八年執着されましたが、幸せです ~傷心のホテリエですが、イケメン御曹司と契約恋人になりました~

婚約破棄

 ――彼の目は、こんなに冷たい色をしていただろうか。

 私――三峯芳乃(みつみねよしの)は、暮れゆくマンハッタンを背景に、こちらを見つめている男性を絶望した目で見る。

[……すみません。今仰った言葉が理解できないのですが、もう一度……]

 震える声で尋ねると、ウィリアム――ウィルは整髪料で整えた金髪を掻き上げ、溜め息をついた。

[僕と君の関係は、今日で終わりだ。二年半、楽しかったよ]

[だって……っ、私……っ!]

 私が勤めているのは、NY屈指の高級ホテル〝ゴールデン・ターナー〟をはじめ、欧米諸国に高級ホテルやリゾートホテルを展開する〝ターナー&リゾーツ〟だ。

 ホテルマンなら誰しも憧れるホテルの制服に身を包んだ私は、ルージュを塗った唇をキュッと引き結ぶ。

 ――あなたから誘ってきたのに、どうして!

 そう言おうとした時、COOルームがノックされた。

 話の途中なのに、ウィリアムは室内に控えている秘書に視線をやり、応対するよう命じる。

[ミズ、どうぞ]

 ドアを開けた秘書が口にした単語は、女性への敬称だ。

 思わず振り向いた私は、このタイミングでCOOルーム――ウィルの執務室に入ってきた女性を見て表情を強張らせた。

[失礼。まだ話が終わっていなかったのね]

 そう言ってルージュを塗った唇でニッコリ笑ったのは、くっきりとアーチを描いた眉に幅広二重の目。長い睫毛に豊かなブルネットヘアの女性だ。

 着ているワンピースはラグジュアリーブランドの物で、要所に輝くアクセサリーも名だたるブランドの物だと一目で分かる。

(それに比べて私は……)

 セレブ然とした彼女を前にした私は、ホテリエである自分に誇りを持っていたはずなのに、圧倒的な敗北感を覚える。

 NYには様々な人がいるし、マンハッタンはセレブが大勢住む街だ。

 さらにこのホテルは〝ゴールデン・ターナー〟で、世界中の人が熱狂するアーティストや、有名政治家、スポーツ選手、投資家、名だたる客層が出入りしている。

 そんな人たちのオーラは浴び慣れているはずなのに、私は目の前の女性に圧倒されていた。

[もう時間だったか。レティ、すまない。すぐ切り上げる]

 ウィルは恋人の私と話しているのに[すぐ切り上げる]と言い、プレジデントチェアから立ち上がった。

(私が何を言っても立とうとしなかったのに、彼女が来たら立って挨拶をするの?)

 立ち上がったウィルはデスクをまわり、悠々と歩いてレティと呼んだ女性に、私に見せつけるようにハグとキスをした。

(私にはハグすらしてくれなかったのに!)

 カーッと顔に熱が集まり、屈辱と怒り、悲しみとで握った拳が震えた。

 NYは今、ホリデーシーズン真っ最中だ。

 ホテルはかき入れ時で、上客に最高の思い出を作ってもらうために、スタッフ全員で心を込めたサービスをしている。

 私はその忙しい時期にウィルとデートをし、彼の家族に挨拶する予定だった。





 私は日本の四年制大学を卒業したあと、三年間国内のホテルで働いた。

 そのあと単身渡米してあちこちのホテルに売り込みをし、熱意を認められて〝ゴールデン・ターナー〟で働き始めた。

 初めはベルスタッフから経験を積み、ホテルの雰囲気を掴み現地で英語力を培い、多国籍の同僚たちに多言語を教えてもらった。

 一年前にようやくホテルの顔とも言えるフロントに立つ事ができ、ベテランフロントの接客を見て学びながら経験を重ねていた最中だった。

 ウィルとは働き始めて二年目に出会い、彼から声を掛けられたのが交際の初まりだ。

[勤勉な日本人のベルスタッフがいると聞いたけど、君かい?]

 COOルームに呼ばれて緊張している私に、彼は気さくに話し掛けてくれた。

 呼び出した名目は、COOとして空き時間に、様々なホテルスタッフに話を聞き、現在の労働環境や気付きなどをリスニングしている……という体だった。

 だがその後、仕事のリスニング以外で呼ばれる事が多くなった。

[一緒に食事に行かないか?]

 高級レストランで食事をするのも経験のためと言われ、ウィルは私一人では行けない高級店へ連れて行ってくれた。

 私が暮らしているアパートメントに高級車で迎えにきてくれ、ドライブにも行った。

 誕生日やクリスマスにも贈り物をされ、事ある毎に花をくれる。

 私は学生時代から、海外の一流ホテルで働く夢を胸に邁進し続けた。

 男性とまともに付き合った事はなく、自分で言うのもなんだけど、まじめで初心だったと思う。

 だから王子様のようなウィルに、あっという間に恋をしてしまったのだ。

 仕事と恋に恵まれ、心の底からNYに来て良かったと感じた。

 渡米すると決めた時は家族に心配され、『上手くいかなかったらいつでも戻っておいで』と言われていたけど、軌道にのった今、日本には戻らずにアメリカに骨を埋めるつもりでいた。

 つい先日は、母にビデオ通話で『プロポーズされたの!』と指輪を見せて報告したばかりだった。

 ――そう、ウィルにプロポーズをされたのに……。
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