何もない水槽
何もない水槽
ぷかぷかと浮かぶ。
ぷかぷかと浮かぶ。
ぷかぷかと浮かぶ。
…永遠の時を過ごす。誰もいない水槽を。私は眺めている。
ここにくる人たちを、私は…
ーーー
『本日は…水族館へご来館ありがとうございます。チケット売り場は、正面右に…』
とある水族館。チケット売り場をスルーして、改札に行く。私は高校生。水族館にしては珍しく高校生まで無料なここは、そのおかげで、チケット売り場を通り過ぎて入ることができる。
光が屈折しプリズムを映している数多くの水槽の深海のような深いブルーのなかで、魚達が自由奔放に動いている。一緒に同じ魚をじっとみながら笑顔を浮かべているカップル。それぞれ別のところに行き、それぞれに好きな魚を眺める家族。ここにいる、水族館に来た人たちは皆んなキラキラと目を輝かせている。館内は素晴らしい景色だ。
私はこの夏休みに、気がついたら溜まっていた貯金を使って、少々遠出をしている。理由なんてものはない。高校生の原動力なんてそんなものだ。フットワークの軽さなら他の年代に負けない。
別に魚の知識があるというわけではない。しかし、この静寂と雰囲気が好きなのだ。
そうして、水族館を巡っていると、いつの間にか周囲の足音や話し声が遠くなって行く。そんなことを知らずにいた私は、とある水槽を見つけた。中身のない水槽。しかし、どこか興味を惹かれるような、好奇心をそそられるような、不思議なものを感じた。
「これ、綺麗だと思わない?」
ふと、隣から声がした。隣を見ると、私と同じくらいの身長の、中高生のような少女がいた。
「…?」
「この空虚で何もない水槽。虚無を感じられるから好きなんだよね」
それは果たして本当に水槽を褒めているのだろうか。
しかし、確かにわかる。最近のテストで点数が芳しくなかった私にはわかる。虚無を感じられるということは、実に素晴らしい。今の私には形容できないが、五感がそう言っている。
私は頷いた。
「じゃあ、他の水槽も見に行こうか」
隣の少女は後ろを向き歩き始める。それについて行く瞬間、周りに誰もいないことに気づく。水族館とは、人がいないとこんなにも広いのか。そう思いながら少女について行った。
ーーー
少々暗く、ところどころに紫の照明があるこの部屋の中心にある円柱の水槽には、何もいなかった。
「この円柱、元々はクラゲがいたんだよね」
クラゲ。刺胞動物の一種で、95%が水でできている。と、ここの説明には書いてある。
「クラゲ。かける漢字が二つあるんだよ」
「知ってる。海に月と水に母でしょ?」
そう言いながら空に書く。
「知ってるね!」
「あ、あとクラゲには脳がないってことも知ってる」
「物知りだねー。あと、海月にも水母にもそれぞれ意味があるんだよ!海月が、幻想的って意味で、水母が生命源?みたいなかんじ。ちなみに私は後者が好きかな〜」
少女はニコニコと笑っている。そして、
「あと知ってる?クラゲに二回刺されてはいけない理由ってね、一回目の時に抗体を作る記憶細胞というものができて、二回目の時にそいつらが過剰に反応しちゃうんだよ!」
…知っている。生物の授業で最近やった。しかし、ここで「知ってる」と言っても野暮だろう。私は「へー」と言って感心している仕草を見せる。
「…本当にクラゲっていいよね」
彼女はいう。深い青色の水だけで何もない水槽を見ながら。
「脳がない。つまり考えないで、只々広い広い海を漂っている。」
確かにそうかもしれない。けど、
「何も考えられないのも、ちょっと不便じゃないかな。隣の芝は青い。みたいな感じだと思うよ。」
「…確かにそうかもしれないね。けど、考えなかったら、こんな悩みもないと思う。」
「…そっか」
ーーー
少女は少し歩き、別のところに来た。ほんのり赤色の照明が辺りを照らす。
そこは、小さな水槽だった。ボックス状で四方八方から見れるのに、何もいない。
