愛のある方へ

いくつもの私でできている

あなたが今、鏡で見ている「あなた」と、私が今、目の前で見ている「あなた」は、果たして同じ人物なのだろうか。

私たちはときどき、「本当の自分を分かってほしい」と思うことがある。でもよく考えると、この世界に「たった一つの本当のあなた」なんて、案外どこにもないのかもしれない。
あるいは、あったとしても、それを完全に知っている人は自分を含めて誰もいないのかもしれない。

親の前でいるあなたと、友達の前でいるあなたは違う。
恋人の前で見せる顔も、ひとりでいるときの顔も違う。
はじめましての人の前では少しよそゆきになるし、安心している相手の前では驚くほど感情が出ることもある。
そうやって私たちは、相手によって少しずつ違う形で存在している。

でもそれは、無理をして演じているということではない。
どの自分も、ちゃんと自分だ。
優しい日も自分だし、冷たくしてしまった日も自分。
うまく笑える日も、何も話したくない日も自分。
誰かにとっての明るいあなたも、別の誰かにとっての無口なあなたも、どちらも嘘ではない。

たぶん人は、ひとつの言葉では言い切れない。
明るい人、優しい人、強い人。
そんなふうに簡単にまとめられそうで、実際はもっと曖昧で、もっと複雑だ。
優しい人だって余裕がなければ冷たくなるし、強そうな人だって、誰にも見せていないだけで簡単に傷ついている。
だから「私はこういう人間です」と言い切れなくても、何もおかしくない。

むしろ、いろんな人と関わって、いろんな気持ちを知ってきたからこそ、自分が分からなくなるのだと思う。
誰かの言葉に救われて、誰かの態度に傷ついて、少しずつ形を変えながらここまで来た。
昔と同じままではいられないし、今日の自分が明日の自分と少し違うのも自然なことだ。

それなのに私たちは、変わる自分をどこかで怖がってしまう。
「本当の私は何なんだろう」
「ちゃんとした自分を持たなきゃいけないんじゃないか」
そんなふうに思って、答えを急いでしまう。
けれど、自分というものは、そんなにはっきりした形を持っていなくてもいいのだと思う。

自分は、ひとつの完成されたものじゃない。
そのときの気持ちや、これまで出会った人や、忘れられない出来事が何層にも重なってできている。
だから、心が揺れる日があるのも当然だ。
迷う日があるのも自然だ。
自分が分からないということは、何もないということではなく、それだけたくさんのものを抱えて生きてきたということ。

無理にひとつに決めなくていい。
今はこう思っている、それだけで十分。
昨日と違っていてもいいし、前より少し弱くなっていてもいい。
そのときどきの自分を否定せずに受け止められたら、「自分はこうあるべきだ」という縛りから自由になって、少しは楽に過ごせるはずだよ。
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