞いたことのない硬い声が重く響き、大きな音を立ててガラスが砕け散った。割れたガラスの破片はグサグサと私の心に突き刺さっていく。
「そ、そうなんですね……すみません、変なこと言っちゃって……失礼しますね……おやすみなさい……」
晃樹くんの顔を見ることができず、逃げるように部屋を出た。しかし階段を駆け降りている途中で足が動かなくなった。
「嫌いなんだよね、Vtuberって。」
耳の奥でぐわんぐわんと反響している。晃樹くんはSORAくんではない。晃樹くんとSORAくんは関係ない。私が勝手に晃樹くんの中にSORAくんを見ているだけだ。
「わかってるよ、そんなこと……!」
晃樹くんがVtuberを嫌いだなんて知らなかった。不必要なことを言ったのは私だ。だけど大切なSORAくんの思い出をも否定されたようで苦しい。私はその場にしゃがみ込んで、涙が落ちる前に顔を伏せた。
♢♢♢
「Vtuber、か……」
マネージャーのあずまり、こと東莉乃が部屋を出て行った後、ベッドの上に無造作に置かれていたスマホを手に取った。
あずまりに励まされると不思議と回復できる。メンバーや他の人に褒められるのとは少し違う。嬉しくて楽しくて、何より心が満たされる。だからいつも頼んでしまう。
「晃樹、少しずつやってみない?この先もずっとあずまりちゃんに頼り続けるの?」
あずまりを呼び出していることを知られ、牧田さんに釘を刺された。牧田さんの言うことはわかる。あずまりもこの関係を良いとは思っていないのだろう。だからもう終わりにしないかと言ってきた。
あずまり以外の褒めてくれる相手を探さなくてはならない。SEVALIVEのメンバーでも良いが、メンバー同士は褒め合うというより作戦会議になりがちだ。そうではなくて、自分のことを無条件で褒めてくれる相手が欲しいが都合良くそんな人はいるはずもない。
SEVALIVE のメンバーはSNSをやっている。メンバーのアカウントに届くコメントは好意的な感想が多いから、まずはそこから始めたらどうかと牧田さんは提案してくれた。手の中にあるスマホを見つめていると、心臓がドクドクと鳴り始めた。
だけど踏み出さなければ変われない。スマホを持つ手はわずかに震えている。まだ無理かもしれないという思いを押し込めて思い切ってアプリをタップした。
文字の列が脳内を埋め尽くしていく。決して読み切ることのできない大量の文字は鋭い刃物となって襲いかかってきた。視界はじわじわと真っ黒に染まっていく。
まだ見てはいけなかった——ガタンと音を立ててスマホが床に転がった。
♢♢♢
「あ、リボン渡すの忘れちゃった。」
床に置かれたカバンから赤いリボンがのぞいている。リボンを届けに行ったことを忘れてしまっていた。私はふーっと息を吐き出してから立ち上がった。
晃樹くんがVtuberが嫌いなのは仕方がない。それは個人の自由だ。それに、SORAくんの姿を晃樹くんに映していることは私の勝手。ショックを受けるのも勝手だ。
晃樹くんはSEVALIVEの大切なメンバーの1人。これからも元気に活動してもらわなくてはいけない。そのために褒め続けるのは、マネージャーとして大事な務めかもしれない。
涙を流したおかげでちょっとスッキリした気分で晃樹くんの部屋のインターホンを押す。しかし、晃樹くんは出てこない。
もう寝てしまったのだろうか。いや、そんな雰囲気ではなかった。だったらお風呂だろうか。いや、晃樹くんはお風呂に入っていても、インターホンが鳴れば平気で出てくる。過去にタオル一枚で現れたことがある。
(部屋にいる、よね……?)
