恋は、終わったのです

4.心が少しずつ軽く


 いつものように課題を届けた後、つい「テストで困るかもしれないから目を通しておいた方がいい」と言ってしまった自分を呪いたくなる。


 案の定、セオドアの文句が始まる。周囲の目を気にせず話す声が、廊下に響くのを聞きながら、私は心の中でため息をついた。


「分からないだろうな、リディアのようなでかくて、エマのように可愛げのない女には。大体、賢い自慢か何か知らな ……君は誰だ?」


 今日は、長いわね……と感じ始めたその時、レオナードが目の前に現れた。



「グラント侯爵令嬢の同じクラスの友人、レオナード・ボーモントです。こんな人通りの多いところで、婚約者をそのように言うのは、どうかと思いますよ、モンクレア伯爵令息。しかも、浮気相手の名前も大きな声で言うなんて」


 静かながらも確固たる口調でセオドアに言い放った。その瞬間、セオドアの顔がみるみる赤くなるのが分かった。



「なっ、浮気などしていない! 不愉快だ、もういい!」



 怒りに身を震わせながら、セオドアは足早に教室へと戻っていった。

 その背中を見送る間もなく、レオナードが私に視線を向ける。彼の目には、心配が浮かんでいた。



「リディア、大丈夫か?」



 優しく問いかけられ、私は少しだけ肩の力を抜いて答えた。


「ふふ。聞き流していれば終わったのに、自分から嫌な思いをするなんて……レオナードったら」


 軽い口調で返すと、彼はやれやれと言いたげに眉をひそめた。



「お前な……そんなこと言うなよ。学院では平等とは言え、身分の上の者に立ち向かうのは勇気がいるんだぞ。お前のために頑張った勇気をどうしてくれる。見ろ、この手の震え」



 彼がわざとらしく手を差し出してくる。その手は震えているが、明らかに演技だ。私は半分呆れながら静かに指摘する。



「その震え、わざとでしょ」

「ばれたか」


 レオナードは笑いながら言った。



「……なあ、言い返してやれよ。俺みたいに、勇気を持って」


 ふざけた態度を装いつつも、彼の言葉にはどこか真剣さが滲んでいる。まだおどけた表情のままだが、その真剣さに気づかないわけがない。



「……いいのよ。自慢じゃないけど、身長が高いのも、特進で賢いのも、事実だもの。傷つかないわ」


 そう自分自身に言い聞かせるように言う。本当にそう思っているはずなのに、なぜか胸の奥が少し重く感じるのは気のせいだろうか。


 背が高くて、賢すぎる女なんか可愛げがない。セオドアに、そう言われた気がしたからだろうか。


「確かに自慢じゃないな。なぜなら、俺の方がお前より身長が高いし、成績だって上だ。悔しいかったら越してみるといいぞ」


 悔しかったら……ふふ、おかしいわ。


「あら、成績は私の方が上だわ」

「はは、前のテストは負けたが、今度のテストは、俺が勝つ予定だ。そんなに言うなら何を賭ける?」



 レオナードは、よく私に挑んでは賭けを持ちかけてくる。特進クラスの令息と令嬢が賭けなんてと、カタリナは苦笑する。



「負けても知らないわよ」

「言っておくが、金のかからないものにしてくれ。貧乏子爵家の三男だからな」



 肩をすくめるレオナードに、つい笑みがこぼれる。



「ふふ、お金を気にするなんて、もう負ける気なのね?」


「あっ! しまった……、そうだな、俺は、負ける気は無いし、どうせ勝つから……何でも望んでいいぞ。はは」




 その時、廊下の奥からこちらに向かって息を切らせて駆け寄ってくるカタリナが見えた。

 あんなに急いで、どうしたのかしら。




「あ、いたわ。大丈夫、リディア?」


「どうしたの?」


「あの婚約者が、あなたに絡んでいると聞いて急いできたのだけど、もう終わったのね。私が、ガツンと言ってやろうと思っていたのに」


 彼女の気遣いがありがたく、少し申し訳ない気持ちになる。



「カタリナ、安心しろ。俺が代わりにガツンと言ってやったぞ」


 得意げに胸を張るレオナード。

 その様子を見たカタリナは、一瞬驚いた表情を浮かべたものの、すぐに眉をひそめて呆れたように言った。



「子爵家のあなたが? 伯爵家の令息に? 全く、嘘は上手につきなさい」


 軽く溜息をつく彼女の横顔には、呆れ半分、からかい半分といった表情が浮かんでいる。その様子が面白くて、私はつい口を挟んでしまう。




「本当よ、カタリナ。レオナードは、ぶるぶる震えながらガツンと言ってくれたのよ」

 言葉にわざとらしく力を込めて言うと、レオナードが慌てて手を振った。



「おいおい、ぶるぶる震えながらは内緒にしておいてくれよ」


 レオナードの軽口に笑いそうになるのを堪える。



「それも嘘よね。レオナードが人前で震えるわけがないもの。二人とも嘘が下手だわ」


 きっぱりと言い切るカタリナの冷静な一言に、私とレオナードは顔を見合わせた。

 次の瞬間、二人同時に吹き出してしまう。



「まったく、何がおかしいのかしら。とにかく、もう終わったのなら戻りましょう」


 呆れたように言いながらも、カタリナの口元にもほんのり笑みが浮かんでいる。



 三人で笑い合いながら、学院の明るい廊下を歩いていく。その空気の中で、心が少しずつ軽くなっていくのを感じた。

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