亡者逃走中in現世
放課後。
人通りの多い駅前の商店街を、私は紙袋を提げて歩いていた。
中には、ジャガイモ、人参、鶏肉、カレールー。今日の夜ご飯の材料。
(今日はカレー!隠し味にチョコでも入れちゃおうかな〜)
そんな能天気でささやかな妄想に胸を膨らませ、唇の端を緩ませていた――まさに、その瞬間。
――ガアアアアアンッ!
背後から迫る凶暴な金属音と同時に、右腕へズドンと重い鈍痛が走った。
「っ……!?」
衝撃で視界がぐらりと揺れる。指先から一瞬で感覚が消え去り、手にしていたはずの紙袋が、引きちぎられるようにして奪い去られた。
「……え?」
夕焼けの向こうへ煙を上げて走り去っていくバイクの背中を見つめ、それから自分の空っぽになった右手を見る。
思考が追いつかない。ええと、つまり――私、ひったくりにあったの?
「あれ、真宵。どうしたの?そんな道の真ん中で突っ立って」
すぐ近くのコロッケ屋さんから、美穂ちゃんの声がした。
「ひったくりに……あった」
「え!?怪我とかしてない?」
血相を変えて飛んできて心配してくれる美穂ちゃんの優しさに大感動しつつ、私は涙目でコクコクと首を横に振った。
「今日の夜ご飯の材料取られた……」
「よし、追いかけよう!」
美穂ちゃんはそう拳を握るやいなや、自信の脚力でひったくり犯を目掛けて走り出した。私も後を追いかけた。
流石、陸上部部員……。
けれど、いくら部活で鍛えているとはいえ、エンジン全開のバイクに生身の女子中学生が追いつけるはずもない。
数分後。入り組んだ路地の曲がり角の先で、私達は二人揃って激しい息切れを起こし、壁に寄りかかるようにして倒れ込んでいた。
「ゼェゼェ……」
「しんど……」
お互いに手を膝に当てて、カサカサの喉で必死に酸素を取り込む。
(せっかくのカレーが……私のジャガイモが……)
諦めと悔しさで胸がいっぱいになりかけた、その時だった。
――ガシャァァァンッ!!
不協和音が路地裏に響いた。金属とアスファルトが激しく擦れ合い、砕け散るような派手な破壊音。
何事かと息を飲み、美穂ちゃんと顔を見合わせる。私たちは荒い息を殺しながら、音のした方向へと恐る恐る足を進めた。
すると路地裏の手前で、先ほどのひったくり犯とバイクが派手に転倒してひっくり返っていた。
「……あ!私の夜ご飯!」
道には、転倒した衝撃で紙袋が転がっていて……。
拾い上げて中の食材達を見たが、無事だった。
よく見ると、横倒しになったバイクの後輪タイヤには、一振りの鋭い刀が深々と突き刺さっており、どうやらそれによって強制的にパンクさせられたようだった。
「な、なんだこれ……!どこから飛んできたんだよチクショウ」
ひったくり犯が突如として起こしたバイクの転倒。
そして、タイヤに突き刺さっていた見覚えのある薄い刀身の刀。
(ああ……なるほど)
一瞬の出来事だったから気づかなかったけれど、どうやらあのひったくり犯、閻魔がうっかり逃がしてしまった亡者の一人だったらしい。
「ようやく捕らえた」
すぐ脇のビルの屋上から、重力を無視した軽やかさでひらりと着地したのは、しょーくんだった。
その足元には、オムライスがぴたりと寄り添って、静かにこちらを見上げている。
「ありがとう、しょーくん!助かったよ〜!」
しょーくんは無言で刀をタイヤから引き抜きながら、私の隣で口をあんぐりと開けて呆然と立ち尽くしている美穂ちゃんを一瞥した。
「なんだ、その人間は」
「美穂ちゃんだよ。私の友達」
目をぱちくりさせてフリーズしている美穂ちゃんの前に立ち、私は胸を張って紹介した。
「人道に来てまでお友達作りとは、本当にのんきな奴だな……。お前は昔から人を裁く王としての自覚がなかったからな。もっと危機感を持って審判に挑めと日頃から言っているだろう」
(あーあ、会って早々お説教だよ……。こうなれば三時間は続くんだよね〜……)
「聞いているのか、秦広王!」
「あ、はい!」
彼のツンツンした感じの悪さは何百年も前から知っているので、特に傷つかないし右から左へ受け流すだけだけど……。
「え、嫉妬!?しょーくんともズッ友だよ!」
「するか馬鹿者!」
(嫉妬じゃなかった……)
カバンの中から自分の閻魔帳を取り出す。すると、ひとりでにページがパラパラとめくれ、ひったくり犯の情報のところでピタリと止まった。
やっぱり連続引ったくり犯だったらしい。
「お前は雨の日の犯行後、滑って崖から落ちて死亡したんだったな」
