余命6ヶ月の君と生きる
似ている二人
人は人を救えない。私は心底そう思う。
小さい頃からそうだった。誰にもみられない家庭という名の密室で、私はいらない命として扱われてきた。
「お前にかけきた金はドブに捨てたようなものだ。」
アルコールで赤くなった頬。撒き散らす唾液が汚らしい父。
「早くいなくなればいいのに。」
いつも父に迎合することしかできない母。
そんな時、私はよくシンデレラを読む。
読んでいる時だけ、胸がドキドキする。いつか、王子様が迎えにきてくれる。そんな運命を夢見ていた。
空想の世界が私の全てだった。
結局、私を救ってくれる王子様なんていないし、ガラスの靴は黒のヒールに変わってしまった。
ずっと消えてしまいたかった。でも、いのちの電話はつながらず、チャットも繋がらない。こんなに死にたいのに、こんなに大嫌いなのに、私は家族を捨てられない。
そして死にたい私は、今日も死に損なっている。
カウンセリングを受けに病院に来てみると、ロビーに見慣れた顔を見つけた。不健康そうな大学時代の友達がそこにいる。
「拓斗?ねぇ、どうしたの?」
「……はい?」
眉根を寄せて距離を取ろうとする拓斗。臆病な私をよく引っ張って明るく接してくれた唯一の男友達。
彼とは同じゼミを取っていたので、快活な彼との記憶に違和感が残りつつも話しかける。
「もしかして、健康診断引っかかったの?」
「……あの、人違いです。」
「……えっ!?」
私は驚いて彼の全身を確認したが、どう見ても大学時代の友達、拓斗だった。本人は違うと言うが。
「あっ、ごめんなさい…本当に知人に似てて……。」
「はぁ……逆ナンかと思いました」
彼の目はじっと警戒の色を示している。
「いやいやいや!しませんよそんなこと!」
私は慌ててスマホを取り出し、証拠を見せるために拓斗と前にとった写真を彼に見せる。
「ほら!」
彼は真剣に画面を見つめる。私と肩を組んで笑顔でいるツーショット。彼は目を見開いて心底驚いたように見えた。
「……ホンマに僕や。僕にしか見えへん。こんな不思議なことあるんですね。」
「でしょ!?だから、間違えてしまって……すみません。突然声かけてしまって、変な人ですよね私……。」
「いや、これなら間違えしまっても仕方ないと思います。」
スマホをカバンにしまい、男の人をもう一度見る。
やはり似ている。
「この子が私の友達で……つい声をかけてしまって。申し訳ないです。」
「いやいや、僕こそ警戒してすんません。」
大学の同級生と瓜二つ。快活だった友達と関西弁を話す生気のない彼。真反対なはずなのに、あまりにも似ているその姿に何故か惹かれてしまう。
「……あの、良かったらこの後お茶でも行きませんか?」
普段なら絶対にしないことを、この日の私はなぜかしてしまった。
私が恐る恐る聞いてみると、彼は薄く笑う。
「やっぱ逆ナンやったんですか?」
「いや!えっと!結果的にはそうなっちゃったんですけど…!」
彼は気だるげではあったが、少し声の調子が跳ねた。
「……行きましょうか。ご飯。ちょうど僕も小腹空いてたし。何時に終わります?診察。」
声は明るいのに、何故かずっと目の奥が暗い。彼の予想外の言葉に口が半開きになってしまい、まるで餌を待ち侘びる金魚のようだった。
「えっと、結構早めにきてしまったので今からでも大丈夫です……。あの、良いんですか?」
「良いですよ。めっちゃ面白そうやし。なんか、運命みたいちゃいます?」
その一言に、自分の頭の中を覗かれたような恥ずかしさと微かな動悸に胸が焼かれた。あ、この人はきっと私を否定しない。そんな予感がした。
私の小さな勇気をこんなにも簡単に受け取ってくれる事に。
「まぁ、僕はスピリチュアルとか信じてへんけど。それにしても似すぎるから、彼の話も聞いてみたくて。」
ボソリと目線を逸らしながら彼は呟いた。
「あの、今更ながらですけど私、益田桃です。お名前は……」
