クズ王子の寵姫はお断り! 娼館の女主として生真面目侯爵様の愛を独占します
 王立魔法学園の卒業パーティーを三か月後に控えたある日、仕立て屋が真新しいドレスを持参した。
 私の薔薇色の髪に合わせた淡いピンクのドレスは、レースに美しい薔薇の刺繍が施されている。全身を薔薇で覆われたような姿を鏡に映せば、そわそわと心が浮き立った。

「裾の長さ、ウエスト、袖の膨らみ……どれも問題なさそうで、ようございました」
「イリス様、とてもお似合いです!」
「殿下もお喜びくださいますわ」

 ほっと安堵する仕立て屋の横で、侍女たちは笑顔で頷き合う。
 私もそうねと頷きながら、鏡の中で心細い顔をする自分を見つめた。

 ほっそりとした白い首筋に、袖から伸びる折れてしまいそうな両腕と腰のくびれ。両親は私のことを、可憐な薔薇のようだというけれど、私にはどうにも枯れ枝に見えてしまう。
 それに、流行りのドレスはデコルテを見せるデザインだから、視線は胸のふくらみに集まるから、また陰口を叩かれるに違いない。「淫乱な体で王子を籠絡した」とか「娼婦のような体」とか。

 もう少し腕や腰回りがふくよかなら、こんなに胸ばかり目立たないのに。あるいは胸元を隠せるドレスなら締め付けてしまえばいい。

「どうしてこんな身体なのかしら……」
「イリス様、どうされましたか?」
「……肌艶の悪さが目立たないかなって」

 ぽろりと零した本音を拾って心配そうに声をかる侍女に、取り繕うように返して胸元を両手で覆った。

「華やかなドレスに引き換え、ほら、目の下に隈まで出ているでしょ」
「そうでしょうか? 少しお疲れが顔に出ているとは思いますが、イリス様はとても美しいですよ」
「……ありがとう」

 気を遣ってくれる侍女たちに微笑んだ時だった。
 部屋のドアがノックされたかと思えば、すぐさま「イリス!」と私を呼ぶ声がした。

 振り返ると、婚約者であられるアルベルト殿下がプラチナブロンドの美しい男性を連れて入室された。殿下より年上なのは見てすぐわかった。背丈も高く、精悍なお顔立ちをされている。
 宮廷貴族のクロムウェル侯爵様だと思うけど、どうしてご一緒なのかしら。

「パーティーで着るドレスか?」

 私の姿を見た殿下は、じっくりと上から下まで眺めた。
 まるで品定めをするような眼差しに、恥ずかしさが込み上げる。
 今、殿下はなにをお考えなのか。似合っているよと、一言いってくれたらそれで安心したのに、ただ微笑まれただけだった。

 もしかしたら殿下も、このバランスの悪い身体をはしたないと思っているのだろうか。

 胸元で手を合わせて「似合っていませんか?」と尋ねると、殿下はいいやといいながら侍女たちに視線を向けた。

「イリスと話しがある。お前達は下がれ」

 突然の言葉に侍女たちは一瞬だけ視線を交わしたけど、すぐに笑顔になって「かしこまりました」といって、仕立て屋と一緒に部屋を出ていった。

 残されたのは、アルベルト殿下といらっしゃったクロムウェル侯爵様だけだった。
 殿下と二人っきりになることは、いままで何度もあるけど、第三者を残して人払いをするのは初めてだった。

「殿下、お話しとは……」

 恐る恐る尋ねると、アルベルト殿下は私の手を取り微笑んだ。

「イリス、婚約破棄に同意して欲しい」
「……え?」
「実は、二人目の聖女が見つかった。よって、第二王子たる僕がその娘を娶ることにした」

 どういう意味だろうか。
 笑顔のアルベルト殿下になんと返すのが正解なのか。息を呑んで、脳内で殿下の言葉を繰り返した。──アルベルト殿下が聖女を娶る?

 聖女が王族に嫁ぐ義務はない。なのに、私との婚約を破棄して、聖女を迎えるって……

 そもそも、国を守る聖女の加護を授かる乙女は一人とは限らない。過去にも複数人現れて、各地の教会で国を守護するお勤めをされたという記録がある。
 アルベルト様のお兄様であられる王太子様のお妃様も、聖女の加護をお持ちだ。だけど、ご婚約後に加護を得られた。聖女だから婚姻関係を結んだわけではない。

「ま、待ってください。そんな急に……」
「僕はイリスが聖女の加護を授かると信じていたんだけどね」
「……え?」
「キスはさせてくれるのに、その身体に触れさせてはくれなかったね。信心深くて清らかで」

 アルベルト殿下の指が私の頬を撫でた。首筋を下がり、浮き上がる鎖骨に触れたかと思えば、指先が胸のふくらみに触れた。瞬間、恥ずかしさに頬が熱くなる。
 とっさに身を引くと、殿下は「そういうところだよ」といって笑った。

「兄上は体が弱い。そして子を成していない」
「……アルベルト様、なにを突然」
「僕は王位を諦めていない。僕に必要なのは、可憐な薔薇の乙女ではなく、神に選ばれた聖女だ」

 想像もしていなかった話しに、思考と感情がついていかなかった。

 アルベルト殿下は今なんと仰られたのかしら。
 王位を諦めていない。つまり、王太子殿下と争われるということ?

