第3部 夜明けが世界を染めるころ、悪意の見える伯爵令嬢は王子の執着から逃れられない
「ティアナ、この近くにきれいな湖があるんだ。行かないかい?」

「ええ」

「じゃあ決まりだ」

そう言うと、彼は当然のように私の手を引いて歩き出した。

◇

辿り着いた湖は、本当に美しかった。
水面には蓮の花が浮かび、太陽の光を受けて幻想的に輝いている。

――ほんの数分前までは。

「やあ、妹よ。奇遇だな」

最悪のタイミングで聞こえる、聞き慣れすぎた声。

「……ごきげんよう」

苦笑いで振り返ると、そこには腕を組んで得意げな兄、マルクがいた。

「最近見ないと思ったら、不良にでもなったのか?」

余裕ぶった態度だったが、
次の瞬間、私の背後を見たマルクの顔色が一気に変わる。

「……で、でんか!?」

「やあ」

ディランはにこやかに手を振った。
どこからどう見ても爽やかだが、私は知っている。

――この人、絶対面白がってる。

マルクは一瞬完全に固まり、
次の瞬間、なぜか私に詰め寄ってきた。

「お、おい妹!
リチャードに続いて、今度は殿下だと!?
お前、男を見る目なさすぎるじゃないか!」

「あの……」

リチャードの件はずっと断ってたし、
殿下とはあくまで契約上の関係で――

「いいか!
まだ銀髪で氷みたいな目の騎士か、
エセ笑顔の腹黒執事の方が――」

「腹黒、とは?」

背後から、やけに柔らかい声。

振り返らなくても分かる。
今、笑顔の圧が最大値。

「ひっ!?」

マルクが情けない悲鳴を上げて跳ね上がった。

「い、いえ!
今のは決して殿下のことを指したわけではなく!」

「そうなんだ」

ディランはにこやかに頷き、私の肩にそっと手を置く。

「ちなみにね」

嫌な予感しかしない。

「ティアナと、婚約したんだよ」

「はああああ!?」

マルクの声が湖に響いた。

「こ、こんやく!?
愛の逃避行でもするのか!?
最近見かけなかったのはそういうことか!?」

完全にテンパっている。

「い、いえ、そうではなくて……」

私は曖昧に言葉を濁す。

ディランは満足そうに微笑みながら、
マルクの肩をぽんと叩いた。

「安心して。
妹さんは俺が責任をもって“お預かり”しているから」

「余計に不安なんだが!?」

マルクは頭を抱えたあと、突然顔を上げた。

「と、とりあえず!
せっかく来たんだ、ボートにでも乗るか!?」

話題転換があまりにも唐突だった。

こうしてなぜか、
私、ディラン、マルク――そしてもう一人。

「ナナと申します」

「……ナナ嬢?」

昔、ユリアともめた令嬢。
確か10年前…ユウリがお試し執事として屋敷にきてたときだ。
< 12 / 261 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop