森で拾った魔王を飼うことになりましたが、薬草師のわたしは命令しないことにしました

第二幕 魔王は薪を割る

翌朝、レオが目を覚ますと、ユナはもういなかった。
ベッドの端に、畳んだ毛布が置いてある。昨夜ユナが使っていたものだ。ユナは自分の部屋を貸してくれていた。自分はどこで寝ているのかと聞いたら、「居間に簡易ベッドがある」と答えた。それ以上の説明はなかった。
レオは上体を起こした。
窓の外から、鳥の声がする。早朝の光が斜めに差し込んでいる。
体の状態を確認した。
傷は塞がっている。熱はない。魔力の循環も正常だ。昨日、村の入り口でロックゴーレムを砕いたが、それくらいでは大して消耗しない。
立ち上がった。
居間に出ると、竈の上に鍋があった。蓋の上に紙が置いてある。
『粥があります。火をつけて温めて食べてください。マッチは竈の右の棚。——ユナ』
レオはその紙を見た。
それから竈を見て、棚を見た。
「……マッチ」
マッチの使い方を知っているかと言われたら、知ってはいる。ただし自分でやったことはほぼない。
城ではこういうことは全部、部下がやっていた。
レオは棚を開けた。
マッチ箱があった。
手に取って、一本擦った。
消えた。
もう一本擦った。
消えた。
「……」
三本目で火がついた。
竈に移した。
燃えた。
レオは鍋の蓋を開けた。粥が入っていた。昨日と同じ、薬草の混じったやつだ。
「まだ入れるのか」
誰に言うわけでもなく、呟いた。
熱は下がっている。傷も塞がっている。薬草を食べる必要はない。
でも……まあ、食べればいい。
レオはそう思い、椀をよそって、一人で食べた。
悪くなかった。

ユナが帰ってきたのは、昼前だった。
背中に大きな籠を背負っている。中には束になった薬草が詰まっていた。朝から森で採ってきたのだろう。
「起きてた」
「当然だ」
「粥、食べた?」
「食べた」
「よかった」
ユナは籠を下ろし、薬草の仕分けを始めた。種類ごとに分けて、乾燥させるものと、生で使うものと、絞って使うものとを選り分けていく。手が止まらない。考えながら別のことをやっている、そういう動き方だった。
レオは椅子に座って、それを見ていた。
「昨日のことだが」
「うん」
「村人たちが怖がっていたな」
「最初はね」
「今は?」
ユナは少し考えた。
「怖い、と、ありがたい、が、半々くらい。時間が経てば比率変わると思う」
「どちらに」
「さあ。人によるから」
レオは窓の外を見た。
村の通りが見える。昨日の今日だから、歩いている人は少ない。でも何人かはいる。生活が続いている。
「村長が来るかもしれない」
「私に話があるということか」
「たぶん。昨日助けてくれたから、お礼を言いたいんだと思う。でもたぶん、同時に、いつまでいるのかも聞きたい」
「正直な村だ」
「現実的な村」
 ユナは訂正した。
「魔王が近くにいるのは、怖いよ。当たり前だと思う」
レオは答えなかった。
怖いのは当然だ。分かっている。
今まで人間と関わるとき、その恐怖は利用するものだった。恐怖があるから命令が通る。恐怖があるから境界線が引かれる。それが世界の秩序だと思っていた。
「あなたはどうなんだ」
「何が?」
「怖くないのか」
ユナは手を止めた。
少し考えた。
「怖くないかと言ったら、嘘になる」
正直な答えだった。
「でも、あなたが怖いというより、よく分からないことが怖い。昨日見たもの、昨日起きたこと。それを整理しきれてない」
「整理できたら怖くなくなるのか」
「なるかもしれないし、ならないかもしれない」
ユナはまた仕分けを再開した。
「でも怖いかどうかと、追い出すかどうかは、別の話だから」
レオはその横顔を見た。
「……お前は変わっている」
「三回目」
「三回目?」
「変なこと言うとか、変わってるとか、そういうの。三回目」
レオは少し黙った。
「二回しか言っていない」
「内心でも一回言ったでしょ」
 図星だった。

 村長は昼過ぎに来た。
 五十代の男だった。背が低く、顔に深い皺がある。村を長く治めている人間の顔だった。
「昨日は助けていただいて、誠にありがとうございました」
深く頭を下げた。
「礼には及ばない。通りがかっただけだ」
「いいえ。おかげで誰も怪我をしませんでした。本当に、助かりました」

