死にゆく私は、桜の世界で二度と散らない恋をした。
⋯⋯カシャッ。
静寂を切り裂くような乾いた音が、背後で響いた。
私は心臓が止まるかと思うほど驚き、弾かれたように振り返った。
「な、何⋯⋯?」
そこには、古いフィルムカメラをこちらに向けている男子生徒がいた。
あの香り。下駄箱で私を惑わせた、あの香り。
瀬口先輩が、ニヤリと口角を上げて笑っていた。
「あーあ、いい顔してたのに。驚かせちゃった?」
「な⋯⋯撮らないでくださいよ!何してるんですか、こんなところで」
「それは僕のセリフ。君こそ、なんでそんな死にそうな顔してフェンスにいるのかなー?」
瀬口先輩はカメラを首に下げ、近くに近づいてくる。
あの香水の香りがさらに強く漂う。
「⋯⋯別に。死にそうじゃないです。ただ、風に当たりに来ただけです」
「ふーん。じゃあ、サボり?真面目そうな二年生に見えるけど、サボりするような子には見えないなー。名前は?」
「⋯⋯小倉、咲菜です」
「咲菜ちゃんか。僕は瀬口奏斗。見ての通り、暇を持て余してる三年生」
彼は私の隣に来て、同じようにフェンス越しに外を眺めた。
「サボりなんて、不真面目ですね」
「いいじゃん。たまには。死にたくなるような毎日を送るより、屋上でサボってる方が、よっぽど健康的だよ」
彼の言葉が、私の事情を言い当てられたようで、心臓が跳ねた。
でも、彼は私の動揺なんて気にする様子もなく、またカメラを構えた。
「ねえ、咲菜ちゃん。暇つぶし、付き合ってよ」
「⋯⋯え?」
「僕、この学校に来たばかりで友達いないんだよね。あ、声かけてくる奴はいるよ?君がここで何しようとしてたかは聞かないからさ」
唐突な提案に、私は一瞬呆気に取られたけれど、すぐに冷めた意識が戻ってきた。
今の私には、誰かと笑い合うような余裕なんて一ミリも残っていない。
「⋯⋯嫌です。お断りします」
「えっ、即答? 少しは考えてくれてもよくない?」
「先輩と遊んでる暇なんてありませんから。失礼します」
私は踵を返し、扉へと歩き出す。
背後から「冷たいなぁ⋯⋯」という溜息混じりの声が聞こえた。
「じゃあさ、この写真、学校中にばらまいちゃうよ? 『死にたがりの美少女・屋上で絶望の図』ってタイトルで」
立ち止まり、私は振り返らずに冷たく言い放つ。
「勝手にすればいいじゃないですか。そんなことしたら先輩の罪になるだけですし、私はもうすぐいなくなる身ですから、別にどう思われてもいいです」
投げやりな言葉。
でも、足音が聞こえて、不意に右腕を掴まれた。
「離して⋯⋯っ」
「いなくなるって、どこに? 転校?」
瀬口先輩の顔が、すぐ近くにあった。
さっきまでのふざけた雰囲気は消え、ひどく真剣な、射抜くような眼差し。
「⋯⋯どこでもいいでしょ。先輩には関係ないです」
「関係あるよ。僕が今、君を撮っちゃったんだから。モデルの安全確保はカメラマンの義務だし」
「⋯⋯何言ってるんですか。意味不明です」
「意味不明でいいよ。ねえ、咲菜ちゃん。君が本当に『どうでもいい』って思ってるなら、そんなに震えた声で喋らないと思うよ。フェンス掴んでた指、真っ白だったし」
図星だった。見抜かれている。この人は、私の絶望を面白がっているわけじゃない。
「⋯⋯先輩は、何も知らないくせに」
「そう、知らない。だから知りたい。君が何に絶望して、何に怯えてるのか。それを写真に撮らせてよ。もし全部撮り終わってもまだ死にたかったら、その時は僕が一緒に⋯⋯」
彼は一瞬言葉を切り、またイタズラっぽく笑った。
「⋯⋯一緒に、サボってあげるから」
「⋯⋯最悪。先輩、本当に性格悪いですね」
「最高の褒め言葉。じゃあ、明日もここね。来なかったら、この写真、現像して下駄箱に貼り出しちゃうから」
私は彼を振り切り、今度こそ扉を押し開けた。
背中に届く彼の「またね〜」という声が、呪いのように、あるいは救いのように、私の耳に残った。