騎士団長は奥さんの愛を取り戻したい。
エーリヒの夢
「そう警戒すんなって。なにも連れ戻しに来たわけじゃねえんだから」
「……どうして今日はあの人じゃないんですか」
「仕事だよ仕事──よおエーリヒ、久しぶり」
「おひさしぶりです!」
騎士団の食堂で働いていた頃からの知り合い、ダンの登場に、フィリアが警戒しないわけがなかった。なぜなら彼は、グレンの一番の友人だからだ。
グレンの独身時代から二人はつるんでいて、今もよく屋敷に遊びに来ていた。
もしかしたら、ちっとも折れないフィリアに参って、グレンが説得を頼んだのかもしれない。その手には乗るもんですかとフィリアは胸の前で腕を組んだ。
しかしダンはその場に屈むと、エーリヒの頭をわしゃわしゃと撫で始めた。そうして「あれ?」と首を傾げる。
「坊ちゃん、ちょっと大きくなったか?」
「そうですか?」
驚いたように言ったダンに、エーリヒは嬉しそうに笑った。ぱっとフィリアを振り返る。
「おかあさま、ぼく、ちょっとおおきくなったかもしれません!」
「……ええ、そうね」
跳ねるように喜ぶエーリヒは、たしかに毎日、少しずつ成長していた。どこで覚えてきたのか語彙は増え、高いところにも手が届くようになり、街には友人だって出来始めていた。
「ダンおじさん。もうすこしおおきくなったら、ぼくもきしだんにはいれますか?」
「お、エーリヒも騎士になりたいのか?」
「はい! きしのひとたちはみんなかっこいいから!」
きらきらした瞳で言ったエーリヒに、ダンはこそばゆそうに笑った。
「……かっこいいねぇ」
騎士団の暑苦しさ、内情を知り過ぎているが故の苦笑なのだろう。
そのそばで、フィリアはわずかに唇を噛んだ。
エーリヒが騎士になりたいだなんて知らなかった。血は争えないのかもしれない。
フィリアは、可愛い息子の夢を応援してあげたい気持ち半分、考え直して欲しい気持ち半分になって、けれどすぐに母親失格だと、反省した。
グレンとフィリアの離婚に、エーリヒの夢は関係ない。
フィリアも屈んで、エーリヒに笑顔を向けた。
「エーリヒならきっとなれるわ。お母さんも楽しみにしてる」
「はい! がんばります!」
その様子を微笑ましそうに見ていたダンが、膝を打って立ち上がった。
「よっしエーリヒ! おっさんが今から特訓してやろう」
「え? いいんですか?」
「ああ。今日は一日休みだからな」
「やった!」
練習用の剣を取ってくると言って、エーリヒが家に駆け込む。
フィリアは戸惑い、ダンを向いた。
「あの、本当にいいんですか? お忙しいんじゃ」
「暇だから大丈夫だって」
「……」
(嘘だわ)
軍の仕事内容には疎いフィリアでも、グレンやダンがただ遊びまわっているだけではないことは知っていた。
帝国の治安を守るため、彼らは日々奔走している。その数少ない非番の日にこんなところで油を売っている暇はないのじゃないだろうか。たとえダンが独り身だとはいっても。
真意をうかがうように黙ったフィリアに、ダンは弁明する。
「言っただろ。あいつの代理だって。──それと、まあ、心配だったしな。フィリアとエーリヒが家を出たって聞いて。元気そうでよかったよ」
「! すみません、ご心配を」
「いやいや。あんたが謝ることじゃない。あのバカから事情は聞いてる。気持ちはよくわかるよ」
そう困ったように笑うダンには、本当にフィリアを連れ戻す気も、同情を買って説得する気もないようだった。
どころか、自分が口を出すことじゃない、フィリアはフィリアのしたいようにするべきだとまで言って背を押してくれた。
「大丈夫。エーリヒが大人になっても騎士になりたいっつったら、そんときゃ俺が手助けしてやるし。安心しろよ」
「……はい」
フィリアの不安まで読み取ったダンがにこりと笑ったところで、稽古用の軽い剣を抱えたエーリヒが戻ってきた。グレンが以前、エーリヒに与えたものだった。
「おまたせしました!」
「おう、やるか」
「はい!」
そうしてダンとエーリヒは、その日陽が暮れるまで休んだりしながら打ち合いをして、ダンは夕食を食べてから帰っていった。
──その間中、ダンが周囲に目を配り、部下と暗号で連絡をとっていたことなど、フィリアは知る由もなかった。
「私のしたいこと……」
