母国を追われた草いじり令嬢は、敵国で『宮廷植物医』として新生活を満喫しています~元婚約者様と義妹、お元気ですか? 貴重な植物が全て枯れ、さらに私が渡した大事な園芸書を燃やした?じゃあ、もう無理ですね~

第1話

「ベルナデッタ・フォーセット。僕は貴様との婚約を破棄する」
「……はい?」
 アトラ王国の北端に位置する、フォーセット男爵家の小さな庭にて。
 この家の長女――ベルナデッタが、いつものように楽しく植物の剪定をしていたときだ。
 唐突に言われ、彼女は思わず素の声が出てしまった。
 剪定の手を止め振り返ると一人の男性がいる。
 金色の髪は清風にも靡くほど軽やかで、深い碧眼は美しく煌めく。
 手入れの行き届いた品のよい衣服もまた、彼の見目を引き立てた。
 世間的には眉目秀麗と評される男性だったが、彼を見ただけでベルナデッタの楽しかった心はたちまち萎れてしまった。
「聞こえなかったのか? 僕はお前との婚約を破棄すると言ったんだよ」
「聞こえてはおります。ただ、突然でしたので、どのような経緯があったのかと気になりまして……」
「うるさい。女が男に口答えするな。そもそも、お前は伯爵より下の男爵だろう。身の程を弁えろ」
「申し訳ございません」
 ギルアンの睨みをベルナデッタは無言の笑顔でやり過ごす。
 顔に反して、その胸中はストレスが渦巻いていた。
(……めんどくさい。なぜ、私はこんな男と婚約する羽目になったんだろう)
 幼少期に決まった政略結婚だったのだが、ベルナデッタは心中でため息を吐く日々を送っている。
 そんな彼女に対し、ギルアンは侮蔑の目を向けた。
「僕は"真に愛する女性"を見つけたんだ。だから、君との婚約なんて破棄するに決まっている」
「そうですか。それはよかったです」
 私にとっても、と心の中で付け足した。
 同時に、徐々に嬉しさが胸にあふれる。
 ギルアンは以前から唐突に話をすることが多々あり、今回も質の悪い冗談だと思っていたのだ。
 どうやら、婚約破棄は決定事項らしい。
(私をずっと悩ませてきたギルアン様との婚約。まさか……向こうから破棄してくれるなんて!)
 まさしく、頭痛の種が取り去られたと言えよう。
 彼女の瞳の輝きに気づかず、ギルアンは不敵な笑みを浮かべた。
「僕の"真に愛する女性"は君にも紹介しておいてやろう。彼女は非常に美しい。きっと、君は地味な自分が恥ずかしくなるだろうね」
(誰でもいいよ、そんなの)
 ベルナデッタは興味がなく早く立ち去りたかったが、木陰から現れた令嬢を見ると驚いた。
「セリーヌがギルアン様の"真に愛する女性"なの?」
「ええ、そうですわ。私たちは真実の愛で結ばれていますの」
 ギルアンにしな垂れかかる令嬢はセリーヌ・フォーセット。
 ベルナデッタの義妹だ。
 魔法で桃色に染めた派手な髪はウェーブがかかり、髪と同じも桃色の瞳はいつもどこか潤んでいる。
 彼女が着る宝石が散りばめられた高価なドレスはギルアンが買い与えた物だ。
「何度見ても、お前の長い緑の髪と黄色の目は醜いな。衣服も汚れているし、常に土の臭いがしてたまらんよ。セリーヌと大違いだ」
「申し訳ございません」
 ベルナデッタは再度素直に頭を下げる。
 それが一番早く事が終わると知っていたからだ。
 彼女は今年で十六歳になる。
 男爵と云えどもこの年齢の貴族令嬢であれば、いつもドレスや装飾品を身に纏っている者が多い。
 だが、朝から植物の手入れに精を出していたベルナデッタは質素な作業着に身を包み、手も顔も土まみれであった。
 庭の草木には鋭利な葉を持つ種もあり、手や顔には小さな切り傷も見られる。
 農民のような格好の彼女を見て、ギルアンはさらに鼻で笑った。
「まったくなんだ、その服は。婚約者に会うときくらい着飾っておけよ。僕に悪いと思わないのか?」
