狂気の魔法

第45話 プロポーズ大作戦


数日後。

「ゆりー、俺、明日アライブの最終リハに立ち会わなきゃいけないから、夜中パークだわ」

“アライブ”。
正式名称は「テイルズ・アライブ」。
4月から始まる周年アニバーサリーイベントでリニューアルされる、昼間の新しいパレードだ。

「え、そうなの? いいよ、先に電車で帰ってるから」

就寝前のソファ。
いつものように、他愛もない日常の会話がぽつりぽつりと交わされる。

「…えっとー……」

けれど、その中で、蓮の声色がふいに変わった。
どこか緊張を含んだ、少しだけ慎重な響き。

「………一緒に…ゆりも見る?遅番だよね……?」

「えっ!!いいの!?」

瞬間、ゆりの顔がパッと花開くように輝いた。
驚きと喜びに満ちた瞳。
その反応を目にしただけで、蓮の胸の奥に熱が広がり、静かな鼓動がひときわ強く高鳴った。

「じゃあ着替え終わったら本部の取締役室まで来てよ。取り敢えず時間まではそこで過ごして…時間になったら一緒にパレードルート行こ」

「……やっっった!!解禁前にアライブが見られるなんて、夢みたいっ!!」

思わず両手をぎゅっと握りしめて、瞳を潤ませるように喜ぶゆり。
その無邪気な歓声が、蓮の心を甘く揺さぶった。



そしてついに、蓮の一世一代の大作戦を決行する時は訪れた。



スタッフエリアから一歩足を踏み出すと、そこに広がっていたのは昼間の喧騒が嘘のように静まり返ったパーク。
眠りについたアトラクションたち。
そして、街灯とイルミネーションだけが夜の空気をやわらかく照らし、幻想的に輝いていた。

パレードルートに、普段は見慣れないものが設置されている事に気がつくゆり。
深夜のリハーサル専用の大きな照明が、まだ点灯していない状態で一定間隔で立ち並んでいた。

そして二人がパレードルートのスタート地点へ到着すると、そこには最終リハに臨む現場の社員たちが既に集まっており、そこへ向かって蓮は声を投げた。

「お疲れっすー!」

「代表!お疲れ様です!」

蓮の姿を認めるなり、その場の幹部や社員らは一斉に声を上げ、次々に深々と頭を下げる。
ただの形式的な挨拶ではなく、尊敬と親しみが入り混じった空気がそこにあった。

「お疲れ様です」

ゆりも慌てて背筋を正し、幹部や社員に向けて丁寧に頭を下げる。
その横で、自然体のまま声を掛け合う蓮の姿は、どこか誇らしげで、彼がこの場所で確かに信頼を集めていることを実感させるものだった。

蓮は現場責任者に歩み寄ると、まず確認を切り出した。

「もう全ルートのセーフティ確認は終わってる?」

「はい。観覧エリアのバリケード設置位置、非常動線の確保、すべて基準値通りです。消防との連携も再確認済みです」

「前回指摘したフロートの間隔は?シミュレーション通り維持できた?」

「おおむね良好です。ただ、先頭ユニットが若干オーバースピード気味で、後続との間隔が広がる傾向があります。次の通しで調整させます」

「音響はその後も問題なし?照明のワイヤレス信号で一部干渉が出てた件は?」

「音響は予定通りです。照明については周波数帯を切り替えて解決しました」

「よし。じゃあやるか!本番同様に最終通しを行う。俺は全区間を歩いて確認する」

「承知しました。合図が出次第スタートいたします」

現場責任者の返答を受けて蓮が鋭く頷くと、空気が一気に張りつめた。
その場にいたスタッフたちも背筋を伸ばし、誰一人無駄口を叩かない。

ゆりは、そんな光景に思わずあっけに取られていた。
普段、家では冗談めかしてふざけてばかりいる蓮。
けれど今、目の前にいるのは何百人ものスタッフを率い、数万人の安全を背負う代表その人だった。