その夜、フィリアはダンに言われた言葉を思い返していた。
同じベッドではエーリヒがすやすやと眠っていて、そのぬくもりを抱きしめれば温かくてほっとした。今のフィリアにはエーリヒしかいない。この子が唯一で、宝物だった。──私は、エーリヒを守りたい。
フィリアは決心した。明日、グレンに会いに行こうと。
いつまでもこんな状態が続いてるのは双方にとってもよくないことだ。
エーリヒの件もそうだし、貴族であるグレンには跡取りが必要だと聞いている。このまま膠着状態が続けば、グレンだって再婚に困るだろう──困らないかもしれないけど。
そこまで思って、フィリアは突然怖くなった。
「……そうだわ、跡取り」
もしもグレンが跡取りを欲し、権力を行使してエーリヒを連れ戻そうとしたら──出来ないことはないのだ。なぜなら彼は高位の貴族で、皇帝からの覚えもめでたい騎士団の長様なのだから。
復縁を望んでいるうちはそんな無理強いはしないかもしれないけれど。彼はやろうと思えば出来るのだ、本当は。
じゃあ、どうしてそうはせず、毎日毎日長い時間をかけてやってくるのか。
(……知らない)
フィリアはグレンの気持ちなんてわかりたくもなくて、無理やり目を閉じた。エーリヒをあんな浮ついた人になんて預けられない。この子は自分が守るのだ。
◇ ◇ ◇
「やっぱりいたよ弟くん。俺がいるから近づけなくてヤキモキしてたぜ」
「ありがとう。助かったよ」
明け方。任務を終えたグレンは、白み始めた空を見上げて言った。二人は待ち合わせた公園のベンチで並んで座っていた。鳥が鳴き始めていた。
「フィリアたちは元気だった?」
「ああ。稽古つけてやったら喜んでたぜ。お前のガキ」
「怪我はさせないでくれよ」
ダンは「はいはい」と肩をすくめる。
「それでどうするんだ、これから」
「言っただろ。フィリアともう一度だけ話す」
「……わかった。エリザベトたちは?」
「許すわけないだろ。僕よりひどい目に遭ってもらう」
原因は自分でも、きっかけはあの女なのだ。恨まないわけがない。グレンははあ、と重い息をこぼした。
「下り坂の方が早いんだよなぁ」
「あ?」
「なんでもない」
軽く首を振って、もう行くよと立ち上がる。少しだけ、肌寒かった。
「……どうして今日はあの人じゃないんですか」
「仕事だよ仕事──よおエーリヒ、久しぶり」
「おひさしぶりです!」
騎士団の食堂で働いていた頃からの知り合い、ダンの登場に、フィリアが警戒しないわけがなかった。なぜなら彼は、グレンの一番の友人だからだ。
グレンの独身時代から二人はつるんでいて、今もよく屋敷に遊びに来ていた。
もしかしたら、ちっとも折れないフィリアに参って、グレンが説得を頼んだのかもしれない。その手には乗るもんですかとフィリアは胸の前で腕を組んだ。
しかしダンはその場に屈むと、エーリヒの頭をわしゃわしゃと撫で始めた。そうして「あれ?」と首を傾げる。
「坊ちゃん、ちょっと大きくなったか?」
「そうですか?」
驚いたように言ったダンに、エーリヒは嬉しそうに笑った。ぱっとフィリアを振り返る。
「おかあさま、ぼく、ちょっとおおきくなったかもしれません!」
「……ええ、そうね」
跳ねるように喜ぶエーリヒは、たしかに毎日、少しずつ成長していた。どこで覚えてきたのか語彙は増え、高いところにも手が届くようになり、街には友人だって出来始めていた。
「ダンおじさん。もうすこしおおきくなったら、ぼくもきしだんにはいれますか?」
「お、エーリヒも騎士になりたいのか?」
「はい! きしのひとたちはみんなかっこいいから!」
きらきらした瞳で言ったエーリヒに、ダンはこそばゆそうに笑った。
「……かっこいいねぇ」
騎士団の暑苦しさ、内情を知り過ぎているが故の苦笑なのだろう。
そのそばで、フィリアはわずかに唇を噛んだ。
エーリヒが騎士になりたいだなんて知らなかった。血は争えないのかもしれない。
フィリアは、可愛い息子の夢を応援してあげたい気持ち半分、考え直して欲しい気持ち半分になって、けれどすぐに母親失格だと、反省した。
グレンとフィリアの離婚に、エーリヒの夢は関係ない。
フィリアも屈んで、エーリヒに笑顔を向けた。
「エーリヒならきっとなれるわ。お母さんも楽しみにしてる」
「はい! がんばります!」