「侑です。早野侑。桃ちゃん、よろしく頼んます。」
私は瞬きを数回する。"桃ちゃん"男性にそう呼ばれるの初めてではないが、暖かく耳に残る響きだった。
全身を包まれるような優しさのある声。彼から思わず目を逸らしてしまう。顔が熟れたりんごのようになっていないだろうか、そんな心配をしてしまう。
この人には絶対恋をしてはいけない。そんな気がした。
私は早野さんと病院内のカフェへ向かった。
「すみません!突然お茶に誘っちゃって……。」
「ええですよ。気にせんとってください。メニュー、何します?」
私は向かいに座ると、店員に出されたメニュー表を一緒に眺める。
「うーん、悩むなぁ。」
パスタのページを見ながら、和風とカルボナーラで迷ってしまう。どちらも美味しそうだ。
「パスタ好きなん?」
「そうなんですよ。今は和風とカルボナーラで悩んじゃって……。」
「じゃあ僕カルボナーラにするから桃ちゃん和風頼み。そしたらシェアできるやろ?」
彼の提案に面食らってしまう。初対面の人にそう気遣われること自体初めてだった。
私は感じたことのない優しさに居心地が悪くなる。お尻がもぞもぞと動く。
「……良いんですか?」
彼は何でもないことのように口を開く。
「嫌じゃなかったらやけど。嫌やった?」
敬語が外れた、少し声の硬くなった彼かは緊張が滲む。
「いえ、あの、ご好意に甘えさせてください。」
彼は照れくさそうに視線を逸らした。それが妙に可愛くて、思わず笑ってしまった。
「まぁ、僕もちょっと前まで入院してて。あ、重く捉えんとってください。……まぁ、外でご飯食べるのなんて久しぶりなんで。」
「何でいきなり敬語に戻るんですか。」
彼のそわそわした空気が私にも伝わり、自然と顔が綻んでしまう。彼から向けられる尊重の気持ちが、私の心をそっと撫でてくれた。それがくすぐったい。
店員を呼び注文した後、私は彼に尋ねてみることにした。
「早野さんは入院、されてたんですか?」
「侑でええですよ。身体があんま強くないんで。持病でたまに入院するねん。」
「そうなんですね……。」
病気のことが気にはなるが、デリケートな問題なのでそれ以上突っ込むことは憚られた。
彼は話題を変える。
「てか、あの見せてもらった写真。めっちゃ僕と似てますよね。ドッペルゲンガーかと思ったわ。」
ドッペルゲンガー、確かにその言葉が相応しいくらいに似ている。その言葉に笑いが込み上げた。
「大学時代の友達なんです。怖いくらい似てますよね。」
「もしそうやったら僕、絶対その人に会われへんやん。嫌や。会ったらアカンのやろ?」
突然、その言葉に思わず背筋を冷たい風に撫でられた気がした。会ったら死んでしまう都市伝説。侑さんと友達は佇まいや言葉は違うけど、雰囲気が似ているのだ。
いや、「似ている」よりももっと――。「本人」のようだった。どちらも知ってる私からするとおかしな話なのだが。
私が彼に写真を見せた事自体良くなかったのではと考えたが、それは考えすぎだ。ただの都市伝説に本気になる必要なんてない。
「私の友達について知りたいって言ってくれてましたけど……」
「あぁ、兄弟とかおんのかなぁとか、どんな性格なんかなぁとか。」
私は記憶の中の拓斗に思いを馳せる。
「大学で出会ったんですけど、明るくて、活発で。フットサルもやってました。ゼミも一緒だったから、よく話すようになって。」
侑さんは興味があるのかないのか、ほーんと何かに納得したようだった。
「そうなんや……僕とは大違いやな。僕どっちかっていうとインドアやし。」
侑さんはカバンの中に視線をやると、文庫本が何冊か入っていた。
「本、お好きなんですね。私も好きです。」
「おっ、そうなんや。僕もやねん。」
店員が注文していた料理を届けてくれる。とりわけ皿も用意してくれていたのでありがたい。
「お待たせしましたー。」
