命尽きるこの日まで


季節は夏を迎えたその日。

もう外からは子供の泣く声も、大人がうめく声も聞こえなくなっていたんだ。お邦ちゃん、どう思う? 俺の心が聴かないように蓋をしたのか、それか本当に誰も声も出せなくなっていたのか……。


その日は最初で最後の俺がお邦ちゃんの家に朝一番で向かわなかった日なんだよ。なぜか気になってさ。ひび割れ、思い出だけが残った田んぼに向かったんだ。なんでだったんだろう。これは今でもわからないや。でもね、ザラザラと音を鳴らす地面に、水分のすの字もなくなった土の上に、これでもかというほど転がった死体は脳裏に焼きついている。飽きるほど見てきたはずのそれが、今更気づいたのかと、初めて見たのかというほど鮮明に覚えているんだ。


あれは太陽が照っていたからまだ昼間だった。ジリジリと暑かった。汗もジッと出ていた。
俺はお邦ちゃんの家の戸を開いた。とにかく蝉の声がうるさかった。


——ねえ、お邦ちゃん。
きみは今日まで何を思い生きたの?
きみは目を覚まして何を願い笑ったの?
きみは……きみはなんで、どうして、息をしていなかったの?

俺は悪い夢を見ていたんだよ、きっと。そうでも思わないとさ、体ん中にある貴重な水がどんどん溢れ出してしまうからさ。

嗚呼、この惨めったらしく泣く男の声は誰のものなんだろう。お邦ちゃんの手を包むように握る手はどこの男のものなんだろう。俺の頬を伝うものはなんだろう。何かを堪えようと食いしばる口に広がる鉄臭いものはなんだろう。お邦ちゃんの匂いがしないのはなんでなんだろう。



——お邦ちゃん、お邦ちゃん。今までよく頑張ったね。いままで本当にありがとう。
今の俺ならこんな言葉をかけてあげられる。でも、この時の俺にはそんなこと、到底言えやしなかった。



……いつまでこうしていたんだろう。
もう、西日も消えかけて今日が終わろうとしていた。蝉の声もいつの間にか聞こえなくなっていた。自分の身体は面白いほど言うことを聞かなかった。お邦ちゃんの家から数歩歩いた先の俺の家までヨタヨタと向かったんだよ。

俺の家には当たり前父さんも母さんも兄さんたちもいた。

ここまでなんだよね。きちんと覚えているのは。お邦ちゃん、笑わないでね。どう考えたって普通はもう少し前から記憶をなくしてるでしょ? なんて言ってさ。俺だってわからないんだよ。忘れられるものなら忘れたい。でも絶対に忘れたくない。

——うっすらと笑みを浮かべたきみの死に顔なんて。

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