「申し訳ございません。ギルアン様がいらっしゃるとは聞いておりませんでしたので。ドレスなどは作業の邪魔になるため、このような作業着を着ていた次第です」
「植物ばかり見ているから私にギルアン様を奪われるのですわ」
 セリーヌの瞳が弧を描く。
 彼女とギルアンの仲睦まじい様子から、ベルナデッタは裏の事情を把握できた。
(この二人は私の知らないところで仲を深めていたのね。……別にどうでもいいけど。むしろありがとう、二人とも)
 おそらく、実父と継母もセリーヌの婚約に賛成なのだろうと推測し、実際にその通りだ。
 フォーセット家でベルナデッタの味方は、何年も前に死去した実母だけだった。
 ベルナデッタは、どちらかというと人間より植物に興味がある。
 何より、自分を攻撃するような人間のことなどあまり考えていなかったので、浮気を知っても「ああ、そうなんだ」という感想を持つだけだった。
 そんな彼女に対し、セリーヌはギルアンとともに悪質な笑みを浮かべる。
「さあ、早く出て行ってください。"草いじり令嬢"のお義姉様がいると家全体の名誉に関わりますのでね」
 ――"草いじり令嬢”
 日々、植物の手入れに熱心なベルナデッタを蔑む呼び名だったが、当の本人はまったく意に介していなかった。
(ギルアン様とセリーヌ……いえ、フォーセット家の人たちにはどんな植物も草に見えてしまうのか。草とは茎が硬くならず柔らかいままの植物のことなのだけど、言葉の定義すらも知らないのね)
 地面に落とした微笑みを顔に貼り付けてベルナデッタは言う。
「私はその"草いじり"で、フォーセット家の経済状況を少なからず助けているかと存じますが……私を追い出した後のお庭の管理はどうされるのでしょうか?」
 幼少期から植物が好きだったベルナデッタは、物心ついた頃から庭の手入れを行っていた。
 今では貴重な種が豊富に育つ、国内でも知る人ぞ知る最高の植物園となっていた。
 フォーセット家の使用人もセリーヌ側なので、手入れを手伝う人間はいない。
 自分がいなくなったら誰が……と疑問に思うベルナデッタに、セリーヌが自慢げに胸を張った。
「もちろん、私が引き継ぎますわ。お義姉様がここに残る必要はありません」
「引き継ぐって、あなたは植物のお世話をしたことがあるの? この庭の植物は繊細な種も多いのよ。お世話の仕方を教えてからでもいいかしら?」
 セリーヌが植物を触っているところを見たことがない。
 庭の植物たちは、みなベルナデッタの大事な友人だ。
 残して去るのは忍びなかったし、万が一にでも枯らされたらと思うと心配でしょうがなかったのだ。
 ベルナデッタはセリーヌに少しでも知識を共有しようとしたが、ギルアンが間に割り入った。
「今すぐ出て行け、"草いじり令嬢"め。僕のセリーヌに近寄るな。指示に従わなければ、お前の大切な植物を……燃やしてもいいんだぞ?」
 そのまま、彼は手の平に火球を生み出し、近くの草木に近づける。
(人質ってわけね……)
 ギルアンは植物に興味などない。
 本当に燃やしてしまうだろう。
 逡巡した後、ベルナデッタはため息交じりに結論を出した。
「……わかりました、出て行きます。ですが、せめてこれだけは受け取ってくださいますか?」
「なんだ、この汚い本は」
「フォーセット家の庭に育つ全ての植物たちのお世話の仕方や手入れの注意点などをまとめた園芸書です。この通りに作業していただけば、誰でも枯らさずに育てることができます」
 ベルナデッタが渡した本の表紙はくたびれ、ページも皺が寄って非常にみすぼらしい。
 彼女が日々の作業で気づいたことや独自の視点で見つけた栽培のコツなど、並の園芸書とは比べものにならないほどの情報が書かれている。
