君の手が動く限り、俺は隣にいたいから
 移動教室のため、凌は教科書を胸に抱えて喧騒の廊下を歩いていた。
 生徒達の賑やかな話し声が行き交う中、彼はふと、壁一面に広がる掲示板の前で足を止めた。
 数あるプリントや案内文の中で、その一枚のポスターだけが、妙に彼の目を引いたのだ。

【高校生限定! 第二十三回 高校生芸術コンテスト】
・テーマ: 自由
・提出期限: 今夏

「芸術、コンテスト……」

 凌はその文字を、小さく声に出してなぞった。
 脳裏に浮かぶのは、あの屋上で聞いた碧南の言葉だ。

『美術部にいる子達は皆、コンテストのために絵を描いている。描くことをただの義務にして、描く楽しさなんて、とうに忘れちゃってるの』

 コンテストという存在が、彼女を追い詰め、あの場所を地獄に変えた。
 けれど、もし。もし自分がこのコンテストで、彼女の心を動かすような絵を描くことができたなら。
 義務でも絶望でもない、ただ純粋に「綺麗だ」と思えるような、あの青空に届くような絵を描けたなら。
 凌はしばらくの間、じっとポスターを見つめ続けた。
 やがて、胸の奥で燻っていた火種が、確かな熱量を持って形を成していく。
 凌は一つ、深く息を吐きながら力強く頷くと、その瞳に濁りのない、真っ直ぐな決意を宿してポスターを見据えた。

「――描くか」

 ぽつりと、けれど自分自身へ誓うように呟くと、凌はポスターから目を離し、再び力強い足取りで歩き出した。
 その直後、廊下の窓からゴォと強い風が吹き込んできた。
 風は掲示板を激しく煽り、ピンが緩んでいたあのコンテストのポスターを、パタパタと大きく靡かせる。
 耐えきれなくなったポスターは、ついに掲示板からひらりと外れ、宙を舞った。
 ゆっくりと回転しながら、無人の廊下の床へと落ちていく。
 カサリ、と静かな音が響く。
 直後、床に落ちたポスターへ向かって、すっと白い手が伸びた。
 丁寧な手つきでそれを拾い上げた人物は、ポスターに付いた小さな埃を指先で払うと、愛おしそうにそれを眺める。

「誰かを変えるのは、いつだってあんたの絵だよ」

 拾い上げたのは、紫だった。
 彼女は凌が去っていった廊下の奥をじっと見つめ、そのヘーゼル色の瞳を細めながら、深い意味を孕んだ笑みを静かに浮かべていた。
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