止まった柱時計と、時間の子―わたしは時間と話せる―
第2章 三人の時間
翌日の朝、ミオが目を覚ましたのは、声のせいだった。
「起きろー!」
布団の中で、ミオは固まった。
昨日の柱時計は、確かに祖父の家にある。でも今は自分の部屋だ。時計なんてそばにない。
それなのに聞こえた。
「起きろー起きろー! もう七時だよ! 遅刻するよ!」
「……なに」
ミオは目をこすりながら半身を起こした。声は部屋の中にある。空気の中に、直接混じっているみたいだった。
「おはよう! 朝だよ! 気持ちいい朝だよ! 夜が終わったら、ぼくの出番だからね。朝はね、何回でも来るんだよ」
「うるさい」
「うるさくない! 朝は元気よくしないといけないの! ほら起きて!」
昨日の声とは違った。あれはゆっくりとしていた。でもこれは速い。せっかちで、はずんでいて、なんだか犬みたいだ。
「……あなたも、時間?」
「そう! 朝の時間! よろしく!」
元気よく言われて、ミオは少し笑った。笑うつもりはなかったのに。
肩までの髪を後ろで結んで、身支度を整えて学校へ。
☆
帰ってくると、また声が聞こえた。
今度はのんびりとした声だった。
「おかえり〜」
「……昼の時間?」
「そう。よく分かったね〜」
間延びした話し方だった。朝の時間とはまるで正反対だ。眠そうで、でも機嫌は悪くない。
「昨日の時間とも違う」
「あれは夜だよ。ぼくは昼。朝と夜の間にいるやつ」
「三人いるの?」
「うん〜。朝と昼と夜。それぞれちょっとずつ違う」
ミオはランドセルを下ろしながら、台所の椅子に座った。
「みんな、時計に宿ってるの?」
「ここにいるよ。でも時計だけじゃなくて、この町の時間そのもの、みたいな感じかな〜。柱時計は入口みたいなものなんだ。難しいこと聞かないで。眠くなるから」
ミオは脱力した。
夜になると、静かな声が来た。
「今日はどんな一日だった?」
昨日、柱時計の中から聞こえたのと同じ声だった。穏やかで、急かさない。
「……普通だった」
「普通か。それでいいよ。普通の一日が積み重なるんだから」
「夜の時間って、昨日もいたよね」
「そう。柱時計の中から話したのはぼくだよ。昼も朝も、あのとき一緒にいたんだけど、うるさくなるから黙っててもらった」
「あー」
ミオは布団の中で、天井を向いた。
「なんで夜の時間が最初に話したの」
「夜が一番、人の話を聞くのに向いてるから。朝は忙しいし、昼は眠い」
「確かに」
静かな間があった。
虫の声が遠くにある。部屋の中は暗くて、でも怖くはない。
「ミオちゃんは、何か気になってることがある?」
唐突な問いだった。
「……おじいちゃんのこと、たくさん知ってるの?」
「長い間そばにいたからね」
「どんな人だった? 時間から見て」
「人の時間をすごく大切にする人だった。自分のじゃなくて、他の人の。それがあの人の一番好きなことだったと思う」
ミオは目を閉じた。
胸の靄が、また少し揺れた。
朝の時間は、文字通り朝に来る。目が覚めるより少し前から、もう声がしている。せかせかしていて、でも嫌な感じはしない。ただひたすら元気だ。今日の天気のこと、学校で何があるかのこと、忘れ物のこと——誰も頼んでいないのに、次々と言う。
昼の時間は、昼から夕方によく来る。のろのろとしていて、話の途中で黙ることがある。眠いのかと聞くと「そうかも」と答える。でもいなくなるわけではなく、ただぼんやりとそばにいる感じだ。
夜の時間は、夜だけ来る。昼や朝の騒がしさがすっかり引いた後、静かに現れる。話すことは少なくても、何か大切なことを言う。ミオはこの声が一番好きだと思い始めていた。
「ねえ」
ミオはある夜、聞いた。
「なんでわたしだけ声が聞こえるの。学校の子には聞こえないの?」
「聞こえない」
「なんで」
「分からない。でも昔からそういうものだよ。この町で一人、話せる人間がいる。今がミオちゃんの番なんだ」
「番、か」
「重荷に感じる?」
「……ちょっと」
「そうか。おじいさんも最初はそう言ってた」
「何て言ってたの」
「『こんな役目、うちの孫に渡さないでくれ』って」
ミオは笑い出した。思いがけず、声に出て笑った。
祖父らしかった。祖父は、ミオにしんどいことをさせたくない人だったから。
「でも最後は、信頼してたよ。ミオちゃんのことを」
「……知ってた? わたしが次になるって」
「なんとなく、ね。時間には分かるんだ。誰が時間の声を聞けるか。あの人はずっと前から感づいてたと思う」
ミオはしばらく黙っていた。
天井を見ながら、祖父の顔を思い浮かべた。入院中に会いに行ったとき、手を握ってくれた感触。「ミオは大きくなったな」と言って、笑ってくれた。
「おじいちゃんに、会いたい?」
「うん」
夜の時間は、それだけ言った。
否定も、慰めも、しなかった。
ただ、そばにいた。
翌朝。
「おはよう! 今日も晴れだよ! 早く起きて!」
朝の時間の声で、ミオは目が覚めた。
「……うるさい」
「褒め言葉として受け取るね!」
「褒めてない」
ミオは布団を跳ねのけた。
窓の外、明石の空は青かった。
三人の時間たちと話すようになってから、朝が少し軽くなった気がする。靄はまだある。でも以前よりも、ちゃんと息ができる感じがした。
ミオはパジャマから着替えながら、ひとり小声でつぶやいた。
「今日も行ってきます」