 中身の良さより装飾で本の善し悪しを判断するギルアンとセリーヌは、汚れた園芸書を腫れ物のように押しつけ合っていた。
 そんな二人に、ベルナデッタは淡々と別れの挨拶を告げる。
「ちゃんと渡しましたからね。実際に作業するのが嫌だったら誰か人を雇ってください。それでは、私は身支度を整えてからフォーセット家を去ります」
 自室に戻ったベルナデッタは手早く着替えを済まし、生活必需品やわずかな資金をまとめる。
 手持ちは少ないがないよりはいい。
 植物の手入れ道具の他、多種多様な種をトランクバッグに収納したところでベルナデッタは外に出た。
 最後に庭全体を見渡す。
(たぶん、私がこの家で一番長く過ごした場所だ……。みんな、最後までお世話ができなくてごめんね。私はもう行くよ)
 案の定見送りは誰もいなかったがベルナデッタはそれについては特に何も感じず、とりあえず近くの街――"オービタル"に向かう。
 五分も歩けば着いてしまう距離だ。
(この後はどうやって生きようかしら。自由の身になったから何をやってもいいのよね)
 歩きながら、ベルナデッタは考える。
(冒険者は危なそうだ。私のところにも良く薬草を買いに来ていたし。じゃあ、植物のお店を開く? これは楽しそう……だけど、ギルアン様たちに知られないようにしないと。あの二人は絶対に嫌がらせしてくるよね。どうしようかな……)
 あれこれ悩んでいるうちに街に着いた。
 建物は主に石材で構成され、道は土が剥き出しだ。
 王国の地方らしい長閑な場所ではあるが、その日は街全体がどこか忙しなかった。
(なんだか騒がしいな。浮き足立っているというか、慌てているというか)
 周りの様子に注意しながら馬車の停留所に向かう途中、ベルナデッタの耳には住民の会話が聞こえてくる。
「……おい、聞いたか。また緩衝地帯で帝国軍が演習を行ったらしい。規模は一個旅団だってさ。しかも、指揮したのはあの"冷眼の宰相"とのことだ」
「えっ、本当かよ。いよいよ戦争が近いのかな。やっぱり王国の中央に引っ越すべきか……」
 住民の会話を聞くと、ベルナデッタは納得した。
(ああ、エーデル帝国が原因か)
 アトラ王国の北には、エーデル帝国という巨大な国家が位置する。
 数十年前に勃発した大規模衝突以降、両者は長らく敵対関係にあったのだ。
 緊張状態は近年まで続き、国交も交易もまったくない。
 水面下では政治的な動きがあるようだが、あくまでも噂だった。
 騎士団と魔導師団の駐屯地は"オービタル"よりさらに北の街にある。
 それもまた、住民の「この街が攻め込まれたら……」という不安感や焦りに拍車をかけているようだった。
(フォーセット家は国境に近いし、うちの庭に来るお客さんからもよく帝国の噂を聞いたっけ。……そうだ! 私には行きたいところがあったんだ!)
 不意に、ベルナデッタの瞳が輝いた。
(エーデル帝国に行きたい! そして、帝国固有の植物を見たい! 育てたい!)
 彼女が住むアトラ王国よりずっと領土は広く、国内にはない多種多様な植物が育つと聞く。
(図鑑でしか見たことがない数々の植物……ああ、一度でいいからこの目で見てみたい。王国との関係は正直どうでもいいや。この機会に行ってみるってのはアリ寄りのアリね。ちょっと地図を確認しましょう)
 道端の雑貨屋に入ったベルナデッタは、立ち読みは申し訳ないので国境付近の地図をちゃんと買い、エーデル帝国との位置関係を確認する。
 国境を出た後は緩衝地帯が広がっていた。
(国境までは馬車で二時間くらいか。意外と近いんだよね。……よし、エーデル帝国に行こう! そして、見たことない植物をたくさん見て育てる! 王国の人間が入国できるかはわからないけど……何とかなるでしょう! いや、何とかする!)
