騎士団長は奥さんの愛を取り戻したい。

女狐

「フィリアに会いたい。エーリヒに癒されたい……」
 
 夕暮れ時。
 軍の執務室でさめざめと泣き崩れるグレンを前にしても、やはりと言うべきか当然と言うべきかダンの態度はそっけなかった。

 グレンの呟きを無視して、持っていた書類の束を差し出す。

「とりあえず旦那の情報だ。ルノア・ポルフィリ。歳はエリザベトの十個上。一代で成り上がったやり手の投資家で、爵位はないが、まあ、下手な貴族より金は持ってる」

 調査書と銘打たれたそれを、頬杖をついたグレンはしかめ面で受け取る。一切の関わりを持ちたくない相手の一人だった。

「投資家ねえ」
「あの時エリザベトの実家は火の車だったからな。金目当てだったんだろ。向こうはエリザべトに一目惚れだったらしい。国宝級のでっかい宝石がついた指輪を掲げてプロポーズしたんだそうだ」
「……ああ、そう」

 調査書をめくりながら、グレンはエリザベトの結婚相手──ルノアの経歴や資産状況を読み込んだ。さすがは軍の諜報部に所属するダンだけあって、仕事は的確で速い。グレンは感嘆しながら顔を上げた。

「ありがとう。で、やっぱり二人の仲は良くないのか?」

 声をひそめると、ダンは神妙な面持ちで頷く。

「ああ。旦那の方がエリザベトにえらく執心してるらしい。実家が金銭的支援を受けていた手前、最初こそエリザベトも受け入れていたようだが、あの性格だろ? 結婚してすぐ仕事を始めたいと言って、エリザベトに甘い旦那はこれを承諾。が、妻があんまりしょっちゅう海外を飛び回りだしたものだから、とうとう我慢出来なくなったらしい。今エリザベトは外出制限されて、社交もかなり狭められてる。それで、エリザベトは窮屈になったんだろうな。離婚を望んでるってわけだ」

「……すればいいだろ」

 グレンは深いため息を吐くと、机に項垂れる。

「そんなの勝手にすればいいだろ……僕を巻き込むなよ」
「フィリアと接触した人物はまだわかってないんだが──とにかく、エリザベトはまだお前に心が残っている、あるいはお前を理由に離婚したかった。そのどちらかか、どちらもか、なんだろうな」

「なんだよそれ」

 荒ぶるグレンを一瞥して、ダンは中央に据えられたソファに腰掛けた。

 そうして足を組んで寛ぐ体勢をとりながら、悪友に不敵な笑みを向ける。

「ま、大方(おおかた)お前がエリートもエリート第一騎士団の団長様になったって聞いて惜しくなったんじゃないか? もったいなかったって。今や旦那より市場価値があるものなあ」
「知るかよ……」
「大体お前だって付き合ってた頃はエリザベトに夢中だったじゃないか。あんなに綺麗で賢い女の子は見たことないって騒いでただろ」
「あれはまだフィリアに会う前だったからだ! フィリアと比べたら他の子なんて──」

 言いながら、フィリアの愛らしい笑顔や健気に働く姿を思い出してしまい、言葉に詰まる。

 ──本当に、もう二度と戻ってきてはくれないのだろうか。
 
 毎日通い詰めていても、彼女の態度は一ミリも揺らがない。

 どころか、日に日にひどくなっている気さえした。
 目があった瞬間の、あの刺すような凍てつく視線は心臓にくるものがあった。毎日とあっては、なおさら。

 なのに、客の男にはいつもの笑顔を振りまいていて──グレンはすっかり彼女の信用を失い、嫌われたのだと自覚させられた。もうフィリアの心に自分の入る隙はないのかもしれない。

 離縁、という文字が脳裏を掠めて、苦しくなる。

(駄目だ。傷ついたのはフィリアの方なんだ)

 グレンは弱気になりそうな思考を振り払って、ダンを見据える。

「……とにかく、エリザベトの事情なんて僕には関係ない。必ず誤解を解いてフィリアとエーリヒを連れ戻す」
「はいはい」

 そうダンがすげなく返した瞬間──ゴーン、ゴーン──と、夜を告げる鐘が鳴った。同時に、二人は立ち上がる。

「行くか」
「ああ」

 グレンが今日は妻子の元へ行けなかった理由。

 軍主要部の開催する夜会に赴かなければならなかった。



「おや、珍しい。君が奥方を連れていないなんて」

 煌びやかに飾られた会場で、気さくに声をかけてきた男──ジニーに、グレンは愛想笑いを返す。

 今思い返せば、この能天気な男がエリザベトを連れてきたのが原因だった。

「ああ、体調が良くなくてね。家で休んでいるよ」
「へえ、そりゃ心配だな」

 あの忌々しい夜──クラブにフィリアが来ていたことは、誰も気づいていなかった。一瞬だったのと、客が多いことが幸いしたのだ。

 フィリアに家を出ていかれた上、不仲説まで広まってはたまらない。

 グレンは何がなんでも隠し通すつもりでジニーに笑顔を向ける。

「そうだ、こないだは悪かったよ。すぐに帰ってしまって」
「ああ。そうだよ、お前がいないから人数が足りなくなって困ったんぞ。結局エリザベトが代わりに入ってくれたけど、もーこれが強いのなんのって。魔女だよ、魔女。有り金全部持っていかれた」
「……へえ。楽しそうで何よりだ」

 あの後遊ぶ元気があったのか。
 こっちは夜通しでフィリアたちを探していたと言うのに。

 全く強かな女だと、グレンは乾いた笑いを漏らす。女狐め、絶対に尻尾を捕まえてやる。

 思いながらグレンは、ジニーが後ろを振り返るのをなんとなく眺める。

「こんばんは」

 ジニーの前には、軍服ではない礼装の紳士と、薄水色のドレス姿の金髪美人が並んでいた。ジニーはいつもの朗らかな挨拶を返す。
 
「ポルフィリさん。あなた方もおいででしたか」
「こんばんは、ジニーさん。先日は妻が世話になりました」

 グレンは近づいてきた夫妻を眺めつつ、妻の方────エリザベトを見下ろした。

 もう二度と関わりたくない相手の一人。

(なんでこんな場所に)

 不快になってさりげなく場を離れようとしたところを、しかしエリザベトの旦那──ルノアに呼び止められてしまう。

「失礼。グレン・ウォルジャー第一騎士団長殿でいらっしゃいますよね」
「……はあ」

 気のない返事を返すと、ルノアは貼り付けたような笑顔でグレンを見上げてきた。

「あなたにも、妻が大変世話になったようで」
「そんな。少し挨拶をさせてもらっただけですよ」

 軽く流そうとしたところを、けれどルノアにしっかりと堰き止められてしまう。

「いえ。妻はそうは思っていないようですよ。なあ、エリザベト」
「あなた、ここでは」

 顔色の悪いエリザベトを見て、グレンは嫌な予感をよぎらせた。まさか。この女。

「もしかして…………────」

 旦那に、あのことを喋ったのか。

 ルノアの態度とエリザベトの表情に、嫌な汗が走る。

「……隠し事が出来ないの」

 やっぱり、故意的だ。
 グレンは、嘘つけ、と喉まで出かけた言葉をなんとか呑み下した。
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