生ゴミに混じった不燃ゴミを見付けた時の鬱陶しそうな眼差しを亡者に向けるしょーくん。
これ以上近づいたら引っ掻かれかねない、剣呑な気配をピリピリと肌が感じていた。
地面に這いつくばった亡者は、必死に涙を浮かべ、改心したような表情を作って私を見上げてきた。
「な、許してくれよ……ちょっとした出来心だったんだ!」
出来心。
その言葉を聞いた瞬間、私の中でふつふつと冷たい怒りが湧き上がってきた。
「そんな安い言葉で、許されると思ったの?冥府の王を舐めないで!判決を下す。―――第二の地獄、黒縄地獄」
黒縄地獄とは、主に盗みを働いた人が堕ちる地獄であり、燃える鉄の上で燃える縄でシバかれるというもの。
一部のマニアックな亡者からは結構好評なよう。
亡者は雄叫びを上げながら地獄に還っていった。
……さて、問題はここからだ。
完全に一般人である美穂ちゃんの前で、思いっきり超常現象を披露してしまった。
私はバッと美穂ちゃんの方を振り向き、誠心誠意の気持ちを込めて、地面に全力で土下座した。
「本っ当にごめん!さっき見たことは忘れて!」
「えっと、真宵……?」
美穂ちゃんの目をまともに見れない。
身体中から冷や汗が滝のように流れる。
「いつまでそうしているつもりだ、秦広王」
そんな私の哀れな姿を見兼ねたしょーくんが口を開くが、今の私はそれどころではない。
「……真宵。さっきあの人が言ってた『秦広王』っていうのは何……? それにさっきの人が消えて……」
重い沈黙を破り、美穂ちゃんが恐る恐る尋ねてきた。
もうダメだ。ここまでバッチリ見られてしまった以上、ごまかし通すことなんて不可能に近い。私は意を決して顔を上げ、膝の汚れを払いながら立ち上がった。
「……ここでは何だから、うちに行こう。全部話すから」
とりあえず美穂ちゃんを家に招き、コップに注いだオレンジジュースを出した。テーブルを挟んで座り、呼吸を整える。
「えっと……私は冥府の王、十王の一人の秦広王。現世では白崎真宵って名乗ってるけどね」
シーンと、部屋の中に静寂が流れる。
「あれ?思ったより反応が薄い……」
「当たり前だ」
しょーくんは隣で呆れたようにため息をつきながら、お茶をすすっている。
「えっと……人でも動物でも、死んだらあの世に行くでしょ?」
私の問いに、美穂ちゃんはまだ混乱で頭を整理しきれていない様子ながらも、こくんと小さく頷いた。
「あの世の行き先を何処にするか、生前の行いによって審判するのが私と隣に座ってるしょーくんを含む十王なんだ」
行き先は、天国や各種地獄、あるいは次の生まれ変わり先など様々。
「十王の長である閻魔大王が地獄に落とされた凶悪犯の亡者をうっかり人道……つまり現世に逃がしちゃったんだよね。で、逃げ出した亡者を回収すべく、残りの九人で人道にやって来たのでした。おしまい」
ひと通りの説明を終え、私は心臓をバクバクさせながら美穂ちゃんの反応を待った。嫌われる覚悟、引かれる覚悟はできている。
美穂ちゃんは眉をひそめ、じっと手元のグラスを見つめていた。
「じゃあ、さっきのひったくり犯も地獄から逃げた亡者ってこと?」
「うん」
「もしかして、楓くんもその十王だったりするの?」
「彼は十王の一人で第六の王、変成王こと変成くんだよ」
「そうなんだ」
美穂ちゃんはしばらく、情報を処理するように小さく震えていた。
……恐怖で怯えさせてしまったかと思った次の瞬間、彼女の瞳がパッと信じられないくらい眩しく輝いた。
「うわぁ……なんか、映画みたい!いや、現実なのにファンタジーみたい!」
「あれ?結構がっつくね!?」
美穂ちゃんは身を乗り出して、まるで秘密を教えてもらった子供のように目を輝かせている。怯えられるどころか、むしろ大興奮の様子だ。
「できたら今の話は内緒にしてくれたら嬉しいんだけど……一応隠密行動って言われてるし」
「分かった!」
その後、三人でお茶菓子をつまみながら、学校の話や冥府のちょっとした話で盛り上がった。
しょーくんは元々オムライスの散歩の途中だったらしく、時間が来ると「では、私はこれで失礼する」とオムライスを連れて帰っていき、美穂ちゃんも門限が近づいたため、名残惜しそうに帰っていった。
人通りの多い駅前の商店街を、私は紙袋を提げて歩いていた。
中には、ジャガイモ、人参、鶏肉、カレールー。今日の夜ご飯の材料。
(今日はカレー!隠し味にチョコでも入れちゃおうかな〜)
そんな能天気でささやかな妄想に胸を膨らませ、唇の端を緩ませていた――まさに、その瞬間。
――ガアアアアアンッ!
