08 ーHACHIー ~俺の彼女と私の彼~

EP25 声

 この世界には4つの大きなリージョンがある。
 リージョンRは、北に位置する古くから栄えた大きなリージョンだ。
 ユイが住むリージョンCからは、陸・海・空どの交通手段も利用可能だ。

 マシューが提案したのは、リージョンCの大きな運河からリージョンRを目指すことだ。
 意外なことにこのルートが最速なのだそうだ。
 マシューに頼んで水上タクシーの手配をして貰っている間、ユイは音楽フェスの問い合わせ窓口にアクセスし、座席(チケット)のグレードをアップさせた。
 ちなみに音楽フェスは「合唱・管弦楽など」のフェスだった。
 彼女が行きたがらない理由が何となくわかるかもとユイは、チケットを見つめる。
 だけど流されたまま、用意された席に収まるのは何かが違う。
 自分が座る席は自分で選んだ物にしたい。
 そんなささやかな決断にマシューも賛同する。

 ユイはフォーマルを少し意識して、黒い総レースのロングワンピースに着替える。
 そういえば動物型のマシューとお出かけは初になるだろうか。
 
(これって地味にデートだったり……?)

 そんなことをチラリと考えながらユイとマシューは、水上タクシーの乗り場に向かう。

 小さな星が輝く夜。
 大きな運河を北上するのは気持ちが良い。
 周りを見ると何人かの動物型AIドールを連れている人がいる。
 
 そうした人たちは水がかからないよう、AIドールに専用のコートを着せていた。
 ユイはマシューにもそうしたコートを用意すべきだったと後悔したが、当のマシューは。

「IPX8相当の防水性能だ」

 と、なぜか誇らしい。
 何でも、水深3メートルで30分は耐えられるのだとか。
 それなら今度海辺かプールに誘うのもいいかもしれない。

 それにしても。
 祖父トミオはどうしてこんなオプションをつけたのだろうか。
 護衛サポートAIドールだから、必要と思ったんだろうか。
 
(もしかして耐性オプション全部付けたとか……。いや、流石にそれはないか)

 そうして優美な曲線を描いた街灯が両岸に見え始めた頃。
 幻想的な光に包まれたリージョンRの中心地の街並みが姿を現した。
 リージョンRは”音楽の都”と呼ばれている。
 音楽フェスは、美術的価値が高いと有名なコンサートホールで行われるのだ。

 伝統的な石畳の道が何処までも長く続いている。
 水上タクシーが目的地に着くと、マシューは開催場所までの最短ルートを案内する。

「本当にこの道で大丈夫なの?」
「当然だ。開演には間に合う道を選んでいる」

 マシューに連れられ、地元の人間にしかわからないような迷宮路を歩く。
 いつもの歩調で歩いたにもかかわらず、会場にはマシューの言う通り開演前に到着した。

「こんな謎のルートを着き進んでこの時間に着くなんて、流石マシュー……」
「うむ。護衛とは危険から主を護るだけではない。危険から遠ざけるのも――」

 優美な建物に惹かれたユイは既にマシューの言葉が耳に入っていない。
 「はぁ……ステキ! ちょっとドキドキしてきたかも」

 目の前には、風の流れを彷彿とさせる優美な曲線を描く壁。
 繊細な光を湛える巨大なガラス面。
 建築物それ自体が、静かに鼓動する芸術品のようだった。
 そんな空間に引き寄せられるように、ユイはフラフラと入口へ進む。

「……そこは関係者用だ。俺に付いて来てくれ」
「はぁい」

 各式の高さを醸し出す、上品な雰囲気のコンサートホール。
 ドレスコードがあるのではと思ったら、カジュアルファッションの観客も居るようだ。
 黒のワンピースにして正解だったと思いながら、ユイは席を探す。

 黒の執事服を着た老紳士がコンシェルジュのようだ。
 チケットを見せると、すぐに新しい座席のチケットと交換してくれた。
 奮発した最高グレードだ。

「ええと……「C」の「04」って、あ。ここか」

 目の前に広がる扇状のステージ。
 左側には白いグランドピアノが置かれている。
 
(……あの時と、全然違う)

 周囲を見回すユイ。
 祖母のリエとRARUTOのライブに行ったときのことが脳裏に浮かぶ。
 手を伸ばせば届きそうな距離感に心が高鳴る。
 きっかけは押し付けられた物だったのに、こんなに世界が変わるなんて。
 
 音楽団や合唱団が目の前で音楽を奏で、観客に礼を尽くして去っていく。
 あっという間にラストプログラムに移行し、トリを飾る団体がステージに上がる。
 オーケストラと合唱団の共演らしい。
 曲はこの世界で過去に発表された文学作品の、主題歌を演奏するようだ。

 ユイの足元に丸くなって待機していたマシューが、ステージを見上げるように座わる。
 その時、ステージの光を一身に浴びて歌う男性が現れた。

(こんなことって……) 
 
 彼はもう眼鏡をかけていなかった。
 銀色の髪を整え、漆黒のスーツを身に纏って、舞台の上で輝きながら歌う。
 テナーのソリストとして。

 他の演奏者とまるで違う、強い熱情がそのまま服装に現れているようだ。
 豪華な金糸の刺繍が入った深紅のベストは、まるで王族の正装にもみえた。
 同時にどこか型破りで情熱的な、彼だけのアレンジが施されているような気がした。

(ヒロト・セナ・リーシェン……)

 彼の名前がユイの心の中に響く。
 情熱的で張りのある高めの声と、圧倒的な存在感。

 そんな人が手を伸ばせば届く距離にいる。
 ただ”彼”を知ってみたいと思う。
 美しいソプラノもオーケストラの音楽も耳をただ素通りするのに、
 ヒロトの歌声だけがユイの中で甘く響いた。
< 25 / 82 >

この作品をシェア

pagetop