鷹宮先輩、ズルいです 〜泣き顔を拾われたら、極甘上司に溺愛されました〜
第4話 ほっとかれへん泣き顔
アラームが鳴る前に、目が覚めた。
――あんな風に泣いたのは、いつぶりだろうか。
ふと、コートの匂いを思い出す。
温もりと、あの低い声。
――『かわええな』
胸の奥が、じわりと熱を持つ。
軽く伸びをしたあと、洗面所に向かう。
鏡に写る顔は、憑き物が落ちたみたいにスッキリしていた。
(そりゃ……あれだけ泣いたら)
昨日の記憶は、まだ鮮明で。
腕の中に閉じ込められて、何も言わずにそばにいてくれた時間。
ようやく涙が止まり、離れようとした――はずなのに。
『・・・・・・それより』
両頬を挟まれて、無理やり顔を上げられる。
『おもろい顔やん。かわええな』
――また、だ。
あの声と言葉が、頭の中で繰り返される。
きっと、からかってるだけ。
でも、それだけじゃない気がしてしまう。
胸の奥が騒がしくて落ち着かない。
あんな風に泣いたことも、
誰かに甘えたことも、
いつもの自分では、絶対にあり得ないのに。
(・・・・・・なんで)
抗えなかったのか、わからない。
彼の瞳は、取り繕うことを許さなかった。
(鷹宮先輩には、ほんと助けられた……何かお礼しないと)
そう思いながら身支度を整え、家を出た。
***
昼休みのカフェという、逃げ場のない場所で。
「お待たせしました、キャラメルマキアートとブレンドコーヒーです」
店員さんが、ブレンドコーヒーを鷹宮先輩の前に置く。
あたしには、キャラメルマキアート。
「葵ちゃんはこっちやろ?」
鷹宮先輩は慣れた手付きで交換して、横にあるスティックシュガーを引き寄せる。
「え?!まだ入れるんですか?」
あたしの驚きを余所に、二本のスティックシュガーを躊躇なく流し込む。
キャラメルだけでもかなり甘そうなのに、加えてスティックシュガーだなんて。
その後、一口飲んで「んー……」と満足げに目を細めた。
さっきまで会議室で冷徹なまでに数字を追っていたあの鋭い瞳が、今はとろけそうに甘い。
その無防備な表情の破壊力に、あたしは慌てて視線をブラックコーヒーに落とした。
(仕事の時はあんなに怖いのに……その顔は反則)
「そーゆー葵ちゃんは、砂糖入れへんとかないわぁ」
「見てるだけで甘さが伝わるから大丈夫です……」
今朝、課長に呼ばれて、鷹宮先輩のプロジェクトに雪乃先輩と補佐で入ることになった。
午前中は業務確認に追われ、気づけば昼休み。
その流れで、プロジェクトメンバーとこのカフェに来た。
——までは、よかった。
ランチ終わりに、鷹宮先輩に腕を引っ張られる。
『葵ちゃんは、俺と居残り』
『え?』
『雪乃ー、あとヨロシク~』
『はいはい』
雪乃先輩は慣れた様子で、手を振って行ってしまった。
鷹宮先輩に促されるまま、コーヒーを注文して今に至る。
「気負い過ぎんでええで、雪乃もおるし」
「え?」
「初めてやろ?」
一瞬、言葉に詰まる。
そう、あたしにとって、プロジェクトチームの、しかも補佐とか初めてのこと。
不安で緊張していたのを、見抜かれていた。
鷹宮先輩はコーヒーを一口飲んで、少しだけ目を細めた。
「葵ちゃんの仕事ぶりは聞いてるで、自信もってえぇよ」
キャラメルマキアートに負けないくらいの甘い笑み。
まるで前から知っていたみたいな言い方だった。
そしてなぜか、胸がきゅっと跳ねる。
「あ……アリガトゴザイマス」
なんだか上手く顔が見れず、お礼もぎこちない。
「それと、心配してたんやけど大丈夫みたいやな」
「?」
「目、腫れてんのかなぁ~って」
さっきの甘さはどこへやら。
