聖女らしきものたちの暗躍

オーギュストの絶望

オーギュストは邸から出され、しばらく呆然と目の前で閉じられた門越しに邸を眺めていた。
倒れてしまった父の容態も気になるが、父に言われた言葉があまりにも衝撃でもう何をどう考えていいのか、混乱する頭を抱えてノートン邸に向かった。


オーギュストは、アンとカミーユから、エレノアは本邸でこれ以上の悪事を働かないように閉じ込めて見張っていると聞かされていた。そんなエレノアのいる本邸で過ごす事は出来ないと、離れに場所を移したのだ。
カミーユはエレノアの酷い裏切りを泣いて謝ってくれた。そして、傷ついたオーギュストを胸に抱き寄せて優しく慰めてくれたのだ。

「エレノアのせいで地に落ちたノートン家の評判を、私が養女になって立て直して見せるわ。きっと叔父様もそれを望んでいるはずよ」

そう言ってカミーユに手を取られ、涙を浮かべて懇願された。

「オーギュスト様、どうか力を貸して下さい。私、お慕いするあなたの優しさと支えがあれば、頑張れると思うの」

そう言って握ったオーギュストの手を抱きしめるように胸に押し付けて俯いた。
その儚げな姿を見て、オーギュストは思わずカミーユを抱きしめた。

抱きしめられ、胸に顔を埋めて「嬉しい」と小さく呟いたカミーユとオーギュストは、その夜一線を越えてしまった。




ノートン邸に到着したオーギュストは、先ほどまでカミーユと甘く将来を語り合っていた離れではなく、本邸に足を踏み入れた。
出迎えた家令にエレノアの様子を聞くと、不思議そうに返された。

「え? あの穢れた娘なら2週間前に出て行きましたよ。ほら、オーギュスト様が頬を打ってご家族の居間から締め出したあの日です。アン様からの指示で、恥知らずの娘はいらないという奥様のご意向を言ってやったらいなくなりました。カミーユお嬢様のおっしゃる通り、根城の娼館にでも逃げ込んでいるんじゃないですか?」

蔑んだ表情を浮かべながら言い放った家令の返答に、彼の顔を凝視したまま立ち尽くすオーギュストに向かって家令が続けた。

「そうそう、大事な事をお伝えしようと思っておりました。そろそろ来期の予算を金庫に収めていただきたく思います。今期は今月末で締めますのでまだ半月ほどありますが、それまでにお願いします」

まだ正式にこの家の籍に入っていないオーギュストには権限がない。

「ああ、義母上に伝えておく」

その言葉に、家令が首を傾げた。

「奥様から、オーギュスト様にお伝えするように言われましたよ。奥様はご自身の予算しかご存知ないとの事でしたので」

当主が不在の場合、通常であれば当主夫人が代理を務める。そうでなくても、夫人が知っていて然るべき家政の予算について、知らないと言われたことにオーギュストは驚愕した。
しかし、この場で使用人に不信感を持たせてはいけないことだけはわかる。

「分かった、私が対応する。馬車の用意を頼む」

そう言って馬車の用意が整うまでホールのソファーに腰かけた。
父の言った通り、エレノアは2週間に既にこの家を出ていた。
血の気を失った顔に汗が滲む。

アンとカミーユはなぜ自分にはエレノアを閉じ込めていると嘘を吐いたのだろう。
二人がどうしてそんなことをしたのか分からない。

思い起こしてみれば、ノートン子爵や家令からファニーの仕事について聞いたことがない。
半年と少し前、ファニーに用事があって偶々離れに入った日、ファニーが1日の殆どを離れで過ごしている事を知ったのだ。
そこでのファニーは、アンの側に座ってただ微笑んでいるだけだった。
何を聞かれても、ただ頷くだけの他愛無い質問さえ、困ったように視線を向けられたアンが対応していた。不思議な光景に映ったが、この家ではそうなのだと受け止めて、今まで特に疑問を持ったことはなかった。

しかし、エレノアが出て行く原因になった使用人の対応は、さすがのオーギュストでもおかしいと思った。
まず、エレノアに対しての言葉や態度が彼の言った通りなら、ブノワ邸であれば即刻解雇になる。
そして、前職の家令の解雇もアンが言い渡したのだ。いくらファニーの意向だと言われても、使用人でもなくましてや貴族でもないアンに命じられた使用人がそれに従うなど、普通ではあり得ない。
なぜそんなことが許されているのか分からない。