 目的を決めたベルナデッタは馬車を探す。
 さっそく馬車の一団を見つけたので行き先を聞いてみた。
「北に向かう馬車はありますか?」
「いや、うちはないね。帝国の方には怖くていけないよ」
 街の停留所を探し回ったが馬車は見つからず、ベルナデッタは出鼻をくじかれた。
(困ったわ、馬車が全然ない。歩いて行くにはさすがに遠いし……。また別の街で探すことになりそう)
 噴水の縁に座りながら、計画の練り直しが必要だと考えていたとき。
「お嬢ちゃん、北に行きたいのかい? 俺は行商人なんだが北を目指していてね。よかったら乗せていこうか? 馬車は快適とは言い難いが、多少なら空きはあるよ」
 低い男の声で話しかけられた。
 ベルナデッタが顔を上げると、人の良さそうな中年男性がいる。
 風体から行商人の類いだとわかった。
「ええ、北に行きたいです。もっと言うと、エーデル帝国を目指しておりまして。国境の近くまで行けたら嬉しいなと」
「あんた、帝国に行くつもりかい!? ……はーっ、そりゃすごい度胸があるね。さすがに国境の目の前は無理だけど、なるべく近くまでなら行けるよ。代金はこんなもんでどうかな?」
「ありがとうございます。お願いします」
 行商人が提示した金額でベルナデッタは納得する。
 正直に言うと今の持ち合わせでは少々厳しい金額だったが、この際我が儘は言えないだろう。
「じゃあ、俺についてきてくれ。馬車は街からちょい離れたところに停めてあるんだ。はぐれないようにな」
 ベルナデッタは行商人に続いて歩く。
 大通りを進み、街外れの森に来た。
 簡素ながら頑丈そうな幌馬車が停まっており、行商人は自慢げに話す。
「こいつが俺たちの馬車さ。……おーい、お前ら、旅の仲間を連れてきたぜ。北に行きたいんだとよ」
 行商人が呼びかけると、幌馬車の裏から男が二人現れた。
 盗賊や山賊対策のためか、どちらも太い剣を腰に提げる。
 ベルナデッタはトランクを持ったまま丁寧に頭を下げた。
「急なお願いで申し訳ありませんが、一緒に乗せてください。どうぞよろしくお願いします」
 男二人は何も反応せず、薄笑いを浮かべるだけだ。
(なんか嫌な感じ……いや、これは……!)
 察したベルナデッタが街の方に駆け出したとき、行商人が立ちはだかった。
 その顔から人の良さそうな表情は消え、代わりに悪人の表情が浮かぶ。
「逃げないでくれよ。せっかく手に入れた奴隷なんだからさ」
「つまり、あなたたちは奴隷商人ということですか?」
「ああ、そうだよ。お前は素直だからすごく楽な仕事だったぜ」
 行商人だった男は、武装した仲間二人と笑った。
 面倒なことになった、とベルナデッタは思う。
(最近はすっかり存在を聞かなくなったけど、こんな地方の街にも奴隷商人が来るのね)
 街への道は塞がれており、逃げるのは厳しそうだ。
 ベルナデッタは腕力も走力もそれほどないので、ここは売買意欲を削ぐ作戦でいこうと決める。
「私は美人でもないし身体の均整が取れてもいません。奴隷としての需要は特にないと思いますが」
「お前がそんなことを気にする必要はねえ。世の中には物好きがいるからな。市場に卸せば誰かしら買うんだよ」
「はぁ、そうなんですか。それで、どこまで行くんですか?」
「お前の大好きなエーデル帝国さ。王国の人間は裏ルートで高く売れるんだ。おい、荷物を寄越せ」
「離してくださいっ」
 奴隷商人はベルナデッタのトランクを奪い取る。
 意気揚々と中身を漁り始めると、植物の種が入ったいくつもの袋を見つけた。
「……あ? なんだよ、これ。土か?」
「植物の種です。どれも貴重な物なので零さないでくださいね」
 奴隷商人たちはしばしトランクを漁っていたが、金目の物がないとわかるとベルナデッタに突き返した。
「チッ、なんにも持ってねえじゃねえか。重てえから持ってろ。お前の金は帝国に着いたら貰ってやるよ」
 奴隷商人に言われたベルナデッタは、ふと閃いた。
(このまま言うとおりにすれば……馬車代が節約できるのでは?)