背後から迫る凶暴な金属音と同時に、右腕へズドンと重い鈍痛が走った。
「っ……!?」
衝撃で視界がぐらりと揺れる。指先から一瞬で感覚が消え去り、手にしていたはずの紙袋が、引きちぎられるようにして奪い去られた。
「……え?」
夕焼けの向こうへ煙を上げて走り去っていくバイクの背中を見つめ、それから自分の空っぽになった右手を見る。
思考が追いつかない。ええと、つまり――私、ひったくりにあったの?
「あれ、真宵。どうしたの?そんな道の真ん中で突っ立って」
すぐ近くのコロッケ屋さんから、美穂ちゃんの声がした。
「ひったくりに……あった」
「え!?怪我とかしてない?」
血相を変えて飛んできて心配してくれる美穂ちゃんの優しさに大感動しつつ、私は涙目でコクコクと首を横に振った。
「今日の夜ご飯の材料取られた……」
「よし、追いかけよう!」
美穂ちゃんはそう拳を握るやいなや、自信の脚力でひったくり犯を目掛けて走り出した。私も後を追いかけた。
流石、陸上部部員……。
けれど、いくら部活で鍛えているとはいえ、エンジン全開のバイクに生身の女子中学生が追いつけるはずもない。
数分後。入り組んだ路地の曲がり角の先で、私達は二人揃って激しい息切れを起こし、壁に寄りかかるようにして倒れ込んでいた。
「ゼェゼェ……」
「しんど……」
お互いに手を膝に当てて、カサカサの喉で必死に酸素を取り込む。
(せっかくのカレーが……私のジャガイモが……)
諦めと悔しさで胸がいっぱいになりかけた、その時だった。
――ガシャァァァンッ!!
不協和音が路地裏に響いた。金属とアスファルトが激しく擦れ合い、砕け散るような派手な破壊音。
何事かと息を飲み、美穂ちゃんと顔を見合わせる。私たちは荒い息を殺しながら、音のした方向へと恐る恐る足を進めた。
すると路地裏の手前で、先ほどのひったくり犯とバイクが派手に転倒してひっくり返っていた。
「……あ!私の夜ご飯!」
道には、転倒した衝撃で紙袋が転がっていて……。
拾い上げて中の食材達を見たが、無事だった。
よく見ると、横倒しになったバイクの後輪タイヤには、一振りの鋭い刀が深々と突き刺さっており、どうやらそれによって強制的にパンクさせられたようだった。
「な、なんだこれ……!どこから飛んできたんだよチクショウ」
ひったくり犯が突如として起こしたバイクの転倒。
そして、タイヤに突き刺さっていた見覚えのある薄い刀身の刀。
(ああ……なるほど)
一瞬の出来事だったから気づかなかったけれど、どうやらあのひったくり犯、閻魔がうっかり逃がしてしまった亡者の一人だったらしい。
「ようやく捕らえた」
すぐ脇のビルの屋上から、重力を無視した軽やかさでひらりと着地したのは、しょーくんだった。
その足元には、オムライスがぴたりと寄り添って、静かにこちらを見上げている。
「ありがとう、しょーくん!助かったよ〜!」
しょーくんは無言で刀をタイヤから引き抜きながら、私の隣で口をあんぐりと開けて呆然と立ち尽くしている美穂ちゃんを一瞥した。
「なんだ、その人間は」
「美穂ちゃんだよ。私の友達」
目をぱちくりさせてフリーズしている美穂ちゃんの前に立ち、私は胸を張って紹介した。
「人道に来てまでお友達作りとは、本当にのんきな奴だな……。お前は昔から人を裁く王としての自覚がなかったからな。もっと危機感を持って審判に挑めと日頃から言っているだろう」
(あーあ、会って早々お説教だよ……。こうなれば三時間は続くんだよね〜……)
「聞いているのか、秦広王!」
「あ、はい!」
彼のツンツンした感じの悪さは何百年も前から知っているので、特に傷つかないし右から左へ受け流すだけだけど……。
「え、嫉妬!?しょーくんともズッ友だよ!」
「するか馬鹿者!」
(嫉妬じゃなかった……)
カバンの中から自分の閻魔帳を取り出す。すると、ひとりでにページがパラパラとめくれ、ひったくり犯の情報のところでピタリと止まった。
やっぱり連続引ったくり犯だったらしい。
「お前は雨の日の犯行後、滑って崖から落ちて死亡したんだったな」
生ゴミに混じった不燃ゴミを見付けた時の鬱陶しそうな眼差しを亡者に向けるしょーくん。