予算については、ノートン子爵から事細かく記した資料を渡されていた。もしもそれに当てはまらないものがあれば家令に聞くように言われており、言われた通りにやれば問題はなかった。
しかし、新しい予算が何処から入って来るのかについては資料に記載がなく、新しいあの家令は知らないようだ。
一体、どうすればいいか分からない。

何もかも分からないことだらけで頭を抱えていると、玄関に馬車が到着した。
行き先を聞かれ、まったく何も考えていなかったことに気付き口ごもっていると、ふと、エレノアから今期1年分のお金を金庫に入れたと聞かされたことを思い出した。

先ずはエレノアを探そう。
カミーユは、以前二人でエレノアを見かけたあの路地の先に娼館があると言った。そして、そこへエレノアが入って行くのを見たと言っていた。
その娼館でエレノアを見つければ、体を売っていたという動かぬ証拠になる。その証拠があれば、父と兄はオーギュストが正しかったと認めざるを得ない。勘違いだった事を謝ってもらえれば、手を上げた父と追い出した兄の事は許そう。そう思い、御者へあの路地の場所を伝えた。

表通りの馬車留めで馬車を待たせて下町の通りを曲がり、あの路地へ向かった。
路地の入口で奥を覗くと、ぽってりした白いウサギを描いた看板を掲げた小さな店があるだけで、その先は行き止まりに見える。
すると、通りかかった年配の女性に声を掛けられた。

「何かお探しですか? この辺で旦那さんのような身なりの良い人が一人でいるのはあまりお勧めしませんよ」

その言葉に振り返り、路地の奥に顔を向けたまま訪ねた。

「この路地の奥に娼館があると聞いたんだが……」

その言葉を聞いた途端、年配の女性はオーギュストをあからさまに値踏みするように上から下へ眺めた。

「ああ、その路地はすぐそこで行き止まりです。娼館なら2本向こうの路地の先を曲がって、細い通りを進んだ辺りにありますよ。でも、旦那さんが行くような、まともな娼館じゃありませんがね」

そう言って通り過ぎ、ウサギの看板の店に入ろうとした女性を追いかけてオーギュストは重ねて聞いた。

「この店は何の店なんだ? 娼館じゃないのか?」

不躾な言葉に、その女性はオーギュストを睨み付けて言った。

「馬鹿にしてんのかい? この店はね、表の店で買い物が出来ないあたしらのような者でも楽しめるように、生地やリボンの端切れを破格で売ってくれるありがたい店なんだよ。いい加減にしないと人を呼ぶよ!」

その剣幕に押され、逃げるように路地を出て表通りと下町通りの角までやって来た。
あの路地の先にはカミーユが見たという娼館などなかった。
さっき聞いた娼館へ通じる路地は、遠目にも近づかない方が良いと思う雰囲気だ。カミーユがそんなところに入って行ったとも思えなかったし、聞いた限りたどり着けるとも思えない。

そうして沈痛な面持ちで佇んでいると、表通りからフード付きのマントを纏った少女が下町通りに入って来た。路地を曲がってウサギの看板の店に入って行く時にちらりと見えた横顔は、まぎれもなくエレノアだった。

誤解だったと、カミーユの見間違いだったと謝らなければ。そう思って後を追おうとした時だった。
後ろから声を掛けられ、振り返るとそこに居たのはエレノアの侍女のネリーだった。助け舟を得た気持ちで近づくと、貴族家の侍女とは思えない強い口ぶりで責められた。
そこで、エレノアが家を出たのではなく、父の言った通り追放されたことを知ったのだ。

何も言い返せなかった。
おまけに、柄の悪い者たちに囲まれ、もうここには近づけない事を悟った。
待たせていた馬車に戻り、ノートン商会の店舗を回ったが、それらは全て他の商会の店舗に変わっていた。

来期の予算の事を思い出し、最後に商会へ向かうと、そこは惨憺たる有様だった。
扉や壁一面に罵詈雑言、誹謗中傷の張り紙が貼り付けられ、石を投げつけられた跡も多く目に入る。扉にはペンキで大きく「あばずれ」と書かれているのを目にして、ぞっと全身に寒気が走った。
扉に書かれた「あばずれ」も、張り紙に書かれている「悪い魔女」「穢れた女」それら全て、被害者だと信じていた自分とカミーユが街で広めた言葉だった。