「いただきます。」
口をつけずにお互いのパスタを半分ずつ分けて皿に乗せた。和風パスタの醤油の落ち着く香りと、カルボナーラのクリームの匂いが立ち込める。
「侑さんありがとうございます。」
「ほんまに気にせんとって。さぁ、食べよ食べよ。」
取り分けてもらったカルボナーラを口に入れると濃厚な味のクリームが舌に絡みつく。
「……桃ちゃん、美味しそうに食べるなぁ。」
「えっ!?顔に出てましたか?」
「めっちゃ美味しいって顔に書いてたわ。」
私は恥ずかしくて何も言えずパスタを巻いて食べ続ける。
「ええと思うよ僕は。美味しそうに食べてくれるほうが嬉しいやん。」
「……ありがとうございます。初めてそんな風に言われました。」
「ホンマに?」
「ホンマです」
おどけて私がエセ関西弁を話すと、侑さんは驚いたのかパチパチと数回瞬きをした。侑さんはふっと今までの空気が緩むような笑みになる。
その優しい微笑みに私までつられて笑顔になってしまう。トクトクと、穏やかなのにやけに自分の心臓の音が大きく聞こえた。
ダメだ。私はこの人に寄りかかってしまうかもしれない。
「なぁ、桃ちゃん。連絡先交換しようや。」
その一言がサクリと身体に刺さる。やめて欲しい。これ以上近づいたら私は期待してしまう気がする。
元彼と別れた時に、自分の足で立つって決めたじゃないか。なのに口からは反対の言葉が出ていた。
「ぜひ……。」
「なんか僕がナンパしてるみたいやな。」
そう言って笑う彼は、数時間前とまるで違う人のようだ。「交換してはダメだ!」と声がする。それでもわたしは誘惑に負けてしまう。こんなに出会ってすぐなのに、まだ彼と話がしたい。私はスマホを取り出して交換した。
「じゃあ、桃ちゃんとこれで友達やな。」
「はい。よろしくお願いします。」
結局、私は欲望に負けてしまった。
「これからは気楽に接してや。」
彼の連絡先のアイコンを眺めると心が少し浮わついてしまう。水族館で撮られた可愛いペンギンが2羽写っている。……これはいけない。平常心だ。私は自分を必死に収める。
2人とも食べ終わり、綺麗になった皿が解散の時間を告げていた。
侑さんはピルケースから薬を取り出すと3錠ほどを慣れた手つきで飲み込んだ。私はなぜか不安に駆られる。会って間もないはずなのに。
「桃ちゃん、また会おうな。連絡するわ。」
「わ、私も連絡します!」
会計を済ませ、病院のロビーで約束をした。
「楽しみにしてるわ。ほんじゃ、また。」
「はい、またご飯にいきましょうね。今日はありがとうございました!」
彼の背中を眺めて、しばらく私放心状態だった。
ロビーにあるウォーターサーバーで水を飲む。
カラカラに乾いた喉が潤う。
壁には、「一人にならないで!電話して!」といのちの電話に繋ぐポスターが貼ってある。
私は繋がったことがない。皆考えることは同じなのかもしれない。
「益田さーん」
受付からの声に応え、カウンセリングルームに入る。
「益田さん、1週間ぶりですね。どうぞお入りください。」
年配の女性の心理士さん。彼女には本当にお世話になっている。温和な丸い顔がいつも私の心の緊張を解いてくれる。
「今日もよろしくお願いします。」
「はい。よろしくお願いします。体調はいかがですか?」
ゆったりとしたソファに体を預けることもできない。
前屈みになりながらぽつりぽつりと、いつものように話す。
「……体調は大丈夫です。」
「それは良かったです。まだ、死にたいって言う気持ちはありますか?」
私は一瞬答えるのに迷った。
この気持ちは無いように見えても不意に肩を叩いてきたり、隣に座っているような感覚になる時がある。
「完璧に、無いとは言い切れないです……。」
先生は私の気持ちをその温和な丸い頬で受け止めてくれる。
「そうなんですね。それはなんででしょうか?」
なんと答えたらいいんだろう。先生の顔が見れず、部屋の端の観葉植物に視線を向ける。
