子供ができました
男とワンナイト
第1話 「最悪の出会いはシャンパンの香り」

20XX年7月、ソウル。
夜の街は蒸し暑く、ガラス張りの高級ホテルのロビーには柔らかなシャンデリアの光が降り注いでいた。

そのホテルの最上階。
“プレミアム婚活パーティー”と書かれた看板の前で、
チョン・ソアは深くため息をついた。

「……なんで私がこんな所に」

黒髪のロングヘアを指先で整えながら、ソアは小さく
呟く。
白いワンピースにヒール。仕事のスーツとは違う装い
でも、彼女の整った美貌はひときわ目を引いていた。

しかし当の本人は――心底面倒そうだった。

その時、スマホが震える。

ソアは画面を見ると、すぐに電話に出た。

「……もしもし」

『ソア!本当にごめんってば!』

受話口から聞こえるのは、明るく勢いのある女性の声。
親友であり会社の部長、キム・ダソムだった。

ソアは小さく眉をひそめる。

「“ごめん”で済む話じゃないと思うんだけど」

『いやだって急に接待入ったのよ!このパーティー私が顔出さないとスポンサー怒るの!』

「それで私を身代わりに?」

『身代わりじゃないってば!代理!』

ソアは静かに目を閉じる。

「……ダソム」

『な、なに?』

「私、非婚主義者って知ってるよね」

『うん知ってる』

「ここ、婚活パーティー」

『うん』

「……」

『……』

数秒の沈黙。

そしてダソムが慌てて言った。

『と、とりあえず30分だけ!顔出してくれたらいいから!お酒飲んで帰っていい!』

ソアは額に手を当てる。

「……はあ」

『ソア、お願い!私の命がかかってる!』

「あなたの命、軽すぎない?」

『お願いってばー!』

しばらく黙ったあと、ソアは諦めたように息を吐いた。

「……30分」

『え!?』

「30分だけ。顔出して帰る」

『神様!?』

「あなたのじゃない」

『ソア愛してる!』

「はいはい、切るね」

通話を切ると、ソアは会場の扉を見上げた。

「……30分」

自分に言い聞かせるように呟き、扉を押し開ける。

――瞬間。

華やかな音楽。
香水の香り。
スーツ姿の男女の笑い声。

まるでドラマのような空間が広がっていた。

ソアは小さく顔をしかめる。

「……無理」

完全に場違いだった。

男性たちはすぐにソアに気付く。

「わ、綺麗な人」

「初めて見る顔だな」

「モデルか?」

視線が集まる。

ソアは気付かないふりをして、壁際のテーブルに向かった。

「……お酒だけ飲んで帰ろう」

グラスを一つ手に取る。
シャンパンだった。

軽く一口飲む。

「……甘い」

その瞬間。

ふと、ソアの視界の端に見覚えのある人物が映った。

「……え」

心臓が止まりかける。

「……嘘」

少し離れた場所で談笑している男性。
スーツ姿、落ち着いた雰囲気。

――同じ会社の上司だった。

ソアの目が大きく開く。

「なんでここに……!」

慌ててグラスで顔を隠す。

「まずい……まずいまずい」

もし見つかれば。

“専務が婚活パーティー参加”
そんな噂が社内を駆け巡る未来が見える。

ソアは小声で呟いた。

「落ち着いて……チョン・ソア……」

そして静かに背を向ける。

「……見つからないうちに帰ろう」

そう決めて、そっと歩き出した――その時。

ドンッ

「っ!」

誰かにぶつかった。

手に持っていたグラスが揺れる。

「あっ……!」

バシャッ

シャンパンが豪快にこぼれた。

しかも――

目の前の男性のスーツに、全部。

「……」

「……」

数秒の沈黙。

ソアの顔が青ざめる。

「……す、すみません!!」

勢いよく頭を下げる。

「本当に申し訳ありません、前を見てなくて……!」

相手は背の高い男性だった。

黒いスーツ。
整った横顔。
鋭い雰囲気。

しかし――

「……」

反応がない。

ソアは顔を上げた。

「……?」

男性は少しふらついていた。

そして、ぼんやりした目でソアを見ている。

「……あの?」

返事がない。

ソアはさらに焦る。

「す、スーツ……完全に濡れてますよね」

男性はゆっくり瞬きをする。

「……ん」

「……?」

「……冷たい」

どうやら今気付いたらしい。

ソアは慌てて言う。

「すぐ拭きます!」

周りを見渡す。
しかし人が多い。

そして――

もしここで騒ぎになれば。

さっきの上司に見つかる。

ソアは決断した。

「……こっち来てください」

男性の手をつかむ。

「え」

「奥に休憩スペースありますから」

ぐいっと引っ張る。

男性はふらふらしながら言った。

「……どこ」

「静かな所です!」

「……」

「早く!」

ソアは半ば強引に男性を連れて歩き出した。

会場の奥。
人の少ない廊下。

ソアはようやく立ち止まる。

「……はあ」

そして男性を見た。

スーツは胸元までびしょ濡れだった。

ソアは真剣な顔になる。

「……本当にすみません」

ハンカチを取り出す。

「少し失礼します」

胸元を拭こうとした。

その時。

男性がふらっと体を傾けた。

「……え」

ソアの肩に重みがかかる。

「……?」

男性が寄りかかってきた。

「ちょ、ちょっと」

ソアは慌てる。

「大丈夫ですか?」

男性はぼそっと呟く。

「……眠い」

「……はい?」

「……」

「ちょっと!?」

ソアは困惑した。

「え、酔ってるんですか?」

男性はゆっくり頷く。

「……たぶん」

「……たぶん!?」

ソアは天井を見上げた。

「……どうしてこうなるの」

さっきまで静かに帰る予定だったのに。

目の前には。

びしょ濡れで酔っている、見知らぬ男。

ソアは深く息を吐いた。

「……とりあえず」

彼の腕を肩に回す。

「座れる場所探しましょう」

男性はぼんやり言った。

「……誰」

「今それ聞きます?」

「……」

「私はチョン・ソアです」

「……ソア」

「はい」

「……きれい」

ソアは一瞬固まる。

「……は?」

男性は真顔だった。

「……」

ソアは小さく呟く。

「……完全に酔ってる」

そして知らなかった。

この酔っ払いの男が――

自分の会社の社長。

イ・リノだということを。

そしてこの夜が、
二人の人生をとんでもなく変えることを――。
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