 王太子様がご病気がちなのは公然の事実。
 私もお父様に、アルベルト殿下が継承権二位ということは王位につかれる可能性があるから、覚悟をしておくよういわれている。

 でもそれは、王太子殿下にもしものことがあった時の話じゃないの?

「……王位継承権を争わずとも、アルベルト殿下は王太子様をお支えする立場、国に必要な方です。そのような争いを国民は望みません」
「イリスは優しいんだね。でも、その優しいイリスじゃダメなんだ」

 アルベルト殿下の目が妖しく光った。
 背筋がぞわぞわとする。この人は、本当に私と結婚するはずだったアルベルト殿下なのだろうか。

 輝くような空色の瞳で王太子殿下を支えたいと仰っていたのに。今、私を見つめる瞳は曇で覆われたように淀んでいる。

「……聖女様は、このことをご存じなのですか?」
「もちろん、僕に力を貸してくれると約束してくれた。王位を継ぐべきは僕だと」

 国を守るべき聖女が、王子の私利私欲を受け入れるだなんて信じがたい。だけど、アルベルト殿下が嘘をついているとも思えなかった。

 これはもう、婚約破棄を受け入れるしかないのだろう。

 今までのお妃教育はなんだったのか。
 学園でも常に成績上位を心がけ、品行方正であることを守り、殿下の公務もお手伝いしてきたこの五年間が、一瞬で水の泡となる。

 この胸に芽生えた感情はなんだろう。ぽっかりと開いた穴に風が吹き抜けた。
 屈辱に耐えながら「わかりました」と静かに答え、瞳を閉ざした。

「わかってくれると思っていたよ。それで、もう一つ提案があるんだ」
「……提案?」
「イリス、僕が愛しているのは君だけだ。だから、僕の寵姫になれ」

 再び降りかかった言葉に耳を疑った。これほど身勝手で軽い愛の言葉があるだろうか。

 アルベルト殿下の妃になるために努力してきたのに。婚約破棄だけでも屈辱的だというのに。さらに、私に愛人になれだなんて!
 こんな話し、お父様とお母様が聞いたら、なんて思われるだろうか。寵姫となれば政治でも大きな力をもてる。でも、だからって……
 
「まずは、王家の寵姫育成機関でもあるワルド娼館へ入ってもらう」

 突きつけられた言葉に、頭を殴られたようだった。こんな屈辱的なことがあるだろうか。
 私が憧れて恋心を抱いていたアルベルト殿下は、本当にどこへいってしまったのか。

「……お断りいたします」

 震える拳を握りしめ、冷静を装って告げたけど、声が震えていた。
 私を見ていたアルベルト殿下の目が、すっと細められた。

「君に断る権利はないよ。御父上、エヴァレット伯爵の立場を悪くはしたくないだろう?」
「──!? 殿下は……私にエヴァレットの名を汚せと仰るのですか!?」
「僕が王位に就くなら、エヴァレット伯爵も許されるだろう。それとも……伯爵の称号はいらないかな?」

 逆らえば全てを奪って追放だってできる。そう突きつけられたようだった。
 これは提案なんかじゃない。私に選択肢なんてないんだ。

 気を抜けばその場に崩れ落ちそうだった。
 震え出しそうな足に力を入れ、真新しいドレスの柔らかいレースを握りしめて俯いた。

 自身の無力さを感じながら、胸の内で両親へ懺悔を繰り返すしかできない。
 絶望に飲み込まれるのを堪えていると、アルベルト殿下が「わかってくれたようだね」といった。

 冷たい指が私の顎に触れ、上を向かせた。そこには、あれほど輝いて見えたヴェルウッド国第二王子の顔はなく、野心に歪んだ男の笑みがあった。

「イリス、きちんとワルド娼館で学んで、僕のためにより美しくなっておいで」

 近づく顔に背筋が震え、とっさにアルベルト殿下の胸を突き放して後ずさった。
 この人は、私をお飾りかなにかとしか見ていない。きっと、愛してくれない。そう察した瞬間、涙があふれた。

「……殿下は私に、他の男の相手をせよと命じられるのですか?」
「そんなわけないだろう」
「娼館で学ぶというのは、そういうことではないのですか!?」

 アルベルト殿下のために生涯を捧げると決めていた。婚礼を迎えたら、この身を捧げるのだと信じていた。

 なにを学べというのか。
 お妃教育でも触れた閨について書かれた教本が脳裏をよぎる。あんな恥ずかしいことを、知りもしない殿方と行うなんて絶対に嫌だ。いっそうのこと、命を絶った方がましだわ。
 唇を噛むと、アルベルト殿下は「そんなことを気にしていたのか」と笑い飛ばした
 
「……そんなこと?」
「心配することはない。君は僕のものだ。他の男に触らせたりするものか」

 いっていることが支離滅裂だ。こんな状況で、アルベルト殿下のなにを信じたらいいというのか。
 ともすれば怒りと悲しみで泣きわめきたくなる心を、必死に手を握りしめて繋ぎ止めていた。