扉のノブに手をかけると鍵はかかっていなかった。呼びかけても返事はない。そっと足を踏み入れると、うつ伏せに倒れている晃樹くんの姿が目に飛び込んできた——
ライブ終えたSEVALIVEは、お客さんと握手を交わしている。マネージャーの私は列の最後尾に立ってお客さんを案内していた。
ここは都会から離れた郊外のショッピングモールの一角。この前のライブよりも、確実にお客さんの数が増えている。いつかは彼らもドームライブをする日が来るはずだ。
「ありがとうございます。また来てくださいね。」
爽やかで明るい声が聞こえてきて、ステージに顔を向けると、赤い衣装を纏った晃樹くんが笑顔を振りまいていた。
彼は私にとって特別な存在。なぜなら、彼の声はSORAくんにそっくりだから。
SORAくんは私が熱心なリスナーだったVtuber。水色の髪に愛嬌のあるくりっとした瞳でいつも笑顔。苦しい時も楽しい時もそばにいて、私の心を癒し、支えてくれた。
だけど、SORAくんは突然消えた。
最後に見た配信では、いつものように「次の配信をお楽しみに」と言っていた。それなのに、待てど暮らせど新しい動画が配信されない。SNSも毎日何度もチェックしたけれど、更新は無かった。
活動休止の報告も引退の報告もない。SORAくんがいなくなり、私は何をしてもやる気が出ず、ため息ばかりついていた。仕事中も上の空で、鬱屈とした日々を過ごしていたある日、私はSORAくんの声を聞いた。
それが晃樹くんの声だった。
♢♢♢
「あずまりちゃん。これ、みんなの部屋に届けてくれる?」
思い出に浸っていると、衣装も作れる万能美女牧田さんに声をかけられた。
「わかりました。行ってきます!」
事務所の上は、SEVALIVEのメンバーが住む居住フロアになっている。ダンボールを抱えたままインターホンを押すと、ちょっとだけ髪の乱れた晃樹くんが顔を出した。
「あずまり!これ次の衣装?」
「はい!保管をお願いします!」
衣装の入った段ボールを晃樹くんに押し付ける。うちの事務所は狭いから、衣装の一部を個人で管理してもらっている。よろしくと背を向けると晃樹くんに引き留められた。
「あずまり……あとで部屋に来てくれない?」
「わかりました。牧田さんの手伝いが終わったら来ますね。」
晃樹くんが私を部屋に呼ぶのはいつものこと。だけどちゃんと自分を律していないと飲み込まれてしまうかもしれない。晃樹くんの声はSORAくんの声なのだから。
「牧田さん、他に何かありますか?」
一通り仕事を終えて声をかけると、牧田さんはガサゴソと袋を漁って赤色のリボンを取り出した。
「ごめん。さっき入れ忘れちゃった。晃樹に渡しておいて。それが終わったら今日はおしまい。」
「わかりました。お疲れ様でした。」
私は牧田さんから赤いリボンを受け取ってカバンにしまうと、その足で晃樹くんの部屋に向かった。
インターホンを押すと、満面の笑みの晃樹くんが現れた。今度はちゃんと髪が整っている。
「お疲れ様。入って。」
いつものようにベッドの前にある小さな丸いテーブルにつくと、晃樹くんは私の向かいに正座した。これもいつもの流れだ。
「この前のライブ……のこと、なんだけど。」
「わかりました。いきます。」
私はコホンと咳払いをして──
「この前のライブ、すっごくカッコよかったよ!歌は前よりずっと良くなってたし、ボイトレ増やして低音のレッスンしてもらった成果が出てたと思う!ダンスの見せ場はアドリブがいい感じだったし、メンバーの驚いた顔がすっごく面白かった!常連さんも満足していたし、新規のファンも増えてきてるよね。この調子で頑張って、晃樹くん!」
言い終えた瞬間に晃樹くんは両手で顔を覆って俯く。晃樹くんが私を部屋に呼ぶ理由はこれ。ライブが終わった後、私は必ず晃樹くんを褒めている。
「ありがとう……やっぱりあずまりの言葉は効くよな……」
私が晃樹くんを励ますようになったきっかけは、SEVALIVEの初ライブでのこと——
「気にするな、晃樹!」
「そうだよ。これも経験のうちだ。」
肩を落として項垂れる晃樹くんの周りで、メンバーが代わる代わる慰めの声をかけている。初めてのライブで、晃樹くんはとんでもなく緊張したらしい。歌詞を飛ばし、何度も振り付けを間違えた。
今と違って見ているお客さんなんてほとんどいなかったから、気にする必要はないけれど、晃樹くんはこれでもかというほど落ち込んだ。その結果、喋らなくなってしまったのだ。
アイドルをやる以上、ライブの緊張感には慣れてもらうしかない。放っておけば良いと牧田さんにも言われたけれど、私にとっては一大事だった。晃樹くんの声が聞けないということは、SORAくんの声が聞けなくなってしまうということだ。
せっかく見つけたSORAくんをまた失うなんて、あってはならない。私は無言を貫く地蔵のような晃樹くんに声をかけた。
「晃樹くん、今回のことはすごく良い経験になったと思いませんか?初めてのライブなんですから、失敗するのは仕方がありません。SEVALIVEはこれがスタートです。今回よりも次、次よりもその先に進んでいくんです。」
晃樹くんは表情を変えずに私の方を向いた。
「それに、晃樹くんが間違ったところをみんなでカバーしていて、すごく良いグループになったと思いました。晃樹くんも失敗を引きずらずにちゃんと挽回していましたよね!あんなファンサができるなんて知らなかった!あれはほんっとうに良かったよ!だってあの目線は反則だと思う!あんなことできるんだから晃樹くんは根っからのアイドルなんだよ!だから、こんなことで落ち込んでちゃダメ!できる、絶対できるから!」
また以前のように声を聞かせて欲しい。そう思って励まし始めたら、言葉が止まらなくなってしまった。
(なんかすごいこと言っちゃったな……)
普通でない熱量で話していたことに気づき、恥ずかしくなって視線を逸らすと、晃樹くんは勢いよく私の手を握りしめた。
「ありがとう、あずまり!あずまりの言葉を聞いたら、すっごく力が湧いてきた!」
『君のコメントを読んだら、すっごく力が湧いてきたよ!』ようやく聞けた晃樹くんの声は、いつかの配信で、私のコメントを読んでくれたSORAくんと同じだった。
「あずまり、これからも俺のこと褒めてくれない?あずまりに褒められればできる気がするから!」
「わかりました、任せてください!晃樹くんのために頑張ります!」
私は反射的にそう答えていた。それ以来、晃樹くんはライブが終わると褒めて欲しいと頼んでくるようになった。だけど、最近は少し思うところがある。
今の晃樹くんは失敗して落ち込むことはない。たとえ歌詞を忘れたり、振りを忘れたりしても、カバーする余裕がある。だからもう褒める必要なんてない。
「晃樹くん、もう終わりにしませんか?」
「なにを?」
「晃樹くんの部屋に来て褒めることです。もう晃樹くんは立派なアイドルですし、褒めなくてもちゃんとできています。それに落ち込むことはないですよね?」
「そんなことない。失敗したら自信が無くなるし凹む。あずまりが褒めてくれないと無理だよ。」
SORAくんに引き留められているみたいで、決意が揺らぎそうになる。マネージャーとしてメンバーを褒めることは仕事の一環ではある。だけど部屋に来てまですることではない。これから露出を増やしていこうとしているSEVALIVEの足枷になっては困る。
「ライブ終わりにみんなでやるのはどうですか?社長や牧田さん、みなさんからも褒めてもらえますよ?」
「俺はあずまりに褒められたい。俺にはあずまりが必要なんだ。」
高くもなく、低くもない、ちょうど良い音域の声が、私を包み込んでいく。晃樹くんの声は、心の支えにしていたSORAくんの声。SORAくんが私を求めてくれている。私はもう失いたくない。私のSORAくんを。SORAくんとの思い出が目の前を流れていく。
「私は晃樹くんの声が好きです……だから……」
いつまでも聴いていたい。SORAくんの声を。晃樹くんの声を守ることがSORAくんを守ること。そのためなら私は——
「まだ褒めてくれるんだ。ありがとっ。」
はっとして顔を上げると、晃樹くんは嬉しそうにニコニコと微笑んでいた。目の前にいるのは晃樹くんでSORAくんではない。途端に恥ずかしくなった。