「ここはね、チンアナゴの水槽」
確かに言われてみれば、ちょこちょこ溝がある。多分そこに穴があったのだろう。今は堆積しているが。
「チンアナゴはね、名前の通りアナゴ科。そしてうなぎ目なんだって〜」
「確かに、うなぎとチンアナゴ、言われてみれば形が似ているかも」
「あと11月11日はチンアナゴの日だったりするよ!」
「ポッキーの日もあるよね…そう言う縦一直線に長いものは、すぐに11月11日行きになるのかな…?」
「…ちなみに、記念日が多いのは8月8日!なんと72件もあるんだって〜!」
「…そうなんだ」
「さて問題!11月11日は何番目でしょう?」
「え?…分からないよそんなの」
「当てずっぽうでもいいから、ね?」
「…34位」
「ぶぷー!正解は3位!なんと66件もあるんだって!」
「…って、なんで分かるの?」
「…なんとなく、かな。私、気になるものを調べたくなる性でして」
「えへへ」と、笑いながら少女は水槽を眺める。水槽から出ている深い青の灯りが顔をほんのりと照らす。濾過装置の吐き出す気泡の音だけが鳴り響く。
「ちなみに8月8日はスマイル記念日もあるらしいよ。だから今日も笑おう!」
「…」
今日は8月8日では無いのだが…私は苦笑した。
私たちは、それから黙ってこの水槽を見ていた。この虚無を味わうために。
ーーー
また別のところに移動する。今度は、たった一つの大きな水槽だった。全長は私2人分をも軽々と超えてしまうような、円柱上のものだった。しかし、そこにはただいまにも溢れそうな水があり、ぴちゃぴちゃと上から音がするだけである。
「これは、マンボウの水槽」
「…マンボウ?」
「そう。よくすぐ死ぬって言う都市伝説がある生き物だよ」
「すぐ死なないの?塩撒かれたら死ぬとか」
「それは悪霊にやること。マンボウ。意外とそんな軟じゃないんだよ。深さ800メートルでも泳げるし、成体になったら最大2000キログラムもあるし」
「え、そうなんだ。」
「そそ、あとね、マンボウはフグ目だからフグの仲間なんだよ!」
「…全然見た目似てないと思うんだけど、フグって毒あるし」
「そこは進化の違いでしょ。ほら、人間と猿みたいな」
「…なるほどね」
進化…私は進化の道をちょっと間違えなければ、こんなにも何も考えずに生きていることなんてないのだろうか。
そんなことを考えていると、少女は呟く。まるで独り言のように。
「…マンボウってね。不器用なんだよ。あんなに大きいのに泳ぐことが苦手で、海の波に逆らわずに漂っていることが多いんだよ。目的地なんて決まってなくてもただぷかぷかと浮いている。君も、そんなマンボウを見習ってみたらどう?」
「…確かにそうかもしれないね。」
完璧だと思っている人生を送っていたって、最終的には廃れてしまうかもしれない。人生のどん底みたいな人生を送っていたとしても、その人の顔は笑顔で満ち溢れているかもしれない。人生なんて、何があるかも分からないんだ。
こんなマンボウみたいに、満点の解答用紙ではなく、平均よりちょっと下の点数でもいいだろう。
「…んっ、もうそろそろ帰ろうか」
すると、右手から明かりが見える。外は見えない。しかし、少女は足を掛けていって、
「ほらほらっ、こっち!」
「えっ、ちょっ」
私は少女のテクテクとした足音について行く。その間も、少女は笑っていた、満面に。
ーーー
明かりの中に入ると、いつの間にか外に出ていた。後ろを見ても、さっきの出入り口はなく、スカイブルーの塗料が塗られた壁がキラキラと輝いている。
刺すように眩しい陽光が私の体を照らしてくれる。水族館の出入り口が少し遠くに見える。まだ日は昇っている。カップルや家族、一人の人も楽しみにしながら入場している
先に行った少女の姿は、もうなかった。
私は水族館の入り口に立つ。水族館は、入る前より一層、徒なく、をかしくみえた。