少し枯れかけた葉の先が、妙に目に映る。
ずっとあるこの気持ち、消えたい。死にたい。でも死ぬこともできない。
今日を生きる気持ちの私の根っこはどこにあるのだろうか。
「いらない子……だからですかね。愛されたい、けど、それも怖い。苦しい。早く楽になりたい。」
自分の手をさすっては落ち着かない気持ちを吐露する。背中を丸めて、心を守ろうとする私はアルマジロのようだ。
「楽になりたいんですね。何から楽になりたいですか?」
先生は私を落ち着かせるようにオウム返しをした。
それでも、一度開いた記憶の箱からドロリと溢れ出す。
「……お父さんとの関係から……お父さんに殺されそうになった事があって。機嫌を損ねちゃって、逃げる私の髪の毛掴まれて、引きずりまわされて、それで殴られて、ごめんなさいっていっても、土下座しても、許してもらえなくて、それで……」
「益田さん、大丈夫。今日はここまでにしておきましょう。辛いお話、聞かせてくれてありがとう。一気に記憶の蓋を開けてしまうのも、良くない事だから。ね?」
せっかくメイクしてきたのに、化粧がボロボロになってマスカラが溶けてしまう。
でもそんなことを気にしてられる余裕なんてなかった。
先生は紙に何か素早く書き込んで口を開いた。
「すこしずつ、楽になりますからね。カウンセリングを続けるうちにきっと良くなりますから。来週もまた顔を見せてくださいね。」
この人の言葉だけは守らないといけないなと、何故か思わせてくれる先生だ。
先生の笑顔が、ズタズタになった神経をほぐしてくれる。
「はい。また、来週。」
カウンセリング後の気だるい体を持ち上げる。トイレでメイクを直す。
アイラインを引き直していると、早野さんの少し温度のある声の『桃ちゃん』が頭をよぎる。
ふと、手が止まった。暖かな木漏れ日のような、絶妙な温度のある声だった。アイラインが少し歪んでしまったが、それも愛嬌だ。私は鏡越しに笑顔を作った。
小さい頃からそうだった。誰にもみられない家庭という名の密室で、私はいらない命として扱われてきた。
「お前にかけきた金はドブに捨てたようなものだ。」
アルコールで赤くなった頬。撒き散らす唾液が汚らしい父。
「早くいなくなればいいのに。」
いつも父に迎合することしかできない母。
そんな時、私はよくシンデレラを読む。
読んでいる時だけ、胸がドキドキする。いつか、王子様が迎えにきてくれる。そんな運命を夢見ていた。
空想の世界が私の全てだった。
結局、私を救ってくれる王子様なんていないし、ガラスの靴は黒のヒールに変わってしまった。
ずっと消えてしまいたかった。でも、いのちの電話はつながらず、チャットも繋がらない。こんなに死にたいのに、こんなに大嫌いなのに、私は家族を捨てられない。
そして死にたい私は、今日も死に損なっている。
カウンセリングを受けに病院に来てみると、ロビーに見慣れた顔を見つけた。不健康そうな大学時代の友達がそこにいる。
「拓斗?ねぇ、どうしたの?」
「……はい?」
眉根を寄せて距離を取ろうとする拓斗。臆病な私をよく引っ張って明るく接してくれた唯一の男友達。
彼とは同じゼミを取っていたので、快活な彼との記憶に違和感が残りつつも話しかける。
「もしかして、健康診断引っかかったの?」
「……あの、人違いです。」
「……えっ!?」
私は驚いて彼の全身を確認したが、どう見ても大学時代の友達、拓斗だった。本人は違うと言うが。
「あっ、ごめんなさい…本当に知人に似てて……。」
「はぁ……逆ナンかと思いました」
彼の目はじっと警戒の色を示している。
「いやいやいや!しませんよそんなこと!」
私は慌ててスマホを取り出し、証拠を見せるために拓斗と前にとった写真を彼に見せる。
「ほら!」
彼は真剣に画面を見つめる。私と肩を組んで笑顔でいるツーショット。彼は目を見開いて心底驚いたように見えた。
