君の描き方

EP.8

西野は最近おかしかった。

前みたいにからかってくることもなければ、話しかけてくることもない。

羽村とは元の関係に戻れたはずなのに、今度は西野と距離ができてしまった。

――私、何してるんだろう。

「佐藤?移動教室だよ。早くしないと遅れるよ?」

ぼーっとしていた私に、羽村が声をかける。

「最近元気ないし、碧希と何かあったんでしょ」

「うん、まぁ」

曖昧に頷くと、羽村は少しだけ眉を寄せた。

「話聞くよ。ついてきて」

そう言って、私の腕を引く。

連れて行かれたのは、サッカー部の部室だった。

「掃除とかしてるから臭くないと思う。入って」

「えっ、でも授業が」

「今授業受けるの辛いでしょ」

まっすぐな言葉に、何も言い返せない。

「羽村の成績とか……」

「それより佐藤のほうが大事」

迷いのない声だった。

胸の奥が、じんわりと温かくなる。

私は小さく頷いて、中に入った。

部室の中は思っていたよりも整っていて、静かだった。

ドアが閉まる音がやけに大きく響く。

「で、何があったの」

羽村は壁に背を預けながら、私を見る。

逃げ場のない視線。

私は少しだけ目を逸らした。

「……西野と」

それだけで、羽村はなんとなく察したみたいだった。

「うまくいってないんだ」

「うん」

短く答える。

「私が悪いんだけど」

そう言うと、羽村は首を横に振った。

「佐藤が全部悪いみたいに言うなよ」

少しだけ強い口調。

私は驚いて顔を上げる。

羽村は一瞬だけ言葉を止めて、それから少しだけ優しく言い直した。

「ちゃんと理由あるんでしょ」

「……ある」

小さく答える。

羽村は静かに待ってくれる。

その空気が、逆に話しやすくて。

「私」

一度息を吸う。

「羽村のこと、好きなの」

言った瞬間、部室の空気が止まった気がした。

羽村は何も言わない。

ただ、じっと私を見ている。

その視線に耐えきれず、目を逸らす。

「だから、西野とちゃんと向き合えなくて」

「中途半端なことして」

「最低だよね」

自分で言って、胸が少し痛む。

少しの沈黙。

それから、羽村が小さく息を吐いた。

「……やっぱり」

「え?」

顔を上げると、羽村は苦笑していた。

「なんとなくそうじゃないかなって思ってた」

「え、なんで」

「分かりやすすぎ」

そう言って、少しだけ笑う。

その笑顔に、少しだけ安心する。

でも次の瞬間。

羽村は真剣な顔になった。

「じゃあさ」

「なに」

「西野のことは?」

その質問に、言葉が詰まる。

「……分かんない」

正直に答える。

羽村は少しだけ目を細めた。

「分かんない、か」

小さく繰り返す。

その声に、少しだけ何かが混ざっていた。

そして――

「俺さ」

羽村が、ゆっくり口を開く。

「この前の続き、言っていい?」

「うん」

小さく頷くと、羽村は一瞬だけ視線を落とした。

そして、覚悟を決めたみたいに顔を上げる。

「俺も佐藤のこと好き」

その言葉が、まっすぐ胸に届く。

息が止まったみたいに、何も言えない。

「……ほんと?」

やっとのことで絞り出した声。

羽村は苦笑した。

「こんなとこで嘘言わないって」

少しだけ照れくさそうに頭をかく。

その仕草が、いつもと同じなのに。

今は全部、特別に見える。

「ずっと言おうと思ってたんだけどさ」

「タイミングなくて」

「気づいたら、碧希と付き合ってるって聞いて」

そこで言葉を切る。

「正直、結構きつかった」

胸が、ぎゅっと締めつけられる。

「……ごめん」

思わず謝ると、羽村はすぐに首を振った。

「謝るなよ」

「佐藤は悪くない」

優しい声だった。

でも、どこか切なさも混ざっている。

少しの沈黙。

重くなりかけた空気を、羽村の声がやわらかくほどいた。

「今は碧希のこと、はっきりしなくていい」

顔を上げると、羽村はまっすぐ私を見ていた。

責めるでもなく、急かすでもなく。

ただ、待つような目で。

「だけど、気持ちに整理ついたら教えて」

静かな声だった。

それなのに、その言葉はしっかり胸に残る。

「……うん」

小さく頷く。

羽村は少しだけ安心したように笑った。

「じゃあ今はこれでいい」

そう言って、軽く伸びをする。

さっきまでの張り詰めた空気が、少しだけ緩む。

