アンコールはリビングで
「島崎さん。……すみません、俺、帰ります」

「えっ? ……帰るって、早瀬くんが主役なのに?」

島崎さんが少しだけ目を丸くして、驚いたような声を上げた。俺は人差し指を口元に当てて、彼を黙らせる。

「今日1日、テレビもラジオも配信も、求められた仕事は全部完璧にこなしたっすよね。だから、ここからは俺の自由時間でいいはずですよ」

「いや、そうだけどね。この後みんなでMVの公開を見届けて、そのまま軽く打ち上げ的な感じで……」

「初速のデータは、後でメッセージで送っといてください」

俺は、キョトンとしている島崎さんに向けて、一切の妥協を許さない真剣な声で告げた。

「俺、あのMVの公開の瞬間だけは……家のリビングで見たいんで」

「……あー。なるほどね」

島崎さんは数秒ほどぽかんとしていたが、すぐに呆れたような、けれどどこか温かい笑みを浮かべた。

俺にとって『家のリビング』が何を意味しているのか、凪の存在を知っている彼には痛いほど伝わったのだろう。

「分かった。スタッフには僕から上手く言っておくから、早く帰りなよ」

「ありがとうございます。お疲れ様でした」

俺は島崎さんにだけ軽く頭を下げると、まだ盛り上がっているスタジオを足早に抜け出し、待たせてあった事務所の送迎車へと急いだ。

時計の針は、20時15分を回っていた。

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