 先ほど提示された金額は、寂しい懐には厳しかった。
 帝国と王国の通貨は異なるものの、お金はたくさん持っていた方が安心だ。
(よし、ここは素直に従って帝国の近くまで送ってもらおう。目的地が近づいたら"あれ"を使おう。意図せず"仕込み"がうまくいったから)
「わかりました。奴隷になります」
 ベルナデッタは馬車の隅に座らされ、武装した男二人に監視されながら帝国に向かう。

 馬車に揺られること、およそ二時間。
 国境付近に広がる森の中に入った。
 奴隷商人たちは裏の抜け道を知っているようで、国境警備隊の目を掻い潜りながら馬車を走らせる。
 あっという間に緩衝地帯の荒れ地に入り込んだところで、ベルナデッタは馬車を下ろされた。
「ここからは歩きだ。逃げようとしても無駄だぞ」
 岩を影に歩く最中、ベルナデッタは頃合いだと考える。
(みんな……目覚めて)
 ベルナデッタが念じると、奴隷商人たちの衣服から大量の蔦が生え始めた。
 蔦からは獣の頭のような巨大な花が咲き、大きくその口を開く。
「「な、なんだ、これは!?」」
「それは<ニブルフラワー>と言いまして、端的に言うと食人花です」
「「……っ!?」」
 ベルナデッタは【緑の手】と呼ばれる特別なスキルを持っていた。
 植物に魔力を籠めることで成長を促進できるのだ。
 先ほど、奴隷商人たちがトランクを漁った際、種子が衣服に付着した。
 ベルナデッタが放出した魔力に触れたことで一気に花開いたのだ。
 締め上げられた奴隷商人たちはあっさりと気絶する。
「ありがとう、あなたたちのおかげで助かったわ。今鉢植えを用意するからね」
 よしよしと撫でると、<ニブルフラワー>は嬉しそうに身体をよじる。
 食人花なのは確かだが、人を傷つけるのはこちらが攻撃しようとしたときだけだ。
 蜜は非常に甘く滋養作用もあり、優しく接すれば同じように応えてくれる花だった。
 フォーセット家から持ってきた鉢植えに地面の土を入れ、<ニブルフラワー>を移し替えたところで、奴隷商人の一人が起き上がった。
 街でベルナデッタを勧誘した行商人ではなく、森で待機していた男だ。
 すかさず、彼女は身構える。
(まだ、気絶していなかった……!)
 今すぐ逃げたいがトランクを広げたままだ。
 大事な種や園芸道具を置き去りにはできない。
 ベルナデッタが真剣な顔で身構える中、予想もしない現象が発生した。
 奴隷商人の身体が光に包まれ、まったく別の人間に変わったのだ。
 目も眩むほどの美しい銀髪は後ろで一つにまとめられ、鋭い赤眼は紅玉の如く輝き、見る者を引き込んで離さない。
 ギルアンなど足下にも及ばない芸術品のように美しい男性で、彼の周囲だけ光芒が指しているのではないかと錯覚する。
「……え? ど、どういうこと……?」
 男性の見目というより展開に驚き目を瞠るベルナデッタに、銀髪の男は丁寧に名を名乗る。
「騙すような真似をして悪かったな。私はラインハルト・シュナイダー。"冷眼の宰相"と入った方が、君たち王国の人間にはわかりやすいか」
("冷眼の宰相"……!?)
 言わずとしれた、敵国――エーデル帝国の宰相だ。
 帝国の三大貴族シュナイダー公爵家の人間で、魔法に武力も極めて優れると聞く。
 一方、『赤い瞳は殺した人間の血で染まっている』、『少しでも気に障ったらすぐ殺される』、『日常的に人を食べる』……などなど、嘘か誠か数々の恐ろしい噂がアトラ王国にまで届いていた。
 予想外の超大物に、ベルナデッタは慌てて頭を下げる。
「私はベルナデッタ・フォーセットと申します。元男爵家の人間でした。まさか、宰相様とは気づかず……無礼をお許しください」
「君が謝る必要はない。この者たちは帝国を拠点に活動する奴隷商人で、私は潜入捜査をしていたんだ。王国内で捕縛するわけにはいかないため、緩衝地帯まで泳がせる必要があった。乱暴な態度を取って申し訳なかったな」
「いえ、それは別に構いませんが……宰相様が潜入捜査されたのですか?」
 宰相ともなれば国の最上位だ。
 このような任務を担当するなど聞いたことがなかった。
「尤も、普段は潜入捜査などは部下が担当する。だが、人手不足の現状を考えるとそうもいかないのだ。帝国は今、危機に瀕している故に」
「人手不足に……。帝国の……危機……?」
 ベルナデッタの小さな呟きに答えるように、ラインハルトは淡々と説明する。
「数年前、帝国全土を植物の奇病が襲った。農作物や薬草、その他重要な植物は根こそぎやられ、死人も大勢出た。急遽、私が宰相に任命され、国の復興に尽力している最中だ」
