振り向いて青春
 若い頃っていろんな失敗をするんだ。 失敗しながら社会を知っていくんだ。
問題も起こしたよ。 非人間って呼ばれたことだって有る。
 クラスじゃ田舎者だからって仲間外れにされていた。 それでもいいと思っていた。
一生付き合っていく人たちじゃないって感じてたから。 冷めてたのかな?
 高等部普通課を卒業したら理療課に進む。 視力障碍者であればその一本道を進むものだと思われている。
でもぼくはそこで敢えて音楽課を選んだ。 真っ先に反対したのは母さんだった。
「遊びに行くくらいなら資格を取ってからにしろ‼」ってね。
 何度か話し合って結局は言うとおりに理療課に進んだんだ。 気は進まなかった。
元々マッサージだとか鍼灸だとかいう仕事に興味は無かったしやる気も無かった。
 でも理療課に進んで勉強していたら興味を持ってしまった。 不思議なもんだね。
 中3の時に離婚した父さんが言ってた。 「お前は日本一の按摩さんになるんだぞ。」って。
一応、聞くだけは聞いておいた。 でもそれがだんだんと重く感じられるようになった。
 理療課で勉強していると不思議にも興味が湧いてくる。 どんどん嵌り込んでいく自分が居た。
師匠はやたら厳しい先生だった。 ちょっとのミスも見逃さないんだ。
揉み方 刺し方、一つ一つに「そうじゃない。 こうするんだ。」ってうるさく言ってくる。 他の人たちにはそこまで言わないのに。
 そんな先生の本音を聞いたのは卒業する半年前だった。
昼休み、先生はフラリと教室にやってきた。
ぼくは一人で本を読んでいたんだ。
 「お前さあ、来年は大阪に行くだろう。 そしたらやれなかったことを思う存分にやってきなさい。」
そう、普通課で諦めた音楽課に進むことを決めたんだ。 先生は続けた。
 「お前がここでやらなあかんことは全部やってきたんだ。 俺は知ってるぞ。」
そして先生は遺言のように言ってくれた。
 「お前は本物なんだ。 本物の経絡治療家になりなさい。 俺には分かってるぞ。
他のやつらはまあそれなりに何とでもやるよ。 でもお前は本物の治療家になるんだぞ。」
この3年間で先生はぼくのことをきちんと見てくれていたんだ。 嬉しかったな。

 そして検定試験の勉強が始まった。「1989年当時」
先生は授業中にみんなに聞いた。 「お前たちさあ、試験勉強はどうするんだ?」
「どうするんだ?」って聞かれても困るなあ。 みんなは黙っていた。
 「分かった。 俺の家で集中勉強会をやる。 みんなは休日返上で俺の家に集まりなさい。」
それから先生はぼくのほうを向いた。 「お前はどうするね?」
もちろん行くとも行かないとも言えない。 返事に困っていると、、、。
「お前はやらなくても大丈夫だ。 のんびりしてなさい。」
 それを聞いた何人かは「あいつは期待されてないんだ。」と思って笑った。
でも実際には本番で満点を叩き出したんだよ。
按摩の試験台になった先生が言っていた。 「こいつは上手いぞ。 すごいやつが出てきたね。」って。

 この理療課時代も静かな虐めは続いていたんだ。 誰にも言わなかったけど。
特に3年になった時。 臨床実習でのこと。
 土曜日になるとタオルだのシーツだのという洗い物を一気に洗濯する。 その係はいつもぼくだった。
他のやつが担当したことは一度も無いよ。 敢えてぼくは言わなかったけど。
言っても聞いてないのは分かってたからね。 だから懸命に洗濯係を引き受けてきた。
最後までそれは変わらなかった。 師匠が聞いたら大激怒どころでは済まなかっただろうな。
ただでさえ短気な先生だったから。
 さらにもう一つ、ぼくが任された患者さんを勝手に強引に横取りしていくやつが居た。
施術室で大喧嘩をするわけにはいかないから黙ってたよ。 もし師匠が聞いたらこのおじさんは施術室には当分入れなかったかもしれない。
 そしてさらに施術中に入り込んできて勝手にお灸や鍼をしていくやつが居た。
この傲慢なおじさんは卒業後に住んでいたマンションでトラブルを起こして居られなくなったらしい。