仕事へ対する真剣な姿勢。
その背中には、家で見せる無邪気な笑顔とはまるで違う重みが宿っていて、ゆりの胸は自然と締めつけられた。

「あ、ごめん、ゆり。」

蓮はハッと思い出したように振り返り、申し訳なさそうに声を掛けた。

「俺、これから色々チェックしながらパレードに付いて歩くんだけど…ゆりは適当に自由に見てていいから!」

その言葉に、ゆりは一瞬だけ胸がチクリと痛んだ。

蓮と一緒に見られるわけじゃないんだ。

でも、それが蓮の仕事。
大勢のスタッフやお客様を背負って動いている以上、自分が蓮の仕事を邪魔をしてはいけない。

「……あー…じゃあ、ストーリーテイルキャッスルのところで見ようかな!」

努めて明るく言い、笑顔を作った。
蓮も安心したように頷き、再び現場の方へ向き直る。
ゆりはその背中を見送りながら、心の奥に少しの寂しさを押し込めた。

「はい、じゃあ…スタートー!」

無線に向かって張り上げられた蓮の声。
その瞬間、パレードルートの照明がバシッ、バシッと次々に点灯し、夜の園内がまるで昼間のような明るさへと変貌した。
力強い蓮の声を背に、ゆりはひとりメインキャッスルエリアへと歩みを進めた。

ストーリーテイルキャッスル正面のパレードルートに立つと、胸の奥がじわじわと高鳴っていくのが分かった。
遠くから軽快な音楽が近づいてくる。
視線は自然と、フロートが現れる方角へ吸い寄せられていく。
落ち着かない気持ちを抑えきれず、指先までそわそわと揺れた。

「~~~~!!!♪♪♪」

その瞬間、メインキャッスルエリア全体のスピーカーから、周年アニバーサリーイベントのテーマソングが大音量で鳴り響く。
壮大で華やかな旋律が夜気を震わせ、静まり返っていた空気を一瞬で塗り替えた。
まるで夢の世界が動き出したかのように、光と音と風がいっせいに流れ込んでくる。

ゆりの胸は、音楽に合わせるかのようにさらに高鳴り、今にも飛び出しそうに脈打っていた。

「やばい…既に泣きそう……」

胸の奥にせり上がるものを堪えきれず、思わず独り言を呟く。
視界がじわりと滲み、その霞んだ先にパレードルートをこちらへ向かって駆け寄ってくる蓮の姿が飛び込んできた。
夜の光に照らされたシルエットは、仕事中の代表というよりも、どこか少年のようで。
その瞬間、胸がさらに詰まる。

「え…泣くの早くね?」

軽く息を乱しながら、蓮はゆりの潤んだ瞳を見てギョッと目を見開いた。

「…えへへ……」

ゆりは、堪えきれず溢れた笑みをそのまま蓮に向ける。

蓮はふぅっと息を吐きながら、ゆりの隣に立ち、肩を並べてパレードルートへ視線を向けた。
先頭のフロートが、メインキャッスルエリアへとゆっくり進み、音楽をまとって近づいてくるのが見える。

「……え?付いて歩かないの?」

「うん。ここで見る」

「は?」

「パレードを見てるゆりを見る」

明るい照明に包まれ、無邪気に笑う蓮の顔が眩しく感じて、ゆりの胸がきゅっと詰まる。

「……仕事しろっ」

蓮が隣にいてくれる嬉しさと、ゆりを見る、と言われたくすぐったさに、思わず照れ隠しの言葉を吐き出した。

やがて、音楽のボリュームがぐんと上がり、城前の空気が鮮やかに震えた。
先頭のフロートが近づいてくると、ゆりの目は自然と吸い寄せられる。

柔らかなゴールドの照明を浴びながら、カラフルな旗を翻すダンサーたちが軽やかに行進してくる。
リズムに合わせて腕を伸ばし、ステップを踏むたび、煌めく衣装が光を弾いて弧を描く。

続いて現れたのは、まるで甘い夢をそのまま形にしたような巨大なフロート。
中央には、お菓子で飾られた小さな家が据えられ、屋根や壁には色とりどりのキャンディやクッキーのモチーフが散りばめられている。
柔らかな灯りに照らされながら進むその姿は、森の奥で偶然見つけてしまった、不思議で少しだけ危うい夢の住処のようだった。