「し、しかし、ついこの間も緩衝地帯で帝国の大規模な演習が行われたと聞きました。とても危機に陥っているとは思えなかったのですが」
「それはただのハッタリだ。私が魔法で出した虚像が演習を行った。皇帝陛下は国が弱っていることを他国に知られたくないからな」
 帝国の内情を聞かされたベルナデッタは疑問に思う。
「なぜ、そのような重要な話を私にされるのでしょうか?」
(まだ出会ったばかりだし、そもそも王国の一令嬢に過ぎないのに)
 疑問に思う彼女にラインハルトは真剣な眼差しで話す。
「君に助けてもらいたいからだ」
 そのまま、王国の人間は知る由もなかった"帝国の内情"が明かされた。
「森で君のトランクを確認したところ……そんな嫌そうな顔をしないでくれ、仕方なかったんだ。植物に深い知識と経験を持つ女性だとすぐにわかった。何より、奴隷商人にも物怖じしない態度がよかった。君みたいな人材が来てくれれば、帝国の復興は一気に進むだろう。植物の専門家……そうだな、『宮廷植物医』として力を貸してくれないか? もちろん、できる限りよい待遇を用意する」
 ラインハルトの頼みをよく考える。
 不安はないと言えば嘘になるが、願っていた帝国の植物と触れ合う生活が送れる。
 何より……。
(植物たちが可哀想)
 ベルナデッタは植物が枯れて死んでしまうのが一番嫌だった。
 寿命であれば致し方ないが、病気などで死ぬのは可哀想でならない。
 しばし逡巡した彼女は、真摯な瞳で結論を告げる。
「わかりました。ぜひ、お願いします」
「ありがとう。皇帝陛下や宮殿の人間たちも、君のような人材が来てくれたら嬉しいだろう。帝国の国境沿いに馬車を待たせてある」
「はい。……ところで、この人たちはどうされるのでしょうか」
 ベルナデッタは力なく横たわる奴隷商人たちを指す。
「うむ、私のゴーレムに運ばせよう」
 ラインハルトは小鳥の模型が入った小瓶を取り出し、地面に落として割る。
 小鳥は瞬く間に巨大化し、奴隷商人たちを足で摑んで飛び去った。
「へえ、すごい便利ですね」
「私たちは馬車で行こう。君には聞きたいことがたくさんあるし、見せたいものもあるからな。……ところで、そろそろこの花を引き剥がしてくれると助かるのだが」
 先ほどから<ニブルフラワー>はラインハルトの頭を甘噛みしており、彼の銀髪は花粉まみせになっていた。
「きっと、ラインハルト様のことが好きなのでしょう。できれば、そのままにしてあげてくださると嬉しいです」
「……馬車までは許可する」
 不機嫌そうに呟くラインハルトに続き、ベルナデッタは力強く一歩踏み出す。
 銀髪が揺れる背中を見て、彼女は静かに思った。
(噂ほど悪い人ではないのかもしれない。植物に優しい人に悪い人はいないから)
 空を見ると、吹き抜けるような青い空が広がる。
(いよいよ、私の新しい生活が始まるんだ)
 敵国における新生活が、今ここに始まろうとしていた。

 ◆◆◆

 ベルナデッタがラインハルトと出会った、ちょうどその頃。
 フォーセット家では、ギルアンとセリーヌが茶を飲んでいた。
「ようやく、君と一緒になれる日が来たね。僕はずっとこの日を待っていたよ」
「地味なくせにちやほやされるお義姉様は不快でしたわ。私の方が美しいのに」
 派手で華美なセリーヌは、自分の外見に強い自信があった。
 それなのに、フォーセット家を訪れる人々はみな地味なはずのベルナデッタと楽しそうに話す。
 それが許せなかった。
 セリーヌと一緒にベルナデッタの悪口で盛り上がるギルアンの目に、一冊の本が映った。
 別れ際に渡されたあの園芸書だ。
(汚い置き土産を残しやがって。あいつは最後まで迷惑な女だったな)
 心の中で毒づいていたギルアンは、ふと名案を思いついた。
「こんな汚い本など燃やしてしまおうか」
「それがいいですわ、ギルアン様。視界に入るたびお義姉様を思い出して嫌な気持ちになりますもの」
 二人は園芸書を持つと暖炉に放り投げた。
 ベルナデッタが残してくれた大切な園芸書は炎に飲まれ、塵となって消えていく。
 存在そのものを消すような光景は、ギルアンとセリーヌに一時の爽快感を与えた。
「草なんか放っておいても勝手に育つだろう。わざわざ手にかける必要がわからないな」
「え土など触ってはお洋服が汚れてしまいます」
 気持ち良く笑う二人はまだ知らなかった。
 フォーセット家の庭にある植物はいずれも稀少な種ばかりで、庶民から王族にまで需要があることを。
 そして、全ての植物を枯らした結果、破滅の未来が待っていることを――
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