 もちろん、ぼくらの実習には助手も付いてくれている。 みんなに付くわけじゃないけどさ。
土曜日、みんなが帰った後の施術室で洗濯が終わるのを待ちながら助手と話したりカルテをまとめたりしてたんだ。
 いつもぼくだったのに助手だって不思議に思ったかもしれないな。 でも何も言われなかった。
不思議だったのはその人が昼休みになると「治療してくれ。」ってぼくに甘えてくるんだ。 既に結婚してる人だったけど。
 それを見たクラスメートの一人が「あんたは人気が有っていいなあ。」なんてとぼけたことを言ってたっけな。
一人二人頼ってきたくらいで人気者だって言われてもピンと来ないんだけどなあ。
それに按摩も鍼灸も人気のためにやるような下流の仕事じゃないと思っている。
だから助手の体を使っていろいろと試させてもらったよ。 ひどくしたことも有ったけど。
 そういうのが後後になって役に立つんだよ。 その時は無駄に見えるかもしれないけど。
若い時にはちょいと羽目を外すくらいがちょうどいい。 坊ちゃん嬢ちゃんじゃあまともな大人にはならん。
どんだけ怒られたって叱られたっていいんだ。 でも迷惑だけは掛けたらいかん。
迷惑を掛けるような生き方は最大の恥晒だと思う。 そこが今の親には分からない。
なぜかって? 坊ちゃん嬢ちゃんだから。
 子供ってさあ冒険もするし火遊びもする。 何でも興味を持てばやりたくなるんだ。
その中には子供にはやらせられないことだってたくさん有るよね。 そこは親の出番なんだよ。
 資格を取って35年、いろんなニュースを聞いてきた。 特に最近は「生活に不満」を持っている人たちのニュースが多い。
でもそれはその人の問題だと思う。 その人の人生観そのものの問題だと思っている。
 ぼくだって不満はたくさん有るよ。 言っても言っても言い尽くせないくらいにたくさん有るよ。
だからってそれをぶつけただけじゃ何も変わらないんだ。 どうするか、どう捉えるかが問題なんだよ。
 仕事は無いよ。 でもそれに甘んじるつもりも無ければ誰かにぶつける気持ちも無い。
無い仕事を追い掛けるよりやれることを仕事にしたいと思ってるから。
 生保を受けてるよ。 でもそれにだって甘んじるつもりは無い。 その中で精一杯生きればいい。
本当は障害年金だっていよいよの時まで貰いたくはないんだ。 でもそれが無いと生活できないから貰ってる。
何かで成功したら全部お返ししようと思ってるよ。
 そんな気持ちになれたのはなぜだろう? 不思議だよね。

 理療課を卒業して36年。 一緒に居たはずのクラスメートとは一度も会ってない。
それどころか、母校さえ遠くに置き去りにしてしまった。 今や学校も変わってしまって誰が誰やら分からなくなってるんだから。
 ぼくをおもちゃにしていたやつも居る。 失明させたやつも居る。
顔を見れば馬鹿にしていたやつだって居る。 そんなのしか居ない母校なんて思い出にすらしたくない。
 いつかそう思うようになって忘れ去ったんだ。 思い出せば恨み言を言い続けるからね。
それでもたまに思い出すから学校に電話を掛けてみた。 でも話が通じなかった。
そりゃそうだよな。 知ってる先生たちはみんな退職してしまってるから。
せめて同窓会だけでも聞き出そうとしたけどそれも諦めた。 会えば何をするか分からないから。
同窓会殺人なんてやりたくないから後追いするのはやめたんだ。
次の世で会わなければいいと思ってさ。

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