急いで馬車から降り、夢中で張り紙を剥がしていると、向かいの商会から出て来た男に声を掛けられた。

「やっと出て行ってくれてせいせいしていますよ。あなたが噂の婚約者さんでしょう? カミーユさんとお幸せにね」

そう言ってウインクして戻って行った男の背中を見つめるオーギュストは、剥がした張り紙を抱えたまま、立っているのがやっとだった。どうやって息をすればいいか分からない。
残りの張り紙を剥がしてくれた御者に促され、ノートン邸の離れに戻って来た。

「オーギュ、お帰りなさい!」

そう言って胸に飛び込んで来たカミーユを受け止めた。
ブノワ侯爵邸から父の帰還を知らされて出かけるまで、真実の愛で結ばれたと信じていた女性。

「お父様は元気だった? 私はいつご挨拶に行けばいい? 侯爵様にお会いするんだからドレスも新調しなくちゃいけないし、これから大忙しだわ!」

はしゃぐカミーユと嬉々としてドレスの話を始めるアン、それをおっとりと眺めるファニーが、オーギュストにはまるで別の世界の人間のように見えた。つい数時間前まで、自分もこの世界の住人だったのだ。それに思い至り、3人を呆然と眺めていた。

ブノワ侯爵家にはもう戻れない。
それをどう伝えれば良いか分からない。

「どうしたの、オーギュ? 顔色が悪いわ」

そう言って近づいた来たカミーユが、持っていた紙に気がついた。商会の壁から剥がしてきたものだ。

「まあ、「穢れた女」ですって!? これは一体どういうことなの?」

張り紙を広げたカミーユが驚いた顔を向けた。

「商会に張られていた張り紙だよ。壁や扉一面に張られていて、石を投げられた跡も沢山あった。本当に酷い状態だったんだ。商会には誰もいなかったよ」

そう言ったオーギュストに、カミーユがぎゅっと抱き着いた。

「そうなのね、でも大丈夫よ。私とオーギュが子爵家を継いでお店を再開したら、きっとみんな歓迎してくれるわ。だって、街中が私たちの真実の愛を応援してくれているんだから。きっと大繁盛よ!」

どうやって?
商会の経営なんてどうすればいいか分からない。

カラカラになった口から、掠れた声が出た。

「カミーユ、エレノアが入って行ったという娼館は、いつか二人で見たあの路地で間違いないかい?」

「間違いないわ! あの路地にある娼館に、男と腕を組んで入って行くのをこの目で見たの。本当におぞましかったわ! どうしてそんなことを聞くの?」

唇が震える。
それを手で隠し、内緒話をするように続けた。

「ああ、今さらだが口止めをしておかなければいけないと思ってね。ウサギの看板が掛っている店で間違いないかい?」

「ええ、その娼館で間違いないわ! でも、もう忘れましょう? オーギュにそんなところに行って欲しくないわ」

そう言って甘えるように腕に絡みつき、上目遣いで見上げられた。

息をするように嘘を吐く。

そういうモノがいると噂に聞いたことがある。
それが一匹、自分の腕に絡みついている。

「エレノアの様子はどうでしょう」

それにはアンが、嫌なものを口にしたような表情で答えた。

「あの恥知らずは、部屋から出せと言ったり食事に文句を言ったり、我が儘ばかり言ってメイドを困らせているんですよ」

そう言ってファニーに目配せすると、ファニーは困ったような顔で首を振った。

「そう、そんなにみんなを困らせているのね。本当に困った子だわ……」

アンはファニーの言葉に満足そうに相槌を打ち、オーギュストに向かって言った。

「でも大丈夫ですよ。これ以上この家の評判を落とさないように屋根裏部屋にでも閉じ込めて誰も近づかないようにしておきますからね」

そしてここに、もう一匹。


エレノアの居場所を確認しようと、オーギュストは家令をあのウサギの看板の店に向かわせた。もう一度自分で赴く勇気はなかったのだ。
帰って来た家令の返事は当然とは言え無情なものだった。

「一見のお客さんの事など聞かれても分かりませんと言われました」


もうオーギュストにはどうしていいか分からなかった。
何も考えられず、抜け殻の様に過ごしていた。





それから1週間が経った午後、馬車の列がノートン家に到着した。
知らせを受け、驚いて玄関に出向いたオーギュストは、目の前に立った人物に声を掛けられた。

「私の大切な娘は、エレノアは何処かね?」


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