ぷかぷかと浮かぶ。
ぷかぷかと浮かぶ。
…永遠の時を過ごす。誰もいない水槽を。私は眺めている。
ここにくる人たちを、私は…
ーーー
『本日は…水族館へご来館ありがとうございます。チケット売り場は、正面右に…』
とある水族館。チケット売り場をスルーして、改札に行く。私は高校生。水族館にしては珍しく高校生まで無料なここは、そのおかげで、チケット売り場を通り過ぎて入ることができる。
光が屈折しプリズムを映している数多くの水槽の深海のような深いブルーのなかで、魚達が自由奔放に動いている。一緒に同じ魚をじっとみながら笑顔を浮かべているカップル。それぞれ別のところに行き、それぞれに好きな魚を眺める家族。ここにいる、水族館に来た人たちは皆んなキラキラと目を輝かせている。館内は素晴らしい景色だ。
私はこの夏休みに、気がついたら溜まっていた貯金を使って、少々遠出をしている。理由なんてものはない。高校生の原動力なんてそんなものだ。フットワークの軽さなら他の年代に負けない。
別に魚の知識があるというわけではない。しかし、この静寂と雰囲気が好きなのだ。
そうして、水族館を巡っていると、いつの間にか周囲の足音や話し声が遠くなって行く。そんなことを知らずにいた私は、とある水槽を見つけた。中身のない水槽。しかし、どこか興味を惹かれるような、好奇心をそそられるような、不思議なものを感じた。
「これ、綺麗だと思わない?」
ふと、隣から声がした。隣を見ると、私と同じくらいの身長の、中高生のような少女がいた。
「…?」
「この空虚で何もない水槽。虚無を感じられるから好きなんだよね」
それは果たして本当に水槽を褒めているのだろうか。
しかし、確かにわかる。最近のテストで点数が芳しくなかった私にはわかる。虚無を感じられるということは、実に素晴らしい。今の私には形容できないが、五感がそう言っている。
私は頷いた。
「じゃあ、他の水槽も見に行こうか」
隣の少女は後ろを向き歩き始める。それについて行く瞬間、周りに誰もいないことに気づく。水族館とは、人がいないとこんなにも広いのか。そう思いながら少女について行った。
ーーー
少々暗く、ところどころに紫の照明があるこの部屋の中心にある円柱の水槽には、何もいなかった。
「この円柱、元々はクラゲがいたんだよね」
クラゲ。刺胞動物の一種で、95%が水でできている。と、ここの説明には書いてある。
「クラゲ。かける漢字が二つあるんだよ」
「知ってる。海に月と水に母でしょ?」
そう言いながら空に書く。
「知ってるね!」
「あ、あとクラゲには脳がないってことも知ってる」
「物知りだねー。あと、海月にも水母にもそれぞれ意味があるんだよ!海月が、幻想的って意味で、水母が生命源?みたいなかんじ。ちなみに私は後者が好きかな〜」
少女はニコニコと笑っている。そして、
「あと知ってる?クラゲに二回刺されてはいけない理由ってね、一回目の時に抗体を作る記憶細胞というものができて、二回目の時にそいつらが過剰に反応しちゃうんだよ!」
…知っている。生物の授業で最近やった。しかし、ここで「知ってる」と言っても野暮だろう。私は「へー」と言って感心している仕草を見せる。
「…本当にクラゲっていいよね」
彼女はいう。深い青色の水だけで何もない水槽を見ながら。
「脳がない。つまり考えないで、只々広い広い海を漂っている。」
確かにそうかもしれない。けど、
「何も考えられないのも、ちょっと不便じゃないかな。隣の芝は青い。みたいな感じだと思うよ。」
「…確かにそうかもしれないね。けど、考えなかったら、こんな悩みもないと思う。」
「…そっか」
ーーー
少女は少し歩き、別のところに来た。ほんのり赤色の照明が辺りを照らす。
そこは、小さな水槽だった。ボックス状で四方八方から見れるのに、何もいない。