その様子を微笑ましそうに見ていたダンが、膝を打って立ち上がった。
「よっしエーリヒ! おっさんが今から特訓してやろう」
「え? いいんですか?」
「ああ。今日は一日休みだからな」
「やった!」
練習用の剣を取ってくると言って、エーリヒが家に駆け込む。
フィリアは戸惑い、ダンを向いた。
「あの、本当にいいんですか? お忙しいんじゃ」
「暇だから大丈夫だって」
「……」
(嘘だわ)
軍の仕事内容には疎いフィリアでも、グレンやダンがただ遊びまわっているだけではないことは知っていた。
帝国の治安を守るため、彼らは日々奔走している。その数少ない非番の日にこんなところで油を売っている暇はないのじゃないだろうか。たとえダンが独り身だとはいっても。
真意をうかがうように黙ったフィリアに、ダンは弁明する。
「言っただろ。あいつの代理だって。──それと、まあ、心配だったしな。フィリアとエーリヒが家を出たって聞いて。元気そうでよかったよ」
「! すみません、ご心配を」
「いやいや。あんたが謝ることじゃない。あのバカから事情は聞いてる。気持ちはよくわかるよ」
そう困ったように笑うダンには、本当にフィリアを連れ戻す気も、同情を買って説得する気もないようだった。
どころか、自分が口を出すことじゃない、フィリアはフィリアのしたいようにするべきだとまで言って背を押してくれた。
「大丈夫。エーリヒが大人になっても騎士になりたいっつったら、そんときゃ俺が手助けしてやるし。安心しろよ」
「……はい」
フィリアの不安まで読み取ったダンがにこりと笑ったところで、稽古用の軽い剣を抱えたエーリヒが戻ってきた。グレンが以前、エーリヒに与えたものだった。
「おまたせしました!」
「おう、やるか」
「はい!」
そうしてダンとエーリヒは、その日陽が暮れるまで休んだりしながら打ち合いをして、ダンは夕食を食べてから帰っていった。
──その間中、ダンが周囲に目を配り、部下と暗号で連絡をとっていたことなど、フィリアは知る由もなかった。
「私のしたいこと……」
その夜、フィリアはダンに言われた言葉を思い返していた。
同じベッドではエーリヒがすやすやと眠っていて、そのぬくもりを抱きしめれば温かくてほっとした。今のフィリアにはエーリヒしかいない。この子が唯一で、宝物だった。──私は、エーリヒを守りたい。
フィリアは決心した。明日、グレンに会いに行こうと。
いつまでもこんな状態が続いてるのは双方にとってもよくないことだ。
エーリヒの件もそうだし、貴族であるグレンには跡取りが必要だと聞いている。このまま膠着状態が続けば、グレンだって再婚に困るだろう──困らないかもしれないけど。
そこまで思って、フィリアは突然怖くなった。
「……そうだわ、跡取り」
もしもグレンが跡取りを欲し、権力を行使してエーリヒを連れ戻そうとしたら──出来ないことはないのだ。なぜなら彼は高位の貴族で、皇帝からの覚えもめでたい騎士団の長様なのだから。
復縁を望んでいるうちはそんな無理強いはしないかもしれないけれど。彼はやろうと思えば出来るのだ、本当は。
じゃあ、どうしてそうはせず、毎日毎日長い時間をかけてやってくるのか。
(……知らない)
フィリアはグレンの気持ちなんてわかりたくもなくて、無理やり目を閉じた。エーリヒをあんな浮ついた人になんて預けられない。この子は自分が守るのだ。
◇ ◇ ◇
「やっぱりいたよ弟くん。俺がいるから近づけなくてヤキモキしてたぜ」
「ありがとう。助かったよ」
明け方。任務を終えたグレンは、白み始めた空を見上げて言った。二人は待ち合わせた公園のベンチで並んで座っていた。鳥が鳴き始めていた。
「フィリアたちは元気だった?」
「ああ。稽古つけてやったら喜んでたぜ。お前のガキ」
「怪我はさせないでくれよ」
ダンは「はいはい」と肩をすくめる。
「それでどうするんだ、これから」
「言っただろ。フィリアともう一度だけ話す」
「……わかった。エリザベトたちは?」
「許すわけないだろ。僕よりひどい目に遭ってもらう」
原因は自分でも、きっかけはあの女なのだ。恨まないわけがない。グレンははあ、と重い息をこぼした。
「下り坂の方が早いんだよなぁ」
「あ?」
「なんでもない」
軽く首を振って、もう行くよと立ち上がる。少しだけ、肌寒かった。