「てか普通にサボりじゃん俺ら」

「ほんとだよ」

思わず笑ってしまう。

羽村もつられて笑った。

「あとで怒られるかな」

「羽村のせいって言う」

「ひど」

そんな何気ない会話が、やけに心地いい。

しばらく話していると、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。

校舎中に響くその音に、現実へ引き戻される。

「じゃあ戻るか」

羽村がドアに手をかけながら言う。

「うん」

私は小さく頷いた。

部室を出ると、廊下にはすでに人が増えていて、ざわざわとした空気に包まれていた。

さっきまでの静かな時間が、遠く感じる。

教室に入ると、一番に西野と目が合った。

だけど、すぐに逸らされる。

それだけで、胸がぎゅっと苦しくなって、思わず下を向いた。

「二人で何してたの」

その声にハッとして顔を上げる。

気づけば、西野が目の前に立っていた。

「別に」

短く答える。

「教えてよ」

さっきまで距離を取っていたくせに、今は逃がさないみたいに視線を向けてくる。

どう答えればいいのか分からない。

その空気を切るように、羽村が口を開いた。

「ごめん、佐藤が元気なかったから俺が連れ出した」

一瞬、静かになる。

西野の視線が、ゆっくり羽村に向く。

「……ふーん」

感情の読めない声。

「聖は俺の彼女なんだけど」

はっきりとした言い方だった。

空気が一気に張り詰める。

西野はそのまま視線を逸らさず、続けた。

「聖が俺以外の人のこと好きでも」

一瞬だけ言葉を区切る。

「聖は俺の彼女だから、手出すな」

そう言って、西野は私を強く抱きしめた。

突然のことで、体が固まる。

彼の表情は見えない。
でも、耳元に落ちてくる声は低くて――少しだけ震えていた。

怒っている。

それが、はっきりと伝わってきて、

教室のざわめきが、一瞬遠くなる。

「うん、ごめん」

羽村の声が、静かに落ちた。

張り詰めていた空気を少しだけ和らげるように、続ける。

「じゃあ碧希、仲直りしよう。俺とも佐藤とも」

その言葉に、西野の腕がほんの少しだけ強くなる。

「別に喧嘩してない」

低く、そっけない返事。

「喧嘩してなくても、お互い気まずくて話せてないことに変わりはないでしょ」

羽村は引かない。

まっすぐに西野を見る。

西野はしばらく黙ったまま、何も言わない。

教室のざわめきが、やけに遠く感じる。
「西野」

抱きしめられたまま、私はそっと顔を上げた。
近すぎる距離に少しだけ息が詰まる。

「どうしたの?」

何も知らないみたいに、優しく聞いてくるその声に、胸が揺れる。

「……二人で話したい」

小さくそう言うと、西野の腕が一瞬だけ強くなる。
でもすぐに、その力はほどかれた。

「わかった」

短く答えて、西野は私を離す。

そのまま自分の席へ戻り、無言で鞄に荷物を詰め始めた。
教科書の擦れる音だけが、やけに大きく響く。

準備を終えると、また私の前に立った。

「聖も準備して」

有無を言わせない言い方。

私は何も言えず、席に戻って必要なものを鞄に詰めた。
手が少しだけ震えているのに、自分で気づく。

全部入れ終わって、西野のところへ戻る。

「……できた」

そう言うと、西野は小さく頷いた。

「じゃあ行こう」

そう言って、当たり前みたいに私の腕を掴む。

そのまま教室を出ようとして――

「えっ、まって」

思わず足を止めた。

西野は振り返らない。

「ここじゃ二人で話せないから」

一拍おいて、続ける。

「このあとの時間、全部俺にちょうだい」

その声は強引なのに、どこか必死で。

断れない。

「……わかった」

小さく頷くと、西野の指先が少しだけ緩んだ。

今度は引っ張るんじゃなくて、歩幅を合わせてくる。

教室を出る直前、ふと後ろを振り返った。

羽村と目が合う。

何か言いたそうな顔。

でも、何も言わずに軽く手を振られた。

それだけで、胸がきゅっと痛くなる。

廊下は静かで、さっきまでの空気が嘘みたいだった。

西野は何も話さない。
ただ前を見て歩いていく。

繋がれたままの腕を、振りほどくことはできなかった。

学校を出てしばらく歩いて公園についた。

「ここなら誰も来ない」

そう言って、西野が振り返る。

その顔は、さっきまでと違っていた。