「ここはね、チンアナゴの水槽」
確かに言われてみれば、ちょこちょこ溝がある。多分そこに穴があったのだろう。今は堆積しているが。
「チンアナゴはね、名前の通りアナゴ科。そしてうなぎ目なんだって〜」
「確かに、うなぎとチンアナゴ、言われてみれば形が似ているかも」
「あと11月11日はチンアナゴの日だったりするよ!」
「ポッキーの日もあるよね…そう言う縦一直線に長いものは、すぐに11月11日行きになるのかな…?」
「…ちなみに、記念日が多いのは8月8日!なんと72件もあるんだって〜!」
「…そうなんだ」
「さて問題!11月11日は何番目でしょう?」
「え?…分からないよそんなの」
「当てずっぽうでもいいから、ね?」
「…34位」
「ぶぷー!正解は3位!なんと66件もあるんだって!」
「…って、なんで分かるの?」
「…なんとなく、かな。私、気になるものを調べたくなる性でして」
「えへへ」と、笑いながら少女は水槽を眺める。水槽から出ている深い青の灯りが顔をほんのりと照らす。濾過装置の吐き出す気泡の音だけが鳴り響く。
「ちなみに8月8日はスマイル記念日もあるらしいよ。だから今日も笑おう!」
「…」
今日は8月8日では無いのだが…私は苦笑した。
私たちは、それから黙ってこの水槽を見ていた。この虚無を味わうために。
ーーー
また別のところに移動する。今度は、たった一つの大きな水槽だった。全長は私2人分をも軽々と超えてしまうような、円柱上のものだった。しかし、そこにはただいまにも溢れそうな水があり、ぴちゃぴちゃと上から音がするだけである。
「これは、マンボウの水槽」
「…マンボウ?」
「そう。よくすぐ死ぬって言う都市伝説がある生き物だよ」
「すぐ死なないの?塩撒かれたら死ぬとか」
「それは悪霊にやること。マンボウ。意外とそんな軟じゃないんだよ。深さ800メートルでも泳げるし、成体になったら最大2000キログラムもあるし」
「え、そうなんだ。」
「そそ、あとね、マンボウはフグ目だからフグの仲間なんだよ!」
「…全然見た目似てないと思うんだけど、フグって毒あるし」
「そこは進化の違いでしょ。ほら、人間と猿みたいな」
「…なるほどね」
進化…私は進化の道をちょっと間違えなければ、こんなにも何も考えずに生きていることなんてないのだろうか。
そんなことを考えていると、少女は呟く。まるで独り言のように。
「…マンボウってね。不器用なんだよ。あんなに大きいのに泳ぐことが苦手で、海の波に逆らわずに漂っていることが多いんだよ。目的地なんて決まってなくてもただぷかぷかと浮いている。君も、そんなマンボウを見習ってみたらどう?」
「…確かにそうかもしれないね。」
完璧だと思っている人生を送っていたって、最終的には廃れてしまうかもしれない。人生のどん底みたいな人生を送っていたとしても、その人の顔は笑顔で満ち溢れているかもしれない。人生なんて、何があるかも分からないんだ。
こんなマンボウみたいに、満点の解答用紙ではなく、平均よりちょっと下の点数でもいいだろう。
「…んっ、もうそろそろ帰ろうか」
すると、右手から明かりが見える。外は見えない。しかし、少女は足を掛けていって、
「ほらほらっ、こっち!」
「えっ、ちょっ」
私は少女のテクテクとした足音について行く。その間も、少女は笑っていた、満面に。
ーーー
明かりの中に入ると、いつの間にか外に出ていた。後ろを見ても、さっきの出入り口はなく、スカイブルーの塗料が塗られた壁がキラキラと輝いている。
刺すように眩しい陽光が私の体を照らしてくれる。水族館の出入り口が少し遠くに見える。まだ日は昇っている。カップルや家族、一人の人も楽しみにしながら入場している
先に行った少女の姿は、もうなかった。
私は水族館の入り口に立つ。水族館は、入る前より一層、徒なく、をかしくみえた。