第3部 夜明けが世界を染めるころ、悪意の見える伯爵令嬢は王子の執着から逃れられない
「……なんで、トワ坊ちゃんが……」

背後で、レオも息を呑んだ。
信じられないものを見るように、その視線が少年に釘づけになる。

研究区画には、まだ魔力の余熱が残っている。

血の匂い。
崩れた装置。
床に倒れ伏すガイル。

そのすべてと、あまりにも噛み合わない声が響いた。

「最後に会ったのは……お見送りのときでしたね」

トワは、懐かしむように目を細める。

「湖畔のピクニックも、楽しかったなぁ」

血のついた刃を手にしたまま、くるりと首を傾げた。

「レオの作ったお弁当、本当においしかった。
特にカモのハニーロースト、絶品でしたね。

昔 幻の魚も探しに行きましたね…」

くすりと笑う。

「湖に落ちそうにもなって…!」

レオが、はっと息を吸う。

「……え……?」

まるで昨日の思い出を語るような、あまりにも穏やかな口調だった。

「……あ、あと」

少年は指を折りながら続ける。

「ユウリさんには、礼儀作法や勉強を教えてもらいましたね。
殿下の別荘で夜にやったトランプ、すごく強かった。
全然勝てなくて……」

「……は?」

思わず、ユウリの口から素の声が漏れる。

「ルイさんには、何着かオーダーメイドの服を作ってもらいました。
どれも素敵で、とても気に入ってます。
ヘアセット講座も楽しかったなぁ。あれ、すごく勉強になりました」

ルイは言葉を失い、ただ硬直していた。

赤黒い魔力の残滓。

血に濡れた刃。

倒れた人間。

その中心で――

「セナさんには、剣術を教えてもらいましたね。
見た目は冷たそうなのに、すごく優しくて」

一瞬、視線がセナに向く。

「テオさんは……最初、ぼくのこと少し警戒してましたよね。
でも、なんだかんだ面倒見がいいんですもん」

トワは、場違いなほど穏やかに微笑んだ。

その笑顔は――
湖畔で、風に髪を揺らしていたあの日と、何一つ変わらない。

ただの、少し大人しい少年のものだった。

だからこそ。

胸の奥が、ひどくざわつく。

「トワ……!」

私の声が研究区画に響いた。


「……あ」

トワはその様子を見て、きょとんと瞬いた。

「ごめんなさい」

律儀に、ぺこりと頭を下げる。

「話、逸れてしまいましたね」

そして、ゆっくりと顔を上げる。

その微笑みだけが、すっと消えた。

「――本題に戻りましょうか」

刃先から、静かに血が滴り落ちた。
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