底辺乗り物オタクの私、推しに見つかりました―推しの推し活が、溺愛すぎる
毎年春になると、私は「いすみ鉄道」の菜の花列車に乗りに行く。  黄色い絨毯の中を、同じく黄色い気動車がゆっくりと進むあの光景。数日前から天気予報とにらめっこしていた。なんせ毎日自由に飛び回れる人気YouTuberとはわけが違う。私は社会の荒波に揉まれる、底辺YouTubeチャンネルのしがない運営者なのだから。
 日頃の行いが良いからか、明日の降水確率はほぼ0パーセント。 「・・・よし、大丈夫そう」  楽しみすぎて、柄にもなくSNSに投稿をした。 『明日の準備。菜の花。』  可愛げのない短い文章。でも、私にとっては、この一言に爆上がりしているテンションのすべてが詰まっている。
 ポツポツと「いいね」はつくけれど、コメントは来ない。準備段階では反応がもらえないのが、底辺YouTuberの現実だ。けれど、画面を閉じようとした瞬間、LINEの通知が跳ねた。
『準備って、いすみ鉄道でしょ! 民鉄さん、毎年恒例ですもんねー』
「・・・っ、当てられた・・・!」  推しに筒抜けなのが恥ずかしくて、どう返せばいいのかフリーズしていると、返信する前にもう一通。
『こっちも準備中!』
「え!」
思わず声が出た。あ、思わずいすみ鉄道の準備と考えてしまったけど、内容は書かれていない。
落ち着け、落ち着け。壮大と出会ってからの私は、いつもこの言葉を自分に言い聞かせている。
「東京駅で待ち合わせにしない?」
あ、やっぱり、いすみ鉄道同行を考えているのか。
どう返せばいい?返せない。思考がぐるぐる回る。
さらに追い打ちのように
「壮大のクルマで行くって手段もあるけど」
――大パニック。推しのクルマでいすみ鉄道?
「おーーーい!」
民亜の頭の中は、興奮と動揺でいっぱいになった。

『あ、ごめんなさい。読んでます』  震える指先で、ようやくそれだけを打ち込んだ。
『どっちにする?』  返ってきたのは、あまりにも軽やかな問い。  そこには、壮大が同行するかしないかという選択肢は、もはや存在していなかった。有無を言わさぬ「連結」の強制。
『東京駅から、電車で行きませんか?』  そりゃあ、推しが運転する車の助手席に乗ってみたい。けれど、その密室の緊張を考えたら、房総半島に辿り着く前に私の心臓がオーバーヒートしてしまう。とてもじゃないけれど、車は選べなかった。
『そお? 壮大のクルマ、乗ってみたいんじゃないの?』    画面の向こうで、彼がニヤニヤしているのが目に浮かぶ。  ほら、またこうやって私を「ファンとしての民鉄」にしたり、「一人の女性としての民亜」にしたりして、振り回して楽しんでいるんだ。
『緊張するので、クルマは無理かもです。それに、いすみ鉄道までの車中の景色も好きなので』 『流石、民鉄さん。わかりました。じゃあ、明日は東京駅丸の内口で』
 決定。  送った後で、少し、いや、かなりもったいないことをした気がした。でも、これでいい。電車で行くなら、まだ「鉄活」という体裁が保てる。
 ――さて。  私はクローゼットの前に立ち尽くした。 「明日、何着ていこう・・・」
 自分でも驚くような独り言が出た。  明日の準備といっても、これまでは予備のバッテリーや三脚、レンズの手入れがすべてだった。着ていく服なんて、動きやすければ何でもいいと、前日に考えたことなんて一度もなかったのに。
 黄色い菜の花に映えるのは何色だろう。  カメラを構える私の背中を、彼は隣で見ているはずだ。    鏡に映る自分は、いつになく落ち着かない顔をしていた。  推しの服部壮大と行く、房総の旅。  重厚な「山貨2000」を追いかけていた頃には想像もしなかった、ふわふわと浮き立つような、不思議な気持ち。
 私は、機材バッグの隣に、生まれて初めて「明日着ていくためだけの服」を丁寧に畳んで並べた。

東京駅丸の内口。朝、8時。  駅舎の赤レンガが朝日を浴びて輝く中、私は大きな機材バッグを抱えて立っていた。  普段の「鉄活」なら、もう現地付近に到着している時間だ。けれど、相手はあの服部壮大である。ミュージシャンといえば、夜に活動して昼まで眠っているイメージが強い。彼だって、確実に朝8時は深い眠りの中にいるはずだ。
(・・・本当に起きられたのかな?)
 もし寝坊していたら、なんて考えたとき、ふと「モーニングコール」という単語が脳裏をよぎった。電話越しに聞く、寝起きの彼の低い声。そんなものを想像しただけで、自分の体温が急上昇するのがわかった。  落ち着け、落ち着け。必死に自分を律していると、背後から聞き慣れた声が届いた。
「お待たせ」
 振り返る間もなかった。左横にスルリと入り込んできた気配が、そのまま右肩をガシリと抱き寄せる。 「ひゃ・・・っ!」  あまりの近さと、体温が上がっていた気恥ずかしさから、私は反射的に左手で自分の顔をバタバタと仰いでしまった。突然目の前で踊った私の手に、壮大が驚いて目を丸くする。
「あ・・・ごめんなさい・・・!」 「驚いた。・・・そんなに暑い? 今日はまだ涼しいけど」  壮大は可笑しそうに笑うと、「改めて、お待たせ」と言って、今度はさらに力を込めて私の肩を引き寄せた。ガッチリとホールドされ、もう逃げ場がない。
「今日もいろんな機材、持ってきてるみたいだね」  壮大はそう言って、私の肩からずっしりと重い機材バッグをひょいと奪った。 「あ、重いですよ!」 「大丈夫。・・・ってか、民亜こそ重くないの? これ」    ふと見ると、壮大自身はスマホしか持っていないような軽装だった。あまりにも身軽すぎる。・・・いや、待って。この「これから電車で長旅をする人」には到底見えない姿。おまけに、彼の体の向きが、さっきから全く改札を向いていない。
「・・・あの、壮大?」  立ち止まったまま動かない私に、彼はキャップのつばを指先でクイと上げ、最高の笑顔で微笑みかけた。
「ほら、行きますよ。・・・民鉄さんのために、駅に一番近い駐車場に止めました。こっちです」 「・・・・・・や、やっぱり・・・っ」
 私は、崩れ落ちそうになるのを必死で堪えた。  電車で行きたいと言った私の希望を汲んだふりをして、結局は「車一択」の状況を作り上げていたのだ。
「あ、でも・・・いすみ鉄道までの車中が好きだって言ってたよね。だから、今日は俺が『運転士』。民亜は助手席で、好きなだけ景色を楽しんでよ」
 壮大は機材バッグを肩にかけたまま、私の手を引いて歩き出す。  彼が用意した「プライベートな特急列車」からは、もう、途中下車なんてできそうになかった。

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