それからしばらく間があって、村長はユナを見た。
「まあ座って」
 ユナはお茶を出した。

 三人で机を囲んだ。
「率直に聞かせていただいてもいいでしょうか」
「どうぞ」
「あなたは……本当に、魔王様なのですか」
「そうだ」
村長の顔に、複雑な色が浮かんだ。
この世界で魔王、という言葉は、単純に恐れるべき存在を意味しない。
もっと複雑な意味を持っている。
百年前の戦争の後、人間は契約魔法を作った。魔王を従わせる魔法だ。それ以来、多くの魔王が人間に「飼われて」いる。各地の貴族や王族が、いわゆる「飼い魔王」を持っている。力の象徴として。あるいは守護者として。
だから魔王は今、珍しい存在ではない。
珍しいのは、契約魔法のかかっていない魔王だ。
「……契約は」
「ない」
また間があった。
「正直に言います。村人たちは不安に思っています。昨日助けていただいたことは分かっています。でも、それでも……その、いつまでこちらにいらっしゃるのか、という話が」
「村長」
ユナが口を開いた。
「レオさんはわたしが拾ったので、うちに居候しています。村に何か問題があればそれはわたしの問題なので、わたしが対処します」
「しかしユナ、相手は——」
「魔王さんです。知ってます。でも今のところ、村人に危害を加えていないし、昨日は助けてくれた。それだけは事実でしょう」
村長は眉を寄せた。
「お前が保証できることじゃないだろう」
「わたしが拾ったので、わたしが責任を持ちます。それだけです」
静かな声だった。
怒っているわけでも、強がっているわけでもない。ただ事実を述べている声だった。
レオは、ユナの横顔を見た。
飼うなら最後まで責任を持つ、昨日そう言っていた。本気だったのか、と今更思った。
本気だった。
村長はしばらく黙っていた。それからため息をついた。
「……一週間、様子を見ます。問題があればまた話しましょう」
「ありがとうございます」

村長は帰った。
二人になった。
「なぜそこまで言う」
「何が?」
「私の責任を持つなどと。面倒なことになるだろう」
「なったらなったとき」
ユナはお茶を片付けながら続けた。
「でも今日は問題ない。だから今日のことだけ考える」
「楽観的だ」
「現実的」

       ☆

それから三日が経った。
レオは居候を続けた。
どこかに行こうという気にならなかった。
理由を考えると、いくつかある。まだ本調子ではないということ。目的地が特にないということ。それから——。
レオは考えた。
それから、何だ?

「レオさん」
ユナの声がした。
「何だ」
「ちょっと来て」
裏庭に呼ばれた。そこには大きな薪の山があった。
「割ってほしいんだけど」
「……薪割りか。それは命令か?」
「違うよ。頼んでるだけ。一週間分くらいある。わたしだと半日かかるんだよね」
レオは薪の山を見てから、斧を見た。
「私は魔王だ」
「知ってる」
「薪割りをする存在ではない」
「できる?」
「……できる」
「じゃあお願い」
ユナは籠を持って、もう家の中に入りかけていた。
「待て。なぜ私がやる必要がある」
「居候だから」
「居候に薪割りをさせるのか」
「普通そうでしょ。師匠に弟子入りしてたとき、薪割りと水汲みが最初の仕事だった。レオさんは今、見習いより下の立場だよ」
「見習い以下……」
「魔王城のルールは知らないけど、うちのルールはそれ。いる人間は仕事をする」
そう言って、今度こそ中に入った。
レオは薪の山を見た。
斧を手に取った。構えた。
振り下ろした。
薪が真っ二つに割れた。魔王が薪割りをする姿とは思えないほど、妙に様になっていた。
「……」
もう一本。
割れた。
もう一本。
割れた。
魔力を使えば一瞬で終わる。でも何となく、それは違う気がした。斧を使った。

半刻後、薪はすべて割れていた。
ユナが出てきた。
「早い」
「当然だ」
「ありがとう」
積まれた薪を見て、満足そうに頷いた。
「じゃあ次、水汲みお願いしていい?」
「…………」
レオは空を仰いだ。
快晴だった。

それから、そういうことが続いた。
翌日は畑の草取りを頼まれた。
その次の日は、市場への買い物を頼まれた。
買い物は断った。
なぜかというと、市場に行けば人目につく。ロックゴーレムを倒した話はもう村中に広まっている。見世物になるのは御免だ。
「じゃあ早朝に行って。まだ人が少ないから」
早朝に行かされた。
リストを渡された。
『小麦粉・塩・蜂蜜・包帯(一ロール)・フィーバールート(可能なら)』
市場に行った。
小麦粉と塩と蜂蜜は問題なかった。包帯も。問題はフィーバールートだった。
「フィーバールートはあるか?」
 薬草を売っている老婆に聞いた。
「あるよ。どれくらい要る?」
「一束」
「はい」と渡された。
「あんた、よそのひと?」
「……そうだ」
「ユナちゃんのとこの?」