「あ、えっと、すごくいい声だな〜っていつも思ってるんです。晃樹くんだったら、Vtuberとかやっても人気が出るんじゃないかな〜って……あは、あはは。」
何を言ってるのだろうか。言うつもりのなかった言葉が口をついて出てきて余計に慌ててしまう。ワタワタする私を見て、晃樹くんはいつもみたいに笑い飛ばしてくれるだろうと思った。だけど空気はどんどん重くなっていく。
「嫌いなんだよね、Vtuberって。」
聞いたことのない硬い声が重く響き、大きな音を立ててガラスが砕け散った。割れたガラスの破片はグサグサと私の心に突き刺さっていく。
「そ、そうなんですね……すみません、変なこと言っちゃって……失礼しますね……おやすみなさい……」
晃樹くんの顔を見ることができず、逃げるように部屋を出た。しかし階段を駆け降りている途中で足が動かなくなった。
「嫌いなんだよね、Vtuberって。」
耳の奥でぐわんぐわんと反響している。晃樹くんはSORAくんではない。晃樹くんとSORAくんは関係ない。私が勝手に晃樹くんの中にSORAくんを見ているだけだ。
「わかってるよ、そんなこと……!」
晃樹くんがVtuberを嫌いだなんて知らなかった。不必要なことを言ったのは私だ。だけど大切なSORAくんの思い出をも否定されたようで苦しい。私はその場にしゃがみ込んで、涙が落ちる前に顔を伏せた。
♢♢♢
「Vtuber、か……」
マネージャーのあずまり、こと東莉乃が部屋を出て行った後、ベッドの上に無造作に置かれていたスマホを手に取った。
あずまりに励まされると不思議と回復できる。メンバーや他の人に褒められるのとは少し違う。嬉しくて楽しくて、何より心が満たされる。だからいつも頼んでしまう。
「晃樹、少しずつやってみない?この先もずっとあずまりちゃんに頼り続けるの?」
あずまりを呼び出していることを知られ、牧田さんに釘を刺された。牧田さんの言うことはわかる。あずまりもこの関係を良いとは思っていないのだろう。だからもう終わりにしないかと言ってきた。
あずまり以外の褒めてくれる相手を探さなくてはならない。SEVALIVEのメンバーでも良いが、メンバー同士は褒め合うというより作戦会議になりがちだ。そうではなくて、自分のことを無条件で褒めてくれる相手が欲しいが都合良くそんな人はいるはずもない。
SEVALIVE のメンバーはSNSをやっている。メンバーのアカウントに届くコメントは好意的な感想が多いから、まずはそこから始めたらどうかと牧田さんは提案してくれた。手の中にあるスマホを見つめていると、心臓がドクドクと鳴り始めた。
だけど踏み出さなければ変われない。スマホを持つ手はわずかに震えている。まだ無理かもしれないという思いを押し込めて思い切ってアプリをタップした。
文字の列が脳内を埋め尽くしていく。決して読み切ることのできない大量の文字は鋭い刃物となって襲いかかってきた。視界はじわじわと真っ黒に染まっていく。
まだ見てはいけなかった——ガタンと音を立ててスマホが床に転がった。
♢♢♢
「あ、リボン渡すの忘れちゃった。」
床に置かれたカバンから赤いリボンがのぞいている。リボンを届けに行ったことを忘れてしまっていた。私はふーっと息を吐き出してから立ち上がった。
晃樹くんがVtuberが嫌いなのは仕方がない。それは個人の自由だ。それに、SORAくんの姿を晃樹くんに映していることは私の勝手。ショックを受けるのも勝手だ。
晃樹くんはSEVALIVEの大切なメンバーの1人。これからも元気に活動してもらわなくてはいけない。そのために褒め続けるのは、マネージャーとして大事な務めかもしれない。
涙を流したおかげでちょっとスッキリした気分で晃樹くんの部屋のインターホンを押す。しかし、晃樹くんは出てこない。
もう寝てしまったのだろうか。いや、そんな雰囲気ではなかった。だったらお風呂だろうか。いや、晃樹くんはお風呂に入っていても、インターホンが鳴れば平気で出てくる。過去にタオル一枚で現れたことがある。
(部屋にいる、よね……?)
扉のノブに手をかけると鍵はかかっていなかった。呼びかけても返事はない。そっと足を踏み入れると、うつ伏せに倒れている晃樹くんの姿が目に飛び込んできた——