「……ホンマに僕や。僕にしか見えへん。こんな不思議なことあるんですね。」
「でしょ!?だから、間違えてしまって……すみません。突然声かけてしまって、変な人ですよね私……。」
「いや、これなら間違えしまっても仕方ないと思います。」
スマホをカバンにしまい、男の人をもう一度見る。
やはり似ている。
「この子が私の友達で……つい声をかけてしまって。申し訳ないです。」
「いやいや、僕こそ警戒してすんません。」
大学の同級生と瓜二つ。快活だった友達と関西弁を話す生気のない彼。真反対なはずなのに、あまりにも似ているその姿に何故か惹かれてしまう。
「……あの、良かったらこの後お茶でも行きませんか?」
普段なら絶対にしないことを、この日の私はなぜかしてしまった。
私が恐る恐る聞いてみると、彼は薄く笑う。
「やっぱ逆ナンやったんですか?」
「いや!えっと!結果的にはそうなっちゃったんですけど…!」
彼は気だるげではあったが、少し声の調子が跳ねた。
「……行きましょうか。ご飯。ちょうど僕も小腹空いてたし。何時に終わります?診察。」
声は明るいのに、何故かずっと目の奥が暗い。彼の予想外の言葉に口が半開きになってしまい、まるで餌を待ち侘びる金魚のようだった。
「えっと、結構早めにきてしまったので今からでも大丈夫です……。あの、良いんですか?」
「良いですよ。めっちゃ面白そうやし。なんか、運命みたいちゃいます?」
その一言に、自分の頭の中を覗かれたような恥ずかしさと微かな動悸に胸が焼かれた。あ、この人はきっと私を否定しない。そんな予感がした。
私の小さな勇気をこんなにも簡単に受け取ってくれる事に。
「まぁ、僕はスピリチュアルとか信じてへんけど。それにしても似すぎるから、彼の話も聞いてみたくて。」
ボソリと目線を逸らしながら彼は呟いた。
「あの、今更ながらですけど私、益田桃です。お名前は……」
「侑です。早野侑。桃ちゃん、よろしく頼んます。」
私は瞬きを数回する。"桃ちゃん"男性にそう呼ばれるの初めてではないが、暖かく耳に残る響きだった。
全身を包まれるような優しさのある声。彼から思わず目を逸らしてしまう。顔が熟れたりんごのようになっていないだろうか、そんな心配をしてしまう。
この人には絶対恋をしてはいけない。そんな気がした。
私は早野さんと病院内のカフェへ向かった。
「すみません!突然お茶に誘っちゃって……。」
「ええですよ。気にせんとってください。メニュー、何します?」
私は向かいに座ると、店員に出されたメニュー表を一緒に眺める。
「うーん、悩むなぁ。」
パスタのページを見ながら、和風とカルボナーラで迷ってしまう。どちらも美味しそうだ。
「パスタ好きなん?」
「そうなんですよ。今は和風とカルボナーラで悩んじゃって……。」
「じゃあ僕カルボナーラにするから桃ちゃん和風頼み。そしたらシェアできるやろ?」
彼の提案に面食らってしまう。初対面の人にそう気遣われること自体初めてだった。
私は感じたことのない優しさに居心地が悪くなる。お尻がもぞもぞと動く。
「……良いんですか?」
彼は何でもないことのように口を開く。
「嫌じゃなかったらやけど。嫌やった?」
敬語が外れた、少し声の硬くなった彼かは緊張が滲む。
「いえ、あの、ご好意に甘えさせてください。」
彼は照れくさそうに視線を逸らした。それが妙に可愛くて、思わず笑ってしまった。
「まぁ、僕もちょっと前まで入院してて。あ、重く捉えんとってください。……まぁ、外でご飯食べるのなんて久しぶりなんで。」
「何でいきなり敬語に戻るんですか。」
彼のそわそわした空気が私にも伝わり、自然と顔が綻んでしまう。彼から向けられる尊重の気持ちが、私の心をそっと撫でてくれた。それがくすぐったい。
店員を呼び注文した後、私は彼に尋ねてみることにした。
「早野さんは入院、されてたんですか?」