今度は何度も見てる、頬杖ついてあの意地悪な笑みの顔。
顔が整っているだけに、イライラよりもキュンとしてしまうから始末に悪い。
「鷹宮先輩って、意外と意地悪ですよね…・・・」
「心外やなぁ。俺は優しさの塊で有名やで?」
「それ、自分では言いませんよ」
「手厳しいなぁー、葵ちゃんは」
軽口が、こんなに心地良いなんて思わなかった。
(……絶対この人のせいだ)
ブラックコーヒーなのに、なぜかほんのり甘かった。
***
午後からの業務は、目まぐるしかった。
プロジェクトへの参加は、あたしが入社した時から「いつかやりたい!」と目標にしていた場所。
そして同じ女性として、誰よりも鮮やかに仕事をこなす雪乃先輩の背中は、ずっとあたしの憧れだった。
『初日から頑張りすぎはよくないわよ、肩の力抜いて、プロジェクトは長いんだから』
そう雪乃先輩に言われたけど、初日だからこそだ。
「雪乃先輩の隣で恥ずかしくない仕事がしたいんです。……いつか、あたしも誰かに頼られる側になりたいんです」
そう言って笑うと、雪乃先輩は一瞬目を見開いてから、「……あんた、ほんとに可愛いこと言うわね」と、照れくさそうにあたしの背中を叩いてくれた。
雪乃先輩にアドバイスしてもらい、なんとか終業時間ギリギリに完成させた資料。
鷹宮先輩にチェックを入れてもらうべく、彼のいる経営戦略企画部に足を運ぶ。
「どうした?」
「今朝頼まれた資料をお持ちしました。
まだ期限は先ですが、早めに確認していただければ、修正も回せると思って」
「もう出来たのか?」
鷹宮先輩が受け取った資料に目を通しつつ、ペンでチェックしていく。
見た目だけじゃなく、字まで端正なのか。
あたしは、走っているペンと書かれていく文字に魅入ってしまう。
「ありがとう、あとはこちらでチェックしておく。お疲れさま」
「あ……はい、お疲れさまです」
「気をつけて帰れよ」
そう言って視線を戻したのに、なぜか、その一言だけが背中に残った。
仕事中だからか関西弁じゃない。
でも少し柔らかい顔は、まるでお昼休みに見た素の鷹宮先輩みたいで。
『気ぃつけてな』
そんな風に聞こえてしまった。
デスクに戻る途中、スマホが鳴った。
着信元は、住んでいるアパートの大家さんからだ。
(珍しい、なんだろ?)
すぐ先に休憩室があるので、早足で向かいつつ電話に出た。
受話口の向こうで、一瞬、息を吸う音がした。
「……落ち着いて聞いてね」
その一言で、胸の奥が冷たい水に浸されたようにざわりとする。
「さっき、あなたの隣の部屋から火が出てね……」
足元が、ふっと揺れた気がする。
「葵ちゃん?」
言葉の意味を理解するより先に、背後からあたたかい体温が近づいてくるのを感じた。
振り向くと、そこには少し息を切らした鷹宮先輩が立っていた。
彼はあたしの顔色の悪さに気づいたのか、瞬時に表情を険しくさせる。
「どうした?顔真っ青だぞ」
その低い声が、崩れそうになったあたしの世界をギリギリのところで繋ぎ止めた。
滑り落としそうになったスマホを、鷹宮先輩の手が支えてくれる。
(……うまく話せない……どうしよう)
そのまま指先が伸び、スピーカーモードを押す。
「火は今はもう消し止められてるけど、煙が回っててね…」
「……はい」
「スプリンクラーで水浸しで…」
「……はい」
遠くで、非常ベルの残響みたいな音が、まだ耳に残っていた。
返事はしたのに、声が自分のものじゃないみたいだった。
電話を切ったあとも、しばらくその場から動けなかった。
いろいろ説明されたものの、上手く頭が回らない。
彼氏を失って、今度は家まで失うの?
