野いちご源氏物語 五一 浮舟(うきふね)
匂宮(におうのみや)様は今も浮舟(うきふね)(きみ)を忘れておられない。
<それほどの身分ではなさそうだったが、繊細(せんさい)なかわいらしい人だった>
と、何もできなかったことを(くや)しがっていらっしゃる。
突然姿を消してしまったのは、中君(なかのきみ)二条(にじょう)(いん)から追い出したからだろうと勘違いなさって、
嫉妬(しっと)だなんて品のないことをするのですね」
とお(うら)みになる。

そのたびに中君は歯がゆくていらっしゃる。
<いっそ本当のことを打ち明けてしまいたい。『あの姫は私の異母妹(いもうと)で、(かおる)(きみ)が恋人にして宇治(うじ)にお(かく)しになったのです』と(みや)様に申し上げることができたらどれほど楽か。しかし、薫の君が大切に隠しなさった人なのに、その居場所を私が勝手に話すのはよくないだろう。どこにいるかお知りになったら、宮様はきっと訪ねていかれる。親王(しんのう)のご身分にふさわしくない見苦しいことが起きるだろう。

もし他の人からお聞きになったら、それはもう仕方がない。薫の君にとっても姫にとってもお気の毒だけれど、一度浮気(うわき)(ごころ)に火のついた宮様をお止めすることなどできないもの。ただ私としては、相手が異母妹となると、よその女性と浮気されるよりも世間体(せけんてい)が悪くなるけれど。いずれにせよ、私のせいで薫の君と姫の関係が(こわ)れるようなことはしたくない>
匂宮様をお気の毒に思いつつも、何も言わずにいらっしゃる。
適当な(うそ)はつけないご性格なので、夫の浮気に腹を立てて(だま)()んだ、よくある妻のふりをなさる。

一方、薫の君はたいそうのんびりなさっている。
女君(おんなぎみ)が二条の院で匂宮様に見つけられてしまったなんて、夢にも思われない。
<私が来るのを待ち遠しがっているだろう>
と、山荘(さんそう)に置いてきた浮舟の君のことを心苦しく思っていらっしゃるだけ。
でも、それなりの口実(こうじつ)がなければ遠い宇治までお出かけになれない。

<いつかは都に呼び寄せたいが、しばらくは宇治で大君(おおいぎみ)の身代わりとしてかわいがりたい。何日かかかりそうな用事を作って、ゆっくり会いにいこう。そうしているうちに姫の気持ちも落ち着くだろうし、知らぬ()に結婚していたらしいと世間から思われた方が都合がよい。『突然新しいご結婚をなさったらしい。相手はどういう人だろう。いつからのご関係なのだろう』と(さわ)がれるのは嫌だ。あくまでもひっそりとかわいがる恋人にしておきたいのだから。

中君のお耳にはすでに入っているだろうが、姫を宇治から都へ(のぼ)らせたと(うわさ)になれば私にがっかりなさるだろう。亡き大君のことをすっかり忘れたのかと思われたくない>
あえてさりげなく浮舟の君を(あつか)われるのだから、のんきなご性格だこと。

とはいえ、都に呼び寄せるときのために、こっそりと新しいお屋敷を造っていらっしゃる。
ご出世なさってお仕事も忙しいし、ご正妻(せいさい)である内親王(ないしんのう)様を放っておくわけにもいかない。
そこへ浮舟の君のお世話が加わったわけだけれど、中君へのご奉公(ほうこう)もこれまでと同じように熱心になさる。

女房(にょうぼう)たちが不思議がるほどのご熱心さを、中君は、亡き大君へのご愛情のおかげだとお思いになる。
<私もこの年になって、世間の男性がどういうものか分かってきた。ひとりの女性を一途(いちず)に愛する男性のなんと少ないことか。とくに匂宮様は浮気(うわき)(ぐせ)がひどすぎる。薫の君は亡き姉君(あねぎみ)を今もお忘れにならず、妹の私を大切に世話してくださるというのに。

お年を取るほどにお人柄(ひとがら)も世間の評判も立派になっていかれる。姉君は私を薫の君と結婚させたいとお望みだった。皮肉(ひにく)な運命のせいでそうはならず、悩みの()きない相手と結婚することになってしまった>
しばしばそんなことまでお考えになるけれど、薫の君にお会いになるときは、はっきりと線引きをなさる。

昔なじみとはいえ、高いご身分の方たちがあまり親しくなさるのはおかしいの。
それに、匂宮様はおふたりの関係をずっと(うたが)っていらっしゃる。
自然と中君は薫の君を遠ざけるように振舞われるけれど、薫の君のご好意は変わらない。

匂宮様の浮気癖には困りなりながらも、中君は今、それなりにお幸せよ。
宮様は若君(わかぎみ)をご覧になるたびに、
<他の妻のところには、こんなにかわいらしい子どもは生まれないだろう>
と、中君を特別な妻だとお思いになる。
くつろげるご自宅の奥様として大切になさるから、中君のお悩みも以前よりは少しましになった。
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