「君のことは、クロムウェル卿に任せる」
「……どういうことですか?」
「ワルド娼館はクロムウェル侯爵家が管理している。クロムウェル卿に逆らう者はいない」
「そうではなく!……そこまでして、どうして私を繋ぎ止めるのですか。聖女様とお幸せになって下されば、私はなにも……」

 なにもかもが水の泡となったとしても、殿下を恨みはしない。私にその力がなかっただけだと諦めることもできる。
 でも、寵姫となりながら、殿下が他の女性と結婚する姿を見て、閨の準備だけをするだなんて、そんなの屈辱的すぎて耐えられそうにもない。

「この体は僕のものだ」
「……え?」

 私の腰に手を回したアルベルト殿下は、私の腰をぐんと引き寄せる。身体が密接し、空色の瞳が細められた。にわかに曇り空のような影が落とされた。

「僕だって心配なんだよ。イリスの身体を欲しがらない男はいないだろう。僕の寵姫だと知りながら手を出す男がいてもおかしくはない」
「私は、殿下以外の男性となど。そもそも、ワルド娼館に入らずとも、生涯、この心は殿下に捧げ」
「口ではなんとでもいえる」

 どうしてこうなったのか、わからない。だけど、私が憧れていたアルベルト殿下はもういないのだ。
 体が震えが止まらない。この場から一刻も早く逃げたい。

「……お許しを。殿下が望むのであれば、生涯結婚いたしません。ですからワルド娼館へだけは」
「ダメだ。そういいながら、君を攫う男が現れるかもしれない。イリス、君は僕のものだ」

 震える私を見下ろすアルベルト殿下は、クロムウェル卿の前だというのに、その唇で私の口を塞いだ。

 逆らえない口づけには、無力さと絶望しか感じられなかった。
 アルベルト殿下から目を背け、口づけから解放された後も、私は力なく床に崩れるしかなかった。

「殿下、発言を失礼します」

 長いこと黙っていたクロムウェル卿が、その低い声で進言の許しを願い出た。
 私がこんなに心を傷つけられて泣いていても、彼にとっては関係ないことなのだろう。その淡々とした声に、心がさらに冷えていった。

「どうした?」
「聖女様のお迎え準備も進んでいることですし、イリス様がお心変わりされる前に、移動された方がよろしいかと」
「……しかし、卒業パーティーまでは三ヵ月もある。ワルド娼館から通わせるわけにもいくまい」
「それでしたら、その三ヵ月は私の屋敷でお預かりいたします」

 感情を感じない事務的な言葉に、むしろ、私の心は落ち着いていった。

 今さら卒業パーティーに、どんな顔で出向けというのか。
 涙で濡れたドレスを身にまとい、会場を去った後は鳥籠の中となる身で、なにを喜べというのか。

 アルベルト殿下とクロムウェル卿が話す様子をぼんやりと眺めていた。
 もう心を閉ざして人形になるくらいしか、私が進む道はないのかもしれない。

 殿下が私の前に腰を下ろして再び口付けるのをただ受け止めた。

 言葉を発することも忘れ、泣くこともやめた私は、早々にクロムウェル侯爵に連れられ、王城を後にすることになった。
 両親にはどう伝えたらいいのか。きっと嘆かれるだろう。そう思いを馳せて胸を痛めるくらいには、まだ心があるようだった。 

 案内された侯爵家の客間で立ち尽くしていると、クロムウェル卿は一人の侍女を残して、人払いをした。

「ご不安な思いをさせて、申し訳ありません」
「……これからよろしくお願いします」

 心にもないことをいい、ドレスの裾を摘まみ上げて静かに腰を落とした。

 完璧な淑女の挨拶は、アルベルト殿下の横で恥ずかしくないようにと磨き続けた立ち振る舞い。それが、こんなにも虚しいものになるなんて。
 虚無感の中、視線をクロムウェル卿へ向けると、真摯な眼差しが真っすぐに私へと向けられていた。

 笑み一つ浮かべない真剣な表情に鼓動が跳ねた。
 私は、彼の瞳をどこかで見たような気がする。まるで夜空のようなラピスラズリの瞳、切れ長で涼やかなその双眸をどこかで……

「イリス嬢、私に賭けてみませんか?」
「……賭ける?」
「ワルド娼館から貴女を連れ出せるのはアルベルト殿下だけではありません」

 クロムウェル卿の大きな手が差し出された。

「ワルド娼館の全権を預かる、このルシウス・クロムウェルの妻になるのであれば、救いだしてみせましょう」

 突然の申し出をにわかには信じられなかった。

 いくら娼館を預かる侯爵様とはいえ、王子の命に歯向かうなんてできるわけがない。だけど、私から視線を外すことのないラピスラズリの瞳を見ていたら、この方であれば、私の運命をひっくり返してくれるのではと思えてきた。

「……私はどうなってもかまいません。どうか、父を、エヴァレット家の名が汚されぬよう、お力添えを」

 クロムウェル卿の手に指を添えると、優しく引き寄せられ、彼の唇がそっと指先に触れた。
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