「いってらっしゃい!」
朝の時間が元気よく答えた。
「起きろー!」
布団の中で、ミオは固まった。
昨日の柱時計は、確かに祖父の家にある。でも今は自分の部屋だ。時計なんてそばにない。
それなのに聞こえた。
「起きろー起きろー! もう七時だよ! 遅刻するよ!」
「……なに」
ミオは目をこすりながら半身を起こした。声は部屋の中にある。空気の中に、直接混じっているみたいだった。
「おはよう! 朝だよ! 気持ちいい朝だよ! 夜が終わったら、ぼくの出番だからね。朝はね、何回でも来るんだよ」
「うるさい」
「うるさくない! 朝は元気よくしないといけないの! ほら起きて!」
昨日の声とは違った。あれはゆっくりとしていた。でもこれは速い。せっかちで、はずんでいて、なんだか犬みたいだ。
「……あなたも、時間?」
「そう! 朝の時間! よろしく!」
元気よく言われて、ミオは少し笑った。笑うつもりはなかったのに。
肩までの髪を後ろで結んで、身支度を整えて学校へ。
☆
帰ってくると、また声が聞こえた。
今度はのんびりとした声だった。
「おかえり〜」
「……昼の時間?」
「そう。よく分かったね〜」
間延びした話し方だった。朝の時間とはまるで正反対だ。眠そうで、でも機嫌は悪くない。
「昨日の時間とも違う」
「あれは夜だよ。ぼくは昼。朝と夜の間にいるやつ」
「三人いるの?」
「うん〜。朝と昼と夜。それぞれちょっとずつ違う」
ミオはランドセルを下ろしながら、台所の椅子に座った。
「みんな、時計に宿ってるの?」
「ここにいるよ。でも時計だけじゃなくて、この町の時間そのもの、みたいな感じかな〜。柱時計は入口みたいなものなんだ。難しいこと聞かないで。眠くなるから」
ミオは脱力した。
夜になると、静かな声が来た。
「今日はどんな一日だった?」
昨日、柱時計の中から聞こえたのと同じ声だった。穏やかで、急かさない。
「……普通だった」
「普通か。それでいいよ。普通の一日が積み重なるんだから」
「夜の時間って、昨日もいたよね」
「そう。柱時計の中から話したのはぼくだよ。昼も朝も、あのとき一緒にいたんだけど、うるさくなるから黙っててもらった」
「あー」
ミオは布団の中で、天井を向いた。
「なんで夜の時間が最初に話したの」
「夜が一番、人の話を聞くのに向いてるから。朝は忙しいし、昼は眠い」
「確かに」
静かな間があった。
虫の声が遠くにある。部屋の中は暗くて、でも怖くはない。
「ミオちゃんは、何か気になってることがある?」
唐突な問いだった。
「……おじいちゃんのこと、たくさん知ってるの?」
「長い間そばにいたからね」
「どんな人だった? 時間から見て」
「人の時間をすごく大切にする人だった。自分のじゃなくて、他の人の。それがあの人の一番好きなことだったと思う」
ミオは目を閉じた。
胸の靄が、また少し揺れた。
朝の時間は、文字通り朝に来る。目が覚めるより少し前から、もう声がしている。せかせかしていて、でも嫌な感じはしない。ただひたすら元気だ。今日の天気のこと、学校で何があるかのこと、忘れ物のこと——誰も頼んでいないのに、次々と言う。
昼の時間は、昼から夕方によく来る。のろのろとしていて、話の途中で黙ることがある。眠いのかと聞くと「そうかも」と答える。でもいなくなるわけではなく、ただぼんやりとそばにいる感じだ。
夜の時間は、夜だけ来る。昼や朝の騒がしさがすっかり引いた後、静かに現れる。話すことは少なくても、何か大切なことを言う。ミオはこの声が一番好きだと思い始めていた。
「ねえ」
ミオはある夜、聞いた。
「なんでわたしだけ声が聞こえるの。学校の子には聞こえないの?」
「聞こえない」
「なんで」
「分からない。でも昔からそういうものだよ。この町で一人、話せる人間がいる。今がミオちゃんの番なんだ」
「番、か」
「重荷に感じる?」
「……ちょっと」
「そうか。おじいさんも最初はそう言ってた」
「何て言ってたの」
「『こんな役目、うちの孫に渡さないでくれ』って」
ミオは笑い出した。思いがけず、声に出て笑った。
祖父らしかった。祖父は、ミオにしんどいことをさせたくない人だったから。
「でも最後は、信頼してたよ。ミオちゃんのことを」
「……知ってた? わたしが次になるって」
「なんとなく、ね。時間には分かるんだ。誰が時間の声を聞けるか。あの人はずっと前から感づいてたと思う」
ミオはしばらく黙っていた。
天井を見ながら、祖父の顔を思い浮かべた。入院中に会いに行ったとき、手を握ってくれた感触。「ミオは大きくなったな」と言って、笑ってくれた。
「おじいちゃんに、会いたい?」
「うん」
夜の時間は、それだけ言った。
否定も、慰めも、しなかった。
ただ、そばにいた。
翌朝。
「おはよう! 今日も晴れだよ! 早く起きて!」
朝の時間の声で、ミオは目が覚めた。
「……うるさい」
「褒め言葉として受け取るね!」
「褒めてない」
ミオは布団を跳ねのけた。
窓の外、明石の空は青かった。
三人の時間たちと話すようになってから、朝が少し軽くなった気がする。靄はまだある。でも以前よりも、ちゃんと息ができる感じがした。
ミオはパジャマから着替えながら、ひとり小声でつぶやいた。
「今日も行ってきます」
「いってらっしゃい!」
朝の時間が元気よく答えた。