記憶を失った婚約者は変わってしまった

最終話

 アレクシスはしれっと私の手を握ったまま、伯爵夫妻やカイン、エルナ様に笑顔を向ける。
 伯爵夫妻はホッとしたようだった。それどころか、夫人はなぜか感動したような顔で私を見ている。

「そ、そんなの認められないわ!」
「そ、そうだそうだ!」
「私は記憶喪失のアレクシス様を献身的に支えたのよ?! 感謝して私を選ぶのが普通でしょう?!」
「そうだそうだ!」
 どうしても受け入れようとしないカインとエルナ様にアレクシスは嘆息する。

「仕方ありませんね。この話は後でしようと思っていたのですが……そもそもなぜ私は記憶喪失になったのでしょうか?」
「え?」
 うっすらと笑みを浮かべ、アレクシスはエルナを見つめる。
「そ、それは、倒れたはずみに頭を打ってそれで……」
「そうですね。たしかに私の頭には傷がありました」
「そう! それで」
「誰かに殴られた傷が」
 アレクシスの言葉に全員が息を呑む。
「それと、私が倒れたという場所……私が連れていた護衛騎士に聞いたところ、ベルジュラック辺境伯家の応接間だったらしいですね。なぜ、そんなところで私は殴られたのでしょう? 誰が私を殴ったのでしょう?」
「そ、そんなの私は知らない……」
「そんなはずはありません。私が辺境伯に挨拶に行った日。屋敷には辺境伯が不在だったため、エルナ嬢が代わりに応対してくれたと聞きました。場所は私が倒れていたという応接間。私が倒れたのは、護衛の騎士があなたの母親に呼び出され部屋を出ている間。その時、部屋にはあなたと、私。そして、メイドのみがいた。……そういえば、辺境では自衛のため戦闘メイドも雇っているとか」
「それは……」
 口ごもるエルナ様を見て、さらにアレクシスは笑みを深める。
「ちなみに、私が連れていた護衛騎士は伯爵家の騎士ではなく、王太子殿下からお借りした騎士でした。そのおかげで、私は彼を通して殿下と連絡を取り、記憶がないなりにいろんな情報を得ることができました」

 その言葉を聞いて、エルナとカインの顔色が変わる。互いに焦った様子でちらちらと視線を合わせている。その様子をアレクシスは楽しそうに見つめていた。

「私が辺境伯の元を訪れたのは王太子殿下の命令でした。その理由と言うのが、とある人物の捜索だったんです」
「捜索……」
(王太子殿下とアレクシスの間に交流があることは知っていたけど、護衛騎士を借りる必要がある任務とは? そんな任務をなぜアレクシスが……)

 思案する私を横目にアレクシスは続ける。
「数カ月前、王都で違法薬物の販売をしていた商人が姿を消しました。私は王太子殿下の命により、その商人の足取りを追って辺境の地に向かったらしいのですが……結果はこの通り、商人を捕まえるどころか、不覚にも記憶を失ってしまいました」
 パッと目を輝かせるエルナ様とカイン。しかし、次のアレクシスの言葉で固まった。
「先日、殿下からその商人を無事捕まえたと連絡がありました」
「……え」
「用意周到な殿下は、私と連絡が途絶えた時点でなにかあったのだと察し……すぐに別の者を手配したそうです。あ、いや、そもそも私の方が囮だったんでしたか……まあ、どちらにしろ、さすが殿下ですね。そつがない。きっと、今頃城では尋問が行われ、商人と繋がっていた人物の情報も……」
「あー、ちょっと俺用事を思い出したわー」
「まあ! 奇遇ですわね。私も少々用事を思い出しましたわ」
「なら、途中まで俺がエスコートしますよ」
 そう言ってカインが手を差し出し、エルナ様はその手を取って伯爵の許可も得ずに部屋を出て行く。怪しいことこの上ない。

「放っておいていいのか?」
 と、伯爵がアレクシスに投げかける。
「ええ。すでに手配済みですから。ああ、ほら」
 聞こえてきたのは二人の騒ぎ声。どうやらアレクシスが手配した――いや、もしかしたら王太子殿下かもしれない――者によって捕らえられたようだ。
 ヴァレンティヌ伯爵夫妻が慌てて腰を上げる。それにアレクシスは待ったをかけた。