「侑でええですよ。身体があんま強くないんで。持病でたまに入院するねん。」
「そうなんですね……。」
病気のことが気にはなるが、デリケートな問題なのでそれ以上突っ込むことは憚られた。
彼は話題を変える。
「てか、あの見せてもらった写真。めっちゃ僕と似てますよね。ドッペルゲンガーかと思ったわ。」
ドッペルゲンガー、確かにその言葉が相応しいくらいに似ている。その言葉に笑いが込み上げた。
「大学時代の友達なんです。怖いくらい似てますよね。」
「もしそうやったら僕、絶対その人に会われへんやん。嫌や。会ったらアカンのやろ?」
突然、その言葉に思わず背筋を冷たい風に撫でられた気がした。会ったら死んでしまう都市伝説。侑さんと友達は佇まいや言葉は違うけど、雰囲気が似ているのだ。
いや、「似ている」よりももっと――。「本人」のようだった。どちらも知ってる私からするとおかしな話なのだが。
私が彼に写真を見せた事自体良くなかったのではと考えたが、それは考えすぎだ。ただの都市伝説に本気になる必要なんてない。
「私の友達について知りたいって言ってくれてましたけど……」
「あぁ、兄弟とかおんのかなぁとか、どんな性格なんかなぁとか。」
私は記憶の中の拓斗に思いを馳せる。
「大学で出会ったんですけど、明るくて、活発で。フットサルもやってました。ゼミも一緒だったから、よく話すようになって。」
侑さんは興味があるのかないのか、ほーんと何かに納得したようだった。
「そうなんや……僕とは大違いやな。僕どっちかっていうとインドアやし。」
侑さんはカバンの中に視線をやると、文庫本が何冊か入っていた。
「本、お好きなんですね。私も好きです。」
「おっ、そうなんや。僕もやねん。」
店員が注文していた料理を届けてくれる。とりわけ皿も用意してくれていたのでありがたい。
「お待たせしましたー。」
「いただきます。」
口をつけずにお互いのパスタを半分ずつ分けて皿に乗せた。和風パスタの醤油の落ち着く香りと、カルボナーラのクリームの匂いが立ち込める。
「侑さんありがとうございます。」
「ほんまに気にせんとって。さぁ、食べよ食べよ。」
取り分けてもらったカルボナーラを口に入れると濃厚な味のクリームが舌に絡みつく。
「……桃ちゃん、美味しそうに食べるなぁ。」
「えっ!?顔に出てましたか?」
「めっちゃ美味しいって顔に書いてたわ。」
私は恥ずかしくて何も言えずパスタを巻いて食べ続ける。
「ええと思うよ僕は。美味しそうに食べてくれるほうが嬉しいやん。」
「……ありがとうございます。初めてそんな風に言われました。」
「ホンマに?」
「ホンマです」
おどけて私がエセ関西弁を話すと、侑さんは驚いたのかパチパチと数回瞬きをした。侑さんはふっと今までの空気が緩むような笑みになる。
その優しい微笑みに私までつられて笑顔になってしまう。トクトクと、穏やかなのにやけに自分の心臓の音が大きく聞こえた。
ダメだ。私はこの人に寄りかかってしまうかもしれない。
「なぁ、桃ちゃん。連絡先交換しようや。」
その一言がサクリと身体に刺さる。やめて欲しい。これ以上近づいたら私は期待してしまう気がする。
元彼と別れた時に、自分の足で立つって決めたじゃないか。なのに口からは反対の言葉が出ていた。
「ぜひ……。」
「なんか僕がナンパしてるみたいやな。」
そう言って笑う彼は、数時間前とまるで違う人のようだ。「交換してはダメだ!」と声がする。それでもわたしは誘惑に負けてしまう。こんなに出会ってすぐなのに、まだ彼と話がしたい。私はスマホを取り出して交換した。
「じゃあ、桃ちゃんとこれで友達やな。」
「はい。よろしくお願いします。」
結局、私は欲望に負けてしまった。
「これからは気楽に接してや。」
彼の連絡先のアイコンを眺めると心が少し浮わついてしまう。水族館で撮られた可愛いペンギンが2羽写っている。……これはいけない。平常心だ。私は自分を必死に収める。