これ以上近づいたら引っ掻かれかねない、剣呑な気配をピリピリと肌が感じていた。
地面に這いつくばった亡者は、必死に涙を浮かべ、改心したような表情を作って私を見上げてきた。
「な、許してくれよ……ちょっとした出来心だったんだ!」
出来心。
その言葉を聞いた瞬間、私の中でふつふつと冷たい怒りが湧き上がってきた。
「そんな安い言葉で、許されると思ったの?冥府の王を舐めないで!判決を下す。―――第二の地獄、黒縄地獄」
黒縄地獄とは、主に盗みを働いた人が堕ちる地獄であり、燃える鉄の上で燃える縄でシバかれるというもの。
一部のマニアックな亡者からは結構好評なよう。
亡者は雄叫びを上げながら地獄に還っていった。
……さて、問題はここからだ。
完全に一般人である美穂ちゃんの前で、思いっきり超常現象を披露してしまった。
私はバッと美穂ちゃんの方を振り向き、誠心誠意の気持ちを込めて、地面に全力で土下座した。
「本っ当にごめん!さっき見たことは忘れて!」
「えっと、真宵……?」
美穂ちゃんの目をまともに見れない。
身体中から冷や汗が滝のように流れる。
「いつまでそうしているつもりだ、秦広王」
そんな私の哀れな姿を見兼ねたしょーくんが口を開くが、今の私はそれどころではない。
「……真宵。さっきあの人が言ってた『秦広王』っていうのは何……? それにさっきの人が消えて……」
重い沈黙を破り、美穂ちゃんが恐る恐る尋ねてきた。
もうダメだ。ここまでバッチリ見られてしまった以上、ごまかし通すことなんて不可能に近い。私は意を決して顔を上げ、膝の汚れを払いながら立ち上がった。
「……ここでは何だから、うちに行こう。全部話すから」
とりあえず美穂ちゃんを家に招き、コップに注いだオレンジジュースを出した。テーブルを挟んで座り、呼吸を整える。
「えっと……私は冥府の王、十王の一人の秦広王。現世では白崎真宵って名乗ってるけどね」
シーンと、部屋の中に静寂が流れる。
「あれ?思ったより反応が薄い……」
「当たり前だ」
しょーくんは隣で呆れたようにため息をつきながら、お茶をすすっている。
「えっと……人でも動物でも、死んだらあの世に行くでしょ?」
私の問いに、美穂ちゃんはまだ混乱で頭を整理しきれていない様子ながらも、こくんと小さく頷いた。
「あの世の行き先を何処にするか、生前の行いによって審判するのが私と隣に座ってるしょーくんを含む十王なんだ」
行き先は、天国や各種地獄、あるいは次の生まれ変わり先など様々。
「十王の長である閻魔大王が地獄に落とされた凶悪犯の亡者をうっかり人道……つまり現世に逃がしちゃったんだよね。で、逃げ出した亡者を回収すべく、残りの九人で人道にやって来たのでした。おしまい」
ひと通りの説明を終え、私は心臓をバクバクさせながら美穂ちゃんの反応を待った。嫌われる覚悟、引かれる覚悟はできている。
美穂ちゃんは眉をひそめ、じっと手元のグラスを見つめていた。
「じゃあ、さっきのひったくり犯も地獄から逃げた亡者ってこと?」
「うん」
「もしかして、楓くんもその十王だったりするの?」
「彼は十王の一人で第六の王、変成王こと変成くんだよ」
「そうなんだ」
美穂ちゃんはしばらく、情報を処理するように小さく震えていた。
……恐怖で怯えさせてしまったかと思った次の瞬間、彼女の瞳がパッと信じられないくらい眩しく輝いた。
「うわぁ……なんか、映画みたい!いや、現実なのにファンタジーみたい!」
「あれ?結構がっつくね!?」
美穂ちゃんは身を乗り出して、まるで秘密を教えてもらった子供のように目を輝かせている。怯えられるどころか、むしろ大興奮の様子だ。
「できたら今の話は内緒にしてくれたら嬉しいんだけど……一応隠密行動って言われてるし」
「分かった!」
その後、三人でお茶菓子をつまみながら、学校の話や冥府のちょっとした話で盛り上がった。
しょーくんは元々オムライスの散歩の途中だったらしく、時間が来ると「では、私はこれで失礼する」とオムライスを連れて帰っていき、美穂ちゃんも門限が近づいたため、名残惜しそうに帰っていった。