一人きりの東京で、行くあてもなく、明日着る服さえない。
心配させたくないから、実家にも頼れない。
そう気づいた瞬間、胸の奥がひやりと冷える。
「葵ちゃん」
ペットボトルを片手に、少し眉を寄せてあたしを呼ぶ。
「とりあえず会社出る準備しといで」
「あ……えっと……」
言葉を探している間に、彼の視線があたしのスマホに落ちる。
「……聞くつもりなかったんやけど…火事なんやろ?」
低く、確認するような声。
「隣の部屋から、出たって……今日は帰れないらしくて……」
言いながら、急に現実味が増してきて、喉が詰まる。
困惑と不安が、まとめて押し寄せてきた。
鷹宮先輩は一瞬だけ考える素振りを見せて、すぐに言った。
「とりあえず一旦家に行こ」
「……え?」
「俺も行く、もうホテルも手配させかけたけど、現場見んことには落ち着かんやろ?」
即答だった。
それは、拒む余地のない優しさだった。
さらりと「手配させかけた」と口にする鷹宮先輩。
(……手配させるってどういうこと?……誰かに?)
この人が、ただの上司じゃないことだけは分かった。
でも今は、それを聞き返す余裕なんかない。
「……放っとかれへんやろ」
一歩、距離を詰める。
「その顔で一人にするとか、無理やわ」
そう言って、
もう歩き出していた。
あたしが追いかけるのを、前提みたいに。
慌てて後ろをついていくと、少しだけ歩調を緩めてくれた。
「……大丈夫。俺おるし」
その一言に、胸の奥がぎゅっと掴まれる。
横に並んだ距離が、いつもより近い。
それだけで、さっきまでの不安が、少しだけ遠のいた気がした。
「……泣きそうな顔、すんな」
困ったような、でも真剣な声。
あたしが一番弱い顔をしている時に、現れる人。
(この人……)
放っておいてくれない。
それが、こんなにも心強いなんて思わなかった。
――だめなのに。
そう思うのに。
この人に、甘えてしまいたいと思った。
――あんな風に泣いたのは、いつぶりだろうか。
ふと、コートの匂いを思い出す。
温もりと、あの低い声。
――『かわええな』
胸の奥が、じわりと熱を持つ。
軽く伸びをしたあと、洗面所に向かう。
鏡に写る顔は、憑き物が落ちたみたいにスッキリしていた。
(そりゃ……あれだけ泣いたら)
昨日の記憶は、まだ鮮明で。
腕の中に閉じ込められて、何も言わずにそばにいてくれた時間。
ようやく涙が止まり、離れようとした――はずなのに。
『・・・・・・それより』
両頬を挟まれて、無理やり顔を上げられる。
『おもろい顔やん。かわええな』
――また、だ。
あの声と言葉が、頭の中で繰り返される。
きっと、からかってるだけ。
でも、それだけじゃない気がしてしまう。
胸の奥が騒がしくて落ち着かない。
あんな風に泣いたことも、
誰かに甘えたことも、
いつもの自分では、絶対にあり得ないのに。
(・・・・・・なんで)
抗えなかったのか、わからない。
彼の瞳は、取り繕うことを許さなかった。
(鷹宮先輩には、ほんと助けられた……何かお礼しないと)
そう思いながら身支度を整え、家を出た。
***
昼休みのカフェという、逃げ場のない場所で。
「お待たせしました、キャラメルマキアートとブレンドコーヒーです」
店員さんが、ブレンドコーヒーを鷹宮先輩の前に置く。
あたしには、キャラメルマキアート。
「葵ちゃんはこっちやろ?」
鷹宮先輩は慣れた手付きで交換して、横にあるスティックシュガーを引き寄せる。
「え?!まだ入れるんですか?」
あたしの驚きを余所に、二本のスティックシュガーを躊躇なく流し込む。
キャラメルだけでもかなり甘そうなのに、加えてスティックシュガーだなんて。
その後、一口飲んで「んー……」と満足げに目を細めた。
さっきまで会議室で冷徹なまでに数字を追っていたあの鋭い瞳が、今はとろけそうに甘い。