余裕なんてどこにもない。

「さっきの、何」

低い声。

責めているようで、でもどこか怖がっているみたいで。

「湊と、何話してたの」

逃がさないように、まっすぐ見つめてくる。

私は一度、息を吸った。

逃げたくない。

「……告白、された」

言葉にした瞬間、空気が止まる。

西野の表情が固まる。

「……え」

かすれた声が落ちた。

「それで?」

短く、続きを促す。

その目が、痛いくらいまっすぐで。

「私も気持ち伝えた」

ちゃんと答える。

沈黙が落ちる。

長い、長い沈黙。

西野は何も言わないまま、視線を落とした。

拳がぎゅっと握られている。

「……そっか」

やっと出た声は、驚くほど弱かった。

「じゃあ、俺は?」

ゆっくりと顔を上げる。

その目は、少しだけ揺れていた。

「聖の中で、俺はどこ?」

胸が、強く締めつけられる。

答えられない。

答えたくない。

どっちも本音だった。

「……わかんない」

やっと絞り出した声は、小さく震えていた。

その瞬間、西野は少しだけ笑った。

どこか諦めたみたいな、弱い笑い。

「だけどさ」

小さく息を吐いて、続ける。

「羽村と付き合うって考えたら、ちょっと違う気がした」

「えっ」

西野は顔を上げる。

自分でも何を言っているのか、はっきり分かっていないのに。

それでも、言葉は止まらなかった。

「前までは、羽村の彼女になれたらって思ってた」

胸の奥にあった気持ちを、一つずつ確かめるみたいに。

「でも――」

視線を西野に向ける。

「西野と付き合ってみて、思ったの」

ほんの少しだけ、言葉に迷う。

けど、ちゃんと伝えたくて。

「西野と一緒にいるほうが、楽しいなって」

空気が止まる。

西野は何も言わない。

ただ、まっすぐ私を見ている。

「からかわれてムカつくし、強引だし、最悪なときもあるけど」

少しだけ笑ってしまう。

「でも気づいたら、そういうのも嫌じゃなくて」

むしろ――

「……楽しいなって思ってた」

言い終わったあと、急に恥ずかしくなる。

こんなこと、ちゃんと口にしたの初めてで。

「だから」

少しだけ目を逸らして、でも続ける。

「わかんないって言ったけど」

もう一度、西野を見る。

「羽村より西野と一緒にいたいって思った」

沈黙。

西野は、しばらく何も言わなかった。

けれど次の瞬間、ぐっと距離を詰めてくる。

「……それ、期待していいやつ?」

低い声。

さっきまでとは違う、少しだけ震えた声。

私は小さく頷いた。

その瞬間――

「……やば」

西野は片手で顔を覆った。

耳まで真っ赤にして。

「そんなこと言われたら、もう無理なんだけど」

そう言って、小さく笑う。

今度は、ちゃんと嬉しそうに。

何も言わなくても分かるみたいに、

西野が一歩踏み出してきて――そのまま強く抱きしめられた。

私はゆっくり腕を伸ばして、西野を抱きしめ返す。

シャツ越しに伝わる体温が、やけにあたたかい。

「……ねぇ」

耳元で、小さく声が落ちる。

「心臓もたないって」

苦笑混じりの声。

「聖」

名前を呼ばれた瞬間、空気が変わった。

さっきまでの柔らかさが消えて、真っ直ぐな緊張が走る。

そっと体を離される。

背中に回っていた手が、今度は肩に置かれた。

逃げられない距離。

でも、優しくて。

「仮の付き合いは解消します」

はっきりとした声。

その表情は、今まで見たことないくらい真剣で。

「そして、西野碧希は佐藤聖が好きです」

「これからも、大好きです」

胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。

「だから」

一瞬だけ、言葉を止める。

「俺と付き合ってください」

まっすぐな告白。

ごまかしも、ふざけもない。

ただ、本気の言葉。

気づけば、視界が少しだけ滲んでいた。

「……お願いします」

震えていて、やっと出た小さな声。

それでも、西野にはちゃんと届いていた。

ふっと、西野が笑った。

安心したみたいな、やわらかい笑顔。

次の瞬間また抱きしめられる。

「聖、大好き」

その言葉がどんな言葉よりも嬉しかった。
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