2人とも食べ終わり、綺麗になった皿が解散の時間を告げていた。
侑さんはピルケースから薬を取り出すと3錠ほどを慣れた手つきで飲み込んだ。私はなぜか不安に駆られる。会って間もないはずなのに。
「桃ちゃん、また会おうな。連絡するわ。」
「わ、私も連絡します!」
会計を済ませ、病院のロビーで約束をした。
「楽しみにしてるわ。ほんじゃ、また。」
「はい、またご飯にいきましょうね。今日はありがとうございました!」
彼の背中を眺めて、しばらく私放心状態だった。
ロビーにあるウォーターサーバーで水を飲む。
カラカラに乾いた喉が潤う。
壁には、「一人にならないで!電話して!」といのちの電話に繋ぐポスターが貼ってある。
私は繋がったことがない。皆考えることは同じなのかもしれない。
「益田さーん」
受付からの声に応え、カウンセリングルームに入る。
「益田さん、1週間ぶりですね。どうぞお入りください。」
年配の女性の心理士さん。彼女には本当にお世話になっている。温和な丸い顔がいつも私の心の緊張を解いてくれる。
「今日もよろしくお願いします。」
「はい。よろしくお願いします。体調はいかがですか?」
ゆったりとしたソファに体を預けることもできない。
前屈みになりながらぽつりぽつりと、いつものように話す。
「……体調は大丈夫です。」
「それは良かったです。まだ、死にたいって言う気持ちはありますか?」
私は一瞬答えるのに迷った。
この気持ちは無いように見えても不意に肩を叩いてきたり、隣に座っているような感覚になる時がある。
「完璧に、無いとは言い切れないです……。」
先生は私の気持ちをその温和な丸い頬で受け止めてくれる。
「そうなんですね。それはなんででしょうか?」
なんと答えたらいいんだろう。先生の顔が見れず、部屋の端の観葉植物に視線を向ける。
少し枯れかけた葉の先が、妙に目に映る。
ずっとあるこの気持ち、消えたい。死にたい。でも死ぬこともできない。
今日を生きる気持ちの私の根っこはどこにあるのだろうか。
「いらない子……だからですかね。愛されたい、けど、それも怖い。苦しい。早く楽になりたい。」
自分の手をさすっては落ち着かない気持ちを吐露する。背中を丸めて、心を守ろうとする私はアルマジロのようだ。
「楽になりたいんですね。何から楽になりたいですか?」
先生は私を落ち着かせるようにオウム返しをした。
それでも、一度開いた記憶の箱からドロリと溢れ出す。
「……お父さんとの関係から……お父さんに殺されそうになった事があって。機嫌を損ねちゃって、逃げる私の髪の毛掴まれて、引きずりまわされて、それで殴られて、ごめんなさいっていっても、土下座しても、許してもらえなくて、それで……」
「益田さん、大丈夫。今日はここまでにしておきましょう。辛いお話、聞かせてくれてありがとう。一気に記憶の蓋を開けてしまうのも、良くない事だから。ね?」
せっかくメイクしてきたのに、化粧がボロボロになってマスカラが溶けてしまう。
でもそんなことを気にしてられる余裕なんてなかった。
先生は紙に何か素早く書き込んで口を開いた。
「すこしずつ、楽になりますからね。カウンセリングを続けるうちにきっと良くなりますから。来週もまた顔を見せてくださいね。」
この人の言葉だけは守らないといけないなと、何故か思わせてくれる先生だ。
先生の笑顔が、ズタズタになった神経をほぐしてくれる。
「はい。また、来週。」
カウンセリング後の気だるい体を持ち上げる。トイレでメイクを直す。
アイラインを引き直していると、早野さんの少し温度のある声の『桃ちゃん』が頭をよぎる。
ふと、手が止まった。暖かな木漏れ日のような、絶妙な温度のある声だった。アイラインが少し歪んでしまったが、それも愛嬌だ。私は鏡越しに笑顔を作った。