「わー!グレーテルー!あ……っ」

ゆりは思わずいつものように大声でキャラクターの名を呼び、手を振り上げてしまう。
だが瞬間、ハッと我に返り、慌ててその手を胸の前で止めた。

今はリハーサル中。
スタッフもダンサーもキャラクターも、すべて本番さながらに真剣に取り組んでいる最中だ。
こんなふうに浮かれて振る舞ってはいけない。

「手、振っていいよ」

不意に落ちた蓮の声は、柔らかくて優しい響きを帯びていた。
ゆりが手を振ろうとして、必死に我慢したその一瞬を、彼は見逃さなかった。

ゆりは思わず、胸の奥にくすぶっていた小さな願いを口にする。

「……キャラ……呼んでもいい……?」

視線はフロートの上のキャラクターたちへと吸い寄せられながらも、声はどこか遠慮がちに震えていた。

「もちろん。みんな本番だと思ってやってるから」

蓮は微笑んで、ゆりを見つめていた暖かい視線はフロートの上で動くキャラクターを見上げた。

「いっぱい呼んで、いっぱい手を振って。ゆりは、みんなにとっての観客になってあげて。」

その言葉が、胸の奥にまっすぐ届く。
ゆりは一瞬、喉の奥が熱くなって、頬がゆるんだ。

それからゆりは、精一杯の大声でキャラクターの名前を呼んだ。
フロートが去っては手を叩いて、そしてまた次のフロートのキャラクターへ手を振る。

音楽は次第に壮大さを増し、コーラスの重なりが夜空に響き渡る。
観客のいない深夜のパークだからこそ、その旋律は風に乗って遠くまで澄み渡り、ゆりの胸の奥にじんと染み込んでいく。

「……すごい…ファンサ独り占め過ぎる…気絶しそう……」

思わず呟くゆりの声が、震えていた。

普段テイルインした時に見るパレードは、たくさんの来園者へ向けて四方八方に笑顔やファンサを振り分けるキャラクターやダンサーたち。

けれど今夜は違う。

夜空の下、虹色に輝くフロートの上から、キャラクターたちの視線も笑顔も全てが、大きな声で懸命に呼び掛けるゆりへ反応してくれた。
ダンサーの手が、キャラクターの手が、次々にゆりへ向かって振られ、呼びかけ、笑いかける。

まるで自分だけが物語の世界に招かれたみたい。

煌めくフロートが目の前を通り過ぎるその瞬間、光と音、夢と感動のすべてが胸に流れ込むようで、瞳は自然に涙で滲んでいった。
胸の奥が熱くて、喉が詰まって、涙がボロボロ溢れて止まらない。
それでもゆりは、必死に笑顔を浮かべ、両手を振り返し続けた。

その横で、蓮がゆりの横顔をちらりと盗み見て、ふっと笑みを浮かべた。

——おし、作戦成功。

彼にとっては何度も見慣れたはずのパレードのリハーサル。
だけど今、ゆりの瞳に映るその景色は、誰にも真似できない、唯一無二の輝きを宿していた。

そして、メインキャラクターのノアやリラ、その仲間たちを乗せた最後のフロートが、ゆりの目の前を通り過ぎていった。
光と音楽に包まれた物語の世界が、ゆっくりと遠ざかっていく。

「……じゃあ俺戻るから、ゆりはこのままパレードについて来て!」

蓮はそう言うと、軽く手を振りながら、パレード先頭の方へとダッシュで駆けていった。

最終リハという大事な業務の最中で、あれほど忙しいはずなのに。
それでも、先頭から最後まで、自分の隣に寄り添って一緒に見てくれていた。

その事実が胸に込み上げ、ゆりの胸をきゅんと締め付けた。
イルミネーションの光の中で、胸の奥の熱がじんわりと広がっていく。

そしてパレードは、最後のエリアを抜け、煌めくフロートが次々とスタッフエリアへと吸い込まれていった。
最後の一機が完全にゲートの奥へ消えると、重々しい音を立ててパレードゲートが閉じられる。
軽快な音楽がふっとフェードアウトして消え、ほんの一瞬、夜のパークに静寂が戻る。

「…………はい、オッケー完璧!」

その直後、無線に乗った蓮の声が響き渡り、張りつめていた空気が一気に解き放たれた。

ワッと拍手と歓声が広がる。
スタッフもダンサーも、肩の力を抜きながら笑顔を交わし合い、安堵と達成感の入り混じった声が次々に夜空へと舞い上がっていった。

蓮やスタッフたちが次々とゲートの奥へ姿を消し、ゆりもその後に続いた。
スタッフエリアに入ると、蓮はすぐに現場責任者やスタッフと立ち話を交わし、最終確認をしている。
そして一区切りつくと、近くにいたダンサーたちへ声を張った。