その無防備な表情の破壊力に、あたしは慌てて視線をブラックコーヒーに落とした。
(仕事の時はあんなに怖いのに……その顔は反則)
「そーゆー葵ちゃんは、砂糖入れへんとかないわぁ」
「見てるだけで甘さが伝わるから大丈夫です……」
今朝、課長に呼ばれて、鷹宮先輩のプロジェクトに雪乃先輩と補佐で入ることになった。
午前中は業務確認に追われ、気づけば昼休み。
その流れで、プロジェクトメンバーとこのカフェに来た。
——までは、よかった。
ランチ終わりに、鷹宮先輩に腕を引っ張られる。
『葵ちゃんは、俺と居残り』
『え?』
『雪乃ー、あとヨロシク~』
『はいはい』
雪乃先輩は慣れた様子で、手を振って行ってしまった。
鷹宮先輩に促されるまま、コーヒーを注文して今に至る。
「気負い過ぎんでええで、雪乃もおるし」
「え?」
「初めてやろ?」
一瞬、言葉に詰まる。
そう、あたしにとって、プロジェクトチームの、しかも補佐とか初めてのこと。
不安で緊張していたのを、見抜かれていた。
鷹宮先輩はコーヒーを一口飲んで、少しだけ目を細めた。
「葵ちゃんの仕事ぶりは聞いてるで、自信もってえぇよ」
キャラメルマキアートに負けないくらいの甘い笑み。
まるで前から知っていたみたいな言い方だった。
そしてなぜか、胸がきゅっと跳ねる。
「あ……アリガトゴザイマス」
なんだか上手く顔が見れず、お礼もぎこちない。
「それと、心配してたんやけど大丈夫みたいやな」
「?」
「目、腫れてんのかなぁ~って」
さっきの甘さはどこへやら。
今度は何度も見てる、頬杖ついてあの意地悪な笑みの顔。
顔が整っているだけに、イライラよりもキュンとしてしまうから始末に悪い。
「鷹宮先輩って、意外と意地悪ですよね…・・・」
「心外やなぁ。俺は優しさの塊で有名やで?」
「それ、自分では言いませんよ」
「手厳しいなぁー、葵ちゃんは」
軽口が、こんなに心地良いなんて思わなかった。
(……絶対この人のせいだ)
ブラックコーヒーなのに、なぜかほんのり甘かった。
***
午後からの業務は、目まぐるしかった。
プロジェクトへの参加は、あたしが入社した時から「いつかやりたい!」と目標にしていた場所。
そして同じ女性として、誰よりも鮮やかに仕事をこなす雪乃先輩の背中は、ずっとあたしの憧れだった。
『初日から頑張りすぎはよくないわよ、肩の力抜いて、プロジェクトは長いんだから』
そう雪乃先輩に言われたけど、初日だからこそだ。
「雪乃先輩の隣で恥ずかしくない仕事がしたいんです。……いつか、あたしも誰かに頼られる側になりたいんです」
そう言って笑うと、雪乃先輩は一瞬目を見開いてから、「……あんた、ほんとに可愛いこと言うわね」と、照れくさそうにあたしの背中を叩いてくれた。
雪乃先輩にアドバイスしてもらい、なんとか終業時間ギリギリに完成させた資料。
鷹宮先輩にチェックを入れてもらうべく、彼のいる経営戦略企画部に足を運ぶ。
「どうした?」
「今朝頼まれた資料をお持ちしました。
まだ期限は先ですが、早めに確認していただければ、修正も回せると思って」
「もう出来たのか?」
鷹宮先輩が受け取った資料に目を通しつつ、ペンでチェックしていく。
見た目だけじゃなく、字まで端正なのか。
あたしは、走っているペンと書かれていく文字に魅入ってしまう。
「ありがとう、あとはこちらでチェックしておく。お疲れさま」
「あ……はい、お疲れさまです」
「気をつけて帰れよ」
そう言って視線を戻したのに、なぜか、その一言だけが背中に残った。
仕事中だからか関西弁じゃない。
でも少し柔らかい顔は、まるでお昼休みに見た素の鷹宮先輩みたいで。
『気ぃつけてな』
そんな風に聞こえてしまった。
デスクに戻る途中、スマホが鳴った。
着信元は、住んでいるアパートの大家さんからだ。
(珍しい、なんだろ?)
