08 ーHACHIー ~俺の彼女と私の彼~

EP97 前夜(3)

 4歳の誕生日まで――
 僕は、ライトと呼ばれていた。
 名前が”光”だなんて、両親の溺愛ぶりに半分呆れていた。
 兄より自分の方が愛されていると思っていた。
 しかしその両親は、体の弱い“兄”のために、僕をマガミ家に養子に出す。

『君は次期ミカゲとして選ばれた。また真の”器”が決まるまで、真のマガミ家当主となる』
  
 そう告げて僕を迎えに来た先代のミカゲ。
 僕はその事実を受け入れる選択肢しかなかった。
 そして“ライト”という名前を告げることも、告げられることも禁じられる日々が続いた。
 『裏』のマガミ家当主として過ごす日々の中、僕は7歳になった。
 息抜きにこっそり抜け出した海岸で、僕は同年代ぐらいの少女と出会った。
 黒い髪、黒い眼。清楚な青いワンピースを着た、幼い顔立ちの少女。
 彼女は白い砂浜に座り、星形の砂に珍しそうに触れながら、青い波を見つめる。
 
「……誰?」

 僕を見て彼女はそう言った。
 すると強い耳鳴りがした。
 思えばそれが初めての”同調”だったと思う。
 僕の中に何かが降りてくる。

 ”ミツケタ。ワタシノ……”

 それは彼女を見て”ウレシイ”と“イトシイ”という二つの感情だった。
 わけが分からなかった。
 頭を抱えてその場に座りこんだ僕に駆け寄り、少女は心配そうに声を掛ける。

「ねぇ、どこか痛いの? ……大丈夫?」
「わから……ない……」

 僕であって僕ではない声がそう答える。
 締め付けられるように激しい頭痛がする。眩暈もする。ただただ苦しかった。
 すると少女は何を思ったのか、僕の頭を、背中を優しくただ撫でた。
 人間らしいあたたかい手だった。
  
「こうすると痛いのは飛んでいくよ」

 そう言いながら、彼女は僕を少し怖がっている。その手は震えていた。
 不思議と嫌じゃなかった。その逆で、もっと触れて欲しかった。
 口から出たのはそうではなく。

「僕を子ども扱いするな」
「そんなんじゃないもん、心配して損した!」

 少女は意外と短気だった。
 頬を膨らませて怒って見せる。
 なんでこんなにストレートに感情を出すんだ?
 僕は理解ができなかった。

「……なんでついて来るの?」

 僕は、怒りながら歩き出す少女の後を追っていた。
 本当はもっと話したかった。
 彼女の名前が知りたかった。
 一緒にいたかった。
 笑った顔が見たかった。

「行く方向が同じなだけだ」
「あっそう」

 少女は付いて来るなとは言わなかった。
 そのことが嬉しかった。
 そばにいてもいいのだと思った。
 
「ねえ……名前なんていうの?」

 少女は時々歩くのをやめ、小さな貝殻を拾っていた。
 そしてその貝殻を太陽に透かして見つめながら、僕に問いかける。

「なんだっていいだろ」

 名乗れる名前なんかない。かといってミカゲと名乗ることも出来ない。
 それが辛いと思う日がくるなんて思いもよらなかった。

「ふうん……私は、ユイだよ。ナナシさん」
「ナナシってなんだよ……」

 少女いわく名前がないからだという。
 
「だって名前がわからないと友達になれないもん」
「別に友達にならなくてもいい」
 
 そう言うと、またユイは頬を膨らませて怒り出す。
 でも少しだけ悲しそうな目をしていた。それがなんだか妙に引っかかる。

「ライト……」
「それが名前? ライトっていうの?」

 返事の代わりに首を縦に振る。
 思わず言ってしまったことに、僕は震えた。周囲を素早く確認する。
 誰もいない。ユイと僕だけだ。

「……ヘンな名前」
「あのさ、無理やり聞き出しておいて、酷くない?」

 今度は僕も感情を出してしまった。 
 理不尽で遠慮のない回答に心底腹が立ったのだ。

「……ごめん、なさい」

 彼女は素直に謝る。
 悪かったと本気で思ったようだ。
 
「でもちゃんと生きてる人だってわかった」

 マガミ家の人間は感情を隠す。
 それがユイには冷たく、死んでいる人のように見えるのだという。
 だから怖くなって逃げてきた、そう話す。

「僕は生きてる。死んでなんかいない。でも言いたいことはわかるよ」
「うん」
 
 ユイは少しだけ笑った。
 すこしだけ安心したように。
 もっと笑って欲しかった。
 もしかしたらもっときれいな場所に連れていけば、笑ってくれるかと思う。
 だから言ってしまった。

「ここじゃない何処かに行こう」
「なにそれ。……変なところだったら怒るよ?」

 ユイは僕の手を勝手に取って、さあ連れていけと催促する。
 その素直な強引さが新鮮だった。
 驚いたのは自分の気持ちだった。
 自然に笑っているのがわかった。

「期待してていいよ」

 僕とユイは浜辺を歩く。
 向かう先はお気に入りの海岸だ。ここからそう遠くはない。
 歩きながら僕はユイに触れて、ただ喜んでいた。
 このままずっと手を繋いでいたかった。
 同時に僕の中で何かがその想いを否定する。どうしてなのか次の瞬間直ぐにわかった。
 ユイの左手にあったのは、”ミシルシ”だったから。守護者の花嫁である女王の。
 僕はこの”ミシルシ”を見ないことにした。
 これからを生きるために、僕は想い出が欲しかったからだ。
 それから1時間くらい、僕とユイは青い海と白い砂浜で遊んだ。
 心から笑ったのは久しぶりだった。
 しかし僕に接続した”神”が告げる。

 “いつか彼女を迎えに行く日まで、二度と彼女に会ってはならない”
  
 どうして、と僕が問うことは許されなかった。
 僕はただ最初にそう誓ったように、たったひとつの返事しか出来なかった。
 あの時からずっと僕はたった一つの未来に向かって歩いてきた。
 今更それを覆すことはできない。

 ―*―
 あの日から彼女が好きだという気持ちは変わらない。
 “嘘”に塗り固めた、この歪んだ深い想いは絶対に知られてはならない。
 彼女が永遠に気が付きませんように。
 ミカゲは己が信じる“神”にただ祈った。
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