「お疲れー!ありがとうー!」

「みんな、本番よろしく!」

声に応えるように「お疲れ様です!」と元気な返事が飛び交い、笑顔が弾ける。
その様子をゆりは少し離れたところから見守っていた。

やがて蓮は、足取りをゆりの方へ向けると、スタッフ全体に向かって大きく声を響かせた。

「じゃー解散!遅くまでお疲れ様でした!みんな気をつけて帰ってね!」

その声を合図に、張りつめていた現場に一気に安堵の空気が広がる。
夜のスタッフエリアは、拍手と笑顔で満ち、どこか祝祭の後のような温かさに包まれた。

クルッと向き直った蓮は、役目を終えた解放感を纏い、軽快な足取りで駆け寄ってくる。
さっきまで代表として堂々と現場を率いていた姿はそこになく、ただひとりの男として、まっすぐに自分の元へと帰ってくる姿だった。

「おかえり!お疲れ様」

胸の奥から自然に溢れた笑顔で、ゆりは彼を迎えた。
その一言が、蓮にとって何よりのご褒美のように心に響いた。

「ただいま!じゃあ行こう!」

そう言って蓮は自然にゆりの手を取り、そのままパークへと歩き出した。

「なんでそっち?」

ゆりは首を傾げる。
車はスタッフエリアに停めてあるはずなのに。

蓮はちらりと横顔を向け、茶目っ気のある笑みを浮かべる。

「せっかくだからちょっと散歩しながら帰ろうよ。車は向こうに回してもらったから」

不意打ちのようなその提案に、胸の奥がじんわり熱くなる。
仕事を終えたパークの静けさに、二人だけの夜が始まろうとしていた。

夜のパークは、昼間の華やかさとはまるで別世界だった。

さっきまで昼間のように明るく照らされていたリハ用の照明は、スタッフの手によって次々と撤去されていく。
大きな機材がトラックに積み込まれ、少しずつ姿を消していくと、そこには静けさだけが残った。

やがて、低いエンジン音と共に清掃車が現れる。
水を撒きながらルートをゆっくり走り抜け、路面はしっとりと光沢を帯びて、夜のイルミネーションを鏡のように反射した。
その横では、清掃スタッフがホースを使ってベンチや建物の壁を洗い、植え込みの隅々まで丁寧に水を撒いていく。
まるでパーク全体が一日の疲れを洗い流すかのように、くまなく丸洗いされていく様子は壮観だった。

どんな華やかな舞台の裏側にも、こうして黙々と支える人たちがいて。
その努力を知っているからこそ、今日のあのパレードが輝いていたんだと実感した。

雨上がりのように、湿った夜風に乗って漂う水道水に混じる、かすかな塩素の匂い。
しっとり濡れた路面が光を映し込み、足音さえも吸い込んでしまうような静けさに包まれる。

スタッフもお客もいないパーク。
昼間は子どもたちの笑い声やショーの歓声で溢れていたその場所が、今はただ水音と機械の低い駆動音だけを響かせている。

けれどその景色は、むしろ昼間よりもずっと幻想的だった。
夢と現実の境界を飛び越えたような、不思議な静けさと透明感。

まるで二人だけが特別に許された夢の散歩のように。
蓮とゆりは肩を並べ、同じ夜風を胸いっぱいに吸い込みながら歩いた。

そして当たり前のように、ゆりの足スはトーリーテイルキャッスルの正面広場へと向かっていた。

誰もいない広場。
開園中は音楽と歓声に満ち、無数の人々が写真を撮り、笑い合い、夢に浸っていた場所。

お城の真正面に辿り着いた瞬間、ゆりは思わず立ち止まり、ライトアップに照らされる幻想的なお城を見上げた。

「……いつもは人でごった返してるのに……凄いな、この貸切感。」

漆黒の夜空を背に、ひときわ鮮やかに輝くその姿は、まるで自分たちだけのためにそこに存在しているかのようだった。

「このストーリーテイルキャッスルを、こんなふうに独り占め出来るなんて……小さい頃は夢にも思わなかったな」

ぽつりとこぼした呟きは、ひんやりとした夜気に溶けて消えていく。
けれど、その静寂の中で確かに刻まれた言葉は、胸の奥に小さな灯をともすように温かかった。

感慨深い表情を纏い、ぽーっとお城に見惚れるゆりの横顔。
その姿を見つめるうちに、蓮の胸で決意が灯った。


今だ──。


「ゆり…ちょっと、伝えたいことがあるんだけど」

「…なに?」

お城を見上げていた視線が、隣で肩を並べる蓮へと向けられる。
煌めくお城の光を映したその瞳が真っ直ぐに自分を見つめた瞬間、蓮は心臓を鷲掴みにされたように鼓動が跳ね上がった。