すぐ先に休憩室があるので、早足で向かいつつ電話に出た。
受話口の向こうで、一瞬、息を吸う音がした。
「……落ち着いて聞いてね」
その一言で、胸の奥が冷たい水に浸されたようにざわりとする。
「さっき、あなたの隣の部屋から火が出てね……」
足元が、ふっと揺れた気がする。
「葵ちゃん?」
言葉の意味を理解するより先に、背後からあたたかい体温が近づいてくるのを感じた。
振り向くと、そこには少し息を切らした鷹宮先輩が立っていた。
彼はあたしの顔色の悪さに気づいたのか、瞬時に表情を険しくさせる。
「どうした?顔真っ青だぞ」
その低い声が、崩れそうになったあたしの世界をギリギリのところで繋ぎ止めた。
滑り落としそうになったスマホを、鷹宮先輩の手が支えてくれる。
(……うまく話せない……どうしよう)
そのまま指先が伸び、スピーカーモードを押す。
「火は今はもう消し止められてるけど、煙が回っててね…」
「……はい」
「スプリンクラーで水浸しで…」
「……はい」
遠くで、非常ベルの残響みたいな音が、まだ耳に残っていた。
返事はしたのに、声が自分のものじゃないみたいだった。
電話を切ったあとも、しばらくその場から動けなかった。
いろいろ説明されたものの、上手く頭が回らない。
彼氏を失って、今度は家まで失うの?
一人きりの東京で、行くあてもなく、明日着る服さえない。
心配させたくないから、実家にも頼れない。
そう気づいた瞬間、胸の奥がひやりと冷える。
「葵ちゃん」
ペットボトルを片手に、少し眉を寄せてあたしを呼ぶ。
「とりあえず会社出る準備しといで」
「あ……えっと……」
言葉を探している間に、彼の視線があたしのスマホに落ちる。
「……聞くつもりなかったんやけど…火事なんやろ?」
低く、確認するような声。
「隣の部屋から、出たって……今日は帰れないらしくて……」
言いながら、急に現実味が増してきて、喉が詰まる。
困惑と不安が、まとめて押し寄せてきた。
鷹宮先輩は一瞬だけ考える素振りを見せて、すぐに言った。
「とりあえず一旦家に行こ」
「……え?」
「俺も行く、もうホテルも手配させかけたけど、現場見んことには落ち着かんやろ?」
即答だった。
それは、拒む余地のない優しさだった。
さらりと「手配させかけた」と口にする鷹宮先輩。
(……手配させるってどういうこと?……誰かに?)
この人が、ただの上司じゃないことだけは分かった。
でも今は、それを聞き返す余裕なんかない。
「……放っとかれへんやろ」
一歩、距離を詰める。
「その顔で一人にするとか、無理やわ」
そう言って、
もう歩き出していた。
あたしが追いかけるのを、前提みたいに。
慌てて後ろをついていくと、少しだけ歩調を緩めてくれた。
「……大丈夫。俺おるし」
その一言に、胸の奥がぎゅっと掴まれる。
横に並んだ距離が、いつもより近い。
それだけで、さっきまでの不安が、少しだけ遠のいた気がした。
「……泣きそうな顔、すんな」
困ったような、でも真剣な声。
あたしが一番弱い顔をしている時に、現れる人。
(この人……)
放っておいてくれない。
それが、こんなにも心強いなんて思わなかった。
――だめなのに。
そう思うのに。
この人に、甘えてしまいたいと思った。