「父上。このままでかまいませんよね?」
 アレクシスは私の手を握ったまま、掲げてみせる。
「おまえ……記憶喪失なのは嘘……ではないんだよな?」
「ええ」
「……そうか。まあ、それでも問題ないようだからいいだろう」
「セレスちゃん」
「は、はい」

 不意に伯爵夫人に呼ばれて、背筋を正す。

「あらためて、アレクシスのことよろしくね」
「はい」
 しっかりと頷き返すと伯爵夫人は嬉しそうにほほ笑んだ。そして、夫妻は足早に部屋を出ていく。この後が大変だろう。いや、それも込みできっとすでにアレクシスは手を打ってある。記憶を失っていても彼のそういうところは変わっていないのだと今の時間で十分確信を得た。

 部屋にはアレクシスと私のみ。なぜかアレクシスが不安を滲ませ声をかけてきた。
「……いいんですか?」
「何のことです?」
「あんな安請け合いして……その……母のあの言葉は身勝手なもので……私も含め、母も父も見た目通りではないというか。一癖二癖あるといいますか……。弟がああ育ってしまったのも仕方ない環境といいますか……」
「わかっています。そして……決して安請け合いしたわけではありません。私はアレクシスの言う通り、責任感が強い人間ですから。皆さんが思っていた人とは違ったとしても、アレクシスが記憶を失った(まるで別人になった)としても、婚約は破棄するつもりはありません。……もっとも、さすがにあなたが大罪を働いたとか、伯爵家が取り潰される……なんていうのなら考えますけど。私も……あなたが私を選んだように、吟味し、あなたとの婚約を決めたのですからね」
 驚いたようにアレクシスが目を丸くしている。
 しかし、今言ったことは事実だ。私にはヴァレンティヌ伯爵家以外からも婚約の申し込みがあった。その中で、私は私なりに情報を集め、精査し、彼との婚約を決めたのだ。父も彼なら大丈夫だろうとお墨付きをくれた。その決定に後悔は今もない。……戸惑いはあるけれども。

 私の言葉を聞いて、アレクシスは弱ったような、心底ホッとしたような表情で息を吐く。
「よかった……あなたに拒否されたら生涯独身を貫かなければいけないところでした」
「そんな大げさな」
「大げさではありません。()()に聞いたところ、記憶を失う前の私はあなたに対しても随分と冷たい態度を取っていたようですから。正直、婚約は破棄されるだろうなと思っていたんです。それも仕方ない。と思っていたのに、こうしてあなたに会ったらそれだけは絶対に嫌だという思いが込み上げてきて……」
(知人って誰かしら。私とアレクシスの共通の友人なんていた? もしかして、知らないところで注目されてた? というか、辺境の地にいたのにそんな情報をどうやって……まさかその知人って護衛騎士? ってことは殿下にも情報が……いや、これ以上は詮索しないようにしましょう)
「た、たしかに、今のアレクシスはまるで別人のようだけれど……ああ、でも他の人にはいつも通りだったような……」
「記憶を失ったことで、なぜかあなたの前でだけ感情のコントロールがうまくできなくなったようですね」
「私の前でだけ……」
「ええ。もしかしたら私は記憶を失う間際、あなたのことだけは絶対に忘れてなるものかと抵抗したのかもしれません。その反動だったのかも?」
 首を傾げるアレクシスにおもわずクスッと笑ってしまった。途端に顔を真っ赤に染めるアレクシス。
「そんな可愛い顔で笑わないでくださいっ」
「可愛い顔なんて……というか、私のような女性なんてそこらへんに……」
「いませんよ。私の細かい好みにぴったり合い、かつ、どんな私でもすんなり受け入れてくれる懐の大きい女性なんてそうはいません」
「そ、そんなこと……」
「それに、こうしてすでに私の手の中にあなたがいるのに他の女性を選ぶ必要がどこに?」
 それはそうだと黙り込む。

「セレスティーヌ嬢。いえ……セレスと呼んでも?」
「え、ええ。どうぞ」
 なんでいきなりと思ったが、すぐにカインが呼んでいたのを気にしていたのかと理解した。どうやら独占欲もなかなか強いらしい。
「セレス。どうか、末永く私の側にいてくださいね」
 私の両手を握りしめ、懇願するように見つめてくるアレクシス。
(どうしよう……やっぱりアレクシスが可愛く見えるわ。私、こういう男性がタイプだったのかしら?!)
 胸がキュンキュンする自分に動揺しながらも、私は頷き返したのだった。
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