少し間があった。

「そうだ」
レオが答えると、老婆はにっこりした。
「ユナちゃんにもよろしく言っといてね。この間の薬、よく効いたって言っといて」
「……分かった」

 家に帰った。
「フィーバールート、あった?」
「あった。老婆がよろしくと言っていた。薬が効いたと」
 ユナは顔をほころばせた。
「よかった。ありがとう、レオさん」
 レオは買い物袋をテーブルに置いた。
「……使いを出すなら、もう少しましな使い方がある」
「どんな?」
「……いや、いい」
何でもない、と言おうとして、止まった。
思ったことは、ユナのやるべきことをもっと効率的に——という話だ。薬草師の仕事は山ほどある。採取、調合、配達、在庫管理。それを一人でやっている。手伝えることは他にもある。
なぜそう思ったのか、レオには少し分からなかった。
「何?」
「薬草の在庫が少ない。明日の分は何が要る」
ユナは一瞬、手を止めた。
それから、「ありがとう」と、また言った。

        ☆

レオは気づいていた。
自分の体に、見慣れない契約の痕があることを。
それが何の術かまでは、まだ分からなかったが。


「なぜ命令しない」
 ある夜、レオは聞いた。
 夕食の後、ユナは調合の仕事をしていた。小さな瓶に、乾燥させた薬草を粉にして詰めている。細かい作業だ。目が疲れるだろう。
「何を?」
 ユナは手を動かしたまま答えた。
「契約魔法を使っているだろう」
ユナの手が止まった。
それから、また動き始めた。
「……気づいてたんだ」
「最初から」
「いつ?」
「傷を診たとき。体に魔法の痕がある。弱い術だが、確かに繋がっている」
ユナは返事をしなかった。
「あの術は保護術だ。本来は家畜や荷馬に使う。飼い主と対象を紐で繋ぐようなものだ。それが私にかかっている」

 沈黙。

「なぜかけた?」
「怪我の治療に使った。師匠に習った方法で。瀕死の動物を助けるとき、保護術をかけると、魔力を少し分けてやれる。生命力を少し底上げできる。あなたの傷は深かったから、そのまま死ぬかもしれなかったので」
「……」
ユナは少し視線を落とした。
「傷が塞がれば解除しようと思ってた。治療中に切ると、体の回復が不安定になるから」

レオはしばらく黙った。

「私を縛っているという自覚があるか」
「ある」
「それでも命令しないのか」
今度は、少し長い沈黙があった。
ユナは手を止め瓶を机に置き、振り返った。
「飼うなら嫌がることはさせない」
「どういう意味だ」
「字通り。嫌なことを命令しても、やってほしくない。動物を飼うときだって、ちゃんと好きなものと嫌いなものを覚えて、嫌がることは強いない。それが当然だと思ってる」
「私は動物ではない」
「知ってる。だからなおさら」
「……なおさら?」
 ユナは少し考えた。
「動物以上に、嫌なことを強いちゃいけない、と思う。あなたには意思があるから」
意思がある。
レオはその言葉を、胸の中で繰り返した。
「……契約魔法を持ちながら、命令しない人間は初めてだ」
「そうなの?」
「飼い魔王に命令しない飼い主はいない。それが飼い魔王の仕組みだ」
「それは」
 ユナは少し眉を寄せた。
「変な仕組みだと思う」
「普通のことだ」
「普通だとしても、変だと思う」
レオは答えなかった。
普通のことだ、と言ったとき、それは正確には本心ではなかった。
ただ、それ以外の言葉を持っていなかった。
「解除するか? 今すぐ解除できるよ、保護術なら簡単に」
「……いい」
「いいの?」
「今は放っておけ」
ユナは少し不思議そうな顔をした。
「分かった」
「ただし。二度と命令するな」
「しない」
「約束できるか」
「できる」
迷いがなかった。
レオは視線を外した。
窓の外に月がある。この世界のどこにいても、月は同じだ。
「……薪は、自分から割った」
「うん」
「命令されたわけではない」
「知ってる」
「自分がやろうと思ったからやった」
「そうだと思ってた」
「……それだけだ」
「うん」
ユナは瓶の作業に戻った。
レオは月を見た。
何かが、変わったような気がした。
何が変わったのか、言葉にはならなかった。
ただ、ここに座っていることが、今日は不思議と居心地がよかった。
それだけは、確かだった。


しばらく経ったある朝のことだ。
レオが水汲みから帰ると、ユナが裏庭に出ていた。
空を見ている。
「何だ」
「鳥の巣」
軒下を指さした。
小さな巣がある。雀か何かの。中に卵が三つ、見える。
「卵があるんだ。春だ」
「……そうだな」
「冬の間、ここに鳥来てなかったから。戻ってきた」
ユナはしばらく巣を見てから、家の中に入った。
レオは、空を見た。
晴れていた。
雀が一羽、軒に止まった。それから、巣に入った。
レオはその様子を、しばらく眺めていた。
居心地がいい、と思う理由が、少し分かってきた気がした。
ここには、命令がない。
脅しもない。
恐怖もない。
ただ日々があった。薪を割って、水を汲んで、飯を食べて、月を見る。そういう日々が。
それが何なのか、レオには言葉がなかった。
ただ、悪くない、とは思った。
思ってしまった。
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