洛陽夜曲

若頭 槇村宏一

張り詰めた沈黙の糸を断ち切るように、岸辺から鋭い一声が飛来した。


「カシラ、あきまへんで!」


対岸から響いたその切迫した叫びは、静かな川面を裂くように届いた。
一人の男が、なりふり構わずこちらへ向かって駆けてくる。
男は足元の危うい飛び石を、まるで獣のような躍動感で、
それでいてひどく慌てた足取りで渡りきった。
息を切らして現れたその男の眼光が、ふと川の中に佇む鈴華を捉える。


「わぁっ1お嬢! どないしたんです、そのお姿!ずぶ濡れやないですか!」


驚愕に染まった彼の声が、水飛沫の音をかき消して周囲に虚しく響き渡った。


「どないな状況や、これ……」


割り切れぬ思いを吐き捨てるように零しながらも、
男の視線は鋭く三人との間を往復する。
戸惑う鈴華を促すようにその手を取り、足場の危うい飛び石の上へと、
優しく引き上げた。


「カシラ、……京都で問題起こしたらあかんって
オヤジにきつく言われてますやろ?」


その諫言に、男は短く、苦い舌打ちを吐き出した。
感情のさざなみを押し殺すように踵を返すと、彼は京司に背を向け、
迷いのない足取りで飛び石を打ち鳴らす。
湿った石の感触だけを残し、男の背中は遠ざかっていく。


「……帰るぞ」


吐き捨てられた言葉は、鴨川のせせらぎに溶けるように消えていった。。


「待てや、話はまだ終わってへんで!」


京司の怒号が、男の背中に叩きつけられた。
だが、男は一度も振り返ろうとはしない。


「すんまへん、名乗り遅れましたわ。
自分六穣会で若頭補佐やらせてもらってます、早緑藤四郎ちゅうもんです。
以後、よろしゅう頼んますわ。…ほんで、さっきの人ですけど、
六穣会の若頭、槇村宏一…「お嬢さんの兄貴ですわ」


「……槇村、宏一」


繰り返す声が微かに震える。その姓名が意味する圧倒的な力の奔流を、
京司は肌で感じ取っていた。
早緑は京司に素性を問う事なく言葉を続けた。


「どなたさんかは知らへんけど、これ以上はご勘弁願いますわ。
お嬢も、すっかり冷え込んでおいでやさかい」


男は申し訳なさそうに、だが拒絶の意を込めて京司へと深く頭を下げた。
震える鈴華の肩を抱き寄せるように支え、
男はそのまま濁流の唸る対岸へと歩を進めていく。


「君……っ」


京司が縋るように声を絞り出す。

鈴華がわずかに顔を上げ、京司の言葉を遮るようにその瞳を射抜いた。
その眼差しは深い憂いを帯びていた。


「……ごめんなさい」


唇から零れ落ちたのは、懺悔とも決別とも取れる、消え入りそうな囁き。

それだけを書き置きのように残して、彼女の姿は白く霞む対岸の闇へと、
溶けるように消えていった
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