「あの……さ………」

喉が渇き、声がわずかに震える。
その震えを、ゆりはすぐに敏感に感じ取った。

「なに?…嫌なこと?怖いんだけど!」

不安げに眉を寄せるゆりの焦りに、蓮は慌てて手を振った。

「ち、違う!全然っ!…だから、その……」

「えー言いづらいこと?なに系?」

覗き込むように問い詰められ、蓮の胸はますます跳ねる。
思わず苛立つように声を上げた。

「うるせぇなっ!今言うからちょっと黙ってろ!」

フンッと短く溜め息を漏らしながら、ゆりは横にいる蓮へと身体を向き直し、眉間に皺を寄せて両手を腰に当てる。
けれどその仕草すら、蓮にはどこか可愛くて、胸の奥の緊張をさらに煽った。



「……ゆりのことが大好きです。」



蓮は少し俯き気味に言葉を落とし、そして勇気を振り絞って顔を上げ、真っ直ぐに強い視線でゆりの瞳を射抜いた。



「俺と付き合ってください!」



その真剣な声音に、ゆりは一瞬だけ驚いた表情を見せた。
けれどすぐに、こらえきれないように吹き出し、笑いながら答える。

「……いまさら?笑」

「いや…言った事なかったから!」

「そうだっけ?私はとっくに付き合ってると思ってたよ」

「俺だってそうだけど!…ゆりからも言われた事ない。」

「えー?そっか…わかったわかった、ありがと!私も蓮の事大好きだよっ!」

弾けるように笑ってそう言ったゆりは、再び城へと身体を向き直し、視線を高みに向ける。
あっけらかんとしたその様子に、蓮の胸には、なんとも言えない腑に落ちなさが渦を巻いた。


でも、作戦はこれで終わりじゃない。


「…………じゃあ……これは………?」


低く落ちた蓮の声に、ゆりの瞳が再び彼へと向けられる。
その瞬間、伸ばされた蓮の腕から差し出されたその手には、閉じられた小さな指輪ケースが握られていた。

「…………っ」

視界に飛び込んだ瞬間、ゆりの全身は驚愕で硬直した。
鼓動が耳を打ち、喉の奥が詰まる。
顔を上げて蓮の表情を見つめたとき、思わず眉間に力がこもり、言葉がひとつも出てこなかった。

「俺は…この先の人生、ゆりがいない未来なんて考えられない。だからもう二度と、一生、俺の傍から離れないで欲しい」

真剣な声色に、ゆりの表情は硬く強張ったまま。
込み上げる感情に瞳が潤み、蓮の言葉が胸をぎゅっと締めつけて心拍数を上げていく。

「ゆりは、俺の夢」

その一言を残して、蓮はゆりの隣から一歩前へ。
ライトアップされたお城を背に、片膝をつき、ゆりを正面から見上げる。



「……ゆりのことを……世界中で、誰よりも一番愛してる」



ゆっくりと差し出されたその手。

指輪ケースの蓋が開かれる瞬間、煌めく指輪がお城の光を反射し、夜空の下でひときわ鮮やかに輝いた。



「俺と……結婚してください」



最悪の出会いから、二年と少し。
数えきれないほどの紆余曲折を越えてきた。
決して平坦ではなかった、涙と笑いに満ちた二人の道のり。


込み上げる様々な想いが胸を満たし、ゆりの瞳からは一気に涙が溢れ出して止まらなかった。

ゆりは蓮に駆け寄り、その肩をぎゅっと抱きしめる。
涙混じりに震える声で、全身の想いをぶつけた。



「……私も…っ世界一蓮を愛してる…」



やがてそっと腕をほどき、ゆりは蓮の正面に崩れるように膝をついた。



「……ふつつかな娘ですが……」



濡れた瞳で真っ直ぐに彼を見つめながら、ゆっくりと正座し、両手を前について深く頭を下げる。



「どうか……よろしくお願いします……」



お城の光に包まれた広場で、二人の声が静かな夜空に吸い込まれていった。



「…えっ!まじで!?本当に…いいの!?」

蓮は信じられないとばかりに目を見開き、驚きの声を上げた。

「もー……そんなの、いいに決まってるじゃん!」

ゆりは正座したまま顔を上げ、涙で濡れた頬に晴れやかな笑みを浮かべる。

「よっっっ……しゃぁぁぁーーーーー!!!!!」

蓮は堪えきれずに立ち上がると、背後のストーリーテイルキャッスルへと振り返って数歩駆け出しながら、夜空に向かって指輪ケースを握った両拳を高々と突き上げた。

その叫びは、まるで広場全体が祝福してくれているかのように、静かなパークに反響していった。

「……ゆりっ!!」

再び振り返った蓮が両手を広げると、ゆりは迷うことなくその胸へ飛び込んだ。
喜びを分かち合うように、二人は互いの鼓動が重なり合うほどに力いっぱい抱きしめ合う。

「……左手出して」

蓮の声に促され、ゆりは少し震える指先で左手を差し出した。
その薬指へ、蓮はゆっくりと、確かめるように指輪をはめ込んでいく。

「……可愛いー…」

小さく息を呑みながら、ゆりは手の甲を顔の前に掲げ、煌めくリングをポーッと見つめた。
お城の光を受けてきらめくその輝きは、まるで夢そのものを形にしたようだった。

蓮は、指輪を食い入るように見つめて頬を染めるゆりの姿を、胸が張り裂けそうなほどの愛しさで見つめていた。
次の瞬間、堪えきれずにその左手をグイッと掴み、自分の方へと強く引き寄せる。


———。


気づいた時には、もうその唇に、自分の唇を重ねていた。


長い間、胸の奥で渇望し続けてきた感触。
事故以来、ようやく辿り着いた、待ち望んだ初めてのキス。

懐かしいはずなのに、新しい。
その甘く優しい触れ合いに、蓮の全身は痺れるような幸福でいっぱいになった。

ゆりは一瞬、突然の出来事に驚いて硬直した。
けれど、触れた唇の温もりが胸いっぱいに広がり、ようやく辿り着いたこの瞬間の意味を全身が理解すると、込み上げる喜びに心が震え、自然とそっと瞼を閉じた。
そして再びゆりの頬を伝う一筋の涙が、互いの想いの長さと深さを物語っていた。

蓮がゆりの肩を抱き寄せると、ゆりも自然にその背中へと腕を回した。
何度も唇を重ね、互いの熱を溶け合わすように強く抱きしめ合う。

止まらない衝動。
胸の奥に溢れる想いが全身を駆け巡り、蓮の身体は抑えきれないほど熱を帯びていく。

やがて蓮は、堪らず唇を離し、ゆりの頭を自分の肩に押し当てながら強く密着させた。
そして心の奥にある言葉が、抑えきれずに零れ落ちる。

「……今日帰ったら…していい?」

一瞬にして空気が変わった。
ゆりはバッと蓮の胸を押し返し、目を大きく見開いた。

「…な、なに言ってんのっ!」

ゆりの顔は真っ赤に染まり、心臓は爆発しそうなほど跳ね上がる。

「え…だめ…?笑」

蓮は、自分も赤面しながら困ったように笑い、耳まで赤くしていた。

「……っ……まぁ…い、いい…けど……」

ゆりの顔はみるみる茹でタコのように赤みを増して行く。
声はか細く、恥ずかしそうにモジモジと呟く姿が堪らない程可愛くて、その返事を聞いた瞬間、蓮の全身に電撃が走る。

「やっっったぁぁぁ!!!」

蓮はガシッとゆりの手を握りしめ、そのまま嬉しそうに歩き出した。

「帰って◯◯しよー!!」

「……っ!お城の前でっ……!」

ブンッ。

ゆりの手が飛んでくるや否や、間一髪で反射的に避けた蓮。

「っぶね……!」

避けられた悔しさに、ムキになるゆりは再び手を振り上げる。
すると蓮は咄嗟に走り出し、距離を取った。

「卑猥なこと言うなぁーーー!!!」

「アハハハ!!」

ゆりに追いかけられて、笑いながら逃げる蓮。
閉園後のパークに、楽しそうにはしゃぐ声が反響して夜空に響く。
二人だけの特別な時間を祝福するかのように、静かな広場が笑い声に満たされていった。

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